73.「図書室ではお静かに-2」
ルフィナが身を屈めたかと思えば、次の瞬間には消えていた。直後、シロアッフの裏拳が風切り音と共に通過する。その拳の速度たるや凄まじく、あなたの頬が風圧によって揺れるほど。
「おやおや」
シロアッフの左眼がゆっくりと、しかし確実に再生してゆく。濁っていた瞳はいつしか元の姿を取り戻し、その奥深くにはぼんやりとした光が灯っていた。
「そういう芸当もできるんだな。その魔術、何て言ったかな……」
「ただ『加速』と。たった二文字も覚えられませんか?」
「ああ、そうか。ハハハ……俺も歳を取ったな」
言葉とは裏腹にシロアッフの肉体は若く、頑強そのものだった。
あなたの隣に着地したルフィナが深く息を吐く。『加速』の魔術によって齎される神速は、肉体に大きな負荷を掛けるようだ。
「ボス」
「心配無用、下がっていなさい」
ルフィナが部下を後方へ下がらせた。この場で戦うには実力不足との判断だ。これで四対一、数値上ではあなたたちが圧倒的有利にある。しかしそれでも、あなたは安心を得ることができなかった。
「……作戦は?」
「囲んで殴る」
カレンの質問に、メイベルがばっさりと答えた。シンプルすぎる作戦とも言えないような代物だが、皆で話し合うような暇はない。全員それなりの実力はあるのだから、状況に応じて自己判断を重ねる。最低限協調はしようという基礎方針だけを定めた結果だ。
シロアッフを囲うように展開するのが理想だが、鋭い視線と殺気に射止められ思うように動けない。注意を惹きつけるべく、あなたが一番槍となって突撃した。
両脚の筋肉を瞬時に収縮させ、解放。爆発的な推進力で迫り、勢いそのままに短剣で突きを放つ。心臓狙いの一撃は、シロアッフの右腕に防がれる。被せて返されたクロスカウンターがあなたの頬を捉え、双方弾かれるように後退した。
結果的に状況はさほど変わらず、両者痛み分けとなった。シロアッフは右腕を折り、あなたも下顎を脱臼した。あなたが力任せに顎を嵌める一方で、貫かれたシロアッフの腕がみるみるうちに再生していくのが見て取れる。
「あんた、混血ね」
敵愾心たっぷりの声でメイベルが言った。対してシロアッフは、普段と何ら変わらない様子で答える。
「いかにも、その通りだ」
「その再生力は生来備わってるもので、魔術はただ肉体を補助してるだけ」
「刃を交えずにそこまで察するとは。流石と言ったところだな」
混血。初めて王都を訪れた際、火刑に処されている姿をあなたは覚えている。すっかり黄色くなってしまった眼をあなたが隠しているのも、誤解から生じる迫害を避ける為だ。所以は知らないが、混血と呼ばれる人々は良い扱いを受けているとは言えない。
「混血が政府に……?」
「上手くやったんだよ。実力があったのでね」
カレンの呟きに差別的なニュアンスはなく、ただ純粋な疑問だけだった。
よく知られているように、混血は差別されており、社会的重要度の高い職に就けないのが現状だ。しかし、シロアッフは違った。
三親等まできっちり調べ上げられ、僅かにでも不審な要素があれば除外される王国書庫保安部という組織において、シロアッフは実動部隊のトップにまで上り詰めた実力者だ。極めて機密性の高い役職上、国家上層部が混血の事実を知らないことはあり得ない。
「蹴落とし、這い上がり……ここまで来た。これからも俺は更に昇進するだろう。勘違いした間抜け共を追い散らし、国家を更に強化する。それだけが望みだ」
「ふーん……今回の一件が国の為になるとは思えないけど」
「すぐに分かるさ。物事は長い目で見るべきだ。余りにも長い間、我々は魔術師を自由にさせすぎた――」
その時、ルフィナが動いた。『加速』で瞬時に接近し、肉切り包丁を垂直に振り下ろす。魔術で肉体を強化しているのか、細腕からは想像も出来ない威力の一撃。だが、重い刃はシロアッフの再生を終えたばかりの右腕に食い止められた。肉は切れたが、骨は断てない。
「随分短気じゃないか、えぇ? 借りた物はいつまでも返さない癖にな!」
「素晴らしい! 混血の魔術師とは!」
話が噛み合っていないものの、実に魔術師らしい言動だと、あなたは妙な感心と腑に落ちる納得感を覚えた。
見た目で人は判断できない。幾らルフィナが清楚そうに思えても、実際は魔術結社を率いる犯罪者。無理が通れば道理が引っ込む、押して駄目ならぶっ壊す。これらを地で行く危険人物なのだ。
「頭捩じ切ってオモチャにしてあげましょう!」
「この阿婆擦れめが!」
肉切り包丁をごとルフィナが弾き飛ばさるのを皮切りに、あなたたちは一斉に攻勢を仕掛けた。あなたは再び正面から、カレンとメイベルは背後に回るよう機動する。
人間には手足合わせて四本あるが、両足のどちらかを使ったとしても同時に捌ける攻撃は三つまでだ。そう踏んでの飽和攻撃を行うつもりだったが、シロアッフが棒立ちで待ってくれるほど親切な男でないのは百も承知だった。
素早いステップで包囲を逃れようとするシロアッフに追従し、あなたは短剣を捨てて真正面から組み付いた。膝蹴りやハンマーブローが嵐のように降り注ぐが、決して離すまいと両腕に力を込め、シロアッフの背で両手を組んでロックする。
あなたの役割は盾であり、行動を封じることだった。高次元暗黒は使えずとも、遺伝子が与える再生力はシロアッフと比較しても劣っていない。
このような乱戦には射撃武器は不適格だ。だからこそ、単純な身体能力に物言わせた格闘戦ではあなたが活きる。
四方八方から攻撃が降りかかる。視線を上げられないあなたは状況を把握できず、ぐっと耐えるしかない。頬を濡らす血がどちらの物かさえ判別できなかった。
罠に掛かった獣の如く反撃するシロアッフの力は強大であり、組み付くあなたを盾にしようと身体ごと振り回している。カレンたちの攻撃が鈍れば、自由なシロアッフの両手が脅威となる。
あなたは後頭部に熱い感覚を覚えた。馴染みある、切られたことによる痛みだ。
「ごめんなさい!」
直後にカレンの謝罪。誤って切り付けられたようだ。しかし、同士討ちを恐れるあまり攻撃の手が鈍るより、あなたの再生力を信じて諸共切り伏せる方が全員の為になる。ここで怯むわけにはいかない。
だが、背中に強い衝撃を受けた途端、あなたは全身から脱力してしまう。効率的な人体破壊を熟知しているシロアッフの連打が、とうとうあなたの背骨を圧し折ったのだ。脊柱を通る主要な神経が切断され、肉体のコントロールを失った。
その隙を突いたシロアッフは拘束から逃れ、カレンに狙いを定めた。僅かな間正対し、誰も追いつけない速度でカレンに迫る。
認識さえ困難な速度での左ストレートを、カレンは見事に長剣で受けた。良い剣は良い金属であり、良い金属はよく曲がる。しかしシロアッフが放った拳の威力は、金属の弾性限界点を優に超えていた。剣は中程から真っ二つに折れ、衝撃をまともに喰らったカレンの矮躯は突き飛ばされて壁に直撃。ぐったりと沈黙する。
あなたの肉体が再生するまであと少し。神経の破損は即ちシステム自体の破損であり、筋力ではどうしようもなかった。
カレンを無力化したシロアッフが次に目をつけたのはルフィナだった。あなたの見えていないところで魔術を連続使用していた彼女は相当に疲弊し、明らかに精彩を欠いている。
先程と同じ左ストレートが放たれる。残像すら見える超高速の一撃を、ルフィナが躱せるはずもなく。勝負あった――と誰もが思った矢先、シロアッフの左腕が宙を舞った。迸る血液に混じり、月光の粒子が鮮やかに舞っている。
メイベルの剣術と魔術による合わせ技、視界外からの長距離斬撃だ。
「やるじゃないか……!」
これまで目立つ行動を避けていた彼女だからこそできた、一度きりの奇襲。シロアッフに睨みつけられたメイベルが、にやりと笑う。
突如シロアッフの右脚が機能不全を起こし、その場でたたらを踏んだ。意識を失ったふりをしていたカレンが、あなたの投げ捨てた短剣を腿に深々と突き立てていた。
薄い両刃は大腿骨を避け、大動脈と神経をざっくりと傷付けている。
反撃が飛ぶより早く、カレンは転がるようにして難を逃れた。シロアッフの意識が逸れた隙に、復活を遂げたあなたがルフィナの手から肉切り包丁を取り上げる。
それは待ち望んだ瞬間だった。はっと振り向いたシロアッフに笑みを返し、渾身の力で肉切り包丁を頭蓋骨に叩きつける。
最早切断よりは力任せの打撃に近く、分厚い刃はあっさりと頭蓋骨を砕き、下顎の歯に当たってようやく止まった。文字通り、頭をカチ割ってやったのだ。
「まだ終わってないわ!」
力なく膝をつくシロアッフだが、その瞳はまだあなたを追っている。頭部を半ばまで断たれてなお、生命活動は続いているのだ。
「ルフィナ!」
「分かってますよ!」
二人がかりでシロアッフを押し倒し、魔法陣を展開する。幾何学の円陣から伸びた黄金の鎖が、シロアッフを床に縫い付けた。
「長くは持たないと思いますがね」
「早いとこ済ませるわよ」
メイベルが負傷したカレンに肩を貸す傍らで、あなたは腰が抜けたアローンを立たせた。
目の前のちっぽけな扉。これを超えれば、王国書庫だ。




