その男、大胆に動く
カクケイの目の前で五年病の製造所にいた三人は殺された。
満足したカクケイは改めて証言を約束し、鎌切以外の食客を機材防衛のために残してアヅキたちは広津の町に帰還する。
ショウベイに手を出すには準備が必要だった。
「やってくれたな、セキソウ。こっちは大変だったぞ」
そう歯を剥いて言ったヨシナオに構わず、セキソウはカクケイを紹介して詳細を伝えた。ヨシナオは座り直してカクケイと向き合い、セキソウが纏めた交渉の結果を追認する。それから自身の屋敷に滞在を許して鎌切に案内させた。
足音が遠くなり、聞こえなくなる。瞬間、ヨシナオが目を眇めた。
「ヤハギに棹銅のことを伝えたな?」
またセキソウが何かしたらしい。グンゾウの故郷でオカに手紙を送った時に何かしたのだろう。よくよく見れば、ヨシナオの目の下にはうっすらと隈ができている。
「勿論です。良い反応は見られましたか?」
認めるのかとアヅキが驚いていると、ヨシナオも眉根を緩めて息を吐いた。
「……白だよ、反応だけならな」
「ではウワサワ殿が棹銅を横流した証拠は?」
「確認できた範囲ならそっちも白だ。領地で荒銅を棹銅に製錬してる様子はねえ。銅座から棹銅を横流した証拠もな。ただ、マキムラが関わった証拠もなかった。書類仕事はマキムラの方が何枚も上手だ。強引に調べたとして、尻尾が掴めるとは思えねえな」
予想の範疇ですね、とセキソウは頷いた。
「これからについて話しましょう。私たちは野国の証言を得ました。しかし、このままでマキムラ殿を失脚させることは難しい。そこでオイトさまを交えて我々が置かれた状況をお話ししたいのですが、ヨシナオさまはどう思われますか?」
俯くように目を逸らし、ヨシナオは気だるげに立ち上がった。
「いいだろう」
城内にある屋敷に移動してしばらくぶりにオイトと再会すると、セキソウはヨシナオに話したことと同じ内容を伝えた。
すると、最初は明るかったオイトの表情がだんだんと曇っていった。
「実は今、殿にお目通りが願えない状況になっているのです」
「マキムラ殿の仕業ですか?」
セキソウが問うと、オイトは小さく頷いた。
「つい先日、マキムラ以外とは会わない、と殿がお籠りになられているお屋敷の者から告げられました。合議で決まった案件に許諾をいただく時に限り、マキムラただ一人の面会が許されているそうです」
確実に、マキムラは追い詰められている。その窮地を脱するための時間稼ぎだろう。
野国の証言があろうとも、マキムラの処罰を決めるのは国主だ。ヨシナオが強引にマキムラを排除するのは可能だが、その後国主に専横を指摘されればヨシナオの命が危ない。つまり国主を押さえてしまえば、ひとまずマキムラの延命は図れるというわけだ。
「であればオイトさま、国主さまにお目通りが叶うよう働きかけてくださいますか? 難しいのは承知ですが、我々よりかは可能性があるでしょう」
「分かりました。最善を尽くしましょう」
話が一旦落ち着くと、セキソウがさてと言って話を変える。
「マキムラ殿は存在価値を失いました。ゆえにこそ、生き延びるにはもう一度自身の価値を証明しなくてはなりません。
その一つが、五年病製造の証拠を奪い返して隠滅し、カクケイ殿と口裏を合わせて礁国の筆頭家老としての地位を保つことです。中々険しい道ではありますが、可能性がないわけではありません。それを防ぐためにもヨシナオさまには手勢を率い、五年病を製造するための機材を守っていただきたい」
ヨシナオは考える素振りを欠片も見せず、セキソウを無言で凝視した。その行動の意味はアヅキにも理解できる。何か企んでいるのではないかと疑っているのだ。
そして、その疑いは正しい。
セキソウはショウベイを殺す為の障害であるヨシナオを、広津の町から追い出そうとしている。
「あの場所はマキムラ殿の領地内です。残してきた食客たちに攻撃を仕掛けるのは容易いでしょう。確実に守り切るにはヨシナオさま自らご出陣していただくほかありません」
「……もう一つあるだろ」
セキソウはちらとオイトを見やり、ヨシナオもまた同じようにオイトを一瞥する。
「そうですね。私はさきほどマキムラ殿は存在価値を失ったと述べましたが、実は見方を変えればそれは正しくありません」
二人が何を分かり合っているのかアヅキには想像が及ばなかった。見られたオイトも冷ややかな印象を崩さずとも不思議そうにしている。
「連衡策の中核を任されていたことと筆頭家老にまで登りつめた能力は言うに及ばず、礁国に潜り込んでから二十五年という時間があったこと、何より野国の意向に逆らって独自に動いた事実を考慮すると、マキムラ殿に五年病製造の知識がないとは考えにくい。まず間違いなく五年病の専門的な知識を有しているでしょう。そして、五年病は非常に危険な毒です」
そこでセキソウは言葉を止め、オイトを力強く見つめた。
「この危険な毒を有する野国に対抗するため、マキムラ殿の罪を許して寝返らせるべきです」
言われてみれば尤もな意見だった。
マキムラを失脚させても野国が持つ五年病の脅威は残り続ける。必ず対抗策を用意しなくてはならない。その最善の方法は、間違いなくマキムラを利用することだ。しかもそれはマキムラの自白そのものであり、合従策の成立にも繋がってくる。
これを名案と言わずなんという。アヅキは肌が粟立つのを感じ、しかし正面に座るオイトの顔を窺った。
そこにあったのは、きっとまなじりを決した母親の顔だ。
「許しません」
オイトの視線は中空に向いていた。誰を見るでもなく、それでも明確に誰かを睨みつけるような険しい目付きで細い喉から言葉を絞り出す。
「息子を、シゲタネを殺した男の末路は一つしかありません。それ以外の道は例えお天道様が許そうとも、母である私が許しません」
誰も、何も答えられなかった。
ややあってセキソウとヨシナオが視線を交わし、ヨシナオが口を開く。
「俺も反対だな。利を捨てようとも優先しなけりゃならねえことってのは存在する。カシワ家の嫡男を殺した男を味方に引き入れて、それを良しとする奴なんざこの国にはいねえよ」
内容とは裏腹に、ヨシナオの声色はどこか柔らかかった。セキソウは頷き、オイトに頭を下げた。
「申し訳ありません。あくまで手段の一つですから。私もマキムラ殿を失脚させることに異論はありません。ですのでヨシナオさま、よろしくお願いしますよ」
「必ず守り切るのですよ、ヨシナオ」
ヨシナオの表情が微かに歪んだが、すぐに引き締まった。
「お任せください」
ヨシナオは立ち上がり、セキソウを一瞥して早々に出立した。
アヅキたちも城を後にするが、向かう先は滞在しているオカの屋敷ではなかった。武家屋敷が並ぶ一角の、周囲と比べても一際大きな敷地を有した屋敷だ。
「セキソウ殿、ここは?」
「マキムラ殿の屋敷です。さあ、行きますよ」
冗談だろう。
アヅキが言葉を失っている間にも、セキソウはヨシナオの名前を出して家人に案内されて中に入っていく。いつものように一切の遅れを取らないノブミの背中を慌てて追って、アヅキも屋敷の一室に足を踏み入れた。
しばらく待っていると、マキムラが姿を現した。
筆頭家老であるのに近習の姿はなく、動かない右腕をだらりと下げて、何も言わずにアヅキたちの前に腰を下ろす。
「心中お察しします」
最初に口を開いたのはセキソウだった。
「早速ですがマキムラ殿、礁国に寝返るつもりはありませんか?」
勝手なことをしていいのかとアヅキは慌てるが、さきほどのヨシナオの態度を思い出した。
ヨシナオはオイトに配慮するような態度を繰り返し見せていた。あれはヨシナオもセキソウの案に一理あると考えていた証拠ではないのか。
セキソウはなぜか、自分でも状況を把握していないかのように自信なさげに話を続ける。
「ヨシナオさまは、礁国に寝返り五年病の専門家として身を粉にして働くなら、シゲタネさま暗殺の件は不問に処すとおっしゃいました」
やはり想像は合っていた。
つまり、オイトは捨てられたのだ。それが正しいのはアヅキにも理解できたが、飲み込むには時間が掛かりそうだった。
「言葉の意味が分かりませんな」
しばらくの沈黙を破ってマキムラの口から出てきたのは素っ気ない言葉だ。取り立ててとぼけている様子もなく表情も平静を保っている。
「とはいえ、いちいち説明しろというのも面倒な話。一番の疑問である、シゲタネさま暗殺の件についてお話しいただけますかな? セキソウ殿の口ぶりだと私がシゲタネさまを暗殺したように聞こえるが、一体全体どのようにして私がシゲタネさまを手に掛けたというのか」
アヅキがマキムラと腰を落ち着けて正対するのはこれが初めてだ。セキソウの唐突な申し出にも些かの動揺を見せず、悠然とセキソウを見つめている。
やはり、二人は似ているな、とアヅキは思った。
顔が違うのは勿論年齢も親子ほど離れているが、背丈は人並みでとても争いには向かない細身の躰はそっくりだ。セキソウがいきなり突っ込んだ話題を口にしたにも拘らず、ヨシナオが放っていたような威圧感は微塵もない。
お茶でもしているような穏やかな息遣いのまま、二人は堂々と見合っていた。
「ヨシナオさまは確か、こうおっしゃっていました」
セキソウはまた、なぜか不安そうに言った。
「シゲタネさまは水浴びをする際に水を飲む癖があったそうです。相撲大会が開かれたのは夏の、それも特に暑い日だったようで、ウワサワ殿は取組後に水浴びをしたそうです。
それならシゲタネさまも同じように水浴びをしたでしょうし、喉も渇いていたでしょうと。そして、その水浴び用の水を渡す役目を任されていたのが働き始めたばかりの下男で、その男こそがシゲタネさま暗殺の実行犯であるグンゾウだそうです。
残念ながらその男は遺体で発見された以上想像になりますが、他の参加者と同じようにシゲタネさまにも水を渡したのでしょう。あくまで水浴び用の水なら側近たちの警戒も薄い。その水に規定量溶かされた五年病の毒を摂取してしまったシゲタネさまは、十日後に亡くなったということだそうです」
「果たして、それほど都合のいい癖などあるのだろうかね」
「あったから実行に移したのだと、ヨシナオさまはおっしゃっていました。それにその下男が実行犯でないのなら、単純にウワサワ殿が実行犯ということになります。しかしもはやどちらでもいいのです。野国のカクケイ殿が、マキムラ殿が犯人だと証言してくださいましたから」
マキムラが野国の間諜だという前提で話が進んでいるが、互いにそれを主張も指摘もしない。ただ、セキソウは一旦口をつぐんでから再開する。
「マキムラ殿、あなたは追い詰められています。野国はあなたを捨て、五年病の秘密を守る方を選びました。そうなればあなたの罪は白日の下に晒され極刑は免れません。礁国に寝返るのが唯一の道と存じますが」
「それはどうですかな」
マキムラが微かに笑う。
「情報が欲しいだけなら拷問すればいい。その後の研究を進めるために生かしたとしても、遠からず私は用済みになる。礁国に寝返ったところでどこに安全があるというのか」
一理ある、とアヅキも思った。しかしだからこそ、完全に追い詰められたマキムラがこうも余裕を保っているのが理解できなかった。
「これは仮の話ですが、私がヨシナオさまの立場なら違う策を取る」
ぴくり、とセキソウの表情が動くのをアヅキは横目で捉えた。
「ヨシナオさまが新たな国主になるのです」
声を出したのはアヅキだけだった。すぐに我に返って口を結び、一言謝って心持ち後ろに下がるが、その際に見えたセキソウの横顔は明らかに強張っていた。
「結局のところ、私の処遇を決めるのは殿です。しかし気力をなくされた今の殿に何が出来ようか。庶子であろうともヨシナオさまはれっきとした殿のお子であり、家督を継ぐに十分な力を示しておられる。今の惨憺たる有様の殿を捕らえて国外に追放し、自ら国主の座についても文句を言う者はいない。あとは私を殺すなり利用するなり自由です。そうは思いませんかな、セキソウ殿」
それが可能なのかという問いは、セキソウがすぐに反論しないのが答えだった。
「申し訳ありませんがヨシナオさまの使いに過ぎない私では判断しようがありません。私が託されたのはマキムラ殿を寝返らせるという一点のみ。その答えだけを頭に留めて持ち帰らせていただきたい」
「全ては仮の話ですから。ヨシナオさまにはよろしくお伝えください」
そして、二人はほとんど同時に頭を下げた。
アヅキに分かったのは、それで話が終わったということだけだった。寝返りを断れたはずだが、実際のところはセキソウに尋ねてみなければ分からない。
「失礼します」
セキソウはそう言って腰を上げ、あっさりと引き下がろうとする。それもまた、アヅキには不思議な光景だった。
マキムラの懸念は的確でも、セキソウからすればマキムラの寝返りは策として重要なはずだ。それなのに簡単に諦めているのはどういうわけか。
いや、アヅキはいつだかのセキソウの言葉を思い出す。
マキムラはそもそもオコマ殺しの犯人がアヅキたちだと勘付いている。
それを突いてこないのはそもそもセキソウを侮っているからだ。しかしここでセキソウがヨシナオの命という名目から踏み込んで交渉してしまえば、マキムラを警戒させて自分たちの身を危うくさせてしまう。今までの妙な態度もそれが理由か。
だからセキソウは策を諦めざるを得なかった。今の状況ではこれが限界なのだ。
「そういえば」
ふと、マキムラが声を発した。しかし二の句を継ぐまでに妙な間が開いた。
「……オイトさまにもよろしくお伝えください。組んでいるのでしょう?」
「……承りました」
違和感のあるやり取りだったが、マキムラの屋敷を出た途端にセキソウが漏らした言葉で吹き飛んだ。
「手強いですねえ」




