その男、強行策に出る
ヨシナオやオイトとの繋がりを堂々と喧伝する。
それがセキソウの手だった。隘国の使者でしかなかったセキソウを見る武士たちの目は明らかに変わり、多くの場合は家中で大勢を占める併呑派に配慮してかよそよそしい態度を取られるようになった。
しかもそれに留まらず、何者かに襲われたことまで公にし、下手人を捕まえるよう町奉行に訴えた。
「こんな大立ち回りをしていいんですか?」
アヅキが聞いてもセキソウは微笑むばかりで何も答えてくれず、その状態が五日ほど続いたある日、今日の夜は新月だとセキソウが話を切り出した。
「ひっそりと人を襲うのに今日ほど都合がいい日はありません」
「襲う? 誰が襲われるんですか?」
「ヨシナオさまのお母上です」
同盟派の新たな中核として期待するヨシナオは、今まで通り政に不干渉を貫いている。それでもその母を襲うとなれば、相手も動機もはっきりしている。
併呑派が動き出したのだ。ここでヨシナオの母を守って恩を売れば、ヨシナオを動かせるかもしれない。アヅキが神術なら任せてくれと頷くと、セキソウは軽く手を振った。
「ああ、違いますよ。私たちが襲うのです」
「……え?」
セキソウの言葉を頭の中で繰り返したが、やはり理解できなかった。思わずノブミに目を向けたが、そのいつも通り澄んだ瞳を見て頼るのを諦めた。
「ヨシナオさまのお母上は、あの茶屋──百田屋の女将さんだそうですよ。覚えていますか?」
覚えている。二本差しの武士に臆さずすごんでいた綺麗な女の人だ。
「名をオコマ、国主さまが最も愛した女性だそうです。下世話な話になりますが、嫉妬したオイトさまが側室としてお認めにならなかったことでカシワ家に入らず、実家である百田屋を継いだそうです。ですのでヨシナオさまは当初庶子として認めらなかったとか」
外見といい性格といい、国主が惚れるのも頷ける。オイトも美人だったが、オコマには同性のアヅキをも引き付ける明るい魅力があった。
「……いえ、そういうことではなく! 失敗したらどうするんですか?」
「ヨシナオさまを動かすためです。それに待つだけでは状況は改善しませんし、その時間もありません。一切の危険がない完璧な正解などないのです」
それはその通りだ。大望を抱こうとも隘国は小国、使える人手も資金も限られ、できることは少ない。待てば待つほど状況が悪くなる可能性もある。
「ですが……」
「今オコマさまが襲われれば、ヨシナオさまと同盟派が接近することを恐れた併呑派の警告だと、誰もが少しは考えるはずです。
そうすればヨシナオさまの併呑派を見る目は変わり、母を守るために併呑派と戦う決意をされるかもしれません。愛する女性が襲われたのであれば国主さまも政務に復帰されるかもという期待もあります。
なに、ちょっとちょっかいを出すだけですよ」
セキソウはからっとした口調で言うが、この件にオコマは無関係だ。それが最もアヅキの気を重くさせていた。しかし悠長なことを言っていられる状況でも立場でもないのも事実だ。
アヅキは少しの間悩み、結局、割り切るしかないとしてセキソウの案に賛成した。
日が暮れるのを待って計画を実行に移す。
新月の夜は真っ暗だ。町を巡回する廻り方や町人たちの持つ明かりが星のようにぽつぽつと光り、布で顔を覆ったアヅキたちはその目を盗んで一人で動き、百田屋の近くで合流した。
百田屋は茶屋としては大きい方で、店の裏には従業員が暮らす長屋を備えている。しかも区画の中央付近にあるせいで裏や横からひっそりと侵入するのもできず、唯一の侵入口は正面だけだ。かといって力尽くで戸を壊せば、あっと言う間に人が集まってくるのが目に見えている。
どうにかして戸の裏にある心張棒を外すしかない。
そこでアヅキの出番だった。
音の響く神楽笛は使わない。ほんの小さな音の口笛によって神術を行使する。原則として神術の規模は音の大小に影響するため、ごく小規模な神術しか使えない。しかし心張棒を外すぐらいならその程度で十分だ。
セキソウとノブミは建物の陰に隠れて待機し、アヅキだけが巡回の合間を縫って百田屋の店先に近づいた。こういう時だけは躰が小さくて良かったと心の底から思う。できるだけ躰を丸めて小さくなり、その体勢のまま静かに口笛を吹いた。
戸の裏の地面を操って、どうにかこうにか心張棒に干渉する。何かが土の上に落ちる音がした。試しに戸を動かしてみると手応えなく動いてくれた。
周りを見て人がいないことを確認して二人を呼び寄せ、耳の良いアヅキが先行して百田屋の中に入る。
物音は聞こえない。
オコマは想定通り二階の部屋で寝入っているみたいだ。新月の室内は完全な暗闇で、アヅキは持ってきた小さな燭台に神術で火を灯した。
ここからはノブミの役目だ。ノブミは最後まで百田屋の間取りを覚えられなかったが、実際にその目で確認できれば問題ない。アヅキから燭台を受け取ると、普通に上るだけで軋みそうな階段を猫のように静かに上がっていき、オコマが眠る部屋の戸を開ける微かな音を鳴らした。
暴れるような音がしたのは一瞬だった。
ノブミはカドマ家に伝わる縛術にも通じているという。間もなく一階に降りてくると、入れ替わりにセキソウが燭台を持って二階に上がった。
外に耳を澄ましても、巡回する町人や廻り方はアヅキたちに気付くことなく百田屋の前を通り過ぎていく。明かりが漏れているはずだが異変だと思われていない証拠だろう。ここまで計画は完璧に進み、後はもう帰るだけだ。
ごつっ、という鈍い音が二階から聞こえた。
どうしても命の危機を感じてもらうためとはいえ、オコマには申し訳ない。それでも仕方がないことだと何度思ったか分からない言葉を繰り返し、外の様子を窺って逃げる機会を探るという行為で気持ちをはぐらかし、アヅキは自分自身を納得させた。
遅いな、と疑問を覚えたのはそのすぐ後だった。
オコマを脅して怪我を負わせるのがセキソウの役目だ。話せない以上、逆に時間も掛からない。もしや返り討ちにあったのか。ノブミが縛ったのにそんなことがあるのか。暴れているような物音も聞こえてこない。
いや、今思えば、先ほど聞こえたごつっ、という音は不自然ではないか。
アヅキは予備の燭台に神術で火を灯し、階段を上がっていった。
声が聞こえた。男の声、セキソウの声だ。小さすぎて内容は分からない。階段を上がりきって部屋に入った。
「……ごめんなさいごめんなさい」
その泣きそうな声が、分かっていてもセキソウの声だとしばらく認識できなかった。
どういう状況だ。
何が起こっている。床に置かれた燭台の火は小さく、目を凝らしても人影が見えるだけだ。セキソウは、オコマはどうなった。
血の臭いが、アヅキの鼻を刺激した。
危機感が脳天を揺らす。アヅキは口笛を吹いて二つの燭台の火を大きくする。明るさに目が眩み、慣れるまでの時間がもどかしい。
ようやく見えた。
セキソウが、部屋の隅で膝を着いて項垂れている。
「ごめんなさい……そんなつもりでは」
悪いことをして叱られた子供のようなその姿は、アヅキの知っているひょうひょうとしたセキソウとは少しも重ならなかった。風が吹けばそれだけで暗闇に紛れて消えていきそうなほど頼りなく、自分の躰を抱いて震えているばかりで視線もどこを向いているか分からない。
その時、視界の端に移る人影に気付いた。オコマだ。その存在を思い出し、そちらに明かりを向ける。
死んでいた。
縛られ猿轡を嚙まされたオコマの首が、ぱっくり切れている。布団は真っ赤に染まり、足元には血塗れの短刀が落ちていた。
オコマが死んだ。セキソウが殺した。
頭が真っ白になった。
最悪の事態だ。それだけはなんとか理解できた。アヅキは口笛を吹くのも忘れ、辺りは薄暗闇に戻る。思考が、その闇にどんどん飲み込まれていく。
これからどうなる。このことがヨシナオに知られれば、決して合従策には同意してくれないだろう。当然捕らえられるし、殺されるかもしれない。
いや、それどころではない。合従策が破綻するどころか隘国と礁国の間で戦争すら起きかねない。
いますぐに礁国から逃げ出すべきだ。しかし隘国に帰ったところでこの問題の責を問われ、結局殺されてしまうのではないか。家族にまで連座するのではないか。
八方塞がり、待っているのは死のみ。アヅキの全身に汗が滲んだ。
汗が冷える。その冷気がアヅキを現実に引き戻す。
故郷に残してきた家族のためにも、ここで終わるわけにはいかない。しかし、アヅキではこの状況で覆す方法が分からない。唯一頼りになるかもしれないセキソウは、今となってはてんで頼りにならない。
まずは逃げるのが先か。オコマの遺体を隠すのが先か。分からない。というより頭が回らない。まだまだ冷静になり切れていないのか。
「アヅキさん、ちょっと照らして。セキソウさん、よく見てて」
ノブミの声。アヅキは考えるより先にもう一度口笛を吹き、燭台に灯した火を大きくした。
いつの間にか二階に上がってきていたノブミがアヅキの横を通り、セキソウを抱き起す。それからオコマのところまで引っ張っていき、腰に下げた刀を抜いた。
そして、オコマの首を一刀両断する。
「俺たちはもっと凄いことをしようとしてるんだよ。このぐらいのこと気にしてどうするの?」
瞬間、アヅキの思考が鮮明になった。
バカだった。根本的に考えが甘かったのだ。
ノブミの言う通りだ。合従策を成して野国を打ち倒そうとしているのに、この程度のことで動揺してどうする。オコマを殺してしまったのなら、それを隠し通せばいい。その上でオコマの死を利用するぐらいの気概がなくてどうする。
罪もないオコマを殺してしまった負い目はある。それでも合従策を成すとは、そういったことを乗り越えた先にあるのだ。
「……ありがとうございます、ノブミさん」
セキソウの声に力が戻っていた。躰を支えるノブミから離れ、じっと首のないオコマの躰を見つめる。
「私は本当の意味で覚悟ができていなかったようです。すみません、二人とも」
セキソウはアヅキたちに向き直り、いつものような涼しげな微笑みを浮かべた。
「オコマさまを軽く傷つけようとしたところ暴れて抵抗され、運悪く喉が切れてしまいました。もしかすると私に殺す気がないのを察し、立場が立場ですから利用されようとしていると気付き、ヨシナオさまの足枷にならないよう自ら命を絶たれたのかもしれません。
ともあれ、合従策に支障はありません。要は私が犯人だと悟られなければいいだけですから。着いてきてくれますか?」
「勿論だよー」
ノブミの返答は早かった。アヅキはすぐに答えず、セキソウとじっくり目を合わせた。
不信感ではない。この男もまた、人間なのだ。合従策を目指した動機も利己的で、人を殺した際の動揺もあるれっきとした人間なのだ。
セキソウに頼っているばかりではいけない。この場にいる三人は一蓮托生だ。
「どこまでも着いていきます、セキソウ殿」




