18 特別製のワイン
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵
ソフィア・マクスウェル:イーリンの母、公爵夫人
マリア・マクスウェル(クリークス):イーリンの姉、隣国の貴族ヴィルターと結婚
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女
ピーター:マクスウェル家の庭師
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの元婚約者
フィリップ・ギーベル:国王、アーサー達の父
ルイス・ギーベル:第二王子、リリーの婚約者
キャサリン・パー(リーデン):王太子の現婚約者、元男爵令嬢、現在はリーデン伯爵の養女
リーデン伯爵:キャサリンの後見
エリザ・リーデン:リーデン伯爵夫人
マーガレット・リーデン:伯爵令嬢
リリー・ストラスタ:イーリンの友人、侯爵令嬢、第二王子ルイスの婚約者
ストラスタ侯爵:リリーの父、マクスウェル公爵と同様の穏健派
ルイーゼ・ボンベルグ:イーリンの友人、辺境伯令嬢、実はイーリンの従妹
ヴィルター・クリークス:隣国ハーフェンの公爵、マリアの夫
ファン:クリスの従者、隣国の公爵ヴィルターが紹介
「素晴らしいな。大成功だ。」
王太子アーサーは、自分の部屋にキャサリンを呼び込み、機嫌よく笑っていた。
キャサリンは王太子の向かいに座り、美しく微笑んでいる。
「殿下のご采配こそが素晴らしかったのですわ。さすが、将来の国王になられる方……。」
「ははは、愛しいキャサリン。お前ほど俺のことを分かっているやつはいない。やはり、俺の婚約者にふさわしいのは、お前しかいないな。」
高笑いするアーサーを見ながら、キャサリンは表情を変えず、心の中で思った。
単純な男。アーサーは、生まれが単に高貴だっただけなのに、大事に育てられたせいでプライドが無駄に肥大してしまった。それなのに、本人が能力に乏しいから、肥大したプライドを満たすほどの賞賛が得られない。それを、ほんの少し満たしてやれば、この男は面白いほどよく動く。
王太子など、私がこの国を手に入れるための手段にすぎない。だから、愚かであればあるほどいい。その方が操りやすいのだから。
愛するものなど、今はいらない。手に入れるものを手に入れてから、いくらでも探せばいい。
「キャサリンが教えてくれた通りにやったら、父上も素直に俺の言うことを認めてくれた。これで、何の問題もない。」
「うふふ、お役に立てて光栄ですわ。」
私の特別製のワイン。皆様、お楽しみいただけているようで嬉しいわ。
「しかし、あのいまいましい魔女の顔を見たか。溜飲が下がるとは、このことだな。」
アーサーは、元々イーリンのことが気に入らなかった。アーサーを気分良くさせないのに、周囲の評価が高かったからだ。だから、今回イーリンを陥れることについても、アーサーは乗り気だった。
──馬鹿な国王たち。完璧なイーリン様など傍に置いたって、この男の飢えと渇きを刺激するだけなのに。
お可哀想なイーリン様。全てを持って生まれてきたから不幸になったのよ。憎たらしいほど身も心も美しく、賢く、そして優しい家族に囲まれて。
本当に悪魔と契約するような方なら、こんなことにはならなかったでしょうね。
キャサリンは赤い唇の端をくいと上げ、笑った。
──ああ可笑しい。たまらないわ。人間がいたぶられ、堕ちていく様を見るのは。
アーサーは、キャサリンの笑みを、自分の言葉への同意と取ったようだった。
「はは、やはりお前もそう思ったか。あの顔は久々に面白かったな。」
無知で愚かなアーサー。大好きよ。いつまでも、そのままでいて頂戴ね。
そうしてアーサーがたらたらと話を続けていると、隣からリーデン伯爵の叫び声が聞こえてきた。
「何だ、うるさいな。リーデン伯爵はこの頃どうしたんだ。」
「エリザ様を亡くされて、取り乱しておられるのですわ。色々と意見が異なることもおありだったようですが、仲の良いご夫婦だったようですから。」
「ふうん、そういうものなのか。よく分からんが。」
そう。伯爵夫妻は、意外に絆が強かった。
だからリーデン伯爵は、結局、妻エリザの意見を無視することができなかった。だから、なかなかキャサリンは伯爵家の養女になれなかったのだ。
──キャサリンが、どれだけ言い聞かせても。
ならば、エリザの方をと思ったが、エリザは警戒心が強く、キャサリンを決して近づけようとしなかったし、贈り物も受け取ろうとはしなかった。
そこでキャサリンは、エリザの説得を伯爵に任せた。特別製のワインも持たせて。
(ちょっと、今の伯爵に細かい加減は無理だったみたいね。)
渡したワインを飲ませると、エリザは発作を起こして倒れてしまったらしい。そして、そのまま息を引き取った。
リーデン伯爵は取り乱した。自分が飲ませたワインで妻が死んだなど、信じたくはなかった。おまけに、そのワインを自分に渡したのは、自分が政治生命を賭けて王妃にしようとしているキャサリンであるなどと。
だから、キャサリンは教えてあげた。
『そのワインはイーリン嬢が持ってきたもので、伯爵は何も悪くない。』と。
何度も何度も囁いてあげた。
そうしたら、リーデン伯爵は、最後の理性を失った。
もう私は、しがない男爵令嬢ではない。
王太子の婚約者である、キャサリン・リーデン伯爵令嬢。悪くない。
しかし、ここでは終わらない。
キャサリン・ギーベル王妃となるまで、邪魔者は蹴散らし、自分は進み続けるのだ。
──悪魔に魂を売っても。
そういえば、とアーサーが、思い出したように言う。
「そうだ、キャサリン。今回の褒美は、本当に公爵の館でいいのか。」
キャサリンは、イーリンを捕らえた後、主が不在となった公爵家の館をもらい受ける手はずとなっていた。
「ええ、アーサー様。どうせ空き家になってしまいますもの。それに、どうせなら使用人たちも一緒に譲り受けたいのですわ。彼らも路頭に迷うのは可哀想ですし……。」
「優しいキャサリンらしいな。まあ、あそこの使用人は、王家に忠誠を示してくれたものたちばかりだから大丈夫だろう。何と言っても、キャサリンは新しい王太子の婚約者だ。」
キャサリンは、アーサーの言葉に、にっこりと笑った。
アーサーは、キャサリンが王太子の婚約者となった嬉しさを噛みしめ、笑ったのだととらえていた。しかし、キャサリンの心の内にあるものは、違っていた。
それは、自分の欲を満たすための、新しい玩具を得た悦びであった。
イーリンは、大広間から引き立てられた後、そのまま王城の地下牢に連れて行かれた。
石造りの壁で仕切られ、扉に鉄格子のはまった牢が、暗い廊下に沿っていくつも並んでいたが、収容されている人間はまばらであるようだった。平民は、すぐに処刑されてしまうからだろう。
イーリンは一番端の、まだ造りがましな方の牢に入れられた。近衛兵は拘束を素早く解くと、すぐに部屋を出て、分厚い木の扉に鍵をかけた。
牢の奥には、粗末な藁造りのベッドが置いてあった。石の床は冷たく、イーリンはベッドの方まで移動した。
ベッドに座り、顔を上げると、明かり取りの小さな窓が、頭上高くにあるのが見えた。外はもう暗く、廊下の蝋燭だけが、扉の窓から牢の中をわずかに照らしているばかりだった。
つるつるとして頑丈な石の壁、子供も抜けられるかどうか分からない大きさの窓、しっかりとはまった鉄格子。何も持たない少女ひとりでは、牢から抜け出すのは難しそうであった。
春の夜はまだ寒い。イーリンは身を縮め、薄汚れた、布団がわりの布にくるまった。
そして、今日あったできごとを、ひとつひとつ思い出していた。
いつの間にか、公爵家の使用人たちはアーサー側についていた。最近のよそよそしさは、そのためだったのか。では、今も館に残っているアンナやピーターは無事なのだろうか。
『王家に逆らってはなりません。』
王都の者にとって、王家の影響は強い。父であるマクスウェル公爵は、面倒見の良い雇い主として有名だった。しかし、それでも使用人たちは、王家に従う方を選んだということだろう。
アーサーはイーリンを魔女として信じているようだったし、キャサリンは、イーリンを皆の前で魔女に仕立て上げようとした。
ストラスタ侯爵やルイス王子は意見をしてくれたが、そもそも聞く気はなさそうだった。
国王はいつもの覇気がなく、呂律も回っていなかった。
そして、リーデン伯爵の異様な様子。
(エリザ様……。)
エリザはどうして殺されてしまったのか。母を亡くしたマーガレット嬢は、どんなに悲痛な思いをしているだろう。これも、自分に関わったせいなのか。
そこまで考えると、イーリンは目を閉じ、しばらく静かにエリザの冥福を祈った。
……どうしてこんなことになったのか、まだ頭が整理できない。
ただ、イーリンには分かっていた。おそらく自分に残された時間はわずかであることを。
アーサーは、イーリンの父親であるマクスウェル公爵を、国外追放にすると言っていた。両親は今、姉マリアの結婚式のために、隣国ハーフェンに滞在している。数日後にはこの知らせが届くだろう。
両親が大人しく、この命令に甘んじるわけはない。知らせが届けば、必ず帰国するはずだ。
国外追放の命令が出ていたとしても、両親がマクスウェル領に戻るのは難しくはない。兄クリスは、領地で留守を預かっているし、姉の嫁ぎ先は、マクスウェル領と国境を接した、ハーフェンのクリークス領なのだから。
父が戻ってくれば、いくら国王が同意したといっても、この強引なやり方は成り立たない。
だからこそ、アーサー達は、イーリンの処刑を急ぐだろう。2人は、どうしてもイーリンを魔女として排除したいようだからだ。
こんなことになるならば、もっと早くに婚約者の座を辞しておくべきだった。そうすれば、最悪の事態は避けられたかもしれなかった。
自分のせいで、皆に迷惑がかかってしまった。
お父様、お母様は、私を一生懸命守ってくださったのに。
お姉様は、やっとヴィルター様と結婚したばかりなのに。
お兄様は、次の領主として、あんなに努力していらっしゃったのに。
アンナやピーターは、私のために領地からついてきてくれたのに。
リリー様やルイーゼ様は、私を心配し、色々心尽くしてくれたのに。
エリザ様は、私を信じてくださったのに。
愛してくれた家族や友人に、もっと感謝を伝えたかった。恩返しがしたかった。不甲斐ない自分が情けない。
それに、領地にもう一度、帰りたかった。
……あの方に、お会いしたかった。
胸が締めつけられるように苦しい。あの日、彼にもらったあたたかさを、思い出せば思い出すほど、もう会えないという現実がつらい。
『何かあれば、私も頼ってください。必ず助けます。』
今は、助けを求めることすらできない。
「助けて……ください……。」
イーリンは、ひとり、冷たい牢の中で泣き続けた。
お読みいただいてありがとうございます。キャサリンが入った後の公爵家の館の様子は、第1話を読み返していただけると……。それと、今回人物の名前がいつもより多いので、前書きを参考にしていただけたらと思います。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




