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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第4部 価値観の代償/守るために失う 第9章 証言に台本が混ざる日

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第38話 王宮のどこが金を出した

 噂には値がつく。


 その事実を初めて実感したのは、茶の香りがやけに甘い店の奥で、帳場の紙が1枚ずつ机へ滑ってきたときだった。


 仲介役の男は最初、何も知らない顔をしていた。


 こういう顔をする人間は大抵、全部を知らない代わりに1番見られたくない部分だけは知っている。


 私は目の前の湯気の立つ茶器には触れず、帳場係が持ってきた控えだけを見る。


 摘要欄には、厨房補填、祈祷寄進、雑費、接待補助。


 どれも小さい。どれも単体なら見逃される金額だ。


 けれど日付を並べると、きれいすぎた。


 噂が濃くなった時期、公聴の準備が進んだ時期、私の名が社交の席で汚され始めた時期。


 その全部に、小さな支払いが寄り添っている。


「ただの紹介です」


 仲介役はそう言った。


「紹介だけで、4度も帳尻を合わせるんですか」


 返すと、男の指先が1瞬だけ止まった。


 茶を飲むふりも忘れる程度には、図星だったらしい。


 隣でリュシアンは1言も発しない。


 けれど沈黙がやけに重い。


 彼は怒るときほど静かだ。


 机の上の紙が1枚ずつ整えられていく。


 端を揃え、日付順に並べ、摘要欄の似た文字を追う。


 その几帳面さは、今日ばかりは優しさではなく圧になる。


 私はそこでようやく理解する。


 誰かは、私の名を使って評判を傷つけたかっただけじゃない。


 噂を配り、沈黙を買い、公聴の空気を整えるために、予算を使ったのだ。


     ◇


 商会の帳場へ案内されると、帳場係は算盤を前に立ち往生していた。


「この摘要欄が――」


 私が指を置くと、係は砂袋を握りしめた。


 実績報告が続く。


 祈祷寄進と言えば神殿の管轄だ。


 けれど申請書類を見れば、神殿の正印ではなく、2重丸の仮印が押してある。


 接待補助と言えば評議会の枠だが、金は宰相府の予算から引き出されている。


「どうしてこんなに細かく分散させるんですか」


 私が問うと、係は答える代わりに別の帳簿を出した。


 その瞬間、彼の肘が算盤の玉に触れた。


 1粒が転がり、床へ落ちる。


 カラン、と高く響く音。


 3人で反射的に床を見た。


 玉は回廊の奥へ転がり始める。


 係がいちばん必死で追った。


 その後ろ姿だけで、彼がどこまで知っているか、知りたくないか、その両方が見える。


 リュシアンは動かず、私もそのまま控えを見詰めた。


 音が止まるまで、誰も言葉を出さない。


 そこには同じ日付で、異なる摘要が並んでいた。


 祈祷寄進という名目の、食堂改修費。


 接待補助という名目の、護衛衣料購入。


 全部が小さい。


 全部が別の部署から見えない。


 けれど並べるとパターンが浮かぶ。


「誰かが、意図的に分散させている」


 リュシアンが口を開いた。


 声は低く、決定的だ。


「4度の小口出金で1つの大きな金を作っていますね」


「はい」


 係は頷く。


 私は帳簿の日付をなぞった。


 最初のものは14日前。


 公聴の準備が話題に上り始めた時期だ。


 そこで何かが整えられた。


 誰が金を出せば、こんなに綺麗に帳尻が合わさるのか。


 誰の口座を経由すれば、これだけ複数部署に分散させられるのか。


「この4度が全部、同じ承認者印ですか」


 私が摘要欄の右肩を指すと、係は息を呑んだ。


 隣でリュシアンが指でそれを確認する。


 小さな赤い印が4つ並んでいた。


 全部が同じ形。


 全部が同じ癖。


 同じ手が、4度押している。


     ◇


 宰相府の会計控え机では、若い書記官が砂袋を握りしめていた。


「この承認印の癖が――」


 私が見せると、書記官は顔色を失った。


 その色が何を意味しているか、彼は知っていた。


 私たちが見ている承認者は、誰なのか。


「この印鑑は」


「南側の部署です」


 書記官は慎重に答えた。


 公の場ではない、という無言の圧がある。


 けれどリュシアンの目が、じっと机の控えを見つめている。


「南側の部署が、全4度を承認している」


 私が言うと、書記官は最後の控え1枚を机の端から滑らせた。


「これは――」


 その紙は、他の控えと違う。


 摘要欄に「内密」と書かれている。


 金額は明記されていない。


 けれど日付は、公聴の3日前だ。


「内密の支払いですね」


 私の声が、机に響いた。


     ◇


 回廊の窓辺で、リュシアンは初めて言葉をくれた。


「恋の噂なら、ここまで帳尻がきれいなはずがない」


 彼は外を見たまま話す。


「恋の噂なら、もっと安く、もっと雑に、人を傷つけられる。これはもっと悪い。人の評判を政治の備品にしている」


 胸の奥にあった嫌悪が、ようやく怒りへ変わった。


「口を買ったんじゃない」


 私は彼を見た。


「黙る順番を買ったのね」


 彼は初めて視線を落とさずに、私を見た。


 その目に映るのは、同じ怒りだ。


 けれども同時に、困惑がある。


 彼が前に出ることで、私の立場が強くなるのか弱くなるのか。


 彼自身が知らないような困惑だ。


「次は?」


 短い問いだった。


「王宮が金を出した」


 私は言った。


「なら、追うべきは誰の口ではない。誰がその金で得をしたか、その順番です」


     ◇


 夜の仮机で、私たちは3人で図面を見詰めていた。


 リュシアンと、若い書記官と、私。


 机の上には、帳場の控え、宰相府の承認記録、商会の日付順リスト、帳簿の欄外メモ。


 全部が1本の線へ繋がり始めている。


「最初の配布は14日前」


 若い書記官が指で日付を辿る。


「公聴の準備が話題に上り始めた時期。ここで評議会側への確認便なら、この時期に整合性の確認が入るはずです」


「2番目は9日前。ここで神殿内に同じ文面が渡ります」


 リュシアンが口を開く。


「進行上の中立を保つためには、神官側も同じ情報を持つ必要がある。公聴を一貫性を持たせるなら、そこだ」


「3番目は4日前。社交の席を回る貴族の手へ。この段階で噂は『複数の家が同じ話を持っている』という形で広がり始めます」


「4番目は公聴の3日前。商人仲介を通じた確認。計画の最後の調整ですね」


 私は、4つの日付を見ながら続けた。


「配布の段階ごとに、受け取り者の立場が異なっています。評議会。神殿。社交貴族。商人。その全部が同じ文面を、同じタイミングで受け取ることで、『これは自然発生の噂』という仮面を被せる。誰もが『聞いた』ことにしておけば、誰が言い出したかは曖昧になります」


「けれど金の流れと日付を重ねれば、その仮面は剥がれる」


 リュシアンの手が、承認印の欄を示した。


「そして、5番目はまだ来ていない」


 私が言うと、若い書記官は砂袋を握りしめた。


「けれど日付が決まっている」


「次の配布なら、4日後。その日は――」


「新しい大使が王宮に来る予定の日です」


 リュシアンと私の言葉が、机の上で重なった。


 意図は明白だ。


 5番目の配布で、新しい大使にも同じ噂を届ける。


 そうすれば、「王宮全体が知っている」という形になり、私の証言の信頼性はさらに揺らぐ。


 紙は、人の口ほど饒舌ではない。


 でも、同じ嘘を運ぶには、同じ手順が必要になる。


 その手順が書かれているなら、確実に追える。


 目にも見える形で。


「そして、誰かが4度、同じ印を押した」


 私は承認記録を指した。


「その手が、どこまで届いているか、次は見えます」


 机の上の4つの控えが、静かに光を反射する。


 金の動きは、情動より強く、証拠より確実だ。


 誰が王宮を動かしたのか。


 誰がこんなに綺麗な計画を立てたのか。


 その答えは、もうすぐ出る。


 けれど同時に、その答えが出た瞬間、別の誰かが新しい矢を放つ。


 金を出した側は、証拠が繋がり始めたのを、絶対に見逃さない。


 リュシアンが無言で外を見た。


 街道が見える。


 次章へ繋がる、あの街道が。


 通行許可証は、明日には届く。


 その許可証に、何が足されているか。


 私たちは既に知っているような気がした。

読んでいただき、ありがとうございます。


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