第7話「我が翼の下で」
雪はますます深くなり、膝の高さにまで積もっていた。ケンは背後の二人を乗せた荷車を引きながら、遠くに見える町のものと思われる明かりを目指して進んでいた。荷車の前方にある二本の太い引き棒を握り、自分の力でその重みを支えながら、雪の上で車輪を動かそうとしていた。
数分前までは遠くにかすかに見えていた黄色い光が、今では木々のすぐ向こうにまで近づいていた。ケンはその光から一瞬たりとも目を離さなかった。
突然、ストームカッターが足を止め、頭を上げて大きく息を吸い込んだ。ケンは荷車の引き棒を握ったまま、横目で馬の様子をうかがっていた。
馬は突然前脚を高く上げていななき、不安げに体を左右へ揺らし始めた。ケンは眉をひそめた。ストームカッターの様子が明らかにおかしかった。
明かりはこれほど近くにあるというのに、家の屋根一つ見えず、人の声すら聞こえてこない。ケンは荷車の引き棒を少し引き寄せ、周囲を注意深く見渡した。
そのとき、最初の明かりが消えた。
続いて二つ目。
そして、三つ目……。
ほんの数秒のうちに、すべての明かりが消え去った。
森は再び闇に包まれた。
ケンはその場で動きを止め、深く息を吸って吐いた。
(ここは……)
目の前に町など存在しなかった。あるのは木々と雪だけだった。
荷車の後ろから小さな物音が聞こえ、ケンは振り返った。リョウタとエイラはまだ眠っていた。
右を見て、それから左を見た。ストームカッターは耳を後ろに倒し、暗闇の中のぼんやりとした何かを見つめていた。
再び大きく息を吐き、低く鼻を鳴らすと、突然来た道の方へ向きを変え、全速力で駆け出した。蹄の下で雪が舞い上がり、その姿は数秒もしないうちに闇の中へ消えていった。
ケンは何かがおかしいと悟った。
荷車の引き棒から手を離して荷台の上へ登り、剣に手を伸ばした。木々の間を警戒しながら、ストームカッターが走り去った方向にも目を向けていた。
その瞬間、冷たい風が激しく顔に吹きつけた。背後の木々の間から、かすかな音が聞こえた。
ケンは素早く剣を握り、振り返った。
二本の木の間に、細長い影が立っていた。
こちらを見つめている。
ケンに気づかれたとわかっても、その影は微動だにしなかった。
やがて、闇の中から落ち着いた声が響いた。
「面白い」
ケンは答えなかった。眉をひそめ、剣をまっすぐに構えた。
影が再び口を開いた。
「ほかの連中は、明かりが消えた途端に逃げようとするんだがな」
影は木々の間から姿を現し、少し高くなった場所からケンに向かって歩き始めた。数歩進んだところで立ち止まり、わずかに首をかしげた。
「それなのに、お前はなぜ逃げない?」
ケンは目の前の生き物を注意深く観察した。
その身長はおよそ三メートル。人間に似た巨大な胴体の上には、雄羊の頭が乗っていた。頭の両側から伸びた太い角は後方へ大きく湾曲し、広い肩幅がその体をさらに巨大に見せていた。
(こいつ……いったい何なんだ?)
角を持つ巨人は口を大きく広げ、不気味な笑みを浮かべた。
「なるほどな。あの荷車には、お前にとって大切なものがあるらしい」
ケンの視線が一瞬だけ背後の荷車へ向いた。
怪物はそれを見逃さなかった。
慌てる様子もなく、腰に下げていた角笛を取り出して口元へ運んだ。そして、吹き鳴らした。
耳をつんざくような音が森全体に響き渡り、木々の枝から雪が崩れ落ちた。
最初は遠くから、いくつかの重い足音が聞こえてきた。やがて、その音は次第に増えていった。
ケンが右を向くと、木々の間に巨大な影が現れていた。
左を見た。
そこにもいた。
あらゆる方向から近づいてくる。
気づけば、数えきれないほどの角を持つ巨人たちに囲まれていた。
巨人の一人が前へ出て、不満そうに鼻を鳴らした。
「はぁ、族長! いったいいつまで人間狩りを続けるんですか? もう何週間も歯ごたえのある獲物に出会ってませんよ……」
族長は地面に落ちていた太い木片をつかみ、その巨人に投げつけた。
「これは俺たちのためじゃねえ、このクソ馬鹿野郎! 部族のひよっこどもを鍛えるためだ!」
そう言うと、背中に背負っていた斧を取り出した。
「タロク! カルノク!」
その怒鳴り声が森に響き渡ると、二人の若い角持ちがほかの巨人たちの間から姿を現した。二人は大人の部族員たちに比べると、やや小柄だった。
族長は斧を両手で握り、隣にあった木の幹へ勢いよく突き立てた。鋭い刃が太い幹に深く食い込み、ゆっくりと下へ滑り始めた。
まるで真っ赤に熱された鉄が物をじわじわと切り裂いていくように、斧は木の幹を左右に押し分けながら進んでいた。
族長はしばらくその動きを眺めてから、二人の兄弟に向き直った。
「この斧が地面に届くまでに、あの人間の首を持ってこい!」
タロクは一歩前に出て、族長に向き直った。
「今度は前のようにはなりません、族長。必ず失敗を取り返してみせます」
カルノクは弟の横を通り過ぎる際、その肩に乱暴にぶつかった。
「お前みたいな道化に、何ができるっていうんだ」
タロクはうつむき、数秒間動かなかった。そして、自分より先を歩いていく兄の背中を見つめた。
(今度こそ、やってみせる……)
深く息を吸い込み、カルノクの後を追って歩き始めた。その間も斧の刃は、ゆっくりと木の幹を切り裂き続けていた。
ケンには、彼らの会話が一言残らず聞こえていた。歯を食いしばる。
(こいつら……俺たちを獲物だと思っているのか?)
視線が一瞬だけ、荷車に横たわるリョウタへ向いた。動かない弟の体を見ると、剣の柄をさらに強く握りしめた。
(もう二度と、誰にもお前に触れさせない)
カルノクは重い足取りで斜面を下りながら、背中の斧を抜いた。
そのとき、ケンの頭の中に聞き慣れた声が響いた。
『ほう、ここには試し斬りにちょうどいい的がいくつかあるな、人間。まずはどれから始める?』
ケンは近づいてくる巨人から目を離さなかった。
「こいつらは巨大だ。慎重に動かないと。一人だって見失うわけにはいかない」
眼は、その言葉に呆れたようだった。
『慎重にだと? 何を言っている? こんな塵くずどもを相手にか?』
ケンは答えず、剣先をカルノクへ向けた。
「来いよ」
カルノクは手にした斧の刃を自分の角にこすりつけ、研ぎ始めた。続いて蹄を地面に激しく打ちつけた。
足元の雪が押しつぶされる。
顔を上げ、全力で雄叫びを上げた。
そして、走り出した。
巨大な体は一歩ごとに加速し、蹄が雪の中へ深く沈み込むたび、背後に白い雪煙が舞い上がった。
ケンは荷車から飛び降りた。足が雪に沈むと、わずかに膝を曲げて体勢を整えた。
カルノクはすでに数歩先まで迫っていた。斧を両手で握り、高く振り上げている。
ケンは剣を構えた。迫る一撃を受け止めるつもりだった。
しかし、その瞬間、ある異変に気づいた。
カルノクの動きが遅くなっていた。
先ほどまで猛烈な勢いで突進していた巨人の足取りが、急に重くなったように見えた。
ケンは目を細めた。斧の刃はまだ空中にあった。確かに動いている。
だが、その動きはあまりにも遅く、ほとんど止まっているようにさえ見えた。
カルノクの蹄の下から舞い上がった雪の粒までもが、ケンの目にはゆっくりと動いているように映っていた。
(何が起きているんだ?)
眼が嘲るような声で答えた。
『何が起きているかだと? お前の手にした憤怒の力だ、この愚か者め! この程度の連中など、お前の力の前では何の価値もないと、まだわからんのか?』
ケンは目の前の怪物を見つめた。カルノクはまだ斧を振り下ろそうとしていた。
ケンはゆっくりと前へ歩き出した。二人の距離が縮まる。
剣を持ち上げた。
最初の一撃を首に振り下ろした。
続いて体に一歩近づき、両腕を斬った。
そして、両脚を。
その間、カルノクは自分の攻撃を終えることすらできていなかった。
ケンが最後の一歩を踏み出すと、周囲の動きが再び普段どおりの速さに見え始めた。
カルノクの巨大な体はばらばらになり、雪の上へ崩れ落ちた。手から滑り落ちた斧が地面にぶつかり、鈍い金属音が森に響いた。
そして、静寂が訪れた。
ヴァルクホルン族の戦士たちは、その場で凍りついたように動けなくなっていた。
タロクは数歩先に倒れている兄の亡骸を見つめていた。つい先ほどまで自分を馬鹿にしていたあの声は、もう聞こえない。
拳を握りしめた。一歩、前へ踏み出した。
だが、足を止めた。
目の前の人間が何をしたのか、理解することさえできなかった。唇がわずかに開いたものの、言葉は一つも出てこなかった。
ほかの巨人たちの視線は、ケンに集中していた。
いや、正確にはケンの背後に現れた何かを見つめていた。
ケンは肩に奇妙な重みを感じた。背中を何か温かいものが伝っている。
眉をひそめたが、まだ振り返ってはいなかった。
族長の顔から笑みが消えた。手にしていた角笛が雪の上へ落ちた。
「つ……つ……」
目が恐怖に見開かれる。
「つ……翼が……」
ケンは眉をひそめた。
その瞬間、巨人たちが一斉に膝をつき始めた。
族長はカルノクの亡骸のそばへ駆け寄った。そしてケンの前で膝をつき、地面に頭を打ちつけるように深くひれ伏した。
「陛下! どうか、どうかお許しください!」
つい先ほどケンの殺害を命じた巨人が、今では部族全員の前で震えていた。その頬を涙が流れ落ちていく。
ケンには何が起きているのか理解できなかった。
「お前たちは何者だ? なぜ俺を襲った?」
族長は口を開き、何かを言おうとした。だが、言葉が喉に詰まってしまう。
話さなければならない。それなのに、頭の中では黙っていろという声が響いていた。
ようやく、泣きそうな声で答えた。
「わ、我々は……ヴァルクホルン族の者でございます。獲物になるものを求めて狩りに出ておりました。どうか、お許しください……!」
族長は再び頭を下げた。その視線は、血に染まった足元の雪に釘づけになっていた。
(族長になったばかりだというのに……。まだやりたいことが山ほどあった。人生だって、ろくに楽しめていない……)
(ここまでなのか……)
ケンは一歩前に出た。
「質問に答えろ。なぜ俺を襲った? それに、どうして俺を陛下と呼ぶ?」
族長はゆっくりと顔を上げ、震える手をケンの背後へ伸ばした。その指が何かを示していた。
ケンは眉をひそめながら振り返った。そして、目にしたものに大きく目を見開いた。
背中の両側から翼が伸びていた。
その翼から血が滴り落ちている。
ケンは数秒間、自分の翼を呆然と見つめた。
「何だよ、これ……!」
そして、頭の中に潜む存在へ呼びかけた。
「眼! これはどういうことだ? この翼はいったいどこから出てきたんだ?」
眼は見下すような声で答えた。
『まだ理解できんのか、人間? それはお前の権能の証だ』
短い沈黙の後、さらに続けた。
『我らが怒れば、誰かが死ぬ。奴らの悲鳴も、絶望も……すべてが我らの憤怒を養う。怒りを絶やさぬためなら、一つ一つの命など、ほんの小さな代償にすぎん』
ケンは目の前でひざまずいている巨人たちを見つめた。
「どうして俺の前でひざまずいているんだ?」
眼は嘲るように笑った。
『強者の前にひざまずくことの何が悪い? 学校で殴られ、地面に這いつくばっていた日々を、もう忘れたのか、人間?』
ケンの剣を握る指が、一瞬緩んだ。
目の前に、学校の冷たい廊下が浮かんだ。顔にぶつけられた弁当……。床に倒れていた自分を囲む、あの笑い声……。
ケンは奥歯を噛みしめた。そして再び剣の柄を強く握った。
「黙れ」
眼は答えなかった。
ケンは再び巨人たちへ視線を向けた。
「俺はこいつらの王なのか? どうして陛下なんて呼ばれているんだ?」
沈黙。
ケンは剣を雪の中へ突き立て、その柄を両手で握った。森は深い静寂に包まれていた。
目の前にひざまずく巨人たちは、誰一人として顔を上げようとしなかった。
ケンは族長に向き直り、もう一度問いかけた。
「なぜ俺を陛下と呼んだ?」
族長はゆっくりと顔を上げた。その目は再びケンの背後にある翼へ向けられていた。唇が震えている。
「あの翼は……間違いありません。第六の眼の翼……」
族長は苦しそうに唾を飲み込んだ。額から流れ落ちた汗が、顎を伝っていく。
「災厄と混沌の……」
一瞬、目を閉じた。
「第三の眼を開いた者たちの中で、最も強大な存在の……」
言葉が喉の奥で詰まった。
族長は再び地面へ深く頭を下げた。




