その男、熱弁する
アヅキも急いで駆け出した。
ショウベイは後ろ手に縛られている影響かそこまで速くはない。彼我の距離はどんどん縮まっていく。
向かう先はやはりマキムラの屋敷か。残りの距離を考えると、そこまでに追いつけるかは微妙なところだ。確実に止めるには神術を使うしかない。
だが、夜半に神楽笛を吹いてもいいのか。
つい先ほどは命の危機が迫っていたが今はそうではない。ここで笛を鳴らせば武家屋敷に響き渡ってしまう。セキソウの指示があるまで堪えるべきではないのか。
アヅキは悩み、前方への意識が疎かになる。ショウベイの両手を縛っていた縄が解けている事にも気付かない。ショウベイが振り返って右手を振り上げる、まさにその時になって前方に注意が戻り、ショウベイが何かを投げようとしていることに気付いた。
紙──呪符だ。猿轡を外したショウベイが何か呟いている。
「気を付けて!」
アヅキが叫ぶの早いか、飛んでくる呪符が燃え上がり、一瞬で火の玉へと膨れ上がった。周囲が煌々と照らされ、したり顔で猿轡を投げ捨てるショウベイの姿が見えた。
先を走るセキソウに火の玉が向かってくる。大きさは拳大、割って入るにはとても間に合わない。神術を使うにももう遅い。
赤々と燃え上がる火の玉が、セキソウの顔面に直撃した。
「助けてくれえ! マキムラさま助けてくれえ!」
ショウベイが情けない声を上げる。その手前ではセキソウがもんどりうって倒れ込み、顔を抑えてのた打ち回っている。
つまり、セキソウは生きている。優先すべきはショウベイだ。
時間がない。ショウベイがマキムラの屋敷の門を叩いている。セキソウも早く医者に見せなくてはならない。アヅキは躊躇なく神楽笛を吹き鳴らし、最速で神術を行使した。
地面が隆起して形を変え、ショウベイを覆い尽くさんと高波のように持ち上がる。筆頭家老の屋敷など夜間に訪ねて入れるものではない。これで確実に捕らえた、そうアヅキが確信した途端、開くはずのない門が音もなく開き、ショウベイを中に引っ張り込んだ。
あまりにもあっけない幕切れに、アヅキの手から神楽笛が落ちた。
これで終わりだ。ショウベイにはもう手が出せない。オコマを殺したことが公になり、アヅキたちは立場を悪くするどころかその前に、怒り狂ったヨシナオに殺されてしまう。
いや、それよりセキソウの容体が心配だ。アヅキは急いでセキソウに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
とりあえず火は消えているが、そのせいで状態が分かりづらい。乱れながらも必死に繰り返される呼吸には掠れた音が混じり、顔の左側が焼けただれたように見える。ほかに大きな火傷の跡は見えないが、明かりがなくてははっきりしたことは分からない。
まさかショウベイが呪符を持っているとは思わなかった。
音や舞と同じように、文字でも神術は行使できる。しかし利便性はそれとは比べ物にならず、呪符や書道家は楽師や舞踊家以上に厳しく管理されているはずだ。どこかから魚辰屋の伝手を使って違法に手に入れたのだろうが、本来なら楽師であるアヅキが用心しておくべきだった。
後悔ばかりもしていられない。とにかくオカの屋敷に戻らなくては。アヅキはセキソウに肩を貸して立ち上がらせようとして、近づいてくる足音と明かりに気付いた。
「鎌切の死体があった」
その声は、この町で聞こえるはずのない声だった。五年病製造の機材を回収するために町を出て、まだ数日は留守にしているはずの男の声だった。
ヨシナオ。
終わった。そう思った途端、アヅキの躰から力が抜けた。完全に抜けきって倒れなかったのは、セキソウの存在を覚えていたからだろう。
ヨシナオの背後には数人いて、全員が食客らしく体格もいい。どう考えても逃げるのは不可能だ。かと言ってアヅキ一人でこの場を切り抜けようにも方策が浮かばないどころか頭が働かない。
「鎌切を殺したのはカドマの鈍牛か?」
酷く冷たい声が、アヅキの背筋を一瞬で凍えさせる。ヨシナオの押し殺した殺意が肋骨の隙間を潜り、心臓に突き刺さった。
致命傷ではない。それどころか無傷だ。ただ、たった一度の拍動を許せば突き刺さった殺意で心臓が切り刻まれてしまうのではないか、そんな妄想同然の恐怖が躰の芯を凍りつかせ、四肢の末端まで動かなくさせていた。
「……私の、声が……聞こえますか?」
それがセキソウの声だと気付くのに、少しの時間が必要だった。
「喉が、焼けたようです……私の言葉は、伝わっていますか?」
その弱弱しい掠れ声はほとんど息に近かった。
それでも、セキソウが喋っている。アヅキの芯が氷解し、自分でも気づかない内に固く結んでいた唇が緩んで返事をする。
「……分かります。ちゃんと伝わってます」
「それなら……十分です」
左半分が焼け爛れたように見える顔にぎこちない笑みを浮かべ、セキソウが立ち上がろうとする。アヅキは慌てて手を貸そうとしたが、セキソウは無言でそれを拒んでヨシナオに向き合った。
「なぜ、俺の母を殺した?」
「意味のない……質問はやめにしましょう。是も非も、あなたには変わらないでしょう。それより……機材の回収は、どうなっているのですか?」
ヨシナオの表情は仏像のように固まり、口だけが別の生き物のように動いた。
「町から追い出されたのは分かってんだ。のこのこ従うわけがねえだろ。マキムラからてめえが母を殺したなんて話もあったがな。でも安心しろよ、食客はほぼ全員送った。なんの問題もねえよ。てめえが今ここで死んでも問題ねえのと同じだ」
音もなく、ヨシナオが刀を抜いた。
「セキソウ、なぜ母を殺した?」
肉と髪の焼ける臭いが、アヅキの鼻をほんのり刺激する。
アヅキは余裕を少しだけとはいえ取り戻し、頭が回るようになってきた。だからこそ、今の絶望的な状況を痛感させられる。
おそらくノブミが殺した鎌切の死体を見られ、今は収まったようだが魚辰屋も騒がしかった。さらにアヅキたちは誰かを追うように走り、マキムラの屋敷の前にいる。
とても言い訳が利く状況ではない。しかも相手ははなからアヅキたちを疑っていたヨシナオだ。さしものセキソウでもこの状況を覆すのは不可能だ。
アヅキは視線だけを動かして、足元に転がる神楽笛を確認した。拾って吹き、神術を発動できるか。ほぼほぼ無理だろう。発動できた時にはセキソウの首が飛んでいる。
どこかに身を隠して様子を窺っているであろうノブミとオカに期待する。それも難しいか。本当に近くにいるか確かめる術がない以上、一か八かの賭けになる。
やはり、終わりだ。
どれだけ考えてもこの状況を覆せるわけがない。心がそう結論付け、じわじわと躰に無気力感が広がっていく。脳裏に浮かぶのは故郷で暮らす家族だ。アヅキの意思とは無関係に、肉体が死を受け入れるように着々と準備を整えていく。
「オコマさまを殺したのはヨシナオさま、あなたです」
呆気に取られた。
すぐには理解できなかった。
子供じみた反論だ。しかし、セキソウの赤く腫れあがった横顔は自信に満ち溢れていた。
「……なに言ってんだ、てめえ」
ヨシナオの声にも動揺が現れ、怒りも僅かばかりか薄まっていた。
「オコマさまを政争に巻き込まないために、ヨシナオさまはカシワ家から離れたそうですね」
セキソウは喉の痛みを苦しむように表情をひきつらせながらも滔々と語る。
「それならなぜ、シゲタネさまが亡くなり国主さまが政務からお離れになったあと、自ら食客たちを率いて国主の座を奪おうとしなかったのですか?
ほかのお子はまだ幼い。否応が無く政争に巻き込まれ、そのためにオコマさまが利用されるのは分かり切っていたではないですか。オコマさまを確実に守るには怠惰な君主を排して自身がその座に就く、それのみだったはずです。
それとも、ヨシナオさまほどのお方がそれに気付かなかったというのですか?」
ヨシナオの表情が歪む。それは間違いなく怒りの感情からだろう。だが、母を殺された怒りか図星を刺されたことへの怒りかは、アヅキに区別がつかなかった。
「成功するはずがないとは言わせません。
おのが身一つで若くして広津の町の水運を牛耳り、多くの商人たちから支持されて千人ともいわれる食客を抱えるお方が、たかだか嫡男一人が死んだ程度で意気消沈して全てを投げ出した人間の座を奪ったとて、一体誰が不満を述べるというのですか?
庶子とはいえ間違いなく正当な血筋の、それも優秀な男子が国主の座に就くのです。家臣一同諸手を上げて歓迎したでしょう」
そこで、セキソウは激しく咳き込んだ。膝を着き、地面に何滴か血が飛び散る。ヨシナオはその隙を突くようにすかさず口を開いたが、セキソウが視線で射竦めた。
「あなたはオコマさまを守るために必要な全てを持っていた。しかし、守れなかった。ほかの何かを守ろうとしたからです。本当にオコマさまが大切であれば、それらをかなぐり捨てて一点に集中するべきだったのです」
ヨシナオの額に青筋が立った。
「開き直るか!?」
「では私を殺しなさい! 殺せるというのであればの話ですが」
ヨシナオが動く。
一歩、また一歩と刃を煌めかせて歩み寄ってくる。それをセキソウは膝立ちのまま気後れ一つ見せず、堂々と弁を続けた。
「野国の策謀により礁国の外交関係は滅茶苦茶です。まだ破綻していないのは偏に隘国の合従策の賜物であり、発起人にして中心人物である私が繋ぎ止めているからです。今ここでその私を殺せば合従策は露と消え、礁国の横暴に抗わんと各国と手を組んだ野国が喜々として攻め込んでくるでしょう。それを望むと言うのであれば、どうぞ私を殺しなさい」
目の前で足を止めたヨシナオが、大上段に刀を構える。
その殺意は本物だ。アヅキは忘れていた寒気が全身に覆い被さってくるのを感じ、急速に呼吸がしづらくなって音もなく喘いだ。
「ですが私の死後、あなたは母だけでなく故郷すらも失うのです。兄の遺志も継げず、政争に巻き込まれた母も犬死に終わるのです。それでも構わないと一時の激情に流されて全てを失いたいのであれば、間違いなく私を殺すのが最良の道でしょう」
見下ろしているはずのヨシナオが、素手で手負いの相手に刀を振り被っているヨシナオが、気圧されたように震えていた。
少なくともアヅキにはそう見えた。対して見上げているセキソウの表情には余裕と気迫があった。全身は地面深くまで根を張った大樹のように力強さと自然さが同居している。
「さあ、私を殺しなさい。そして故郷をあなたの手で滅ぼしなさい」
ちら、とヨシナオの視線がマキムラの屋敷に向いた。刀の切っ先が微かに震える。
「このあと……どうするつもりだ?」
「国主さまに朝駆けし、マキムラ殿率いる併呑派と決着を付けます。正室であるオイトさまであれば、必ずやその場を整えられるはずです。自信を持つようにとお伝えください」
アヅキの躰を襲っていた寒気が消える。
ヨシナオが、刀を地面に叩きつけた。
「……死にたくなければ、必ず成功させろ」
抜き身の刀をその場に残し、ヨシナオは配下を引き連れて去っていく。
説得が成功したという事実が俄かに受け入れられず、茫然としていたアヅキはセキソウの深々とした吐息で我に返った。
「ヨシナオさまが、優秀な方で助かりました」
また、セキソウの声の掠れが酷くなっていた。やはり火傷は浅くない。アヅキは神楽笛を拾ってからセキソウに肩を貸し、立ち上がるのを助けた。
「早く帰りましょう。まずは、私の濡れてしまった下着を……変えないといけませんからね」
「えっ?」
「冗談です」
アヅキがほっとしたのも束の間、セキソウがまあと言葉を継ぐ。
「冗談と真実は、両立しますけどね」
そう言ってセキソウは、焼けた横顔に子供っぽい笑みを浮かべた。




