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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第3部 契約の鎖/監査の芽 第7章 条文で縛る者の正体

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第23話 縛る相手は彼女だけか

 王都の門は、帰ってきた人間に対して、思ったより冷たかった。


 3日かけて辿り着いた石畳の先で、門衛は先にリュシアンの通行札を確かめ、次に私の顔を見て、ようやく机の下から別の板札を出した。色が違う。札の紐まで違う。小さな差なのに、息が少しだけ浅くなる。


「こちらは立会い確認が必要です」


 戻れと命じておいて、最初の1歩で止めるのか。そう思ったが、口には出さない。門の前で言葉を荒げれば、それだけで問題のある被召喚者という形になる。私は旅行鞄を持ち直し、札の端を指で揃えた。湿気を吸った板は、辺境で使っていたものより少しだけ重い。


 通された先は王宮ではなく、まず宰相府の応接だった。窓が高く、紙の匂いばかりが乾いている部屋で、法務係は私に椅子を勧める前に書類を3枚並べた。誓約書、付帯条項、別紙の確認事項。机に置かれた順番が、そのまま相手の本音に見える。歓迎より先に、署名。再会より先に、制限。


「王都滞在中は、こちらの規定に従っていただきます」


 読み上げられる文面は静かだった。面会は要申請。記録の写しは持出禁止。現場確認には立会い必須。第3者への相談は報告対象。どれも丁寧な言い回しなのに、並ぶとよく分かる。人を守るための文ではない。人を動けなくするための文だ。


 隣で、リュシアンの手がわずかに動いた。庇う言葉を選んでいると、五年も記録をつけていれば分かる。けれど彼がここで一言でも差し挟めば、「辺境伯関与時は別途監督を要す」といった新しい鎖が一行増える。私は彼より先に紙を取った。


「確認します」


 声は自分でも驚くほど平らだった。


 法務係の机には砂入れが3つも置かれていた。乾かす紙が多いのか、急いでいるのか、その両方か。私は反射で一番近い紙の余白を見た。条文の並びが妙だ。最初に置くべき安全確認より先に、面会制限と持出禁止が来ている。事故防止の契約ではない。これは、私を先に固定する契約だ。


 指でひとつずつ条項をなぞった。面会は「通常業務の範囲に限り」。記録の持出は「許可を得た場合のみ」。現場確認は「立会い人同席の条件で」。最初の読みは「安全」を名目にしているが、2読目でわかる。制限の並び方が一貫している。全部が、セレスティーヌ・クランメール個人の動きを塞ぐためだ。


 胸の奥で何かが静かに反発した。


「第2条の『必要に応じて』とは、どの段階ですか」


 質問の声は業務的に出た。感情を紙の上へ乗せてはいけない。ここで怒れば、記録官としての信用が一行削られる。


「一般的な表現です」


 法務係の返答は速かった。一般的――それは「曖昧に運用する余地を残す」という言い方だ。同じ言葉でも、月によって、都合によって、違う解釈ができるということだ。


「では具体化していただけますか」


 紙に戻す。答える前に書きなさい、という意図がにじんだ。法務係の手が少しだけ硬くなった。机の砂入れが3つ、ほぼ同時にペンをかき立てられる。急いで乾かす紙が、3枚1度に増える。


「王都滞在中の『面会』は、宮廷業務に関わる者のうち、事前通告した者のみと定義します」


 追記の筆圧を見た瞬間、気づいた。最初の文面と、この追記の筆圧が違う。墨の濃さも、ペンの送り方も。つまり最初から、この曖昧さを意図していたのではなく、後から継ぎ足したということだ。


 ――これは、改ざんではなく、逃げを作りながら書かれた文だ。


 リュシアンが私の指の止まり方に気づいたらしく、目だけが動く。同じ机に座る相棒の息遣いを、彼は肌で感じ取っているのだろう。


「その『事前通告』は、どの部署へですか」


 もう一度同じ質問をした。曖昧を詰める。逃げの道を塞く。


「こちらの判断に委ねられます」


 3度目の返答で、法務係の肩が少しだけ上がった。判断――つまりは、相手の都合次第。「申請はしたが、認められなかった」という形で、いくらでも面会を止められるということだ。私の左手は無意識のうちに、机の上の紙片を大きさ順へ揃え始めていた。仕事の癖だ。そっと引っ込める。


「では『記録の持出禁止』も、同じく曖昧ですね」


 畳み掛けた。1項目ごとに穴を開ける。曖昧を明確にする。それが記録官の仕事だ。


「こちらの範囲で必要と認めた場合、貸与は可能です」


 貸与――持出ではなく。つまり常に管理下に置いたまま、ということだ。私が帳面を見ても、それは「宰相府が貸したもの」という形で、いつでも回収できるということだ。


 隣でリュシアンがわずかに身を向けた。庇う言葉を紡ぎかけて、止まった。彼が口を開けば、次は彼への制限が増える。公の場で愛人を庇う辺境伯ほど、厄介な変数はない。だから彼は黙る。その黙りが、私の胸をより一層締めつけた。


 法務係が紙をもう一度、机の奥へ引いた。決着の仕草だ。説得ではなく、制度で圧を作る。裁判ではなく、条文で勝つ。それが王都のやり方なのだ。


「第3条、現場確認について。立会い人の選定は」


 私は手を止めずに続けた。このまま黙れば、この契約が成立する。成立すれば、私は文字通り、囲われる。動けなくなる。判断する自由を失う。


「こちらで指定いたします」


 指定――つまり、私の信用できる者は、ここへ来られないということだ。ボルドーも来ない。誰も。私だけが、この机の前で、1人で説明を求められ続けるのだ。


 その時だった。法務係の視線が、私ではなく、私の指の先へ向かった。机の上で、私が揃えていた紙片。大きさ順になった、欠けた封蝋の欠片。昨日、リュシアンと一緒に見た、あの欠片だ。


 私はゆっくりと手を引いた。遅すぎた。法務係の目色が変わった。仰天したのではなく、何かを確認したような、そういう光だ。


「その、破片は」


 質問の声が、少しだけ速くなった。


「応接で、封蝋が割れました。習性で揃えていました」


 嘘ではない。事実だ。けれど全部ではない。その欠片が、昨日の召喚状と同じ手で押されたものだという事実は、言わない。言えば、私の方が「証拠隠滅」や「不正な情報の私物化」という名目で拘束されかねない。


 法務係は少し黙った。手が机の奥へ向かい、何かを押さえた。隣の部屋へ、何か指示をしようとしたのか。けれど、隣から足音は聞こえなかった。


「契約にサインしていただきましょう」


 急に話題を転じた。逃げだ。あの欠片を見て、何かを察したが、別の形で対応することにしたのだろう。私の観察が先に行き過ぎる前に、形式を整える。そうするしかなかったのだ。


 ペンが机の上に置かれた。誓約書の末尾。署名欄。そこだけ紙質が微かに違う。上から貼り直された形跡だ。つまり、最初の署名欄は別にあったのに、誰かが裏打ちして作り替えたということだ。


 ――この契約文は、1度作られ、1度破棄され、1度作られた。


 重ねられた契約。改ざんではなく、上書きされた形だ。何を隠すために。誰が。


「署名は、いつまでですか」


 質問した。


「本日中に」


 時間圧だ。考える余地を与えない。帳面も見させず、証人も寄せず、1人の机で1人で、この圧に屈するまで待つ。王都が私を呼び戻した理由が、ここへ来て初めてわかった気がした。


 私を王都に置く理由ではない。王都に置いたまま、動けなくする理由だ。


 ペンを持った。署名欄へ指を滑らせた瞬間、隣でリュシアンが息をついた。それは怒りではなく、諦めに近い音だった。彼も気づいているのだ。この契約が何なのか。そして彼が庇おうとするたびに、契約の鎖がもう1つ増えるという構図に。


 ペンは署名欄の手前で止まった。


「条件があります」


 口から出た言葉は、自分でも予想外だった。けれど、手は止まったままだ。このまま署名をすれば、私は王都の管理下に置かれたまま、何もできなくなる。帳面も見られない。誰にも相談できない。ボルドーの声も、リュシアンの判断も、全部が「外の声」という名目で遮断される。


 そんなことはできない。そんなことをしてはいけない。何かが、私の中で確かに反発した。


「条件」


 法務係の声は冷えた。


「この契約に、責任欄を足してください。どの段階で、誰の判断で、どの文言が追記されたのか。全部を明確にしてください」


 その瞬間、部屋の空気が凍った。


 リュシアンが、ほんの少しだけ身を向け直した。法務係の顔色が変わった。そして私は、自分がどこへ言葉を放ったのか、やっと分かった気がした。


 曖昧な善意より、欠けても回る順番の方が人を守る。その信念が、この瞬間だけ、剣になった。


 署名欄は、まだ白いままだ。


読んでいただき、ありがとうございます。


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