その男、要人に接近する
礁国の国主が住まう平城は、街の規模に反して小規模なものだった。
防御施設は海水を引き込んだ水堀と、周囲に立ち並ぶ武家屋敷を入り組ませて外郭のような形を取っているのみだ。主要な経済圏からも少し離れたところに建てられていることといい、可能な限り商売に影響を与えないよう配慮されているらしい。
堀に掛かった橋を渡って城内に入ると、櫓の隣に立つ屋敷に足を踏み入れた。そのまま奥へと進み、こじんまりとした座敷に通されると、腰の位置で打掛を紐で結んだ腰巻姿の女が供も連れずに一人座って待っていた。
「オイトさま、隘国の使者をお連れしました」
オカがそう言うと、国主の正室オイトはセキソウに鋭い視線を向ける。
「お座りなさい」
意図したものではないだろうが冷たい声だった。
眉も細く唇も薄く、どうにもきつい印象を受ける人だ。しかしよくよく考えれば、衰退する同盟派を支えるオイトがアヅキたちに冷たく当たる理由はなく、勘違いされがちな人だろうとアヅキは思った。
アヅキたちが言われたとおりにしてオカが退室すると、オイトが静かに口を開く。
「形式ばった挨拶をしても、今の私の力では滑稽なだけでしょう。私の望みはただ一つ、亡き息子に代わってその悲願を成し遂げることです。セキソウ殿も思いは違えど同じ目的を持つと聞きました。具体的にどう成しえるつもりですか?」
「私たちとしましては、同盟派の中核としてヨシナオさまを戴いて併呑派に対抗する。それ以外にないと考えています。また、あくまで私個人の推測に過ぎませんが、一年ほど前に亡くなったご嫡男のシゲタネさまは暗殺されたのではないかと疑っています」
オイトの眉がぴくりと動く。
セキソウもそれに気付いたはずだが話を続けた。
「もしそれが事実であれば、同盟派の中核であったシゲタネさまが亡くなり利するのは併呑派の人間です。それを暴くことができれば併呑派の勢いも止まるでしょう」
「やはり……シゲタネは殺されたと思いますか?」
その声が震えているように感じたのは、息子を亡くした母という先入観があるからか。実際のオイトの表情は涼やかなままだった。
「確証がありません。ですので当時の事情を詳しく知る方を紹介していただけませんか?」
「御典医を呼んでいます。連れてきなさい」
ややあって、座敷に壮年の男が入ってきた。
「生まれてからずっとシゲタネを見てきた者です。どうぞ気の済むまで尋ねてください」
セキソウはオイトに礼を言ってから御典医に向き直る。
「暗殺という観点から見て、シゲタネさまの死についてどう思われますか?」
「医者の立場からすると考えにくいかと。
ご遺体には暴れたような形跡はなく、眠るように静かに亡くなっていました。少なくとも私の知る毒物でこのような亡くなり方をするものはありません。多少なりとも苦しんで暴れた形跡があるものです。
小姓たちもそのような物音を聞いていないとのことですから、卒中の類で眠るように急死されたと考えるのが妥当だと思われます」
「だとすると、神術ですか」
セキソウはアヅキを振り返った。
「いえ、無理です。ここまで来る間にも至る所に化粧として截石が使われていました。寝所で使えるとは思えません」
截石とは、神術の行使を阻む白っぽい石だ。
この世と神の世界の繋がりを断つともいわれ、小さいものでも肌に触れていれば神術を防止でき、截石が採れる山一帯などは神術が使えない聖域として祀られている場合もある。
そのため截石は城や貴人の屋敷、一部の牢などに使われ、この座敷の隅や天井部分にも白色の截石が嵌め込まれているのが見える。オイトも頷いてアヅキの意見を肯定した。
「つまり、誰も知らない都合のいい神術を使っても、シゲタネさまを害することは不可能というわけですね」
最後にセキソウがそう言うと、全員が沈黙した。
状況を整理してもシゲタネが暗殺されたという疑いはむしろ薄まっていくばかりだ。国主の正当な後継者が死んで一年余り、問題になっていないということはそういうことなのだろう。明らかに併呑派が疑わしい状況でも、それは結果論に過ぎないということだ。
「ほかに不思議なことはありませんでしたか? 暗殺とは無関係なことでも、どんな些細なことでも構いません」
アヅキが現実を直視し始めていると、セキソウが変わらぬ調子で御典医にそう尋ねた。
「些細なことと言われましても一年以上前ですから。……いえ、そういえば、亡くなる十日ほど前にシゲタネさまから緑色のイボについて聞かれた記憶があります」
「緑のイボ!?」
セキソウが明らかに驚いた。
それに、アヅキは時が止まったような衝撃を覚えた。
あのセキソウが冗談めかすでもなく、心の底から驚いているように見える。あまりの出来事に声も出せないでいると、結局誰も指摘することなく御典医が続けた。
「はい。とはいえ私も聞き覚えがなかったので、ただのイボに草木の汁でも付いたのでないかとお答えし、シゲタネさまは納得されたようで話はそこで終わりました。利発なシゲタネさまにしては子供のような質問でしたので印象的に残っています」
言い終わるのが早いか、セキソウが被せ気味に問う。
「ご遺体に緑のイボはありましたか?」
「いえ、見分したところ特別なものは何も見つかりませんでした」
セキソウの態度が変だ。元々変な人ではあるが、明らかに人が変わったように不自然だ。
アヅキが困惑のるつぼにいると、不意にセキソウが蹲った。
誰もが呆気に取られた。
「……セキソウ殿、何を急に」
いち早くセキソウの不審さに気付いていたアヅキはそれが備えになったのか、一足早く我に返って声を掛ける。それでようやくセキソウが顔を上げると、今までの奇行が嘘のような引き締まった表情が浮かんでいた。
「五年病でしょう」
いの一番に反応したのはオイトだった。さきほどのセキソウの奇行には一切触れず、五年病なる病の説明を求めた。
「五年病、またの名を緑疣病といいます。
躰のどこかに緑色のイボができてから丁度五年後の夜、突如として緑色のイボが全身を覆いつくすように広がり、朝になったときには人とは言えない姿となって死に至るという病です」
オイトに視線を向けられた御典医は、困惑しつつも首を振る。
「医の道に進んで三十年余りになりますが、そのような病は聞いたことがありません。それにシゲタネさまのご遺体とは病状が似ても似つきませんが」
「聞いたことがないのは当然です。五年病は今より百年ほど前、野国の一部の地域で数年流行っただけの奇病ですから。それも治療法は既に確立されており、そのまま歴史の中に埋もれていった結果、当の野国でも知る者は少ないはずです」
小首をかしげる御典医とは反対に、オイトは微かに前のめりになった。
「そのようなものが実在するのですか?」
アヅキも同じ思いだった。五年病などといきなり言われて信じられるわけがない。アヅキですら半信半疑なのだから、セキソウと初対面のオイトの胸の内はそれ以上だろう。
「事実です。それに私が通っていた心穏塾の塾頭の一人であり、大旅行家ともいわれるセイニンさまが、野国の国主が管理する庭園で五年病を治す薬の原料となる、翡翠草という草花が栽培されていたのを確認しております」
御典医はちらとオイトを見やり、一度目を瞑ってから発言する。
「そこまで言うのであれば五年病なる病が実在するのは信じましょう。しかし病状が違う以上、別の病だと考えるのが真っ当ではありませんか?」
「二年ほど前、隘国にある私の故郷で、五年病に罹ったと思われる者が出ました」
アヅキも初めて聞く事実だった。
「まだ元気ではありますし、それが五年病だと確定したわけでもありません。ですが私は、緑色のイボという存在を五年病以外で耳にしたことがありません。なにより百年前に消えたはずの五年病が、なぜ今になって世に現れたのですか。私はそこに何者かの意図を感じてなりません」
御典医が何か言おうとして、オイトが「待ちなさい」とすぐさま止めた。
「あなたはもうお下がりなさい。ありがとう」
一礼して御典医が退室すると、オイトは離れていく足音が聞こえなくなるまで待った。
「つまり野国と併呑派は繋がっている。それがセキソウ殿の意見ですね?」
驚きも束の間、アヅキは確かにセキソウはそう言いたいのだろうと納得して二人の会話に耳を傾ける。
「併呑派の中枢に野国の間者がいる。証拠となるものは何一つありませんが、私はそう確信しています。
これらは全て合従策を阻もうとする野国による連衡策です。野国にとって脅威となる合従策を掲げたシゲタネさまが亡くなったことと、それにより伸長した併呑派が礁国の融和外交を終わらせたこと、この二つは無関係で偶然に過ぎないと主張する者もいるでしょうが、果たしてそのような偶然がありえるのでしょうか」
それは確かめようのない指摘だ。偶然というのは重なる時には重なる。
「疑問を覚えるのは尤もです。ですがこう考えてはどうでしょうか。野国の間者が政の中枢に入り込むことが連衡策の肝であり、その地盤があったからこそシゲタネさま暗殺という大胆な手を打てた。極めて健康体であり、まだ二十手前の青年が急死するのとどちらが現実に起こりうることでしょうか?」
そこで、セキソウは頭を下げた。
「いきなり信じるのは難しいでしょう。ですが」
「信じます。いえ、私が信じなくてどうするのですか」
オイトがそう即答したのは、子を思う母ゆえにか。
頑丈な子を産むのが何よりの役目である武士の女というのもあるだろう。真実はどうであれ、オイトはセキソウの言葉を信じたいのだ。
子の代わりに弟や妹に置き換えるとその気持ちはアヅキに理解でき、息が詰まりそうになった。同時にセキソウがそれを利用している事実に気付き、胸がちくりと痛む。
決して騙しているわけではない。心の中で唱えてアヅキは唇を結んだ。
「説き伏せる自信はあります。オイトさまのお力で国主さまとのお目通りの場を設けてはいただけませんか」
「殿は、いえ夫は、妻である私であろうともお会いになりません」
オイトの声が明らかに冷たくなった。今までの冷ややかさとは比べ物にならないその声は、平静なはずのその顔すらも冷淡に見せた。
「息子が殺されたというのに自身が幼少期を過ごした城外の屋敷に引きこもり、合議で決まったことを追認するだけの腑抜けになってしまいました。
今この礁国を憂うのは私を始めとした僅かな者と外国人であるあなたたちしかいません。協力してもらえますか?」
「勿論です。隘国としても合従策の成立は不可欠、粉骨砕身の覚悟で協力させていただきます。つきましては後日で構いません。シゲタネさまのお部屋を調べさせてはいただけませんか?」
「整えておきます」
これで国主の正室の助力が得られた。話を聞く限り政の中枢に働きかける力はあまりなさそうだが、かなり動きやすくなるのは間違いない。
それにしても、とアヅキは城からの帰り道にセキソウに尋ねた。
「どこまでが本当なんですか?」
「全てですよ」
「故郷で罹患者が出たというのも?」
「幼馴染です」
本当なんだ、とアヅキは密かに驚いた。疑っていたというより虚実を交えてオイトを説得したのだとばかり思っていた。
しかしそうなると、以前から感じていた疑問が解ける。
セキソウは優秀だ。それなのにどこにも仕官していなかったのは野心の無さが理由だろう。セキソウに執着といったものが薄いのは、この数か月でアヅキも分かっている。ただ、それがどうして急に合従策などという大望を掲げたのだろうかと不思議だった。
「五年病を治すには翡翠草が必要です。しかし今となっては生えているのが野国の国主が厳重に管理する庭園のみですから、隘国の人間である私には立ち入ることすらできません。野国に出仕することも考えましたがさすがに時間が足りず、それなら合従策で野国を倒し、力尽くで庭園に押し入ろうと考えたのです」
冗談だろう。呆れと感心がない交ぜになり、アヅキはしばらく声も出せなかった。
「……それだけ、いや……え?」
ようやく声が出せてもまともな言葉にならない。
あまりにも現実離れし過ぎている。たった一人を救うために、一国の助力を得て、合従策を成し、大国を打ち倒そうとしているのか。
「私も人間ということですよ」
そう言って現れたはにかんだ表情は、確かに年相応の青年らしい表情だった。
正直、心のどこかでセキソウを信用しきれない気持ちが残っていた。
この数か月であり得ないと思うようになっていたが、未だにその思いを完全に消しきれないほど颯爽と、セキソウは一国の助力を得てしまった。裏を勘繰りたくもなる。
しかしなんのことはない。合従策を成そうとする目的は、たった一人を救うためだったのだ。
アヅキは無意識に微笑していた。このような人間が悪人やどこぞの間者なわけがない。セキソウはやはり、信頼に足る人物だ。
「あー、ほんとバカみたい」
「えっ?」
セキソウのその反応もおかしかった。
その時、素早い足音がアヅキの耳に届いた。
まだ遠い。だが、確実に近づいている。
「ノブミ殿、おそらく敵です」
「えっ、ほんと?」
言いながらもノブミは腰を折り、地面から小石を拾い上げる。アヅキは足音に注視しながら懐に手を入れて神楽笛を握った。
「さすがは楽師殿、音でも聞こえましたか?」
呑気なセキソウは無視した。数は五人前後、足音を消そうとしている雰囲気はない。金属がぶつかるような音も聞こえない。
辺りは入り組んだ武家屋敷だ。人通りはあるにはあるが数えるほどで、アヅキたちの周囲に限れば一人もいない。どう対処するのが正解か、必死に考えるも所詮楽師でしかないアヅキには答えが出せなかった。
ふと、アヅキの前を風が吹いた。
いや、ノブミが小石を投げていた。凄まじい速さで飛んでいった小石が、塀の向こうから現れた覆面の者を吹き飛ばす。
数は六人。いきなり攻撃を食らって気勢を削がれ、うろたえている。
「忠告は受け取りましたよ」
セキソウが気軽にそう言うと、敵は顔を見合わせ、そのまま塀の向こうに姿を消した。
「ヨシナオさまにオイトさまと次々に接触しましたから、併呑派に目を付けられたといったところですかね。幸先は良しとしましょうか」
妨害を受けるのは遅かれ早かれだ。アヅキは神楽笛を握ったまま、一足先に歩みを再開したセキソウを追った。
「さて、私たちも次なる一手を打ちますよ」




