71.「静かな夜」
日が沈み、王都が夜に包まれる。
それでもまだ明るく感じるのは、街のあちこちで炎上が続き、夜闇に燈色のグラデーションを描き出しているからだ。
時折風が吹けば木の焦げた臭いが鼻腔を突き、どこからともなく飛来した火の粉がはらはらと舞う。初夏に差し掛かった夜風は爽やかで、肉の焼けた臭気を孕んでいた。それは焼死体か火刑か。恐らくは両方だ。
あなたはこの光景をよく知っている。戦場の、ウェイスランドの夜。
途中、『魔術師に黄金の時代を』と書かれた旗を掲げる集団とすれ違った。話を聞くに、今回の騒動に参加している魔術結社に共通の言葉らしい。
「そういやさ、ルフィナは参加しなくていいの」
「私ですか?」
メイベルがルフィナに聞いた。
「こう見えても暇ではないので」
「まだやってんの? あの……演算速度のやつ」
「ええ、勿論。成就するまでは永遠に」
ルフィナ率いる魔術結社『算術同好会』は、自然現象を用いて魔術演算速度を速める試みに挑んでいる。その理論はメイベルによって不可能だとされたのだが、彼女は諦めることなく研究を継続していた。
有限の身にて無限に挑む。誰が見たって困難に思える道だが、ルフィナは完全に他人の介在しない世界を生きている。今更誰に何を言われても歩みを止めはしないだろう。
王国書庫への侵入にルフィナが手を貸してくれたのも、やはり研究の為だろうとあなたは思っている。王国書庫は世界の英知が詰まった宝物庫だ。知識に飢える魔術師が見逃すはずがない。
「報酬として好きな本を頂きますがね」
「勝手にしなさい。それで追われようが殺されようが知らないわよ」
流石は二年半に渡って延滞を重ねた女だと、あなたは舌を巻く。人間である以前に魔術師と言うだけあって、基本的な論理感が破綻している。
魔術師という生き物の中で、常識的なメイベルは非常に貴重な存在なのではないかと最近あなたは思い始めていた。
「あの、質問いいですか?」
カレンが手を挙げた。下校中の学生のように徒党を組んで進むあなたたちは、歩みを止めぬまま振り返ってカレンを見やる。
「世界の壁を破るって、魔術ですよね。メイベルさんとルフィナさんがやるんですか?」
「それに関しては初耳ですが」
「あー……ちょっとあんた、通訳して」
世界を隔てる壁に大穴を開け、ウェイスランドへの帰還を果たす。それには確かに魔術が必要なのだが、用いるのはアローンが設計した代理詠唱装置だ。
「メカニズムの話が聞きたいのか? 僕は別に構わないけど、通訳の君が苦労しそうだな」
ここでも言語の壁が立ちはだかる。あなたは両方の言葉を使えるが、魔術や機械の専門家ではない。説明しようにも、適切な語彙が浮かばなかった。
しかし、時として優れた技術者は言葉を介さずに通じることがあるものだ。あなたは代理演算装置をそのままメイベルに手渡した。
それは歯車で模られた拳大の金属塊で、人間の心臓によく似ていた。三つの小さなダイヤルで何らかの数値を入力できるようだが、それをどう使うのか、どう動作するのかさっぱり分からない。
「ふーん……洒落た置物みたい」
「一番のダイヤルでデカルト座標を設定するんだ。まだ殆ど試作段階の域を出てないけどね」
難しいことを言っているのは分かるが翻訳できない。
聞きなれない英語を右から左へ流し、メイベルは代理演算装置を弄ぶ。
「使い方は分からないけど、手間掛かってそうなのは……あっ、なんか取れた」
「ああっ!」
小さな歯車がぽろりと脱落した。アローンは慌てふためいて代理演算装置を取り戻し、外れた部品を元の位置に戻そうと苦心している。そんな強度で使い物になるのだろうかと、あなたは密かに案じた。
突如として砲撃音が至近で響き、アローンが身を竦めた。緩い雰囲気に流されかけていたが、ここは戦場だ。それも背後に国旗の姿がない不世紀戦。どこから敵が来てもいいように備えておかなければならない。
「大砲ですね、向こうの通りかしら」
「誰に向かってぶっ放してるんだか」
「景気づけみたいなものでしょう」
ルフィナは空を眺め、砲弾が残した白煙の軌跡を見つめている。
彼女の戦闘能力は如何ほどかと、あなたは所作から窺い知ろうと目を向けた。
特に筋肉質でもなければ、殺しに慣れた者に特有の雰囲気もない。だが、ルフィナはシロアッフの首を刎ねてやってもいいとまで言っていた。口から出まかせだったようには思えないし、魔術師が意外なほど――生死に関しては――誠実であることを、あなたは知っている。
殺意を見せず、人殺しの気配を背負わないような戦い方もあるのだろうか。あなたにはルフィナの戦う姿がいまいち想像できない。
「そもそも作戦はあるんですの? 正面から騒々しく、というのも愉快ではありますけれど」
「裏口……ていうか、秘密の入り口があんのよ。そっから入る」
「相応の警備態勢が敷かれていると思いますがね」
「その時はその時。大人しく殴り込みよ」
王国書庫は地下深くに秘匿され、その入り口は一般施設などに偽装されている。あなたたちが目指しているのは、普段仕事で使用していた民家だ。
警備に関しては、半々の確立だろう。あえて警備を増やせばかえって怪しまれかねないが、この緊急事態に対して増強している可能性もある。恐らくは、中に入った後が問題になるだろう。侵入者を片っ端から殺していくやり方であれば、内部に人員を配置するだけで済む。
民家には老夫婦が住んでいたが、二人は無事だろうかとあなたは考えた。無事ならそれで良い。今日もいつものように大人しく通してくれればもっと良い。
あなたとて、老人に手を上げるのは気が進まないのだ。
偽装された民家は中央区の西寄りに存在する。近づくにつれて銃声や叫び声は増えたものの、幸い誰の血も流れずに目的地に到着した。
周囲を警戒し、メイベルが扉をノックした。特定のリズムで、秘密の符丁。ややあって、痩せぎすの老人が顔を覗かせた。
「おお、メイベル殿。ご無事でしたか……!」
「そっちも大丈夫そうね。逃げなくていいの?」
「我々にも責務がありますのでね」
普段と同じように、あなたは中に招かれた。老婦人がお茶とお菓子を用意しようとするが、時間がないと泣く泣く断る。
「今日は見ない方が多いですな」
「知り合いっていうか友達っていうか、微妙な関係ではあるんだけど。中に入っていい?」
「ええ、無論です。シロアッフ様から早く来させるよう言われております」
「うわ……」
メイベルが振り返り、肩を竦めた。少なくとも中には入れる。歓迎されているかは分からないが。
老婦人が机をずらし、敷かれている絨毯を捲ると地下への隠し扉が露わになる。老夫婦に一言礼を述べて、メイベルを先頭に一人づつ地下へと潜った。
狭く明かりの乏しい灰色の通路を抜けると、見慣れた場所に出た。純白の壁、金の刺繍で縁取られた真っ赤な絨毯――王国書庫へと続いている。
全ての扉は閉ざされ、人影は無かった。静かすぎて、罠を疑うほどだ。
「綺麗な場所ですね。いつもこんなに静かなんですか?」
「いいえ。静かは静かだけど、今みたいなのとは質が違う」
書庫の名を関するだけあって、ここはいつも静けさが満ちている。しかし、それは数多の人間が意識した結果の“生きた静けさ”とも呼べるものだ。今は人の気配を感じず、冷たい死の静けさに満ちている。
「警戒して、ついてきなさい」
各々武器に手を掛け、一歩ごとに踏みしめるように進む。目指すはブリーフィングに使っていた部屋。その部屋の、何処にでもあるような扉の向こうに、王国書庫が広がっている。
「……血の臭い」
カレンが呟いた。血の臭い、死臭が薄らと漂っている。戻らなかった魔術結社。ルフィナの言葉が脳裏に浮かぶ。
部屋の前であなたが先頭に変わり、中の様子を窺った。大きな円卓の四脚の椅子。普段と変わらない様子で、シロアッフの姿はない。
静かに全員が部屋に入り、素早く散開した。
「それで、書庫は」
「この扉――」
銃声。アローンの体が殴りつけられたかのように揺れ、懐から代理演算装置が転がり落ちた。
精巧な歯車細工には一発の弾丸がめり込んでいて、もう使えそうにない。
「おっと失礼、また鼠かと思ったんだ」
火を噴いたばかりの銃口から、細い白煙が立ち上っている。
「知らん男だが、幸運だったな。頭を狙うべきだったか?」
書庫へと通じる扉の前に、シロアッフが立ちはだかっていた。




