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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第4部 価値観の代償/守るために失う 第10章 条項発動──荷が止まる

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第42話 承認印の輪に気づき、違うが飲み込まれる

 補給庫の朝は、荷が入る前から止まっていた。


 裏搬入口の横に、細い板札が何枚も立てかけられている。到着、保管、差戻し、保留。朝の光を受けた札の端は白く、どれもまだ使われていないように見えるのに、私には違った。並びが綺麗すぎる。


 止める準備だけが、先に終わっている時の並びだ。


 補給係は眠たげな目で帳票を受け取った。許可証、荷受け控え、発注写し。紙束を開いた手つきに迷いはない。


 迷いがない人ほど、すでに何を言うか決めている。


「別紙条件未充足につき、保留です」


 声は穏やかだった。穏やかな言い方ほど、覆しにくい。


「いつ、差し込まれたのですか」


 返事ではなく、質問を返した。補給係は眉を動かし、机の帳票を指でなぞり始めた。


「ここへ回ってくる前には、もう欄があったということですか」


 補給係は肩をすくめた。


「こちらへ回ってきた時には、もう」


 その言い方で十分だった。責任を持たない者の口調だ。


 つまり、この欄はもっと手前で差し込まれている。


 私は机の上の帳票をもう一度見た。承認欄が1つ増えている。昨日までそこになかったはずの欄だ。紙の色は同じでも、インクの乾きだけが違う。


 保留を告げるための欄だけが、朝の光を鈍く返している。


 見直す間に、隣でリュシアンが1歩だけ前へ出る気配がした。けれど彼は机を叩かない。補給係を脅さない。代わりに、荷受け控えを手に取って、ページを戻し始めた。


「どこで増えたか」


 短い一言を落とした。それは彼女を守るためではなく、紙そのものが何を言うかを読もうとしている視線だった。


 私は1歩引き、彼にそれを見せた。荷受け控えの何段目に別紙条件欄が現れるか、どこで増えたか。


 紙の流れを追う。順番で見えるもの。


「発注、受領、通過確認。ここまでは昨夜です。けれど、ここから保留欄に変わっています。夜明けの間に」


 リュシアンは無言で順番を辿った。指で紙を押さえ、どの段階で欄が増えたかを見直す。彼は紙を読むのが私ほど速くない。


 けれど、私の指摘に合わせて、彼も同じ場所に立ち止まる。


「夜通し、待ってくれたわけではなく」


 私が言うと、補給係の顔が少し硬くなった。


「つまり、欄を差し込む指示は、昨日の間に下りていて、その待機と同じ」


 彼は肩をすくめた。説明ではなく、逃げだった。



 補給係が保管札の束を持って戻ってくる。札が机に置かれる音が、言葉の続きを潰した。


「荷は動かせませんが、保管札の写しなら持ち出せます」


 私は頷き、札を受け取った。端が冷たい。


 止まったのは荷だ。けれど、止まった痕は持ち帰れる。


 保管札を見ながら、もう一度承認印を確かめた。丸の左下が、ほんの僅かに欠けている。


 見覚えがあった。


 封蝋の縁。召喚状。許可証。


 違う部署のはずの紙に、同じ欠けがいる。


 背後でリュシアンが身じろぎをした。彼も見たのだと分かる。同じ欠けを。同じ輪郭を。


「……違う」


 低い声が落ちた。


 私は振り返った。彼は私を見ている。責めている顔ではない。悔いている顔でもない。


 だからこそ、何が違うのか分からない。


「何がですか」


「お前が」


 そこまで言って、彼は喉で止めた。


 その言い方の先に何があるのか、私は知りたかった。知ることが怖かった。


 お前が戻ってきたから。お前がいるから。お前のせいで、また誰かが止まった。


 そういう言葉が続くのかもしれないと、一瞬だけ思った。けれど彼の視線は責め込むようなものではなく、むしろ———


「違う」


 彼が、もう一度言った。


 話題を変えるのではなく、自分を正し直すように。


「助けるための欄ではありません。止めるための欄です」


 私の方から言葉が出た。


「昨日までそこになかった。それは、私たちが来ると分かってから、準備された。差し込まれた。荷を止めるために」


 リュシアンは無言で、もう一度印を見た。押し位置。乾きの差。すべてが、計画を示していた。


「帰り道はどうなる」


 それは質問ではなく、覚悟を問うものだった。


 私は札を握ったまま、補給係を見た。彼は目線を落とし、肩をすくめている。己の仕事以上のことに首を突っ込みたくない顔だ。


 でも、何かを言いたげでもある。


「保管札の写しだけは、持ち出すことができます」


 補給係の言い方が、その後を示していた。


「止まったのは荷です。けれど、止まった痕は。痕の証拠は」


「記録として残る」


 私が言うと、補給係は再度肩をすくめた。ただの手続き。ただの規定。それ以上でも以下でもない、というふりを。


 けれど、その規定の中に、逆転の隙はあった。


 荷は止まった。が、止まった証拠は持ち帰れる。



 私は札の端を指先で押さえ、承認印の欠けをもう一度見た。左下のその欠け。ほんの1ミリの欠損。


 見覚えがあった。


 王都へ出す時の封蝋の端。神殿からの召喚状。許可証の押し位置。


 違う部署。違う欄。違う意図のはずなのに、同じ手の痕跡が、ここにもある。


 リュシアンが札を受け取った。彼も同じ欠けを見て、指を止めた。


 無言で何かを確認し、目を上げてこちらを見た。


 その視線だけで分かった。彼も見えてしまったのだ。線が、繋がる場所が。


「持ち帰るものは、これだけですか」


「札の写しだけです」


 補給係は淡々と言った。


「荷は明日以降。別紙条件が整うまでは、これ以上の進捗はありません」


 別紙条件。それは誰が、いつ整えるのか。条件そのものが、私には見えない。


 私たちは札の写しを受け取り、検問を越える。


 けれど検問でも、同じ印があるのかもしれない。同じ欠けを持つ印が、あちこちに。



 馬車へ戻る直前、飲み込んだ言葉だけが、まだ喉に残っていた。


 リュシアンが言いかけた「違う」の続き。


 そのあとに来ていたはずの、もう一言。


 それが何だったのか、彼はもう言わないのだと分かった。


 ここで言い切ると、足りなくなる。言い切ると、次の1手が逃げる。


 だから、飲み込まれた。


 そして、その沈黙こそが、最も怖かった。相手を責めるより、相手を信じて待つ顔が。


 止まったのは荷だけではなく、言葉も、感情も、すべてが同じ冷えた場所で止まった。


 持ち帰ったのは札の写しだけで、その紙に押された印の欠けだけが、すべてを物語っていた。

読んでいただき、ありがとうございます。


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