第8話「裁き」
他の部族の者たちがひざまずく姿を見ながら、タロクもその場に膝をついていた。目の前にいる存在が持つ途方もない力を、いまだ理解できずにいた。視線は雪の上に横たわる兄の無残な遺体へと向かうが、何度見ても、目に映る光景を受け入れられなかった。
つい数分前まで自分と話していたカルノクは、今では雪の上に倒れ、ぴくりとも動かなかった。
タロクは拳を握りしめた。もう二度と兄の声を聞くことができない。その事実が、胸の奥に耐えがたい重みとなってのしかかっていた。
怒りはあった。だが、それ以上に恐怖が勝っていた。
顔を上げ、ケンを見つめた。
兄を殺した男の前に、部族の者たち全員がひざまずいていた。
そのとき、ケンの頭の中に眼の声が響いた。
「で? 何を待っている? こいつらを始末しないのか?」
ケンは目の前にひざまずく巨人たちを見た。
「もう俺の前にひざまずいている。殺す理由なんてない」
眼は冷たい声で返した。
「では、私がそうしろと命じたら?」
ケンは一瞬、言葉を詰まらせた。
「何が言いたい?」
「自分の力がどこから来たのか、忘れたのか?」
ケンは眉をひそめた。
「黙れ。この身体は俺のものだ。何をするかは俺が決める」
そう言い終えた瞬間、周囲の世界が消えた。
ケンは再び、あの見覚えのある漆黒の空間に立っていた。雪に覆われた森も、目の前にひざまずいていた巨人たちも、どこにも見当たらなかった。
そこにいたのは、眼だけだった。
眼はゆっくりとケンに近づいた。血のように赤い虹彩が、まっすぐケンの瞳へと向けられた。
「では、お前の力は? それもお前のものなのか?」
ケンが答えようとしたそのとき、周囲の闇がさらに深まった。
何も言えないまま、ケンの意識は途絶えた。
同時に、現実世界に残された彼の身体も、その場に崩れ落ちた。
ダルグンは顔を上げた。
つい先ほどまで目の前に立っていた存在が、突然倒れたことを理解できなかった。部族の者たちも驚いて互いの顔を見合わせ、何人かは恐る恐るケンの周囲に集まり始めた。
ダルグンは膝をついたまま、少し前へ進んだ。
「へ……陛下? ご無事ですか?」
沈黙。
ケンから返事はなかった。
ダルグンは両手を膝の脇についた。指が雪の中に沈んでいく。それでも、地面に倒れたケンから目を離すことができなかった。
そのとき、体格の大きな側近の一人が数歩近づき、不安そうに尋ねた。
「族長、大丈夫なのでしょうか?」
ダルグンはゆっくりと顔を向けた。
「黙れ」
冷たく、鋭い声だった。
そして再びケンへと視線を戻した。
いや……そんなはずがない。
両手を固く握りしめた。
あのようなお方が、なぜ意識を失う?
先ほど目の当たりにした光景が脳裏によみがえった。ほんの数秒で切り刻まれたカルノク。ケンの背中から現れた血まみれの翼。そして、恐怖のあまり一斉にひざまずいた部族の者たち。
あれほどの力を持つ存在が、何の理由もなく倒れることなど、本当にあり得るのだろうか。
ダルグンはふと顔を上げた。
もし……これがすべて試練だとしたら?
その考えが頭に浮かんだ瞬間、顔に浮かぶ恐怖はさらに深まった。
陛下は、我々を試しておられるのかもしれない……。
もしそうなら、たった一つの間違った行動が、部族全体の滅亡につながりかねない。
ダルグンは深く息を吸った。心臓は胸を突き破りそうなほど激しく鼓動していた。
周囲からは次第にささやき声が聞こえ始めていたが、耳を貸す余裕などなかった。
ケンから目を離すことさえ恐ろしかった。
集団の少し後ろでは、タロクがまだ膝をついていた。
その視線はケンと、兄の亡骸との間を行き来していた。カルノクが最後に自分へ向けた言葉が、今も耳の奥に残っていた。
兄を殺した男の前で、族長が恐怖に震えながら頭を下げている。その姿を見ることが、次第に耐えられなくなっていた。
タロクはうつむいた。
俺たちはみんな、あいつの前にひざまずいている……。
拳をさらに強く握りしめた。
じゃあ、兄貴はどうなるんだ?
しばらく目を閉じ、怒りを抑えようとした。
しかし、雪の上に横たわるカルノクの姿が目に入るたびに、胸の奥の憎しみは大きくなっていった。
そのころ、カルナグは集団から離れ、荷車のそばへやって来た。少し身をかがめて荷車を調べると、数歩先にいたバルコルに顔を向けた。
そして手で荷車を指し示した。
バルコルはカルナグの顔を見たあと、荷車の後ろを覆う厚い布に目を向けた。
鼻から長く息を吐く。冷たい空気の中に白い息が立ち上った。
カルナグは声を落として言った。
「族長を待つべきだ。これは陛下の荷車だぞ。カルノクを相手に、陛下がどれほどの御力を示されたか、お前もその目で見ただろう。お許しもなく荷車に触れるつもりか?」
バルコルはわずかに顔を横へ向け、ダルグンのいる方を横目で見た。
族長はまだケンの前にひざまずいていた。
バルコルは再び荷車へと向き直った。視線は後ろを覆う厚い布にとどまっていた。
カルナグの警告を聞いてもなお、その向こうに何があるのか気になっていた。
数歩進んで荷車の後ろに回ると、手を伸ばした。
カルナグはその意図に気づき、慌てて飛び出した。
「待て!」
しかし、間に合わなかった。
バルコルはすでに布をめくっていた。
ゆっくりと膝をつき、少し顔を下げて荷車の中をのぞき込んだ。
カルナグは歯の間から声を絞り出した。
「馬鹿なことはやめろ。我々まで殺されるぞ」
バルコルは聞く耳を持たなかった。
太く長い腕を荷車の中にある毛皮の山へと伸ばした。幾重にも重なった動物の毛皮を手前に引き寄せ、少しずつめくっていった。
しばらく中を調べていた。
「これは……何だ?」
さらに身を乗り出した。
「人間の子供がいるぞ」
カルナグも荷車の中を見るために近づいた。
バルコルは子供の一人の顔を覆っていた毛皮をもう少しめくった。その下から、顔の両側に沿って伸びる真っ白な髪が現れた。
その瞬間、手が止まった。
目を大きく見開いた。
「こいつは……ルナール族の……」
数秒間、身動き一つしなかった。
やがて歯を食いしばり、鼻から荒い息を吐き始めた。全身の筋肉が強張っていく。
「我らの宿敵の……」
最後まで言葉を続けることはできなかった。
カルナグもエイラの顔を見た。
その白い髪を目にすると、ゆっくりと目を閉じて息を吸った。
しばらく沈黙が続いた。
「だから何だ……」
バルコルが顔を向けた。
カルナグは再び目を開いた。
「この子供が陛下のものなら、我々にはどうすることもできない」
バルコルは何も答えなかった。
カルナグは荷車の中に手を伸ばし、脇に寄せられていた毛皮を再び子供たちにかけた。そして身体を起こし、わずかに頭を下げた。
「我々が決めることではない。皆のところへ戻ろう」
バルコルは最後にもう一度、荷車の中を見た。
白髪の少女の顔は、再び毛皮の下に隠れていた。
歯を食いしばったが、何も言わなかった。
後ろの布を閉じると、立ち上がった。
そしてカルナグとともに、他の部族の者たちが集まる場所へ歩き始めた。
一方、ダルグンはまだケンの前にひざまずいていた。
周囲のささやき声は次第に大きくなっていた。しばらく地面に横たわるケンを見つめたあと、顔を上げた。
「静かにしろ!」
集団の声が徐々に収まっていった。
ダルグンは立ち上がり、背後に集まった部族の者たちに向き直った。
「お前たちも見ただろう。カルノクを相手に陛下が示された、あの絶大な御力を。背中に現れた翼も……」
深く息を吸った。
「あのようなお方が、何の理由もなく意識を失うことなどあり得ると思うか?」
部族の者たちは誰一人として答えなかった。
ダルグンは再びケンへと目を向けた。
「いや……陛下は我々を試しておられるに違いない」
集団の中に小さなどよめきが広がった。
ダルグンは声を強めた。
「これは試練だ。我々の忠誠を確かめておられる。決して愚かな真似をするな!」
集団の少し後ろでひざまずいていたタロクにも、族長の言葉は聞こえていた。
しかし、その目は兄の亡骸に向けられたままだった。
カルノクの無残な身体が、雪の上に横たわっていた。
タロクの手が震え始めた。
顔を上げ、ダルグンを見た。
族長は、兄を殺した男が自分たちの忠誠を試しているのだと話していた。
タロクはゆっくりと立ち上がった。
ダルグンはその動きに気づいた。
「タロク?」
返事はなかった。
タロクは数歩進み、カルノクの遺体へ近づいた。兄の切り離された頭は、胴体から数歩離れた雪の上に転がっていた。
その前に膝をつき、兄の顔を見つめた。
しばらく、そのまま動かなかった。
やがて頭を垂れた。
もう二度と、俺に声をかけてくれないんだな……。
ゆっくりと立ち上がった。
腰に下げた斧の柄を握った。
ダルグンの表情が変わった。
「タロク! 何をするつもりだ?」
タロクは顔を上げた。
「兄貴が……」
声が震えていた。
「兄貴が死んだんだ」
ダルグンは一歩前へ出た。
「斧を置け」
タロクは地面に倒れたケンを見た。
「あいつは俺の目の前で兄貴を殺した」
「タロク、命令だ。その武器を捨てろ!」
タロクの目には涙が浮かんでいた。斧の柄を握る指は、力を込めすぎて震えていた。
「それなのに、あんたは……」
族長へと顔を向けた。
「あいつの前にひざまずいた!」
集団の中から数人の戦士が前に出ようとしたが、ダルグンが片手を上げて制した。
「自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「あいつが兄貴を殺したんだ!」
タロクの声が森中に響き渡った。
「なのに俺たちは、何もしなかった!」
ダルグンの視線が一瞬、ケンへと向けられた。
陛下は、すべてお聞きになっているはずだ……。
心臓が激しく脈打った。
我々を試しておられる。この愚か者が襲いかかれば、我々は皆殺しにされる。
「タロク、最後の警告だ。斧を置いてひざまずけ!」
タロクは族長を見た。
そして、ゆっくりと顔を背けた。
ケンはまだ地面に横たわっていた。
まったく動かなかった。
タロクは数秒間、その姿を見つめた。
今、何もしなければ……。
カルノクの亡骸を最後にもう一度見た。
もう二度と、機会は訪れない。
斧を両手で握りしめた。
「タロク!」
ダルグンの叫びと同時に、タロクは駆け出した。
雪を蹴りながら一直線にケンへと向かい、斧を頭上に振り上げた。
ダルグンも同時に動いた。
タロクが斧を振り下ろす寸前、二人の間に割って入った。巨大な手で斧の柄をつかみ、力任せに横へねじ曲げた。
タロクは体勢を崩した。
しかし、退こうとはしなかった。
「そこをどけ!」
斧を取り戻そうと必死にもがいた。
ダルグンの目には、恐怖と怒りが入り交じっていた。
「お前に我々を殺させるわけにはいかん!」
次の瞬間、タロクの手から斧を一気に奪い取った。
タロクが再び飛びかかろうとしたそのとき、ダルグンは斧を振るった。
鋭い刃がタロクの胸に食い込んだ。
タロクの動きが、突然止まった。
目が大きく見開かれた。
数秒間、目の前に立つ族長を見つめていた。
やがて膝から力が抜けた。
その身体はゆっくりと雪の上に崩れ落ちた。
ダルグンは斧から手を離した。
森に深い静寂が訪れた。
部族の者たちは誰一人、言葉を発しなかった。数人の戦士は思わず後ずさりし、残りの者たちはその場に立ち尽くしていた。
ダルグンは足元に横たわるタロクを見下ろした。
たった今、自らの手で同族の者を殺したのだ。
わずかに顔を向けると、カルノクの亡骸が目に入った。
二人の兄弟は、もうどちらも生きていなかった。
ダルグンはしばらく、その場に立ち尽くした。
やがて、その視線は再びケンへと向けられた。
陛下……。
呼吸が荒くなっていく。
ご覧になりましたか?
ゆっくりとケンに近づいた。
数歩進んだところで膝をついた。
深く頭を下げた。
「陛下……」
声が震えていた。
「陛下に逆らうことは許しませんでした」
しばらく返事を待った。
沈黙。
「どうか……我が部族をお許しください」
さらに深く頭を下げた。
背後にいた戦士たちも、一人、また一人とひざまずいた。
誰もタロクの身体に近づこうとはしなかった。
ダルグンは、ケンが下す裁きを待っていた。
しかし、ケンから返事が返ってくることはなかった。
雪の上に流れた真新しい血は、怒りではなく、恐怖が下した裁きの刻印だった。




