5.赤い蝶
森が開ける前、赤い色の蝶がヒラヒラと飛んでいました。森の中では珍しいほど一際輝く美しい紅。彼岸花のようなその色は、見る者が見れば見惚れてしまうような美しい姿でしたが、それは空の赤さに溶け込んで馴染んでいましたし、3人は薄暗い森の影に怯えていたため、ほとんど気がつきませんでした。
森が開けた場所に、やはりあの家は建っていました。
「あれ?誰か……門のとこに立っていやがる」
「護衛か?」
「いや……あの女だ!」
家の入り口に1つの人影がありました。あの美しい女でした。女は以前とは違い、それはそれは美しくて柔らかい笑顔を浮かべていました。
村の女たちを野に咲く花と例えるなら、彼女は大きな祠の中央に据えられた鏡の両脇を彩る、朝露たっぷりの気品ある百合の花でしょうか。
3人の男達はゴクリと唾を飲み込みました。改めて女をマジマジと見れば、高級そうな布で大部分を覆われてるにも関わらず、何故かハッキリと窺えるその豊満な身体つきがより魅力的に思えてしまいます。
女は、ようやく逢えた恋人を見るかのような顔つきで言いました。
「もし、そこのあなた方……。もうすぐ夜になってしまいます。夜になれば森の中は暗く、危険もあるでしょう。一晩だけ、こちらにお泊まりになられてはいかがですか?」
3人は顔を見合わせて頷きました。
(やはりこの女はお人好しすぎる。お貴族様の娘に違いない)
男達はそれぞれそう思いました。
(願ってもねえこった。屋敷の中にまで呼んでくれるとは、これからのことは決まったようなもんよ)
マトとユラでは一晩で決着をつけることもできないでしょう。
リキは、少し胸を張り、当然のような顔をして言いました。
「では一晩だけお願いしよう。湯の用意もお願いできるか?」
「勿論でございます。さあ、こちらへ」
女は神妙に頷き、リキに向かってより一層美しい笑顔を浮かべて答えました。
(この女、ちゃんと分かってやがる。そうだ、3人の中で隊長はオレだぞ)
リキはそう思いました。
屋敷の中は想像よりずっと豪華でした。見るもの全て、それどころか床の板1枚でさえ、村に持ち帰って行商人と交換すれば1月分の食料にはなるでしょう。
3人は初めに、大きなテーブルと椅子がある部屋へと案内されました。テーブルの上には豪華で美味しそうなご馳走が大量に並んでおり、しかもまさに今作られたように湯気を立てていい匂いをさせています。
(そういえば腹が減ってたんだ)
男達はそこでようやく、空腹だったことを思い出しました。
グラスには飲んだこともないような不思議な液体が満たされていました。透明ですが、光に翳すとキラキラと輝いており、ほとんど見たこともない宝石のようです。
「まずはこちらでごゆるりとお過ごしくださいませ」
「食べていいんだな?」
「はい。こちらはお客様のためだけに特別にご用意させていただいたものにございます」
3人はどっしりと席に座ると我先にと食事を始めました。食事がいつ作られたのか、ここに運んできた者は誰なのか、どこにこのような食料があったのか、女が他の者たちとどう連絡を取っているのか、男達は何故か、何の疑問も浮かばず、目の前の料理に夢中になったのです。
「何だこの酒。こんな美味え酒があるのか」
「お貴族様ってのはすげえな。いつもこんなものを食ってやがるのか」
「どの皿の飯も美味いっすね……」
グラスの液体が何かは全く分かりませんでした。が、この世のものとは思えないほど美味な酒なのは間違いありません。
男達はもう、護衛の話などはとんと忘れてしまっていました。
(湯の用意が出来たら、人前じゃ拭えねえと言って別の部屋に移りゃいいな。そこで湯を持ってついてきた女を……)
リキの頭の中はそのことでいっぱいになっていました。
「この皿もうめえ!おまえも食ってみろ!」
「これもだ!このピリッと辛いのが堪んねえな。やはりここはお貴族様の屋敷か?」
「間違いないっすよね……すげえご馳走だ。村の祭りでもこんな出ないっす」
「お貴族様はすげえな」
「一度顔だけでも合わせてお近づきになりたいもんだが」
女はいつの間にか消えていましたが、男達は全く気付きません。それに、どこからか、妙に気分の高まる甘ったるいような香りが漂ってきていましたが、それらは料理の香りに混ざって僅かに感じ取れるほどだったせいか、その香りにも誰1人として気がつきませんでした。
思い思いに話しながら食事が進み、3人とも心ゆくまで胃袋が満足した頃、
「もし……」
と女の声がしました。女はいつの間にか着替えていました。先ほどの服より更に女の魅力が惹き立つような服を着ています。今まで見えていなかった鎖骨や太ももが時々チラリと見えるその服は、まるで天女の羽衣のようでもありました。
女の白い肌が際どいところまで見えそうで見えない、上品なのに誘惑してくるかのような不思議な服。男達は皆、夢の中にいるかのようにぼんやりとし、それなのに何故かやたら気分は高揚して頬を上気させました。
それは、先ほど飲んだ美味な酒のせいだったのかもしれません。
「お1人ずつ部屋を用意させていただきましたので、1人ずつご案内いたしますね」
「……あ。ああ。よろしく頼む」
一瞬の沈黙の後、リキがようやく返事をしました。
女はにっこりと微笑むと、滑らかにリキのそばまで近寄り、優しく手を差し出しました。
「では、あなた様から……。こちらへ……」
リキの自尊心は、そこでかなり満たされました。
(こりゃもう決まりだな。マトもユラも悪ぃな。ま、大概の女は1番偉くて力のある男が好きだからな)
気分はいいはずなのに、リキは何故か背筋が寒くなりましたが、これは武者震いでしょう。こんなことで不安に駆られていては男としての矜持もあったものではありません。
リキが扉を出てしばらくすると、女はすぐに部屋へ戻ってきました。
(リキが強引に引き止めるかと思ったが、流石にお貴族様相手には弁えてたか。良かった……)
ユラは安心しました。
「では、次の方、こちらへ……」
女が部屋に戻ってきた時、先ほどとは少し違う服を着ていたような気がしましたが、ユラは気のせいだと思うことにしました。マトを見ても、赤らんだ顔で女をぼーっと見ているだけで、何も気付いていそうにありません。
(まずは……まずは女の話を優しく聞いてやって、どうしてこの屋敷にいるのかを聞いて……それから……そのまま抱き寄せて……)
実際、マトの思考は、もう纏まってはいませんでした。
次にマトが案内されると、残るのはユラばかりになりました。
マトが扉を出てしばらくすると、やはり女はすぐに部屋へ戻ってきました。
(あれ?やはりさっきとは服の模様が違う気がするが……)
やはり服が変わっているような気がします。服の色自体がほとんど同じであったため、微妙な模様の違いでしたが、ユラはもうぼんやりとしていたため、上手く違いを指摘することができませんでした。
「では、あなた様も……。こちらへどうぞ……」
それに、美しい女に手を取られた瞬間、何もかもどうでも良くなったのです。
(ああ、ようやくこれで……俺も……)
ユラはぼんやりとした頭で、そう思っていました。
途中、廊下の壁や、案内された部屋の扉でさえも、美しく細やかな模様が描かれていましたが、ユラはもう感動すらしませんでした。それよりも、少し先を歩く女の水を弾くような皮膚の張りや、うなじ、背中からお尻にかけての曲線美、女の手の感触で頭がいっぱいでした。
(肌を重ねるなら、オレが色々と教えてやらねえと……)
経験もあまりないのに、ユラはそう思いました。
部屋の扉の前に立つと、女はそっとユラの腕に身体を近づけました。女の柔い手の感触や豊満な身体が僅かに触れる感覚、更にその身体から立ち昇る香しい匂いに、ユラはくらくらとしたのです。
「こちらになります。後ほど、寝る前のお水をお持ちしてもよろしいですか?」
「あ、うん。あの……ありがとう」
(やっぱこの女、オレのことが……)
ユラはもう、そうとしか考えられませんでした。
「いえ、お気になさらず」
女は一層優美に、儚げに、微笑みました。
ユラ部屋に入ると、そこは村のどの家より煌びやかで、なのに何故か落ち着きを感じる不思議な装飾がなされていました。ベッドには天蓋が着いており、寝心地の良さそうな枕と布がかかっています。
ユラがベッドに腰掛けると、明るかった部屋がふっと薄暗くなりました。いつもなら警戒したかもしれません。でも、ユラはもう満腹でしたし、酒もたらふく飲んでいます。それに、部屋の匂いもなんだか甘ったるくて夢心地でした。
クスクスクスクス……
ユラのすぐ側から、忍ぶような笑い声が聞こえました。
「ねえ、一緒に楽しいことをしましょうよ」
「そうよねえ、折角ここまで来たのだもの。楽しくて気持ち良くなった方がいいわ」
いつの間にか女が2人、ユラの両隣に座っていました。布が透けるように薄くて面積がそれほどもない服を身につけています。でも、何故か布が高級なものだと、ユラは分かりました。どうしてでしょう。それは分かりません。
両隣の女たちがユラにそっと触れましたが、ユラは何故か、当然のようにそれを受け入れていました。それに、その女達も、あの女よりは少しばかり劣る気がしましたが、それはそれは美しかったのです。
それどころか右の女はあどけない笑顔で、よりユラの好みに近い顔でしたし、左の女は年齢が分からないほどにミステリアスな妖艶さで、それはそれでユラの欲を掻き立て、良かったのでした。
甘い香りと共に女達の顔が更に近付いてきた……ような気がしましたが、香りのせいかユラの意識は更に薄ぼんやりとし、そこからもう記憶はありません。




