その男、口封じを企む
「言い忘れていましたが、さすがにオカさんには全て伝えました」
オカの屋敷に帰ってようやく旅装を解けたと思えば、セキソウがあっけらかんとそう言った。
「三人ではどうしても限界でしたからね。私たちが留守にしていた間、ショウベイの口を封じるために色々と手回しをしてもらっていました」
セキソウがオカを信頼して話したのだからアヅキに異論はない。それより根っからの悪人であるショウベイといえども、また人を殺す、それも事故ではなく意図的に殺そうとしている事実のほうが、ずっと心に引っかかっていた。
「どうするつもりなんですか?」
「仇討ちという形で被害者に殺してもらいます。これから会いに行きますよ」
自分たちが直接手を掛けない。それに安堵するべきか恥じるべきか、心の整理が付かないまま、アヅキはセキソウたちと被害者の代表を訪ねた。
ショウベイの被害者たちを束ねるその男は、武家屋敷ではなく町内に居を構えているが、百人以上を指揮する弓組頭だった。年は六十に近そうだが、強弓を幾度となく引いてきた両腕は明らかに左右で長さが異なっている。
「この度は誠に申し訳ありませんでした」
着座するなり、セキソウは板間に額をこすりつけた。
「本来であれば法に則りショウベイの首を落とすべきところですが、国主さまが政務からお離れになった影響で法の厳格な運用がなされなくなり、魚辰屋の顔を立てざるを得なくなったことでこのような事態になってしまいました。重ねてお詫び申し上げます」
いきなりの謝罪に驚いたのはアヅキだけではなく、弓組頭の男もまた目を丸くして開いた口をもごもごと動かし、いつまで経っても頭を上げないセキソウに頭を上げるよう促した。
「……隘国の方に尋ねることでないのは重々承知ですが、たった一年ですよ。それだけで極悪人一人を裁けないほど腐敗したというのですか?」
「力を持った人たちの影響を無視できなくなり、おもねる必要があるのです。国主さまが政務に復帰されればすぐにでも以前のような国に戻ります」
男は歯を食い縛り、小さく舌打ちした。
「国主さまは何を、いや、今のは忘れてくだされ。それよりオカから事前に聞いた通りに話がついたという認識でよろしいか?」
「はい。最近政務に参加されるようになった国主さまの庶子であるヨシナオさまが、この現状に怒りを覚え、仇討ちをしてもこれを黙認し、不問に処すことを約束してくださいました」
おおっ、と男が感嘆の声を上げる。
「さすがはヨシナオさまだ。シゲタネさまに勝るとも劣らない器は健在か。暗雲が立ち込めていたカシワ家にもようやく吉兆が現れたというわけですな」
男の顔が紅潮していた。老いて落ち込んだその目は、暗がりから獲物を狙う獣のように静かな光を放っている。
「勿論です。ヨシナオさまは仇討ちについても真にあっぱれと仰せになりました。どうぞ安心して仇討ちなさってください。その雄姿はヨシナオさまを支える同盟派の一人であるこのセキソウが、しかとお伝えしますので」
当然、嘘だろう。
母オコマを殺した犯人の目撃者を殺していいという許可を、ヨシナオが出すはずがない。かといってセキソウが被害者を騙すだけ騙し、後のことを考えていないとも思えない。
たった数か月の付き合いでしかないが、アヅキはセキソウに信を置いている。しかし事実として善良な人間を騙している事実がどうにも受け入れられず、さりとて拒絶しきれもせず、悶々とした思いだけが募っていく。
「あまり悠長にしていると魚辰屋にこちらの動きが漏れてしまうので数日中に決行したほうがよろしいかと。それと念を押すようですが裏口も確実に押さえてください。万が一ショウベイを逃がしてしまうと不手際となり、そちらのほうが庇えなくなりますので」
「委細承知。セキソウ殿とヨシナオさまには感謝の言葉もありません。当家はヨシナオさま、ひいては同盟派を全面的に支持いたします。そして三日以内には必ず、憎きショウベイの首を取ってみせましょう」
決意に満ちた満足そうな男の表情が、アヅキの心に鈍く食い込んだ。
はっきり言えば、これはアヅキたちの尻拭いだ。ただ、合従策を成すために絶対に必要なことだ。仕方ないと割り切るしかない。
そして、かつてと違い、アヅキは割り切れるようになってしまった。
その事実が何よりアヅキを滅入らせる。
自らを守ろうと真面目に生きてきた自分が、むしろ虐げる側となって真面目に生きてきた人たちを利用している。
いつの間にか随分汚れてしまった。これで一体、どんな顔をして家族に会えばいいのだろう。
そうこう考えていると、セキソウが退席しようとする。それを見てノブミが最初に外へ出て辺りの様子を窺い、アヅキもセキソウの背中を守るように続く。
それは、ほとんど無意識の行動だった。
それでいい、とアヅキは自覚してから自らの行動を肯定した。被害者を利用してショウベイを殺すのは、正しくなくても間違っているわけではない。
大義を成すというのは、善人を踏みにじるということなのだ。
踏みにじってもなお、成さなくてはならないのが大義なのだ。両立できる都合のいい道など残されていない。
セキソウを支えて合従策を成す。その思いを新たに、アヅキは振り返って戸を閉めた。
その翌日、オカが神妙な顔をしてセキソウに近づいてきた。
「マキムラ殿の手下が魚辰屋を嗅ぎ回ってるらしい。相変わらずマキムラ殿でなければ会わないの一点張りだが、ちょっと危ういぞ」
「光栄にも私が認められてしまったのでしょうね。そうなると今の今までショウベイの件で進展がないのは不自然ですから怪しむのは当然です。そう遠くない内、いえ、既に私とショウベイの関係に勘付いた恐れもあります。今日の夜、動きましょう」
そこからは早かった。
弓組頭に連絡してまたたく間に準備は進み、夕方にはいつでも実行に移せる体勢が整った。そうして夜になり、アヅキとセキソウ、ノブミとオカの二組に分かれ、アヅキたちは魚辰屋の見張りに着いた。
三日月が半端に光っている。魚辰屋の敷地を照らすには心もとなく、そこを囲む襲撃者たちを隠すには明るすぎる。
「すんなり行くといいんですけどねえ」
セキソウが呑気に呟いた。見張りといっても隣の区画の影から目を凝らしているだけだ。はしごを掛けて塀を乗り越えようとしている襲撃者たちは確認できても、そこから先は音で判断するしかない。
数日前まで盛んにしていたスズムシが、一匹だけで綺麗に鳴いている。
「これで終わるんでしょうか?」
「弱みがなくなるだけですからねえ。それに結局は国主さまをどう説得するかですが、有効な手はいくつか手に入りましたが確実といえるものがありません。どうしましょうかね」
淡々とした口調もあって悲観的な感情こそ湧かなかったが、それでもマキムラが間諜という決定的な証拠を得ながら自信を持てていないのが、アヅキには不思議でならなかった。
「まだ足りないんですか?」
「勝算はありますよ」
強がりでも自信たっぷりでもなく、ごく自然にセキソウはそう言った。
「ただ、もう少し欲しいというのが正直なところですね。これが常人であれば理を以って之を動かしとなりますが、果たしてシゲタネさまを亡くして気力を失った国主さまに理が通るかどうか。そもそもが優柔不断な方というのもあります。マキムラ殿が上手く動いて現状維持で落ち着くような気がしてなりません」
状況は悪くないが、ことがことだけに慎重になっているというところか。
その時、男の驚いたような野太い声が静寂を破った。
俄かに魚辰屋が騒がしくなる。家人に見つかったのだろう。ここからは時間との勝負だ。
予定ではショウベイの居場所は魚辰屋か、秘密裡に掘られた地下通路を通った先にある、魚辰屋所有の民家が建つ一画かのどちらかだ。ショウベイが出歩いた痕跡がない以上、そのどちらかにいるのは間違いない。あとは騒ぎを聞きつけた廻り方が集まってくるまでに見つけ出せるかどうか。
相変わらずアヅキたちにできることはない。
「まあ、なるようになりますよ」
セキソウが変わらない調子で話を再開する。
「想定外のことは起こって当然。だからこそ、重要な部分を押さえるのです。例えばマキムラ殿はカクケイ殿と連絡を取ろうとしていると予想できますが、それはマキムラ殿が五年病製造の機材を取り戻して初めて意味を成すことです。ヨシナオさまに回収をお頼みした以上、起こりうる想定外は対処できる範囲に収まるはずです」
セキソウと行動を共にしていると、アヅキは驚くという行為そのものに慣れてきた。だからといって、マキムラがカクケイと連絡を取ろうとしているという情報を無視できるはずがない。
「放っておいていいんですか?」
「相手はこの国の筆頭家老ですからね、連絡を取る程度は止めようがありません。無理に止めようとすると別の問題が起こるかもしれませんし、諦めるしかありませんよ」
セキソウがそういうならそうなのかとアヅキは納得し、ショウベイを探す声に耳を傾けた。
激しい人声や物音は最初に聞こえたきりだ。篝火の明かりが動き回っているのは確認できるが、それ以上内部を窺い知れる音は隣の区画まで届いてこない。
「少し遅いですね」
セキソウがはっきり言った。雑談の口調ではなく、声音が警戒に引き締まっている。
「早くないですか?」
「そこまで広い家ではありませんよ。向こうも向こうでこちらの動きを掴んでいたのかもしれません。だとしたら既に」
ショウベイは逃げ出した。
セキソウが言わずともアヅキはその続きを理解して、セキソウと共に走り出した。
マキムラの屋敷に逃げ込まれるのが最悪だ。
一度屋敷に入られれば手の出しようがない。そのまま罪を密告され、アヅキたちの立場は急転直下する。ほかにヨシナオの屋敷も考えられるが、マキムラと違って中に入れる分対処のしようはある。
だからこそセキソウは、マキムラの屋敷へ通じる道にノブミとオカを配置した。
アヅキとセキソウはお世辞にも速いとは言えない速度で走っていく。余裕ではなく、どちらもそれが限界の速度だった。
「私が、幼い頃は運動が得意だったと言ったら信じますか?」
セキソウが息を荒げながら聞いてくる。アヅキは答えようとしたが喉につっかえ、一度咳払いした。
「信じません」
「はい、嘘です」
言って、セキソウは笑みを浮かべた。何を冗談を言っているのかとアヅキは思ったが、場を和ませようとしたのだと理解した。
間もなく、男の呻くような声が聞こえた。暗闇に人影が浮き上がる。二人、いや三人いる。小柄な影が、大柄な影に重なってもがいている。
「捕まえましたね?」
セキソウが問うと、人影の片割れからオカの声が起こった。
「ああ、大丈夫だ。猿轡を噛ませて腕も縛った」
ノブミに後ろから押さえ込まれた小柄な男の容貌は鼠のようだった。逃れようとする動きは鼻を引くつかせる仕草のように見え、小柄でありながら割合毛深いところも鼠の印象を強くさせた。
ショウベイの動きが落ち着き、その目がアヅキたちに向く。
瞬間、大きく見開かれた。急に激しく暴れ出す。しかしノブミががっちり抱え込み、諦めたように動かなくなるまでそう時間は掛からなかった。
「見られていたのは虚言ではなく事実だったようですね。何にせよこれで一安心です。とどめを刺すのは場所を変えてからにしましょう」
遠くからショウベイの被害者たちが起こす騒ぎが聞こえてくる。廻り方の注意はそちらに向いているお蔭でアヅキたちの周囲は静かなものだ。
「何してる!?」
男の声。それが群青鎌切と結びつくのと同時に、明かりと共に力強い足音が走り寄ってくる。アヅキはすかさずセキソウと視線を合わせると、無言の頷きが返ってきた。
「そいつはショウベイか?」
鎌切の目がすっと細くなる。空いた片手は腰の刀に伸び、提灯を顔の高さに持ち上げた。
「俺を納得させてみろよ」
鎌切が放つ剥き出しの敵意が、刃物のようにアヅキの喉笛に触れた。背筋をうすら寒いものが這い上り、あっと言う間に躰が硬直する。
「襲われそうになっていたので保護しただけですよ。何を殺気立っているのですか?」
セキソウがごく自然体でそう言うと、鎌切が鼻で笑う。
「縛る必要はねえだろ」
「気が動転して暴れるので仕方なく。身の安全が第一ですから」
セキソウの弁解は明らかに苦しかった。このままでは間違いなく戦闘になる。ノブミがショウベイから手を離せない以上、セキソウを守るのはアヅキの役目だ。
だが、このままではいけない、そう分かっているのに手足が思うように動かない。
「身の安全ね。近くにそうまでしたい敵がいるようには見えねえがな」
「疑われている理由が私には分かりませんが、明かりを持っているなら丁度いい。ここに来るまでに落としてしまいましてね。ヨシナオさまの屋敷まで案内してくださいますか?」
にやり、と鎌切が笑う。しかし敵意に些かの衰えもない。
「それならいいぜ、って言いたいところだが、魚辰屋の女主人に借りがあってな。弟を連れ帰ってくれなんて頼まれたら、侠客として断るわけにはいかねえよな?」
瞬間、鎌切が高々と提灯を投げ上げた。
来る。
アヅキは頬の内側の肉を食んだ。そして、力一杯噛み締める。
痛み。手が動く。躰が動く。懐の神楽笛を掴みとる。鎌切が勢いよく突っ込んでくる。頭の中に曲が浮かび、神楽笛に指を這わせて口を当てる。
寸前、アヅキの横を巨大な影が過ぎ去っていった。
金属音が響く。欠けた刃の破片が明かりに照らされてきらきらと飛び散り、鍔迫り合いになったノブミと鎌切が静止する。
「任せましたよ」
セキソウが言うや、ノブミと鎌切が再び動き出す。
「……任せた?」
アヅキは疑問を覚えて振り返る。既に走り出しているセキソウの背中の向こうに、ぎこちなく動く小柄な影が見えた。
ショウベイが逃げている。




