19 地下牢
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
リーデン伯爵:キャサリンの後見
エリザ・リーデン:リーデン伯爵夫人
リリー・ストラスタ:イーリンの友人、侯爵令嬢、第二王子ルイスの婚約者
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
──どのくらいの時間が経ったのだろう。
イーリンが泣きつかれて顔を上げると、廊下の蝋燭がいつの間にか消えていた。
夜が深くなり、時間を置いて見回りに来ていた兵士たちも、休憩に入ったようだった。地下牢全体は真っ暗で、しんとした静けさに包まれていた。
すると、突如、男の叫び声がした。
「……!……!」
男は何かを訴えるように叫んでいた。ただ、声が遠くて聞こえない。
イーリンは何となく、その囚人が叫んでいる言葉が気になり、もう少しよく聞こうと扉の方に近づいた。
「イーリン・マクスウェル!イーリン・マクスウェル!」
イーリンは、はっと息を吞んだ。男が叫んでいるのは、自分の名前だった。
イーリンは、扉の窓にある鉄格子を握り、何とか外の様子を見ようと廊下を覗いた。
うるせえぞ!と怒号が響く。他の囚人たちは寝たいのだろう。しかし、その男は、構わず叫び続けた。
「俺に死体を棄てに行くように言ったのは、イーリン・マクスウェルだ!だから……。」
『……その結果、ある少年の遺体を棄てようとしていた男が捕まった。』
(この男の人は、もしかして……。)
イーリンが領地にいるころに起こった、連続殺人事件の犯人とされる人物ではないのか。
しかし、彼は『死体を棄てに行くよう命令された』と言っているようだ。それならば、犯人は別にいるということか?
「いくらでも言う!だから、あれをくれ!あれを渡すよう、黒髪の女に言ってくれ!」
(……黒髪?)
イーリンは、図らずもキャサリンの黒髪を思い浮かべてしまった。
(……いけないわ。何の証拠もないのに、疑っては……。)
しかし、胸がどきどきとする。
自分が魔女だと言われた証拠の一つが、この犯人とされる男の証言だった。そして先程晩餐会の場で、面と向かってイーリンを魔女だと名指ししたのは、彼女ではなかったか。
父ヘンリーは言っていた。
『少年や少女が行方不明になったあと、街中で無惨な状態で見つかった。』
死体を棄てたのはこの男かもしれない。しかし、少年少女を無惨な死体にしたのは誰なのか?
それはすなわち、実際に死体を彼に渡し、棄てに行けと命令した人物ではないのか?
その人物が、黒髪の女性だとしたら……。
イーリンは背筋が寒くなり、扉から離れ、慌ててベッドの方へ戻った。布団にくるまったが、目が冴えて、眠れそうになかった。
男はまだ叫び続けており、同じようなことを繰り返し言っているようだった。男はまだ、証人として生かされているのだろう。イーリンが処刑されてしまえば、彼も処刑されるのだろうか。
何人の人が自分に関わって、不幸になるのだろう。エリザもあの男も、自分がいなければ、何事もなく暮らしていたのかもしれない。もしかしたら、本当に自分は人を不幸にする魔女なのだろうか。
でも、愛してくれた人々のために、自分はまだ生きていたい……。
自分にどんな処刑が待っているのか分からない。でも、最期まであきらめず、何とか生きる方法を考えよう。それでもだめなら、毅然として、貴族らしく死を受け入れよう。
どんな汚名を着せられても、魔女らしく死ぬのだけは嫌だった。
イーリンは胸に手を当て、あたたかさを感じた。今はもう、さっき感じた刺すような苦しさはなく、皆の優しさを思い出させるようなものだった。
翌日の昼頃、イーリンは地下牢から王城の広間に引き出された。
イーリンは抵抗をせず、大人しく従った。その姿を見て、近衛兵も昨日のように乱暴な扱いをすることはなかった。
広間には、ストラスタ侯爵を始め、有力貴族たちがすでに集まっていた。しかし、リーデン伯爵の姿は見えなかった。
テーブルはイーリンを囲むように、扇型に並べられている。
そこに、キャサリンを連れてアーサーがやってきた。
「王太子殿下。ここでは「罪人」の扱いについて協議するはずではないのですか。婚約者殿には、別室でお控えいただいた方がよろしいのでは。」
ストラスタ侯爵が、苦々しい顔でアーサーに意見した。
しかし、アーサーは平気な顔で言う。
「何を言う。キャサリンは将来の王妃だぞ。このような重要な決定の場にいて、何が悪い。」
それを聞き、貴族たちの中には、ため息をつく者もいた。
キャサリンは、このやり取りもどこ吹く風と言った様子で微笑んでいる。
「まあ、協議など必要はないがな。陛下にはもう確認した。こいつ始め、公爵家の処分はもう決まっている。」
「何ですと?」
「貴公たちには、それをただ聞いて確認してもらえばいい。面倒がなくていいだろう?」
貴族たちは、顔を見合わせた。
筆頭貴族である公爵家の処分など、簡単に決められることではない。勝手に王家が公爵の地位を剝奪したとしても、マクスウェル家そのものが、すぐに力を失うわけではないのだ。
王都の民が王家を慕うように、マクスウェル領の民はマクスウェル家を慕う。国境に接する領地であるがゆえに、有する戦力も大きい。その軍隊の強さは、常に戦と隣り合わせの辺境ボンベルグ領に匹敵すると言われていた。
ましてや、マクスウェル家は、今回の婚姻で隣国ハーフェンとのつながりを深めた。今、マクスウェル家を敵に回すことは、我が国と隣国との戦に発展する可能性がある。
王太子が情勢が読めないのはいつものことだが、今回は、わがままの範疇で済まされる話ではない。
「公爵家は公爵の地位を剥奪。公爵夫妻は国外追放だ。今は隣国にいるようだから、都合がいいな。息子は領地にいるようだが、しばらく蟄居だ。新しい領主を据えるまでは仕事をしてもらう。」
アーサーはべらべらと「処分」を並べ立てていく。キャサリンは隣で微笑んだままだ。
そして、アーサーはイーリンの方を向いた。
「そして、イーリン・マクスウェル。魔女のお前は、昏き森への追放だ。」
「……!」
「昏き森」と呼ばれる場所は、マクスウェル領の南に広がる山地の一部だ。他の場所より木が一層生い茂り、昼でも暗い。狼や野犬などもおり、森に入ったものは二度と出られないと言われている。
そのような場所であるため、昔から「魔物が住む」という言い伝えがあった。
「ちょうどいいだろう。森の魔物は魔女が嫌いだそうじゃないか。魔女だったら殺されてしまうが、お前が無実なら、森の魔物に殺されることもない。」
アーサーは、キャサリンの方をちらりと見た。そして、愉快そうに笑った。
「そうだ、3日経ったら迎えをよこしてやる。そこまで生き延びられたら、魔女じゃなかったと認め、公爵家の処分も撤回してやるさ。」
貴族の令嬢が、狼の住む場所で3日も生き延びられるわけがない。実質の残酷な死刑であった。
「殿下、あんまりではありませんか!せめて、幽閉などで十分なのでは……。」
ストラスタ侯爵が、悲痛な声を上げる。娘と同じ年の、娘の友人が悲惨な目に遭うと分かっていて、放ってはおけなかった。
それに、侯爵を始めとした貴族たちは、何とかイーリン嬢の生命だけは守り、マクスウェル公爵の帰りを待つつもりだった。そうすれば、最悪の事態は免れる可能性があるからだ。
しかし、それを理解するアーサーではなかった。
「馬鹿を言うな!十分に寛大な処置だろうが。魔女じゃなければ、生き延びられる可能性があるんだぞ。それとも、さっさと火あぶりの方がいいか?」
アーサーは声を荒げたが、貴族たちは口々に、「残酷すぎます」「さすがにやりすぎでは」と意見し、一向に落ち着く様子はなかった。
キャサリンが、そっとアーサーに耳打ちする。
「……殿下、これは王命でしてよ。」
それを聞いたアーサーは、子供のようにはしゃぎ、
「おお、キャサリン。良いことを言う。そうだ、お前たち、これは王命だぞ!逆らう気なら、お前たちは反逆者だ!」
と、貴族たちを指差して言った。アーサーとキャサリンは、わはは、ほほほと楽しそうに笑っている。
「殿下……。」
侯爵たちが、絶望の表情を浮かべる。
昨夜の国王の様子からは、もし国王に意見を具申しても、期待はできないだろうと思われた。
アーサーとキャサリンばかりが笑う中、
「皆様、よろしいでしょうか。」
近衛兵に囲まれ、後ろ手に縛られながらも、イーリンは真っ直ぐに背を伸ばして立ち、声を上げた。
その凛とした声に、皆がイーリンに注目し、広間の中は一瞬で静かになった。
「私は魔女ではありません。ですから、私はマクスウェル家への処分については、納得しておりません。」
「貴様……!」
アーサーは、イーリンに憎々しげな視線を向ける。
「……ですが。」
イーリンは、きっとアーサーを見据える。
「私への処分については、甘んじてお受けいたしましょう。それで、殿下のお気が済むなら。」
それは、処刑を自ら受け入れるということだった。
「イーリン様、魔女であることを認めるというのですか?」
ストラスタ侯爵が、驚いてイーリンに尋ねる。
「いいえ。」
イーリンはふるふると首を振った。
「先程も申しました通り、私は魔女ではありません。それは神にも誓いましょう。しかし、詳しいお取調べも頂けず、早急に処分をなさると言う。」
きゅっと口を結び、イーリンは続けた。
「ならば、私は天にこの身を委ねましょう。天が私を見放せば、私は死ぬのでしょう。しかし、天が私に味方したならば、生き延びるやもしれません。」
イーリンは、ぐっと腹に力を入れた。そして、アーサーとキャサリンを真正面から見つめた。
「殿下、私は死ぬ時も、人の身として死にます。それを覚えておいてくださいませ。」
無惨に拘束され、地下牢に入れられた後であったが、今のイーリンの姿は気品に溢れ、神々しさすらあった。
その迫力にアーサーも気圧されて、少し後退りをした。キャサリンは面白くなさそうな顔をしている。
ストラスタ侯爵は情けなかった。自分たちは、イーリンに守られたのだ。
自分たちにも大事な家族や領地がある。王命に逆らって、公爵家と同じような目には遭いたくはない。
彼女が自ら刑を受け入れることで、自分たちは王命に逆らわずにすんだ。マクスウェル公爵の怒りは免れないだろうが、彼女が自ら望んだのと、貴族たちに見捨てられたのとでは、印象がかなり異なる。
「申し訳ない、イーリン様……。」
ストラスタ侯爵は、絞り出すような声で言った。
お読みいただいてありがとうございます。ちょっと、イーリンも持ち直してまいりました。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




