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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第5部 監査・交渉・逆転加速 第13章 供給停止寸前──交渉戦が始まる

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第62話 別の商会が同じ封を持つ

 2軒目の商会の封は、開ける前から見覚えがあった。


 応接机の上に置かれた見積書は、まだ蝋が硬い。赤でも黒でもない、濁った褐色の封蝋。縁の1箇所だけが、爪で引っかいたように欠けている。昨日の商会でも、同じところが欠けていた。偶然なら、あまりに行儀がよすぎる。


 私は封を取らず、先に紐を見た。結びが浅い。ほどきやすく、結び直しもしやすい結び方だ。帳場係の指が、その紐のすぐ横へ無意識に伸びる。触り慣れている手だ。


「開けませんか」


 商会主がにこやかに言う。


「ええ、開けます」


 答えながらも、私はまだ封を切らなかった。視線だけで、昨日の控えと今日の封の差を測る。違うのは商会名だけだ。紙の厚み、封蝋の押し位置、摘要欄へ寄せる余白の狭さ。誰かが複数の帳面を、同じ机の上で整えたときの癖がある。


 リュシアンが私の沈黙に気づいて、机の上へ指1本ぶんの間を空けた。その距離が助かる。言葉を足されると、違和感は散る。今は散らしたくない。


 私は封を切り、紙を広げた。


 祭礼前、街道混雑、仕入れ先の事情――理由は増えているのに、値上げ幅だけが昨日と同じだ。


 違う仮面、同じ手。


「こちらも、今日中ならこの値です」


 商会主が言う。私はやっと顔を上げた。


「お急ぎなんですね」


「王宮がお困りでしょうから」


 親切そうな声だった。だからこそ、腹が立つ。困っているのは王宮ではない。困らせているのがどこかを、私はすでに昨日から追っている。


 席を立つ前、商会主の左手が封蝋の縁を親指でなぞった。確かめているのではない。触れ慣れている手の動き方だ。自分では気づいていない。


 帳場係はずっと鍵束を握ったまま、私たちと机のあいだに視線を落としていた。立会い名と書かれた欄のある書類が、彼の肘の下で半分だけ顔を出している。


 廊下に出ると、石の床を伝う冷えがすぐに上がってきた。


 私は手帳を開かなかった。開けば書きたくなる。今は順番が先だ。


     ◇


 通り沿いの茶店へ入ったのは、考える机が欲しかったからだ。


 湯気の立つカップを2つ注文すると、給仕が甘味の札を差し出した。


「よろしければ、本日の焼き菓子をご一緒に」


 私とリュシアンは、同時に首を振った。


 1拍の沈黙があった。リュシアンが窓の外を見て、私は手帳の端を押さえた。どちらも目を逸らす方向だけが違ったが、お互い気づかなかったふりをした。


 机の上に昨日と今日の控えを並べる。封蝋の欠けの位置、紐の結び目の深さ、摘要欄の余白処理。商会の名前を消す。残るのは癖だけだ。


 並べると、一致する項目が3つある。文言は違う。言い訳の種類も違う。値段の理由も、今日の方が丁寧に増えている。けれど、値上げ幅だけが2日続けて同じ数字だ。


「別の商会です」


 私が言う。


「だが、別の手じゃない」


 リュシアンが続けた。


 その一言で、机の上の紙が、ただの価格表ではなくなった。


 胸の奥が、静かに冷えた。


 別口がある、と聞いたとき、最初はそれで解決すると思っていた。1軒が高値を吊り上げているなら、別の商会を当たれば食卓は守れる。安堵と呼ぶには早すぎるとは分かっていた。けれど、まったく頭にないわけでもなかった。


 目の前に並んだ控えは、その小さな余地をきれいに崩している。代替が、最初から封じられていた。


 怒りではない。もっと正確な感情が、胸をゆっくり満たす。


 誰かが、王宮の食卓が止まっても構わないと決めた。その判断が、この紙の揃い方に出ている。1軒の欲なら事故で片づく。複数の商会を同じ向きに揃えるなら、それはもう誰かの意思だ。


 けれど、そこで息が深くなった。


 詰まり道ではない。逆だ。1軒が高値を吊り上げていたなら、その1軒を崩せば終わる話だった。複数を揃えるには、揃えた誰かがいる。揃えた誰かには、繋がりがある。繋がりを追えば、主犯まで辿れる。


 この揃い方は、敵が残した入口だ。


「顔は違っても、紙の癖までは変えられません」


 言葉が口から出たとき、カップを置くリュシアンの音が少し大きかった。


 彼も同じものを見ていた。そして同じ意味に着地していた。


「商会が別でも、帳面の手つきは同じです」


 言い直すと、彼が短く頷く。それだけだった。


 けれど、そのたった1つの動きで、今日の比較が証拠として通る形になった気がした。感情に流されていない。私の読みを、彼が言葉に変えた。それだけで十分だ。


 私は手帳を開き、入口だけ書く。商会名の欄は空白にする。名前より先に、癖が同じ出所から降りている事実だけを残す。


     ◇


 夜、宿舎の机に戻ってから、比較一覧を作り直した。


 机の上には昨日と今日の控えだけが残っていた。ランプの芯を少し上げ、紙の角を揃える。これが私の仕事の始め方だ。


 縦に並べた項目は3列。封蝋の押し位置、紐の結びの浅さ、摘要欄の余白処理。商会名は入れない。入れなくても、列が揃う。揃うから怖い。


 1枚目の控えをいちばん上に置いた。2枚目をその横に並べる。封の欠けの角度が同じだ。紙の右端の折り方も同じだ。これは偶然ではない。同じ人間が整えた、あるいは同じ手順で整えるよう指示された帳面だ。どちらでも、出発点は1つになる。


 人は自分の手の癖を知らない。知らないから変えられない。変えようとしても、どこか別の場所へ滲み出る。


 この一覧は、その滲みだけを集めた紙だ。


 ランプの光で眺めると、3列の項目がすべて同じ方向へ倒れている。私はペンを置き、紙の端を揃えた。


 名前を消しても残る規則がある。これが、明日の入口になる。この一覧はまだ薄い。けれど、薄い方がいい。書き足せる余白を、今日は取っておく。


 翌朝、宿舎を出る前にもう1度だけ一覧を確認した。


 そのとき、3列の向こうに、4つ目の一致が見えた。摘要欄ではない。もっと上の欄だ。1つは日付の記入形式で、もう1つは承認者欄の処理の癖。


 別の商会が、別の帳面を使っているのに、承認者欄の書き方が同じだ。


 これは現場1軒の欲ではない。


 別商会まで同じ封と同じ承認処理を持つなら――上から降りる指示そのものが、最初から歪んでいた。


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