2.消えた光
2ヶ月もすると、袋の中身は全てなくなってしまいました。
童は袋の中身を食べ切って何日かした後、やはりひもじくなり、またあの家のことを思い出しました。
家の中に食べ物はもう殆どありません。
その日の夕食は山菜の入った薄味のスープでした。
「今日は葉が多いな」
「今日は山菜が結構採れたの」
「そうか。まだ奥の方にはいくつかありそうか?」
「あまり奥へ進むなってタモ爺が」
「チッ、あの口だけじじいが」
森の浅い部分にある山菜も、もう採られすぎて尽きかけていました。
「今年は水稲も厳しいかもしれん」
「そんな……」
「村長がこの領地の偉い偉いお貴族様とやらに嘆願書を送ったらしい。そんなの意味ねーくせに」
「でも、もしかしたら……」
「今まで一度だって助けて貰えたことなんてないんだ。何かあるわけねえよ」
父と母は暗い表情をしていました。
(あの家なら……。そうだ。今夜また行こう)
童はそう決意しました。
両親が寝静まったと思った彼は、家を出ました。
森の中は鬱蒼として時々虫の声や梟の声が聞こえます。風で葉が擦れる音がまるで村の中で聞こえる女たちの騒めきのようだったので、童は奥歯を噛み締めました。
遠くから狼の遠吠えが聞こえ、童の鼓動と足は早くなりました。
2回目だからなのか、その家へは容易に辿り着くことが出来ました。やはり城のようなその家は、森の中の開けた場所で圧倒的な存在感を誇っています。塀はまるで一枚板のように継ぎ目がないのに表面が滑らかで、それなのに硬い石質でしたから、やはりその日も星明かりを反射してキラキラと輝いていました。
(やっぱり、あった……。夢じゃなかったんだ)
森の中の開けた場所に出る前に、再び、光る蝶が舞っていた気がしたのですが、童はもう気にも止めませんでした。蝶が以前より薄い光しか纏っておらず、まるで消えかけの星のようで、月明かりの中では目立たなかったせいかもしれません。
(この門、なんかちょっと怖いんだよな……)
門はやはり荘厳さを醸し出しており、蝶に気を取られていたわけでもない童は入るのに少し勇気を必要としました。もし門が閉じていたら、童は踵を返して村へ戻っていたかもしれません。
(それでも、あの芋さえあれば生きられるんだ)
覚悟を決めた童はその門をくぐりました。
(今日は……誰もいないのか?)
屋敷にも、庭にも、人影はありません。
童が倉に辿り着いて中を覗くと、やはり倉の中には大量の穀物袋が山のように積み重なっています。
(やっぱりあった!これでしばらくは飢えずに済む!)
童は袋を手にしました。
その時、以前よりやや弱々しくはあったものの、後ろが光り輝き、
「もし……」
という懐かしい声がしたのです。あの美しい女でした。
(あ!あの女だ!綺麗なだけの)
「もし、そこのあなた……。どうかその袋を置いていってはくださいませんか?その袋を1つ取ると」
そこまで女が言った時、童は叫びました。
「何でも持っているおまえに俺の気持ちが分かるか!このクソったれ!」
童の叫び声を聞いた女は顔を少し青白くし、悲しそうな顔をして消えました。消える前、光の粒がまるで涙を流すかのように下へスッと落ち、光は地面に吸い込まれるようにして消えました。
(また消えた……?なんだあいつ?気持ち悪い!)
童は袋を手に取ると闇夜の中を逃げるようにして走り帰ったのでした。
(あんなやつ!声と姿だけの気持ち悪いやつ!食べ物を持ってるだけで何もしちゃくれない!ああいうやつらが悪いんだ!何もかも持っているくせに自分だけたらふく食って、飢えるオレらに何もしちゃくれない!助けてくれたらムツはまだ生きられたかもしれないのに!)
村に帰ると、童はいつもの場所に袋を隠して眠りにつきました。
なのに翌朝、童は村の男達に叩き起こされたのです。
「おい!この袋はなんだ?どこから盗った!」
(どこでバレた!?なんでオレだって分かったんだよ!)
見ると母も父も疲れた顔をしています。
「おまえが昨日の夜何処かに行ったのは分かってる。森の中にキノコでも取りに行ったのかと思ったが、物盗りとはな……」
「私たち、本当にあなたを心配していたのよ。それなのに、あなた、何も言わずに盗ってきた食べ物を隠して……」
「どこから盗ってきた?隣村か?この村の中じゃねえよな?」
(父さんも母さんもオレが悪いって言うのか!)
「違う!この村じゃない!森の中の家で貰ったんだ!」
童は両親の追及に、思わず嘘をつきました。
(大体、あの家の女も、オレを捕まえたりもせずに持って帰るとこを見てたんだから、くれたようなものだろ!)
それに、周りを囲んで童を睨みつけてくる大人の手には鍬や鎌まで見えましたから。
童は必死でした。
「バカも休み休み言え!森の中に家なんてあるわけないだろ」
「あったんだ!城みたいなでかいやつ!」
「そんなのがあったら狩人たちか村長が知ってるだろ!森の中は何年も何もないってよ」
「本当だ!バカみたいにでかい家と倉があったんだ!」
「はっ、狼も出る森の中でか?」
「塀みたいなのもあったけど門は開いてた!」
「そんなお貴族様の家なら、大勢の人が住んでるだろうさ。あいつら飯だって自分じゃ炊きゃしないんだ」
「人なんて全然いなかった!女が1人だけだ!」
「女が1人なんて、ますますおかしいじゃねえか。おまえはそのばあさんを殺して奪ったってか?」
「ばあさんなんかじゃねえ!オレより少し上ぐらいの、見たこともないぐらいやたら白くて綺麗な女だった!」
「綺麗な女か。そりゃほんとにお貴族様の屋敷かもしれねーな」
「きっとそうだ!いい香りもしたし!」
「でも、そんな女がいるなら誰かしら男がいるだろ。男の護衛は居なかったのか?」
「いなかった!女だけだ!男どころか他に誰1人いなかった!」
「門の前にもか?番犬は?」
「番犬なんていなかった!だけど……」
「だけどなんだ?」
「家に行く途中、光る蝶がいた」
「夢でも見たか?おいおい、その家ってのすら幻覚じゃねえよなあ?幻覚茸にでもやられたか?」
「キノコなんて食べてない!それに!それに、女はオレが叫んだら幻みたいに消えたんだ」
「そりゃますます珍妙な話じゃないか。おまえ森の中が怖すぎて変な夢でも見たんだろ」
童は殺されないよう洗いざらい全て話しました。
「それに!こんな袋、村の中にないだろ!」
童は袋を指して言いました。
「そりゃ言えてる」
「まあ……こんな袋がある家はねぇなあ」
「これが!山のように積み上がってた!天井まで!」
「こんな上等の袋が、山のようにねえ」
「本当だ!この村にあるよりもっとあった!」
「これ何で出来てるんだ?光沢があるぞ。絹か?芋の袋にしちゃあ上等すぎるな」
「ははっ、芋を絹で包むなんざ、その家では人間様はよほど大層な布に包まれてるに違いねえ」
最初は信じていなかった大人たちでしたが、袋は確かに目の前にありましたから、童の言うことは本当だろうと結論づけました。
「村の中じゃねえことは分かった。どうするかはオレらで決める。今日んとこは家で大人しくしとけ。次はねえぞ」
童の両親は頭を下げた。
「迷惑かけて申し訳ねえ」
「うちの子が本当にすみません……」
「あー、まあいいってことよ。ガキが腹空かせてるのを見かねたお貴族様かもしれねえしな」
そして、村で会議が行われたのです。
村長を含め、村の有力者たちだけで行われたその会議で、男たちは話し合いました。
「こんないい袋がある家なら、もっと高い物が沢山あるだろうな」
「この芋だってなかなかの出来だ。こんな立派な芋を作ってんのはどこの村なんだか」
「見たこともないほど綺麗な女が1人で住んでるってよ。男なんて見えなかったとか。本当かは微妙なとこだが」
「袋があるからなあ……。嘘八百ってわけでもあるめえ」
「そんなに金が唸ってて施しまでくれるような家なら、乞食の格好でもすりゃ、芋ぐらい半分はくれるんじゃねえのか?相手が貴族ならどうせ元は俺らの税だ。この飢饉の間ぐらい助けるのが当然だろ」
「お貴族様は毎日こんな芋なんかよりはよほど良いもんを食ってるだろうしな」
「金はあっても女1人で寂しかったのかもしれん。本当は子が欲しいけど産めない石女とかな」
「美人で1人なんて、そんぐらいしか考えられねえよなあ。あとは勘当された娘か?」
「そんならでかい家に1人住まわせる意味もねえ。それかさっさと嫁に出すだろ」
「石女か……。女には村1番の狩人と縁組みしてやればちょうどいいんじゃないか?」
「リキか?あいつは最近嫁を貰ったばかりだろ」
「お貴族様の家には何人もの妾がいるのが普通って言うじゃねえか。だから女もそれに慣れっこなはずだ。リキがその女を本妻にさえしたら、案外何も言わないかもしれねえよ。子は今の嫁が産みゃなんとかなるって寸法よ。お互いに悪い話じゃねえはずだ」
「そんな綺麗な女なら、オレが貰ってやるよ」
「おまえは女2人も抱えられるほど甲斐性がねえだろうが」
「この飢饉じゃどの家だってそうだろ。おまえも言えたことか」
「だからオレは貰わねえのさ」
「今年の夏祭りの時おまえが広場の木陰で何してたかここらじゃみんな知ってるぜ」
「おいっ!こんな時に勘弁してくれよ。ありゃ若気の至りってやつよ」
「若気の至りって、今年じゃねえか」
「んな話どうでも良いだろ。村長さえ良ければ、村長の女にしてもいいんじゃねーか?」
「そうだな、村長はこの村じゃお貴族様みたいなもんだし」
「そりゃ村の衆がそれで構わねえならそれでもいいさ。オレぁ生い先短いし、その女を村の他のもんが気にいりゃオレが死んだ後で誰かが妾にしてやりゃいい」
(まずは見てみないことにはな。見てみて、すげえ美人なら……)何人かの男たちは知恵を巡らせました。
「まあ一旦、実際にその家を見てみなきゃ話にならんな」
「誰を行かせる?」
「どうせそろそろ狩人たちには森の奥に行ってもらわなきゃいけなかったんだ。腕っ節を考えるとリキと……それからリキと仲良いマトなんてどうだ?」
「2人じゃちょいと不安だな。リキが嘘ついたってマトは何も言わねえからな。いつもマトはリキにへこへこしてやがる。2人にタモ爺をついて行かせるのはどうだ?」
「タモ爺は今年はもう森の奥まで進まないってよ。なんか雰囲気が良くねえとか木の状態が良くねえとかぶつぶつ言ってた」
「タモ爺は説教くせえわりにこういう飢饉では役に立たねえな」
「若いユラはどうだ?あいつぁ若い衆の中じゃちょいと見所ありそうだ」
「ユラか、ま、悪かねえな。リキ、マト、ユラで行かせるか」
「よし、じゃあ決まりだな。明日の朝あいつらに通達しろ」
「出発は明後日でいいか?」
「そうしよう」
童が話した光る蝶や、幻のように消える女のことについては、男たちはすっかり忘れていました。否、そんなことはただの夢や作り話だと思っていましたから、思い出しもしなかったというのが、本当のところでしょうか。
彼らはすっかり、賢い自分たちの知恵で、おそらく貴族であろう美しい女に食べ物を恵んでもらえるものだと決めつけているところがありましたから。




