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魔女と呼ばれた令嬢  作者: 梨花むす
第一章
20/77

20 昏き森

イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢

アンナ:イーリン付きの侍女

ピーター:マクスウェル家の庭師

アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者

キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女

 一方的な「協議」が終わると、イーリンはまた地下牢に入れられた。


 昨夜と違い、夜になってもあの男の叫び声は聞こえなかった。どうやら発作的に叫び出すものと思われた。


 イーリンはまた、藁のベッドの上で薄い布にくるまった。


 刑の宣告は終わった。おそらく、明日にでも刑を執行するため、ここを出発するだろう。

 王城から(くら)き森までは、馬車で2日はかかる。

 父ヘンリーが隣国から帰国し、王城にたどり着くまでに、イーリンの刑が終わっていないといけないのだから。


 自分の生命が2日後には終わるかもしれないと思うと、無性に悲しくなった。

 しかし、自分で選んだことだ。それに、たとえ幽閉に落ち着いたとしても、アーサーたちが自分をそのまま生かしておくとは思えなかった。


 絞首(こうしゅ)刑や斬首(ざんしゅ)刑などと違い、今回の刑で実際にイーリンを殺すのは獣たちだ。特に勝算があるわけではなかったが、王都で殺されるより、外に出て、少しでも領地に近くなるなら悪くないと思った。


 イーリンは、深いため息をついた。


 アーサーやキャサリンを見るのは、正直今でも怖いし、つらい。でも、今日は何とか頑張れた。


 イーリンはまた、そっと胸に手を当てた。このあたたかさを、死ぬまで忘れずにいたい、と思った。




 イーリンの刑は、静かに進められていった。


 イーリンは、王太子の婚約者として有名な貴族令嬢であり、可憐な少女でもある。

 それが無惨に処刑される姿を見せられれば、いくら王都の民でも、さすがに王家への反発が起きる。そこは、アーサーもしぶしぶと貴族たちの意見を聞き入れ、表向きには幽閉と発表するようだった。


 地下牢から出されると、イーリンは処刑用の簡素な白い服に着せ替えられた。王城内の広場に引き出され、諸侯の前でアーサーが刑を宣言したあと、イーリンは見届けの兵士や執行人たちと一緒に、粗末な馬車に押し込められた。



 馬車は王都から離れ、ガタガタと音を立てながら(くら)き森へと向かった。


 道中、兵士や執行人たちは、イーリンをできるだけ丁寧に扱ってくれた。おそらく罪悪感のためだろう。

 一部始終を聞かされている彼らにとって、イーリンの冤罪は火を見るより明らかであった。だからこそ、王太子に命じられた無実の令嬢の処刑は、非常に嫌な仕事のようだった。


 二晩を野営で過ごし、3日目の昼に、馬車は目的地に着いた。眼前には鬱蒼(うっそう)とした森が広がっている。マクスウェル領に似た緑の匂いに、イーリンは何となく懐かしさを感じた。



 執行人たちはイーリンを森の手前の草むらに連れて行き、座らせた。イーリンは抵抗せず、執行人たちのするがままに後ろ手に縛られ、目隠しをされた。


 執行人たちは、この貴族の少女の哀れな姿を見て、ひどく心が痛んだ。魔女だと言われ、殺されようとしているのに、この少女は自分たちと一緒にいる間、ずっと優しかった。


 最後に執行人たちは、皮袋に入った赤黒い液体をイーリンの周りに()いた。生臭さが鼻をつく。


(うっ……。)


 イーリンは吐き気を催した。


「本当は、あんたにぶちまけろと言われた。でもなあ。」


 ()かれたのは、動物の血だと言う。血の匂いで獣たちをおびき寄せるためだった。

 アーサーたちの命令だろう。その底知れない悪意に、イーリンは身震いした。


 執行人の1人が、イーリンの状態をもういちど確認する、と言って近づいてきた。そして、さりげなく目隠しと腕の縄をゆるめ、こっそり耳打ちをした。


「馬車の音が聞こえなくなるまで、頭を振ってはいけませんよ。」


 イーリンは、小さな声でお礼を言った。


 執行人たちは、「ご幸運を」と言って、足早に去っていった。見届け人の兵士が、最終確認が終わったと声を上げ、馬車に乗り込んだ。鞭の音がして馬がいななき、馬車は出発した。


 音が聞こえなくなると、イーリンは頭を振り、目隠しを落とした。頑張って身体をよじっていると手の縄もほどけた。


(ありがたいわ。でも、これからどうしようかしら……。)


 イーリンは、親切な執行人に感謝した。そして、まずは安全な場所へと移動しなければと思い、立って周りを見渡した。



 すると突然、少し離れた岩の陰から、3人の男たちが現れた。


「悪いね、お嬢様。」


 男たちは、街に住む平民のような格好をしていた。しかし、どことなく卑しい感じがし、下品な笑いを浮かべていて、とてもまっとうに生きている人間には見えなかった。


「きゃっ……。」

「普段なら捕まえて売り飛ばすんだがね、雇い主の命令で、あんたには死んでもらわないとね。」


 アーサーかキャサリンからの刺客だろう。

 王家の兵には見えず、どうやらならず者を雇ったようだった。


 イーリンは走り出し、男たちから逃げようとした。

 少女一人、簡単に捕まえられると思っているようで、「捕まえたらどうする?」「少しはお楽しみもあっていいだろう」などと言う言葉が聞こえてきた。


(何とか、逃げなくては……。)


 イーリンは、どの方向に逃げるか迷った。草むらでは、いつまでたっても身を隠すことができない。でも、前に広がるのは「(くら)き森」だ。


 男の1人に、もうすぐで追いつかれそうになったところで、その男が草に足を引っかけて転んだ。


 ⦅美しい人、こちらへおいで。⦆


 森の奥から、声が聞こえる気がする。

 今ここにいても、刺客たちに狙われるばかりだ。イーリンは森の中に逃げこんだ。


 男たちは、イーリンをののしりながら追いかけてくる。しかし、イーリンが木々の間を抜けると、その後ろにばさりと枝が降りてきて、男たちの行手を邪魔するかのようだった。


 2人の男が、森の中までイーリンを追いかけてきていた。イーリンは足がもつれて倒れそうになり、とっさに木につかまった。イーリンの足が止まったのを見て、男たちが迫ってくる。


 ざざ、と音がしたかと思うと、横手から、銀色に光る毛を持つ狼が現れた。狼は、イーリンと刺客たちの間にするりと入り込んだ。


 イーリンは襲われることを覚悟したが、狼は尻尾をイーリンの方に向け、刺客たちを威嚇するように唸っていた。


(守ってくれているの……?)


 根拠はないが、そう思えた。

 男たちは狼を恐れ、それ以上進むことができないでいたが、じりじりとイーリンに近寄ろうとしている。

 イーリンは狼に背を向け、森のさらに奥の方へと走り出そうとした。


 そのとき、懐かしい声が聞こえた。


「イーリン様!」


(あの声は……。)


「アンナ!?」

「イーリン様、どちらにいらっしゃるのですか?」


 木々の向こうに、アンナの姿が見えた。いつもの侍女の姿ではなく、狩人のような格好をしているが、その顔は確かにアンナだった。


 イーリンは、思わず声を上げてしまったことに後悔した。なぜアンナがここにいるのかは分からないが、このままでは、アンナまで襲われてしまう。


「来てはだめ、アンナ、危ないわ!」


 男たちは少し悩んでいたが、狼と戦ってイーリンを追いかけるより、仲間の女を先に始末する方を選んだようだった。

 (きびす)を返し、声のする方に走っていく。


「やめて!」


 イーリンは狼の脇を抜け、男たちを追おうとした。

 すると突然、男の一人が倒れた。


(えっ……。)


 男の胸には、矢が刺さっている。

 少し遠くから、ピーターが弓矢を構えているのが見えた。


 そして、もう一人……。


「ファン様!」


 あの、優美な動きだった。ファンの剣が一閃すると、残った男はすぐにくずおれた。

 周囲にもう敵がいないことを確認すると、ファンは、イーリンの方に走ってきてくれた。


「イーリン様、無事でしたか。」

「はい……。」


 しかし、イーリンはもう足に力が入らなかった。


「失礼します。」


 ファンはためらわず、イーリンを両腕で抱きあげた。

 ファンの胸はあたたかく、イーリンはぽろぽろと涙を流した。怖かったのだ。ここ数日、ずっと。


「大丈夫ですか。」


 回廊で会った時と同じ顔で、ファンが焦っている。

 イーリンは、たまらずファンの首筋にしがみつき、泣きながら言った。


「ファン様、ファン様。お会いしたかった。」


 そして、そのまま泣き続けた。

 すると、イーリンは、自分を抱く手に力が入ったのを感じた。ファンの落ち着いた、穏やかな声が聞こえる。


「……イーリン様、私もです。」



 ファンは、イーリンを抱いたまま、アンナやピーターのところまで連れて行ってくれた。

「イーリン様、お身体は大丈夫ですか?」と心配してくれる、親しい人たちの声が心地よかった。


 イーリンは次第に身体から力が抜け、意識が遠くなっていった。


(……狼さんにも、お礼を言わなくちゃ……。)


 狼はいつの間にかいなくなっていた。


 周りの景色が霞む中、イーリンはまた、さっきの声が聞こえた気がした。


 ⦅美しい人、もう大丈夫だ。⦆


 それは、とても優しい声だった。


 ⦅また、あなたはここに来る。その時まで待っているよ。⦆

お読みいただいてありがとうございます。24話までで、いったん第一章終了とさせていただく予定です(その後も更新は続けます)。23~24話は回想になる予定ですので、よろしければ、皆様のきりのいいところで、ご感想やご評価などいただけると大変嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです。 登場人物の言動にも矛盾がなく、よくある婚約破棄、からの断罪、的な物語とは重みが違うという感じ。 やっと主人公の不幸に耐える日々が終りを迎えたようですし、これから謎の解明なんか…
[良い点] 「魔女だから」 と火刑にされなくて良かったです。 昏き森の狼の存在に、ファンタジックな展開を期待できます。 [一言] 主人公が不遇に扱われる時間が長いと、読んでいてストレスが溜ま…
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