ここからが始まり。
薄い桃色の花が徐々に咲き始めた頃、ついにこの小説が始まる一年前になった。
十六歳になる私、メルクーアは数ヶ月でこの国にある学園の生徒になる。この後に起こる婚約破棄を阻止するため、殿下であるルートヴィヒへの信頼感は上げてきたつもりだ。ヒロインが出てきたとしても、彼から婚約破棄なんてされないはずだ。
小説の中のメルクーアは、ヒロインに特に何もしていないのに、【本当の愛】だけで捨てられたのだ。捨てられるのは、小説の中だけに留めておきたい。
きっと…私の努力は報われていると今は信じるしかない。
「メルクーア、制服届いてるわよ」
母が嬉しそうに荷物を持ってきてくれる。その後ろで、彼女の専属のメイドがどうにかして荷物を取ろうと画策している。
母から受け取ろうと、感謝を述べると彼女はにこりと微笑む。
私はその笑顔を見て背筋が凍る。
「今、来て頂戴」
母は紅色の瞳をキラキラと輝かせながら、こちらへと荷物を押し付ける。その圧力に拒否なんて出来ず、苦笑いをして受け取った。
そしてそのまま、メイドと一緒に着替えを行う。一度結えてあった髪を解くと、陽の光に反射して銀色の髪が輝いてる。鏡の中に映る私は、歳を重ねて大人になった…ように見える。父親譲りのキリッとした瞳がより美しさを際立たせている気がする。
「出来ました、お嬢様」
「ありがとう、ベル。お母様の我儘に付き合ってくれて」
メイドは可愛らしい顔で”いいえ”と笑った。部屋を出た私は、母が待ってる大広間へと向かう。
苦笑いをしていたが、新しいものに袖を通すのは、案外気持ちがワクワクするものだ。
「お母様、お待たせしました」
「メルクーア。やっぱり似合っているわっ。流石私の娘」
「……褒めすぎよ」
母の勢いに押されながら照れる。
これから通う予定の学園の制服は、全身が深緑で統一されている。男女で形状が違うだけ。女の子は足首まであるジャンパースカートの形。胸元にはワインレッドの小さなタイが、可愛らしくポイントとして付いているのだ。現に私の制服も、足首までスカートの裾があるのだ。
「色が少し変わったのね」
「そうなんですか?」
「えぇ、私たちの時はもう少しだけ緑が明るかった気がするわ」
数十年前の制服も少し気になるが、色はこれで良かったかも…。
「じゃあお母様」
「え?もう着替えてしまうの?」
前後左右と一通り見せた後、部屋に戻ろうと背を向けようとすると、母が悲しそうな表情を見せる。
「えぇ…制服がシワになるのは嫌ですので」
少しだけ胸が苦しくなったが、こればかりは仕方ない。入学前にシワがつくのはごめんだ。母に軽くお辞儀すると、大広間を出る。
「…メルクーア?」
「へ?え?あ…ジーク?」
左側から声がかかり、その方を見ると目を見開いているジークフリートがいた。私は、予想していない人物に出会ったこと、入学前に浮かれているように見えなくもない姿に、自然と目が潤む。
穴があったら入りたい。
「メルクーア…制服着て何してるんだ?」
「ち、違っ…ちょっとこっち来て」
私はジークフリートの腕を掴むと、階段を登って部屋へと連れ去る。後からは、メイドのベルが何か叫んでいるが、無視をして自室の扉を閉める。
「…部屋…」
走り終えた私は息を切らしているが、彼は乱れてすらいない。なんだか悔しいが、彼は騎士であり体力は私よりあるのだ。
「ねぇ…聞いて!!私が望んで着たんじゃないのっっ。お母様がっ楽しみにしてて…」
私はとりあえず、弁解したくて彼に詰め寄りながら囃立てる。勢いに押されたのか、ジークフリートは背を逸らす。
「…分かった。分かったから…落ち着いて」
「落ち着けないっっ。だって…だって…さっき…」
「さっき?」
「私を見て驚いたでしょ?あのね、違うのっ」
「別に浮かれてるなんて思ってないから」
私が思っていたことを当てられて固まってしまう。
彼の厚い胸板に置いた手が、自然と落下していく。ついでに額からじんわりと汗が流れてくる。
「……思ってそう」
「…僕も着させられたから」
「……え?」
顔を上げると頬を赤くしたジークフリートと目が合う。彼は私と目が合うと、バツが悪そうに目を逸らした。
私はそれを聞いて安心すると、フフッと笑みが溢れる。
「ははっジークも着たの?」
「そりゃね。僕たちの母親は似たものらしい」
「あーあ…安心した」
「もしかして、メルクーアの制服姿を見たのって」
「ジークが初めてよ?シュテルンベルガー家の人以外はね」
ワインレッドのタイを器用に外して、クローゼットの中に仕舞う。スカートがシワになるから早く脱ぎたい。それを察知してくれたのか、ジークフリートは背中を向けて私の部屋を出る。
ベルがいないが、衣服の着脱ぐらい自分で出来る。初めに着ていたドレスに着替えて、結えていた髪を解くと、外で待っている彼を呼び戻す。
「気を使ってくれたのね、ありがとう紳士さん」
扉から顔を覗かすと、彼が私の手首を掴んで歩き始める。
彼の手の中にすっぽりと埋まる私の手首を見つめると、ジークフリートの体格差に驚く。確かに何年か前から私の頭を越していた。体格も出会った頃に比べると男らしくなっていて、先ほどみたいに掌で押してもビクともしないくなっている。ここまで性差が出るとは思ってなかった…。
ルートヴィヒも背が高くて、しっかりとしているが、騎士はやはり別格らしい。
ジークフリートに護って貰える女の子は……。
「羨ましい」
「何が?」
前を進むジークフリートは、私の小さな声に反応してこちらを振り向く。
「え?声に出てた?」
「出てた。で。何が?」
「……ジークに護って貰える女の子が羨ましいなって」
秘密にすることではないので、素直に思っていたことを伝える。
ジークフリートの婚約者でも、何でもない私が、こんなことを言う資格はないと思っている。でも、口にしてしまったのは仕方ない。
「メルクーア、忘れてないか?」
「何のこと?」
「前、言っただろ?王太子妃になったら護るって」
「そういえば…言っていたような」
ジークフリートが腕に大きな怪我をした時に言われたような気がする。
「でも…」
でも、ジークフリートが婚約者を持ったら?
十六歳にもなって彼は相手がいない。この年齢にもなって相手がいないのは、ジークフリートかツェツィーリアぐらいしか知らない。一度、彼に相手はいらないのかと訊ねたことがある。その時の回答と言えば…”僕はクラウスハール家の三男だから、別にいいんだよ”と言っていたような気がする。
「僕は相手を作ろうと思わないから」
「…そう。前に言ってたもんね」
やはり、以前言われたことを言われた。
二人で話していると、いつの間にかガーデンテラスへと来ていた。
「そう言えばさ…私たちが出会った時の話を覚えてる?」
ガーデンテラスの机に頬をつきながら質問をする。
「僕が父上とこの家に来た時のこと?」
「そう。その時に私に言ってくれたこと覚えてる?」
話している内にそう言えば…そろそろ学園に通う時期だなと思い出す。ルートヴィヒが完全に私を愛してくれるという自信がほんの少しだけない。
だから…あの時のジークフリートの言葉が欲しい。安心できる材料が必要なのだ。それを彼の口から聞き出したい。
「辛い時は支えになりたいって話?」
「そう…。ねぇ…ジーク」
「僕は、メルクーアが辛い時には誰よりも優先して支えるし、何なら助けるし真っ先に護る」
私が言いたいことが分かったのか、彼は聞き終える前に、以前言っていた事を追加して聞かせてくれる。
「…本当?」
「本当。不安?何が不安?」
私の顔を覗きながら優しく訊ねてくれる。それに目が熱くなる。
「ううん…ジークがそう言ってくれて嬉しい」
流石に小説の中の話を彼に言えるわけがない。貴方は小説の中の人物なんです。私はその小説の中の人物の中であり、そして別の世界からの転生者です…って。
それに彼は私のことを大切にしてくれてる。そんな彼が、私がルートヴィヒから婚約を破棄されるなんて知ったら…気が狂ったように怒りそうだ。
「何かあるんだろうけど、今は聞かない。だから、不安だったら頼ってくれるといいよ」
”僕を頼るのは嫌か?”と首を傾げながらこちらを伺い訊ねる。私を安心させようとしてくれる表情を見て、握っていた拳をゆっくりと広げる。
「嫌じゃない。むしろ…嬉しいわ」
彼を安心させるために、そして…それ以上は踏み込まれないように…という気持ちを込めて、笑顔を向ける。
ジークフリートはそれ以上何も突っ込んでこない。
出会って七年ほどだが、彼とは言わなくてもわかるぐらいの信頼感はある。お互いが考えていることは、簡単なことなら言葉を交わさずとも理解出来る。
「そりゃあ…良かった」
破顔したジークフリートにつられて、自然と広角が上がった。
ジークフリートが入れば、学園生活は少なからず安心して過ごすことが出来そうだ。
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