22 一貴族の娘
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ソフィア・マクスウェル:イーリンの母、公爵夫人
アンナ:イーリン付きの侍女
ピーター:マクスウェル家の庭師
ファン:クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターの紹介でギーベル王国へ
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹
アルバート・ボンベルグ:ルイーゼの父、辺境伯
「私は一貴族の娘ですわ! 王都が色々と大変なので、とりあえず領地に戻ろうとしているところなのですわ!そうしたら、偶然こちらを通りかかった際に、具合の悪い方がいるとお聞きしまして!」
ルイーゼが、なぜここに?
「あの、そういうことらしいですので、入っていただいてもよろしいでしょうか。」
村人が困惑した声で尋ねる。
「あの方なら、大丈夫な気がしますがね。」
「まあ、そうは思いますけど。」
ひそひそとアンナとピーターが相談し、アンナが扉を少し開けた。ファンは様子が分からず、イーリンのそばに控えたまま、戸惑っている。
「どなたかは存じませんが、ご親切にありがとうございます。」
「まあ、とんでもない!不躾で申し訳ありませんが、少し中の様子を見ても?」
「ええ、どうぞ。」
外にいたのは、やはり、辺境伯令嬢ルイーゼだった。護衛らしき兵士を1人連れている。彼の剣の鞘には、王家の紋章ではなく、槍をかたどったボンベルグの紋章がついていた。
アンナの案内で、ルイーゼと兵士は小屋の中に入った。兵士に殺気はなく、ファンは剣にかけていた手をおろした。ルイーゼは中を見回したかと思うと、ベッドで寝ているイーリンで目がとまった。すると、ルイーゼの目がみるみる潤んできた。
「……うっ。お、お会いしたこともない方ですがっ……、ずいぶん具合が悪そうですわね……っ。」
ルイーゼはハンカチで目を押さえながら、泣くのをこらえつつしゃべり続ける。
「わっ私は……、困っている人を見ると見捨てられないのですわっ……。親切だからっ……、だから、つい、泣いてしまうだけなのですっ……。」
なぜか、それを聞いている村人まで涙ぐんでいる。本当にただの親切な令嬢だと思っているようだ。
ファンは面食らっている。そこに、侍女の顔に戻ったアンナが小さな声でささやいた。
「ルイーゼ・ボンベルグ嬢です。イーリン様のご友人であり、従妹にあたられる方です。」
ピーターも小声で教える。
「もともとこういう方なんです。ボンベルグ家らしい、まっすぐなご気性の方で。小さな頃からイーリン様のことが大好きな方です。だから、たぶん裏切るとかはないと思いますよ。」
ファンは、ボンベルグ家出身だという、イーリンの母である公爵夫人ソフィアを思い浮かべた。そういえば、裏切りなどしようものなら、相手を殴り飛ばしそうな気迫があったな、と思った。
「ご病気の方は放っておけませんわ! だから、私の馬車にお乗りくださいませ! 医師のところまで連れて行ってさしあげますわ!」
「本日初めてお会いするお嬢様、お言葉に甘えてよろしいのですか。」
「当たり前ですわ! 私は通りすがりの、ただの一貴族の娘ですけれど、人に親切にしたい性格ですので、甘えていただいて構いませんわ!」
ルイーゼは、ここで名乗る気はないようだ。アンナもそれに乗って話をしている。
村人は2人の会話を聞いて、ふむふむと頷いている。きっと、このまま周りに説明してくれるだろう。
「……ああ、これは夢? この声は……。」
ルイーゼの声で目を覚ましてしまったのか、イーリンがうっすらと目を開け、寝言のようにつぶやいた。
「……! いけませんわ、すぐにお運びしなくては。私が馬車まで案内いたします。」
「では、私が。」
ファンが、自分がイーリンを馬車まで運ぶと言った。
「あら? まあ、まあ。あなたがしてくださるのね。まあ。」
ルイーゼは、そこで初めてファンに気がついたようだった。
公爵家の館で見たことがない、しかも、この国の者ではなさそうな風貌の男性が、この場にいて、しかもイーリンを運ぶという。
ルイーゼは不思議そうな顔をして、ファンとアンナを交互に見た。そして、アンナやピーターが、何も言わずにこにこと笑顔でいるため、首をかしげながら、ファンに「では、お願いしますね。」と言った。
どうやら、兵士はイーリンを運ぶために連れてきたらしかった。手持ちぶさたな兵士は、荷物を持ってくれるという。
「失礼します。」
ファンがイーリンを抱き上げると、イーリンは、自然にファンの胸に、ことんと頭を置いた。
それを見て、ルイーゼは、またアンナやピーターの顔を見たが、2人はやはり、にこにこと笑っているばかりだったので、「あら?まあ……。え?」と、また首をかしげていた。
村人に十分にお礼をして、馬車は村から出発した。小屋のベッドなどは、村人が元の状態に戻しておいてくれることとなった。
ルイーゼは、自分が乗ってきた馬車とは別に、寝台をしつらえた馬車を用意してくれていた。ファンは、そちらの方にイーリンを寝かせ、アンナに同乗を頼んだ。
ピーターとファンは、ルイーゼに勧められ、とりあえずルイーゼの乗っている馬車に乗せてもらった。ここまで乗ってきた馬も、ルイーゼの従者たちが一緒に連れて行ってくれるという。
「イーリン様……。よく、ご無事で……。」
馬車が動き出すと、ルイーゼは、こらえていた涙を一気に出して泣いた。ルイーゼ付きの侍女が、何枚もハンカチを差し出していた。
「申し訳ありません。皆様の前で取り乱しましたわ。」
ひとしきり泣くと、ルイーゼは落ち着いた。そして、ファンとピーターに、しっかりと向かい合った。
「それで、あの……。そちらの方は……。」
ルイーゼは、ピーターとは顔見知りのようだ。ただ、ファンがどういう関係かわからず、自分が名乗っていいものか悩んでいるようで、ピーターの方を向いて少し困った顔をしている。
それに気づき、ファンは自己紹介をした。
「親切なお嬢様、申し遅れました。私は、マクスウェル領でイーリン様の兄、クリス様の従者をしておりました、ファンと申します。」
「ファン様は、元々は隣国ハーフェンからいらした方です。クリス様の命で、私共と一緒に来てくださったのです。」
ピーターが、合わせて説明をしてくれる。ルイーゼは、それを聞いて安心した様子だった。
「まあ、そうなのですね。失礼いたしました。私は、ルイーゼ・ボンベルグ。辺境伯アルバート・ボンベルグの娘ですわ。イーリン様とは、親しくさせていただいておりました。」
「お会いできて光栄です。」
ルイーゼは、大きく息をついた。
「本当に……、運がよかったのですわ。……あの、これまでのことをお伺いしても?」
「ええ、説明させていただきます。」
お付きの侍女のことは気にしなくていいと言う。特殊な「訓練」を受けた侍女であるそうだ。
ファンたちの話を聞いているうちに、ルイーゼの顔色は青くなったり、赤くなったりした。
「本当に、あのキャサリンという女性は……っ。どっちが魔女なのですか! 王太子殿下も、前から愚か者だとは思っていましたが、ここまで救いようのない痴れ者だったとは!あんなもの、戦場の真っただ中に放り込んでやりたいですわ!」
イーリンを助けた時点で、不敬もなにもないと思ったのか、ルイーゼは心の内をそのまま口に出しているようだ。
「ね、正直な方でしょ?」
ピーターが、こっそりファンに耳打ちする。ファンは軽く頷いた。
ただ、ルイーゼの正直さは誠実さが伴い、好感がもてるものだった。そこに王太子たちのような、欲望をそのまま実現しようとするような醜さはない。
イーリンの清廉さが、こういった人物を惹きつけるのだろう。アンナもピーターも、忠義だけではなく、イーリンという人間を助けたいという思いで動いている。
自分もまた、惹きつけられてしまった人間の一人である。ライバルは多そうだな、とファンは思った。
馬車は一度、休憩に入った。すると、イーリンの方の馬車にいたアンナが、ファンを呼んだ。
「申し訳ないですが、ファン様。私の代わりに、イーリン様のそばについていていただけませんか?」
「私でいいのですか?」
「お着替えなどが必要な時は、私がさせていただきます。でも、今はファン様の方がよさそうだと思いまして。」
アンナは、にこにこと笑顔を浮かべている。ファンは不思議に思ったが、引き受けた。
「はあ。まあ、私でお役に立つなら。」
「では、次の休憩までお願いいたします。」
ファンとアンナが交代し、アンナがルイーゼの方の馬車に乗った。
ルイーゼが、さっそくといった様子で、身を乗り出して、アンナにファンのことを尋ねる。
「……あの、アンナ? あの方は、イーリン様とどういう関係なのですか?」
アンナとピーターは、少し2人で目を合わせたあと、ふふ、と笑って言った。
「イーリン様が信頼されていて、王太子殿下より、ずっとイーリン様にふさわしい方です。」
「そうなのですね……? 驚きました、あんなイーリン様を見たのは初めてです。」
幼い頃から王太子の婚約者として注目されてきたイーリンは、人前で甘える姿を見せることはなかった。ルイーゼに対しては、年上であることから、優しい姉のように接することが多かった。
「不思議なことですね、長くお仕えしてきてきて、私も初めてなのです。あの方といると、イーリン様は自然と緊張が解け、心が落ち着かれるようなのです。」
アンナが、頬に手をあてて、不思議そうに言う。
「我々にも2人のことはよく分かりませんがね、イーリン様が幸せなら、こちらとしてはそれでいいので。」
ピーターが笑って言う。少しの間しか一緒に過ごしてはいないが、ファンが信頼できる人間であることは肌で感じていた。
ルイーゼは少し考えていた様子だったが、何かを決心した顔で言った。
「そうですわね。私、常々王太子殿下はイーリン様にふさわしくないと考えていたのです。心も身体も軟弱なのですもの。あのような、しっかりとお身体を鍛えた方は、きっと心も強い方に違いありません。さすが、イーリン様。私、お二人を応援いたしますわ。」
ルイーゼらしい物言いに、アンナとピーターは、つい吹き出してしまった。どうやらルイーゼは、ファンの鍛えた身体つきを認めてくれたらしい。ルイーゼの隣にいる侍女も、笑いをこらえている。
「え? あら? どうなさったの?」
ルイーゼは戸惑って、他の3人を見回している。
「いえ、申し訳ありません。」
「イーリンお嬢様には、いいご友人がいらっしゃると思っただけです。」
(こりゃあ、ボンベルグ領では、ファンは色んな目で見られて苦労するかもな。)
ピーターの心配をよそに、馬車はボンベルグ領へ向かい、走り続けた。
お読みいただいてありがとうございます。24話までで、いったん第一章終了とさせていただく予定です(その後も更新は続けます)。次の23~24話はファンの回想になる予定ですので、内容は今までのものとかぶります。よろしければ、皆様のきりのいいところで、ご感想やご評価などいただけると大変嬉しいです。




