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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第4部 価値観の代償/守るために失う 第11章 代役投入──次はもっと燃える

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第48話 もっと大きく壊れる前に止められる?

 朝の厨房は、たいてい嘘をつかない。


 眠気の残る足音。濡れた床板。仕込み前の野菜の匂い。火を入れる前の、まだ硬い空気。そういうものは、整っていなければすぐに音で分かる。だから私は、早朝の厨房が嫌いではなかった。誰が何を誤魔化しても、鍋と包丁と水桶は、いずれ本当の順番を喋るからだ。


 王都の厨房も、見た目だけならよく整っていた。札は掛かっている。帳面は開かれている。下働きたちの手も止まっていない。


 代役記録係は、昨日と同じように几帳面な字で皿名を書き、食材庫から運ばれた札を端へ寄せていた。


 それで足りると思っている人には、たぶん十分なのだろう。


 でも、私は足りない場所ばかり見てしまう。



 「その札、先にそちらへ回してください」


 声を掛けると、若い記録係が顔を上げた。


 驚いたような、少しだけむっとしたような目だった。


 無理もない。自分では手順どおりにやっているつもりなのだろう。



 「帳面には、この順で」


 「ええ。だから危ないんです」


 言ってから、少しだけ言葉を選び直す。


 「あなたが、ではなく。この形が」


     ◇


 食材庫前では、下働きが2つの札を持って立ち尽くしていた。


 1つは仕入札。もう1つは禁忌札。


 どちらをどこへ出せばいいのか分からない顔をしている。帳面には項目がある。札もある。けれど、それを「誰が」「どの順で」「どこへ渡すか」の線だけが落ちている。


 その欠けは、小さいようで大きい。


 いや、たぶん逆だ。最初は小さいから、誰も怖がらない。だから大きくなる。


 私は札を受け取り、仕入札を先に配膳口へ、禁忌札を給仕長の手へ直結させた。


 繰り返した。


 大きな宴席では、この順番が誤ると次の品が止まる。止まった瞬間に、給仕の立ち位置が詰まる。詰まれば、水桶が遅れる。水桶が遅れれば、竈の側が手ぶら待ちになり、火入れの合図が一拍ずれる。


 一拍のズレが、どこまで行くか。


 私たちは知っている。23日目の朝、その一拍の先にあったものを。



 「水桶が1つ遅れた」


 火入れの声が重なった時点で、竈の前で給仕見習いが半歩詰まり、鍋の縁が鳴った。


 ほんの一瞬だけ、23日目の小火という言葉が頭をかすめた。


 まだ起きていない。起きていないからこそ、ここで止めなければならない。


 横で見ていたボルドーが、低い声で言った。


 「帳面どおりなら、責められはしない」


 「ええ」


 「だが、燃える」


 私はうなずいた。


     ◇


 責めるのは簡単だ。代役が未熟だと言ってしまえば、今日の苛立ちはきれいに収まる。けれど、それで収まるのは気分だけだ。


 現場は残る。


 明日も回る。


 次の宴席も来る。そのたびに、知らない人が同じ穴へ落ちる。


 だから私は、見せつけるより先に、止める方を選ぶ。


 壊れる前に。


 もっと大きく壊れる前に。


 配膳机に戻ると、代役記録係が帳面を握ったまま私を見ていた。怒られるのを待つ顔ではなく、何が足りないのかを知りたい顔だった。


 それが、かえって言い方を難しくした。


 「禁忌札が、現場に降りていません」


 声は業務用語に化けていた。本当に言いたい言葉は、もっと違う形だったはずなのに。


 「帳面に項目はあります。札もあります。けれど、それを見る順番が……」


 言葉が止まった。こちらを見つめている彼の目が、自分の無能さを既に受け入れている。


 そこへ言葉を足せば、それは鞭になる。


 「届いていないのは紙じゃない。順番です」


 私は机の上の禁忌札を取り、仕入札の上に置き直した。


 「皿名を書いてから、この札を見てください。見てから、この動きで給仕長へ」


 一動作を示す。


 代役記録係の目が少しだけ変わった。怒られているのではなく、正しいやり方を順番ごと教わっているのだと分かったのだ。


 「明日の仮試食も、同じ順です」


 「わかりました」


 彼の返事は静かだった。怯えた小ささではなく、納得の静かさ。


 それが、かえって胸を少しだけ冷やした。


     ◇


 厨房を出る時には、日が高くなっていた。朝の短い時間の中に、どれだけ詰め込んだのか。


 頭が少しだけ重い。


 廊下の折れ角で、リュシアン様が立っていた。


 何も言わない。問わない。


 ただ、視線の奥に「何が見えた」と読める光だけがある。


 「代役が禁忌を知りません」


 短く言う。


 「現場に、禁忌確認の線が降りていない。帳面には項目がありますが、それを「いつ」「どこで」「誰へ」渡すかの順番が消えています」


 彼は何も返さない。


 ただ、その沈黙の重さで、彼も既に気づいていたのだと分かった。


 「明朝までに」


 私が続ける。


 「法務に対して、暫定措置を出さなければなりません。禁忌札を現場へ直結し、宴席前に2重照合を入れる。そして立会いを、帳面の後ではなく、前へ置く。そのすべてを紙に落とさなければ、暫定では通りません」


 廊下の窓から光が差していた。昼間の日差しは、朝の違和感を消してしまいそうだ。けれど、そうはさせない。


 「できますか」


 彼は短く頷いた。「宰相府へ行く」と言って、廊下の奥へ向かった。


 その背中を見ながら、私は息を吐き出した。


 宴席では社交の圧があり、厨房では現場の欠けがあり、紙の上では制度の穴がある。同じ問題が、場所を変えて、別の顔で現れている。


 王都が「誰にでもできる」と言い捨てた形は、実は誰にもできていなかった。


 その不足を、今から作り直さなければならない。明朝までに。それまでの夜だけで。


 私は法務係のいる宰相府へ向かう前に、もう一度だけ厨房を見に戻った。


 代役記録係は、禁忌札の位置を確認しながら、もう一度だけ給仕長に合図を取り直していた。怒られたから直すのではなく、分かったから整える。


 その動きだけで十分だった。


 壊れ方の前に。


 止める形を、今は作らなければならない。


 ボルドーが鍋の蓋を「カチン」と閉めた。その音だけで、厨房は見守っていると、私に言った。


     ◇


 宰相府の応接機は広かった。広いくせに、向かい合って座ると逃げ場がない。


 法務係は面倒そうに指先で紙をめくった。


 「暫定措置、ですか」


 「はい」


 「代役は立っております。宴席も今のところは滞りなく」


 「今のところ、です」


 私が答えると、相手の眉がわずかに動いた。失礼な言い方だったかもしれない。けれど、遠慮して火の種が残るなら、その方がもっと失礼だ。


 「必要なのは人の交代ではありません。確認の順です。代役を置くなら、禁忌札を現場へ直結してください。宴席前の2重照合を入れてください。立会いを、帳面の後ではなく、前へ」


 法務係は少し笑った。


 「随分と注文が多い」


 「代役で足りると仰るなら、足りる形を作る責任があります」


 言い切った瞬間、部屋が静かになった。


 自分でも驚くほど、声は震えていなかった。怖くないわけではない。ただ、昨日までと違うのは、ここで私は「許されるかどうか」を待っていないことだ。


 必要な条件を出しに来ている。被害を説明しに来たのではなく、止める形を要求しに来た。


 そのとき、隣から1枚の紙が寄せられた。


 リュシアン様の手だった。


 「共署でよければ、私の名も入れてください」


 私はそちらを見た。彼は私を見なかった。法務係だけを見ている。感情ではなく手続きの顔だった。


 だから余計に分かる。これは庇いではない。責任欄へ、自分の名前を並べるということだ。


 守る、と言葉にされるより、ずっと重い。


 明朝までに、現場を止めずに現場を守る紙を作れるか。


 その1夜が、今ここから始まる。

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