72.「図書室ではお静かに」
「しかしだな、俺は頭を撃つってのが好きじゃないんだ。中身が派手に飛び散るからな。脳は半分くらいが脂肪でね、拭き取るのも大変なんだ。俺が掃除するわけじゃないが、清掃係の連中に手間掛けるのも――」
「あんた、取り巻きは?」
シロアッフの言葉をメイベルが遮った。
「一人だよ。彼ら、忙しくしてるみたいで」
「ここで油売ってる暇ないんじゃないの。あんたの王様、よろしくないことになってそうだけど」
「そうでもないさ」
シロアッフは鷹揚に手を広げた。視線が逸れたその隙に、あなたはアローンの様子を窺った。
突然の銃撃に心身共にショックを受けているようだが、目立った傷は負っていないようだった。代理演算装置が衝撃の大半を吸収したらしく、つくづく悪運の強い男だとあなたは思う。
「なんてことだ……演算装置が」
膨大な手間が掛けられているであろう装置に関しては気の毒に思ったが、それどころではない。シロアッフの言う『そうでもない』とはどういう意味なのか、全員の視線が集中する。
「全く何も知らなかったわけじゃないからな」
「……あんたが仕組んだのね」
「そういうわけでもない、全ては民衆の意思だ。こうなることは分かってたから、然るべき準備をして然るべき時を待っただけだ」
革命主義者を嫌っていたのは何処の誰だったか。知っていながら見過ごしたのなら、それは片棒を担いだも同然ではないかとあなたは考える。
シロアッフが拳銃を懐に収めるのを認めると、メイベルは伏し目がちに、おずおずと切り出した。
「ところで、『貴女への詩編』の件なんだけど」
「燃えたらしいな、だが構わんよ。結果的に原因を断ったわけだし、良くやってくれたな」
予想に反し、あなたたちに何らペナルティが課されることはなかった。刑罰や強制永久雇用を密かに覚悟した身としては正直拍子抜けだ。カレンが静かに言う。
「……思いの外、寛容なんですね」
「元より俺は優しい人間だよ。さて、これで君らは自由の身だ。そっちこそ油売ってないで、各々好きに過ごすがいいさ」
自由。それはあなたが喉から手が出るほど望んでいたものだ。しかし、あなたはようやく掴んだ自由を使って自らの命を、この場にいる全員の命を危険に晒そうとしている。これは過ちかもしれないと、わが身ながら思った。
「聞こえただろ? お開きだ。何処へでも行け」
「生憎ですけれど、その扉の向こうに用事があるので」
「これはこれは……誰かと思えばルフィナ殿。二年半も人の本を盗っておいてよくも顔を出せたな」
「失礼な。ちゃんと返したでしょうに」
「二年半も延滞した末にな」
険悪な雰囲気が満ちる。そこでようやくシロアッフは、まるで今初めて存在を認めたかのようにアローンを見た。ルフィナに対するそれとは打って変わって、初対面でいきなり発砲したのと同一人物とは思えないほどフレンドリーな表情だ。
「見ない顔だが、彼も書庫に用があるのか?」
「こいつが、よ。私たちはおまけ」
「ほぉ、そうかそうか……」
にっこりとシロアッフは笑い、改めて書庫へ続く扉の前に立ちはだかった。この先には通さないと、存在全てをもってそう宣言しているようだ。
「何をしたいのかは知らんが、残念ながらここは通せない。廊下で血の臭いを嗅いだだろう、ああなりたいか?」
「魔術結社の連中が幾つかここに来たらしいわね」
「ご明察、皆死んだよ。俺が一人で殺ったんだ」
威嚇のように、シロアッフが見えざる魔力を放出した。それに呼応してメイベルとルフィナも魔力を放出、室内で不可視の力が拮抗する。魔力を持たないあなたでさえ、異様な気配を感じ取れるほどだ。脊柱を誰かに撫でられているようで落ち着かない。
「おい……おい、強そうだな。申し訳ないが僕は戦えないぞ」
あなたは怯えるアローンを背に隠した。彼はいわば今回の主役、早々に死なれては困る――人の殺し方も多少は知っておかなければ、ウェイスランドでは非常に苦労すると思うのだが。
「やめとけよ。自惚れるつもりじゃないが、俺は強いぜ」
「大人しくそこ通しなさいよ」
「仕方ない、相手になるのは何人だ? そこのモヤシっ子は除外するとして、メイベルとルフィナにその手下ってところか。大男とカレンはどうだ、やるか?」
「……私の友達がやると言うのなら」
カレンが腰の長剣を抜き、切っ先をシロアッフに向ける。
「私も続きます」
あなたとて同じ気持ちだった。前々から気に食わない男だと思っていたのだ。仕事を無事に終えて手に入れた自由意志、その自由をもって頭をカチ割ってやるというのも、悪くない。
あなたは短剣を抜き、順手に構えた。先陣を切って真っ先に突撃する心持だ。
姿勢を低く、機を窺う――
「ちょ、ちょっといいか?」
アローンが水を差した。微妙に気の抜けた声が、なんとも言えず脱力を誘う。
「なんだか凄くやる気になってるところ悪いけど、代理演算装置が壊れたんだ。無事書庫に入れてもこれじゃあ何もできない」
「……なんて言ってんの」
月光の神秘纏う短剣を予断なく構えたまま、メイベルが尋ねた。あなたの小さな脳が高速回転し、意訳に意訳を重ねて翻訳を果たす。どうやら、少なくとも意図は伝わったようだ。
「別に、私とルフィナで出来るかもしれないでしょ」
「書庫の叡智に触れたいと長年思っていました。ようやく叶いそうです」
「個人的にも書庫は興味をそそるし――友達が帰りたいって言ってるんだから、仕方ないわ」
あなたとメイベルの視線が一瞬、交錯した。
メイベルもカレンも――友達の為に、命を張ってくれている。僅かに残った迷いが、あなたの中から急速に消え失せるのが分かった。ここで死ぬわけにも、死なせるわけにもいかない。ただ目的を果たすのみだ。
静かに場を睥睨していたシロアッフが、やおら笑みを深めた。異常に隆起する筋肉と、軋む骨の怪音が不気味に開戦を告げる。
「よーい、ドンの合図でもするか?」
「ええ、いいですよ。私がやりましょう」
よーい、ドン。平坦な声でルフィナが宣言し、パチンと指を鳴らすのと同じくして光芒一閃、流星の如き光がシロアッフの左眼めがけて一直線に伸びた。鮮やかな緑のレーザーは頭蓋内で小爆発を伴い、後頭部から内容物が飛び散る。
フィンガースナップを起点とする魔術。あなたが理解した時には、既にシロアッフは硬直したまま後ろに倒れるところだった。
大量の血液に飽和した絨毯が湿った音でシロアッフを迎える。血溜まりに浮かぶ無数の骨片と脳漿は、夜の氷海を空撮したかのようだ。
「何とも呆気ない。確かに掃除には苦労するでしょうね」
くすくすとルフィナが笑みを漏らす。誰もが呆気に取られ、そのままの姿勢で硬直していた。
ややあって、恐る恐るカレンが口を開く。
「……終わり、ですか?」
「ええ、見ての通り。念を入れて首を断ちましょう」
「そんな野蛮な」
「戦利品ですわ。頭蓋骨を事務所に飾ります」
ルフィナの部下が何処からともなく取り出した肉切り包丁を手渡した。どれだけの血を吸ってきたのか、刃が欠けて木製のグリップがすり減っている。
楽し気な足取りで、ルフィナはシロアッフの死体へと歩みを進める。そして――
「――首を落とすのは、俺が死んでからにしてくれないか」
ゆっくりと、時間が巻き戻るように、両足の力だけで再びシロアッフが立ち上がった。眼光から流れ出る血もそのままに、変わらず笑みを浮かべたまま。




