その男、暗躍に備える
二十日ほど掛けて到着した礁国は、聞きしに勝る騒がしい国だった。
商人に限らず誰も彼もが騒ぎ立て、小路に至るまで人で埋め尽くされている。あちこちで人がぶつかり喧嘩が頻発し、それすらも日常の一部として喧噪に溶け込んでいた。
それはアヅキたち三人が茶屋に入っても変わらず、駆け寄ってきた給仕は耳の遠くなった老人を相手にするような調子で注文を聞いてくる始末だった。
「やはり小腹を満たすといえば田楽焼きですね」
セキソウはそう言ってから豆腐が刺さった串を掴み、横から食いついたかと思うと一口で丸呑みにしてしまった。それからすぐに里芋が刺さった串を手にするが、それもあっと言う間に平らげてしまう。
何度見ても慣れないセキソウの見た目とは裏腹な豪快な食べ方にアヅキが目を取られていると、隣の下座に腰を下ろしたノブミはそれと正反対に一つ一つ上品に食べていた。
なんと悠長なことか。アヅキは一度手にした田楽焼きに目を落として自分もその一人だと自覚し、空いた小腹を堪えて田楽焼きを皿に戻した。
「……のんびりしていていいんですか、セキソウ殿」
「と言っても、国主さまとすぐに会えるわけもありませんからね。まあ、知り合いが来るまでもう少しですからそうせっかちにならずに」
せっかちにもなる、とアヅキは自戒の意味も込めて心の中で呟いた。
合従策の足場となるはずだった岳国はあろうことか反対を表明し、このままでは野国に各個撃破されかねない。そうなれば国土は侵され、故郷にいる家族はどのような目に合うか。
「ほら、ここの田楽焼きは美味しいですよ」
セキソウの言葉に反応して、腹の虫が小さな音を鳴らした。
意識するとじわりと唾が出てくる。今は急いでも意味がない。そうアヅキは自分を納得させ、田楽焼きにかじりついた。
焼いた豆腐に味噌を塗っただけのよくあるものだが、今まで食べた中でも一番上品な味だ。隘国で食べられるものはどれも味が濃く、アヅキは苦手で弟によく譲っていた。
「セキソウさん、約束した人って後ろにいる人?」
いつの間にか食べ終わっているノブミが言った。
アヅキが目を向けると、棒のような体躯の男がセキソウと背中合わせに座っている。座高ですらアヅキの身長より高く、もしかすると巨躯のノブミよりも背が高いかもしれない。
「俺たちを気にしてる割に殺気がないし、多分そうだよね?」
「おっと、敵じゃないから殺さないでくれよ」
苦笑交じりにそう言いながら、棒のような男が立ち上がって振り向いた。節々は不健康なほど骨張っているが顔の血色や肌艶はよく、なんとも不思議な雰囲気のある人だ。
「オカ・ヨリタカ。セキソウと同じ心穏塾の出身で、この国では勘定方として働いている。よろしく」
「また背が伸びたのではないですかオカさん。こちらは楽師のアヅキ殿とカドマ・ノブミ殿です」
「伸びるか、もう三十だぞ。楽師殿、お隣失礼する」
オカは机を迂回してアヅキの隣に腰を下ろし、セキソウと向かい合わせになった。
「元気そうで良かったよ。それで、何から聞きたい?」
「野国の手はどこまで伸びていますか?」
オカは苦笑いして、セキソウの前に置かれた皿から田楽焼きを一本取った。
「せっかちはどっちなんだか。結論から言うとよく分からんね。野国からの目に見える干渉がない以上、そうとしか俺には答えられん」
「亡くなった国主さまのご嫡男は、野国の策謀によって殺されたのではないですか」
それをアヅキが最初に聞いたのは礁国への道中だった。度々入ってくる情報からセキソウはそう判断したようだが、アヅキには可能性の域を出ていないようにしか思えなかった。
「あれは病死だ。急死だったけどな」
「話によれば、亡くなったご嫡男は私よりも早く合従策を用いて野国に対抗しようとしていたそうですね。合従策が成立すればその兵力は野国の倍。十分に暗殺する理由になるでしょう。
しかもご嫡男が亡くなったことで台頭したのは、各国を併呑して国力を増やすことで野国に対抗しようとする派閥だそうですね」
出来過ぎている、というのがセキソウの理屈だ。
事実として礁国は二十五年余り続いた融和外交を止め、岳国に圧力を掛けてきた。しかもそれだけではない。報告によれば同時期、同じように圧力を掛けられている国がいくつかあった。
どれも小国で影響は限定的だが、合従策の最大の障害が礁国であることは、もはや疑いようがなくなっている。
「離間計。いや、連衡策を仕掛けられてるって言いたいのか?」
隘国が合従策という大同盟を組んで野国に対抗しようというなら、野国はそれを阻止すべく各国と個別に同盟を組んで妨害する。それが連衡策だ。
「真実はともあれ、そう考えるのが私の立場です」
「まあどう思うかは自由よ」
オカは鼻で笑い、ようやく田楽焼きにかぶりつく。
「でもな、実際のところ合従策は難しいぞ。なんと言ってもそれを最終的に決めるうちの国主さまが政務からお離れになっている」
「それはやはり、ご嫡男の急死が原因ですか?」
「優秀で、誰もが期待していたお方だったからな。落ち込んだ国主さまは政務から離れ、今は重臣たちの合議で国を動かしている。その重臣たちってのは当然、併呑派だ。合従策が受け入れられることは、まずない」
「国主さまに復帰していただくのは?」
「結果は変わらん。国主さまは間違いなく治世の賢者で厳格な法律家だが、はっきりとした正解のない外交政策となると途端に優柔不断になるお方だ。併呑派で固められた重臣たちの意見を押しのけて合従策に賛同するとは思えんな」
最悪な状況だ、とアヅキは歯噛みした。
このままでは早晩、礁国を中心にした争いが起きてしまう。そうなれば一番得をするのは野国だ。漁夫の利を受けて好き勝手に食い荒らしていくのが目に見える。
「手は……手はないのですか」
アヅキは問う。セキソウが表情を変えずに頷いた。
「勿論ありますよ。オカさん、現在の同盟派はどうなっていますか?」
「死に体だ。奥方さまが息子の遺志を継いでなんとか繋ぎ止めている状態だが、消えてなくなるのも時間の問題だろうな」
「で、新たに中核になれる人物は見つかりましたか?」
「カシワ・ヨシナオさま。国主さまの庶子に当たるお方だ。名声や人望、能力的にも十分に値する。というか唯一のお方だ。元服前に一人で荷揚げに従事して一年、それで作った金と仲間を使い、たった数年でこの町の水運を押さえた傑物だよ。だが、まず間違いなく首を縦に振ってくださらないだろう」
併呑派を支持しているから、ではないだろう。それならそもそも候補に上がらない。
「わけありですか」
「多分な。詳細はさすがに知らん。数年前にカシワ家から距離を取って商人をなさっている。ただ仲の良いご兄弟ではあったから、そこを攻めればいけるかもしれん。国主さまと違って、お前なら会うこと自体は難しくないはずだ」
同盟派を復興させて併呑派に対抗させる。
時間は掛かるが、確かにその手しかないだろう。その間隘国がどうなるかは祈るしかない。アヅキは腹をくくり、残った田楽焼きを急いで口に突っ込んだ。
「分かりました、どうにかしましょう。オカさんはその間、奥方様との面会の場を整えてくれませんか」
「もう動いちゃいる、唯一の協力者だろうからな。ただ奥方さまが相手だとすぐにはとはいかん。もう少し待ってくれ」
言うなりオカは立ち上がり、セキソウの皿からこんにゃくの田楽焼きを奪い取った。
「あ、楽しみに残していたのに」
「駄賃代わりに貰ってくな」
オカが笑いながら茶屋を走り出ていく。その後ろ姿からアヅキが目を逸らしたとき、店の入り口から喧噪を突き破るような大音声が響き渡った。
「いってえな! どこ走ってんだ木偶の棒!」
見ると、尻もちをついたオカの前に刀を二本差しにした男が仁王立ちになっていた。その肩には田楽焼きの串が突き刺さり、顔を真っ赤にさせて拳を握っている。
助けなければとアヅキは無意識に神楽笛へと手を伸ばすが、他国で争いごとを起こしていいのかと理性が後ろ髪を引っ張った。ちらと目を向けた先にいるノブミも串を構えたところで、セキソウに袖を引かれて動きを止めている。
その時、颯爽と歩いていく影があった。
艶やかな黒髪がにわかに沸き立つ客の間をすり抜けていき、オカの胸倉を掴んで引き起こそうとする男の肩を叩いた。そして、その肩に突き刺さった串を力強く押し込んだ。
「アタシの店で騒ぎ起こすなんていい度胸だね!?」
男が悲鳴を上げる。後ろにもんどりうって倒れた。そこに黒髪の女は悠々と歩み寄り、首筋に串を突き付けた。
「帰るなら今のうちだよ」
男は冷や汗を垂らして猛然と頷き、黒髪の女が串を引くやじたばたしながら立ち上がり、こけつまろびつ客たちの笑い声から逃げていく。
「よっ、百田屋!」
歓声が上がり、黒髪の女が振り返って片手を上げる。
若い人だった。年は四十前後だろうが、二十を超えたばかりのアヅキから見ても若々しく見える人だ。遠目からでも分かるほど髪はしっとりとし、にかっと浮かべた笑顔は見ているだけのアヅキですら晴れやかな気分になってくる。
「商人の国に偽りなしですね」
セキソウの言葉に、アヅキは遅れて首肯した。
隘国や岳国では百姓すらも脇差ぐらいは下げていたが、礁国では刀を見ること自体がほとんどない。海に面し、血管のように無数に走る川は人や物の動きを活発化させ、武士よりも力を持つ商人が大勢いるのが交易国家──礁国の実態だ。




