その男、疑われる
下手に小細工をするとボロが出るとして、物取りの犯行に見せかける程度に済ませてアヅキたちは百田屋から撤退した。
翌朝にはそのまま残されたオコマの死体が発見されて大騒ぎになり、息を切らせたオカがオイトの元に来るよう伝えてきた。
「ヨシナオの母――オコマが殺されました」
そう言ったオイトの表情や声色から胸中は読み取れない。オコマとは確執があったはずが、今はどう思っているのか。なんにせよ、真実はオイトにも知られてはいけない。
ちらと見たセキソウは普段の様子に戻っていた。いや、彼方を望んでいるような瞳はさらに深い色を宿し、堂々たる居ずまいには風格すら感じる。悲しそうに瞼を伏せる所作も自然だ。
「そのようですね。街ではその噂で持ちきりです。一度お見かけした程度ですが素晴らしいお方でした。まことに残念でなりません」
「……ええ。それより……オコマの死をお知りになった殿が調査をお命じになりました」
かすかに、オイトの表情が曇った。アヅキにはそのように見えた。
「ということは、国主さまが政務に復帰されたのですか?」
「いえ、良くも悪くも元の通りです」
これでまた一つ、セキソウの目論見は潰えた。とはいえ、アヅキですらそこまで期待していない。セキソウもそうだろうと思って視線を向けると、意外にも小さく息を吐いた。
「オコマさまが何者かに殺されたのにですか。もはや国主さまは政務に復帰されるおつもりはないのでしょうか」
「いずれは復帰されると信じています」
「だといいのですが。国主さまが復帰されるのであれば、併呑派がシゲタネさまを殺めた証拠や野国と繋がっている証拠を用意すれば、それだけで事足りたでしょう。しかし復帰されないとなると、それらを提示してもどこまで国主さまが動いてくださるか読めません」
それで、アヅキはセキソウの憂慮を理解した。
合従策を成すというのは、礁国の外交政策を変えさせるということだ。現状の礁国は重臣たちの合議で決まり、国主がそれを追認するという形を取っている。
つまり、国主が最高権力者だというのは変わっていない。
ゆえに政策を変えさせる最も手っ取り早い方法が国主の説得だった。しかし、国主がこの調子では上手くいきようがない。
「……本当に物取りの犯行でしょうか」
オイトが呟くように漏らした。セキソウは微かに首をかしげる。
「かもしれませんし、我々とヨシナオさまの接近を恐れた併呑派の仕業かもしれません。とはいえ殺めるのは行き過ぎですから何か手違いがあったのでしょう。後者だとすればオイトさまの身にも手が及ぶかもしれません。どうかお気を付けを」
「正室の私にまで手を出すはずがありません。むしろ気を付けるのはあなた方三人のほうですよ。以前襲われた時は無事で済みましたが、次もそうとは限りません」
その時、足音が近づいてきた。重く力強く、一人だろうに泰然とした足捌きだ。
「お久しぶりです、オイトさま」
ヨシナオだ。
以前の着崩した小袖ではなく、袴をきっちり着て腰にも刀を二本差している。いかにも町の若者たちを束ねる兄貴分だった姿は欠片もなく、国主の庶子に相応しい若武者の姿がそこにあった。
「お母上のことは残念でしたね」
オイトのその言葉には首の動きだけで答え、ヨシナオはアヅキたちが退いたオイトの正面に腰を下ろした。
「今日よりカシワ家の一員として政務に参加させていただきます。そして、亡き兄の遺志を継いで合従策を成し、野国に対抗していく所存です」
喜びと不安が、アヅキの胸中に同時に沸き起こった。
セキソウの策が成ったのは嬉しい。しかし、あまりにも上手くいきすぎではないか。
オコマを殺した以上、アヅキたちにとっての最大の敵は、よりによって味方であるはずのヨシナオになってしまった。
そして、ヨシナオは決して馬鹿ではない。
明らかにおかしなことが起こっているこの状況に、わざわざ矢面に立つようなことをしているのだ。何か思惑があると考えるべきではないのか。
「まず、俺の力で密かに岳国へ塩を流します。それでしばらくはなんとかなるでしょう」
さすがはこの街の水運を押さえる豪商だ。隘国単独で岳国を支援するには限界があった。これでかなりの猶予が生まれる。アヅキがそう感心していると、ふと、オイトが低い声を出した。
「私は怒っています。意味は分かりますね、ヨシナオ」
オイトもヨシナオも、分かり合っているように表情に変化はない。
「俺は家督争いを引き起こさないために、カシワ家から距離を置いていました。正しく側室の子である弟たちはまだ物心もついていない。その状況で唯一の成人である俺が復帰する方が問題でしょう。それに俺が政に関われば、母も必ず政争に巻き込まれる。ゆえに今まで政から距離を置いていました。しかしもう……母はいない」
瞬間、ヨシナオが眉を逆立てた。
「ぶっ殺してやる!」
寒気がした。
すぐにでもここから逃げ出したい、アヅキの本能が叫んでいる。態度に出せば終わりだと自分に言い聞かせても手足の指がどうにもならずに動き回り、助けを求めてセキソウに視線を送っていた。
「シゲタネさまを殺めたのも併呑派ですよ」
落ち着いた声。セキソウが、アヅキの前を遮るように進み出た。
「あ?」
ヨシナオの声はセキソウの躰の向こうから聞こえた。誰の視線もこちらに向いていないことを確認して、アヅキは声が出ないよう安堵の息を吐く。
「正確に言えば、併呑派に通じた野国の仕業だと私は考えています」
そこからセキソウは詳しく事情を説明した。内容そのものは以前オイトに話したことと同じだが、全ては併呑派の仕業だという結論を強調していた。
「知らねえよ!」
怒鳴り、ヨシナオが立ち上がる。
「誰が相手だろうがどうでもいい! 必ず引きずり出して縊り殺してやる!」
「ヨシナオ、座りなさい」
オイトのその言葉に、ヨシナオは従わなかった。顔だけを向けたまま黙り込み、座敷は静寂に包まれる。
まさか、オイト相手に暴れるのか。そうなった時に止めるのはアヅキとノブミだ。しかし、自分にヨシナオさまを止められるのか。
無理だ。想像するだけでアヅキの背中に冷や汗が流れた。
「時にオイトさま」
ふと、セキソウが思い出したような調子で口を挟んだ。
「シゲタネさまのお部屋を調べさせていただくという話はどうなりましたか? 丁度主要な人物がこの場にいるわけですから丁度いい機会だと思いますが」
「ふむ。よく言った」
ヨシナオが、人が変わったようにからりとそう言った。
「オイトさま、俺にも兄上の部屋を見せていただきたい」
今までの態度は演技だったのか。アヅキの頭に困惑と恐怖が広がる。
分からない。
演技だとすれば何のための演技だ。もしや、既に疑われているのか。そうでもなければ敢えて威圧してくる理由が浮かばない。
「分かりました。案内しましょう」
オイトが立ち上がり、一足先に座敷を出ていく。アヅキは逃げるように後に続こうと腰を浮かせ、その時、ヨシナオがじっとセキソウを見つめているのに気付いた。
「俺はまだ、併呑派が母を殺したとは断定してねえ」
思わず、アヅキは顔を見られないよう再び腰を下ろしていた。
「ほかに目星がついておられるのですか?」
「さてな。ただ、父上が最も愛したと言われるのが俺の母だ。結果的に引きこもったままだったが、怒った父上が政務に復帰する可能性もあった。併呑派としちゃそれは困るだろ。確かに俺を牽制する意味で母を害する理由はある。だが殺しちまうのは賭けに過ぎる。だから併呑派の仕業としては、ちと違和感があるんだよ」
やはり、冷静だ。
今までの激情は演技だったのだ。つまり、アヅキたちは今明確に疑われている。
「殺すつもりはなくとも手違いが起きたのかもしれません」
「傷は二つあった。喉と斬首だ。致命傷は喉と見て間違いねえだろう。だが、首の断面は綺麗なものだった。それほどの手練れが手違いなんか起こすか? 剣の腕はあっても犯行そのものは素人、そんな奴らがいるかねえ?」
ヨシナオの瞳が、我関せずのノブミを舐めるように動いた。
声が出そうになるのを、躰が震えそうになるのを抑えるのでアヅキは必死だった。
「可能性の話だ」
ふっと、ヨシナオは鼻で笑う。
「併呑派が第一候補なのは変わらねえよ」
そして、何事もなかったかのように座敷を出ていった。
アヅキの手は汗で濡れていた。背中にもじっとりとした不快感が張り付いている。
「頼もしいことではないですか。さ、二人とも行きますよ」
そう朗らかに言ったセキソウの背中は、前より大きく見えた。
腐ってもアヅキたちは隘国の正式な使者だ。明確な証拠がなければ殺されはしまい。アヅキはそう開き直るように腹に力を入れ、ヨシナオなら無視して殺すかもしれないという恐怖を追い払う。
オイトを追って屋敷内を進み、侍女が前に立つ一室に入った。
「ここがシゲタネの寝所になります。私の意向で当時の物はそのまま残っているはずです」
何の変哲もない寝所だ。屋敷全体にも言えるが豪奢な意匠や調度品の類はなく、化粧として四隅や天井に截石が嵌め込まれるに留まっている。
「問題はどうやって兄上を殺したか、だな」
言いながら、ヨシナオは敷かれた畳を一枚持ち上げ、その下の床板を一瞥した。
「病死を装えるとすれば、何かしらの神術を使ったと考えるのが自然だろう。とはいえ見ての通り寝所には截石がある。そう、あるはずになっている」
「でしたら今ここで調べましょう」
セキソウは言いながらアヅキを見やった。
「こちらのアヅキさんは楽師ですから、実際に神術を使ってみればはっきりします。つきましてはここだけでなく、礁国全体で神術を使う許可をいただけませんか?」
ヨシナオとオイトを順繰りに見ると、オイトが頷き返した。
「私が許可しましょう。後ほど免状を出します」
アヅキはさっそく神楽笛を取り出して、寝所の中央で簡単な神術を行使した。成功すれば畳に使われているイ草を人形のように操れたはずだが、畳には何も変化も起きなかった。それから部屋中を歩き回って調べるが、結果は同じだった。
「この部屋で神術を使うのは不可能だと、隘国の楽師を代表して証言します」
「截石の効力が及ぶ範囲の外から使った可能性はないのか?」
怒っていないのは分かるが、ヨシナオに真正面から尋ねられるとそれだけでアヅキの躰に力が入った。
「……神術で生み出された、あるいは操ったものは、截石の効果範囲内に入った時点で神術としての形を失い、消滅するか動きを止めます。この寝所で神術が関与できる余地はありません」
これは疑いようのない事実だ。
神術の使えない範囲は截石を中心とした球状で、その大きさに比例して範囲が広くなる。国主の嫡男の寝所となれば念には念を入れ、見えないところにも截石が使われているだろう。蟻が通る隙間もないはずだ。
「それなら残るは病死、五年病というやつか。俺は寡聞にして初耳だが、そんな病気が本当に存在するんですか、オイトさま」
「調べさせたところ御典医が記録を見つけました。ですが……」
オイトは言いよどみ、目を伏せた。
「シゲタネの病状と五年病は全くの別物でした。躰を覆うような大量のイボもなければ、イボの話が出てきたのも亡くなる数日ほど前です。五年も猶予があるなら誰かが気付くはずです」
「ご安心ください」
即座に、セキソウは力強く告げる。
「確かに別の病だと考えるのも無理はありません。しかし私とて根拠があって申しています。まず一つは私の故郷、つまり隘国の田舎で、百年前に野国で流行った五年病が見つかったことの不自然さです。もう一つは、この礁国で五年病の罹患者が新たに発見されたことです」
その報告はオイトに面会してオコマを襲うまでの数日の間で、セキソウが町医者を訪ねて突き止めたことだった。
「この方は二年ほど前に躰が緑色のイボに覆われて亡くなっており、さらにその一年前に緑色のイボが躰にできていたことが確認されています。そしてここで問題となるのは亡くなる五年前、つまり五年病の初期症状である緑色のイボがあるはずの時期に、それがなかったということです」
ヨシナオは小さく唸り声を漏らし、腕を組んだ。
「どういう意味だ?」
「亡くなった方は四年前に高熱を出して倒れ、一月あまり寝たきりに生活を送っていました。その際、医者が診察のために全身を確認しております。しかもその医者は患者の記録をきっちり付ける方で、記憶にも記録にも緑色のイボは残っていないと証言しました」
「なるほど。五年病のはずがもっと短い期間で死んだってわけか。で、結論はなんだ?」
「一つの仮説を立てました。野国は五年病を改良しようと実験をしていたのではないかと。つまり完成した新たな五年病を使い、短時間でシゲタネさまを殺めた」
オイトの顔がゆがむのと、ヨシナオが声を発するのは同時だった。
「毒か」
「ご慧眼です。そもそも記録に残る五年病の記述には違和感があります。
類似の病状が存在しないのは勿論、唐突に発生した割にはたった数年が薬が作られ、以後百年に渡って発生すらしていません。
また流行した地域も野国の西部にある山岳地帯に限られ、広がらなかったのも不自然です。しかしこれが野国が独自に研究していた毒だとすれば、全ての疑問に筋が通る」
「なぜ自国で実験しねえ? 大国なだけあって人なら腐るほどいるだろう。よそでやって、案の定バレかけてんじゃねえか」
「何かしらの実験に必要な条件が野国では整わない、そう考えるべきでしょう。逆に言えば、隘国や礁国はそれがある。これは五年病という毒を調べる最大の手がかりではありませんか」
「何をすべきですか?」
そう問うたオイトの声は、少し上擦っていた。
「実験であればほかにも被害者がいるはずです。その情報を集めるのが先決でしょう。それにはとにかく人手がいります」
「ヨシナオ、任せましたよ」
深々と、ヨシナオはため息を吐いて腕組みを解いた。
「信じるとは言っていません」
客観的に見れば、ヨシナオの言葉は尤もだ。子を思うオイトが縋っているだけで、ヨシナオが信じるにはあまりにも真実味が薄い。
真っ当に考えれば、五年病とシゲタネの死は繋がっていない。
「ヨシナオ、あなたは殺された兄の無念を晴らそうとは思わないのですか?」
「それとこれは話が別です。今はまず兄の遺臣たちに声を掛け、同盟派の力を少しでも取り戻すのが先決ではないのですか。確証もない毒を調べるために人手を割いている余裕はありません」
妥当な判断だ、とアヅキは心の中で頷いた。しかし、幼馴染の故郷を救わんとするセキソウは、その妥当さには首肯できないだろう。
「それはどうでしょうか」
果たして、セキソウが静かに口を挟んだ。
「そもそも二つは両立できます。各地に人をやり、遺臣に声を掛け町医者にも話を聞く。片方を捨てる必要はないでしょう。しかし何より、同盟派の力を取り戻して、その先に何があるというのですか?」
「何が言いたい」
「我々の目的は合従策です。政治闘争ではありません。主導権を握るのが目的ではないのです。併呑派とて全てが敵ではなく、ほとんどが将来の味方です。争わずに済むならそれに越したことはないでしょう。国を割ってはそれこそ野国の思う壺ではありませんか」
「そうですヨシナオ。それに間者が中枢にいるなら放ってはおけません」
そう言ったオイトの声には、やはり焦ったような上擦りがあった。
「ではこうしましょう。オイトさまとヨシナオさまには同盟派の再建に注力していただきます。五年病を調べるのは私たちとヨシナオさまの手勢ということにしませんか。人を集めるのは結局のところ名前です。これなら十分に目的を達成できるのではありませんか?」
また、オイトがヨシナオの名を呼ぶ。するとヨシナオは弱ったように目を逸らし、息を吐いた。
「……従おう」




