その男、宴に招かれる
五年病の実験は各地で行われている。
セキソウはその仮説を立て、隘国や礁国だけでなく合従策のために各国へ派遣した者たちにも協力を要請して、五年病と思わしき罹患者がいないか探すよう指示を出した。
そこから半月ほどが経ち、近隣の村に足を延ばしていたアヅキたちが久しぶりに礁国のお膝元である広津の町に帰ってくると、屋敷に戻るなりオカが走ってきた。
「遅いぞ」
「十分急ぎましたよ」
セキソウが微笑しながら答えると、オカはわざとらしく顔を歪めて「ほんとかあ?」と顎を突き出す。それからすぐに表情を戻して言葉を続けた。
「ヨシナオさまが合議に参加されるようになったことを祝い、重臣たちを集めてささやかな宴席を行うことになった。そこでセキソウにはその宴席に参加してもらいたい」
何事もなければいいが、というのは希望的観測だろう。アヅキがよからぬ不安を覚えていると、ふと、オカがその長身から見下ろしてきた。
「アヅキ殿にも話が来ている。急な話にはなるが楽師として一曲奏でてほしいそうだ。報酬はここに用意してある」
金の小判が五枚、アヅキの目の前に広がった。
大金だ。礁国で広く流通しているそれは、大人が半年は暮らせるほどの金額になる。一度の演奏で貰うには多すぎる額だ。
何か裏があるに決まっている。アヅキがそう訝しむのも束の間、横からセキソウが手を伸ばしてきた。
「受ければいいではないですか」
「あげませんよ!?」
アヅキは急いでセキソウより先に小判を握りしめる。これだけあれば家族も随分暮らしが楽にになる。判断が正しいかは不明だが、断るのもそれで角が立つだろう。
オカから簡単な説明を聞き、アヅキはセキソウたちと別れて笛の音に合わせて踊る芸者たちに会うべく、城の近くの寺に向かった。
境内が人で埋まっている。
百人近くはいるだろう。全員が楽師や舞踊家だ。それぞれが音を鳴らしたり軽く踊ったりして予行練習をしていた。音色や舞が入り乱れ、それでも神術は発動しない。いや、発動させずに純粋な音楽とする実力を、境内に集まった全員が持ち得ている。
つまりここにいる人間は、全員が礁国が認める正式な楽師や舞踊家ということだ。
どれだけの大金が動いてるのだろう。ささやかな宴席の肴にしては、あまりにもこってりしすぎている。
さすがは礁国、交易で栄える経済大国だ。そう考えるのは楽観的か。
「こちらが今回の宴席で踊ってくださる方です」
案内の人にそう紹介され、アヅキは我に返った。
ここまで来て怯えている暇はない。隘国を出て以来、アヅキはまともに笛の練習ができていなかった。そうそう腕は落ちていないはずだが、隘国の楽師として恥じない演奏をしなくてはならない。
練習期間は一日だった。
それでもアヅキはなんとか調子を取り戻し、翌日の宴で一番手として宴席に行くよう指示される。何度か邪魔をしている櫓近くの屋敷に入り、大広間の隣にある部屋で待たされる。
膳を下げる近習たちが目の前の廊下をずらずら横切っていく。入れ替わりに新たな膳を持った近習たちが大広間に向かっていき、配膳を終えた近習が戻ってくるとアヅキたちの出番だった。
カシワ家の重臣たちの視線がアヅキたちに注がれる。
左右におよそ二十人ずつが並んで座り、一番手前の右側にセキソウがいた。ノブミは別室で待機しているのだろう。最奥の上座は空席で、その手前にヨシナオと壮年の男が並んでいる。
どこか見覚えがある男だった。
思い出す。岳国で会っている。右手が不能な家老だ。
あの男が、マキムラ・ツネトモ。カシワ家の筆頭家老にして併呑派の中心人物。綺麗に髭を剃った小柄の男で、とても武士には見えない優男だ。
どこかセキソウに似ているな、とアヅキは思った。
しかし、悠長に考えられるのはそこで終わりだ。これからを思うと手汗が滲んでくるのに迂闊に拭えず、正しい所作と正しい手順を踏んで挨拶して、何度行っても慣れない緊張と不安をひきずりながら演奏に入る。
ここで披露するのはただの芸事だ。でも、それが何よりも難しい。
音楽や舞は本来、神への捧げものだ。素晴らしいものであればあるほど自然と神術が発動する。それなのに重臣たちの手前、神術は発動させるな。しかし良い演奏や舞を見せろと求められる。
無理難題だ。しかも、こういった場に神術を阻害する截石は置かれない。
それが武士の矜持だそうだ。
重要な場であればあるほど截石を用いるのは無作法だと、事実上刀や槍を向けられている状況で悠然として酒を飲んでこそ武士の誉れだと、彼らは口を揃えてそう言った。
宴席は、武士の度量と楽師の技量の鍔迫り合いだ。
血を流さないことを目的とした最大の度胸試し。もしも神術が発動すれば、楽師や舞踊家は最悪殺され、生き残っても免状を取り上げられて二度と表舞台に立つことはない。
だが、それを成しえるのが認可を得た楽師というものだ。
アヅキが笛を奏でると、舞踊家たちが動き出す。
隘国と礁国の芸事の根底を流れる文化や思想は同じだ。雨乞いの儀式を源流とする古典芸能に調整を加え、緩やかな曲調に合わせて舞踊家たちが大きくもゆったりと舞い踊る。
神術は発動しない。するわけがない。
吹いているとアヅキの頭から雑念が消えていく。不安で固くなっていた指は意思を離れてひとりでに動いていき、息を吹き込む口の感覚も遠くなる。
セキソウが、最初に名を呼ばれて盃を賜ることになった。
御酌役の近習がヨシナオとマキムラの前にそれぞれ盃を置き、セキソウはヨシナオから酒を注いでもらい、ついでマキムラからも酒を注がれる。それが終わると席順通りに左の最奥にいる重臣の名前が呼ばれた。
最初にマキムラから、次にヨシナオから盃を賜る。
順番が変わっていた。
次の人もその次の人もマキムラ、ヨシナオの順番だった。この手の儀式で順番というのは絶対的なものだ。どちらが先でもいいなどということはあり得ない。
派閥分けか。
それに気付いた瞬間、動揺でアヅキの指運びが乱れそうになった。やられたという思いが息に出る。僅かな曲調に変化が出る。
それを、舞踊家たちが上手く補ってくれた。神術も発動していない。アヅキは内心でほっと息を吐き、乱れもすぐに収まった。
ヨシナオを祝う宴席は見せかけだったのだ。
この宴席は重臣たちが併呑派と同盟派、どちらに属すかの所信表明だ。そして同時に、マキムラを筆頭とした併呑派が、同盟派に属している者とこれから属そうとする者に圧力を掛けてようとしている。
完全に先手を打たれた。
それでも、今のアヅキにできることはない。無心で演奏を続けて役目を終え、アヅキは静かにオカの屋敷に帰った。
「やられましたね。重臣たちは皆、併呑派を表明しましたよ」
遅れて戻ってきたセキソウが、開口一番あっけらかんとそう言った。
「そんな悠長な」
ある意味安心はする。セキソウが動じていないのならどうにかなるのだろう。
「まあ遅かれ早かれでしたからね。それより帰り際にちょっと頼まれごとをされまして、私たちはこの町から動けなくなりました」
「ヨシナオさまはなんと?」
「いえ、マキムラ殿からですよ」
えっ、と声が出た。この状況でよりによって併呑派の中核であるマキムラが、同盟派のセキソウにどのような用があるというのか。
「何やら豪商の身内が結構な触法行為をしたそうなのですが、どうにかして見逃してほしいと嘆願があったそうです。されど断れば豪商の支持を失い、聞き入れれば国主さまが定めた法の厳格さを曲げることになる。そこでどうにか穏便にことを済ませて欲しいと」
マキムラの狙いが分からない。外国の、それも敵対する同盟派に属するセキソウになぜそのようなことをわざわざ頼む。
「罠ではないんですか?」
「無理難題を押し付けて、失敗したのをいいことに体よく私たちを追い出すつもりなのかもしれませんねえ。仔細を聞いたのは後程とはいえ、宴席で直々に頼まれては断れません」
警戒心しかない。
しかしなんにせよ、これで本格的に併呑派に睨まれたということだ。




