その男、下男を追う
「ショウベイの件はどうするんですか?」
一度オカの屋敷に戻ると、急いで支度を終えたアヅキは周囲の確認をしてからそう問うた。
「まだ無理ですね。心配ですか?」
セキソウの近くに荷物はなく、縁側にのんびりと座っている。隣で支度をするノブミもゆったりとした動きで荷物を纏めていた。
「心配ですよ。それにマキムラ殿がこれからどう動くか」
「マキムラ殿ならさらに問題ありませんよ。私たちなど脅威に感じていませんからね」
「……どういうことですか?」
「マキムラ殿は私の手が血に濡れていると気付いていますよ」
言葉の意味は分かるのに理解が遅れた。
「え?」
ようやく出せた声はそれだけだった。すると、セキソウが目を細めて後ろに倒れた。
「状況的に動機を持つのは私たちと併呑派だけです。ヨシナオさまのお立場では判断が付きませんが、マキムラ殿は自分たちの手が綺麗だと分かっていますからね。残る候補は私たちだけです」
アヅキの背筋に冷たいものが走った。
マキムラはセキソウがオコマ殺しの犯人だと分かっている。悠長にしている場合ではなかった。アヅキは焦燥に駆られそうになり、しかし呑気に仰向けになったまま伸びをするセキソウの姿を見て冷静さを取り戻した。
「……なんでマキムラ殿は私たちを泳がせているんですか?」
「私の合従策は野国の連衡策によって機能を停止しています。その状況を打ち破れる、つまり野国の脅威となるのは、礁国を支配する併呑派を打ち破る力を持つヨシナオさまだけです。ただでさえ脅威でない私たちを潰し、政敵であるヨシナオさまに恩を売ってどうするというのですか」
納得しかけて、アヅキは慌てて首を振った。
「分からないじゃないですか!? 告げ口されたらどうするんですか?」
「その時は終わりです。心配なら帰ってもらっていいですよ」
そんなことを言われて帰れるわけがない。いや、そうでなくとも今さら帰るわけにはいかない。合従策を成功させたい思いは、故郷に家族がいるアヅキも同じだ。
「それは二度と言わないでください」
少し強い口調になった。セキソウが小さく笑う。
「すみません。まあでも、決定的な証拠もありませんから、隘国の使者である私たちを罰することはできませんよ。今は外に目が向き、忙しい最中でしょうし」
大きな動きがないだけで、マキムラや併呑派は未だ岳国を始めとした小国に圧力を掛けている。アヅキたちが動向を掴めていないだけで、水面下でほかにも動きがあるだろう。
そこまで考えて、アヅキは眉をひそめた。
「それならショウベイの件は? なぜマキムラ殿はセキソウ殿に解決を頼んだんですか?」
「はい、それが分かりませんでした」
だったらまずいだろう。アヅキは思ったが、セキソウは無防備に目を閉じた。
「どうして血に濡れた私に仕事を任せるのか。ですがそれもカシワ家の家督争いの話を聞いて腑に落ちました」
「というと?」
「私がショウベイの件をうまく処理すれば、礁国での私の立場は良くなるでしょう。ひいてはそれは同盟派の伸張に繋がり、ヨシナオさまの発言力も増します。それは一見良いように見えますが、家督争いを厭う国主さまはその状況をどう思うでしょうか?」
ヨシナオは庶子だ。
それも母であるオコマは側室として認められていないという微妙な立場だ。しかも嫡男のシゲタネが亡くなり、ほかに国主の子供はいるのはいるが、まだ物心もついていないほど幼いらしい。
「最悪、誅殺もあり得る?」
「そういうことです。礁国の最高権力者は結局のところ国主さまですから、讒言すればそれで事足りるのですよ。というより、国主さま最愛の人であったオコマさまの子を止めるにはそれしかないでしょう。下手にヨシナオさまを排そうと動けば、マキムラ殿が国主さまの怒りを買いかねません」
結局、マキムラがわざわざ動く価値もないということか。
ショウベイの件が失敗しても、それはそれでセキソウを咎めて礁国から追い出せばいい。成功しても失敗しても構わない。マキムラからすれば、セキソウはその程度の存在でしかない。
安心していいのか口惜しんでいいのか、アヅキは複雑な思いに囚われた。
「オイトさまに初めてお会いした後、襲われかけたことを覚えていますか? あれはおそらくマキムラ殿の仕業でしょうが、以来何もないのもそういうことです。忠告はするがそれで十分だと思われているのですよ。それと、ショウベイの件も色々と考えていますからご心配なく」
それから間もなく、群青鎌切がオカの屋敷を訪ねてきた。
「さて、お目付け役も来たことですからそろそろ準備を始めましょうかね」
セキソウはどこまで考えているのか。もはや心配すること自体が愚かだったのではないか。アヅキはそんな考えを持つようになっている自分に気付いたが、恥じる気持ちは湧かなかった。
アヅキたちは鎌切を連れ、広津の町から北に半日ほど歩いた先にある漁村を訪ねた。
この村はかつてシゲタネに仕え、今は連絡が取れなくなっている下男──グンゾウの故郷だ。シゲタネが亡くなったのはグンゾウが仕えてから一月もしない内のことであり、その後の混乱や調査を経て奉公先を失ったグンゾウは、故郷に帰って三月と経たない内に行方不明になった。
「グンゾウは網元の長男なんだがな、元を辿ればカシワ家と同族らしいんだよ」
最後方を歩く鎌切が言った。
「随分昔に帰農、と言っても漁師だが、それでこの村に落ち着いたらしい。なんでも代々受け継いできた刀があるそうだ。見せてもらおうぜ」
海と山が目立つ村だった。
夕暮れに照らされる海面は穏やかに揺れ、潮騒が肌を撫でていく。人家が少なく閑散としているのは広津の町から中途半端な距離にあるからだろう。
広津の町の恩恵を受けるには遠く、若者たちの脚で行くには近すぎる。東には海が、北と西では山がそびえてるせいで行き止まりになっているから交易の道にも使えず、栄えようのない村だ。
アヅキたちは浜辺の近くにある家を訪れ、グンゾウのことを尋ねた。
「あいつのことは知らねえ、聞くな」
髪も皮膚も見事に潮焼けしたグンゾウの父はそう吐き捨て、どぶろくの入った徳利を呷った。
「カシワ・ヨシナオさまの命だぞ」
鎌切が凄んでもグンゾウの父は態度を変えず、手を払って追い返す仕草をする。
「誰だろうが知らねえものは知らねえ。それともなにか? うちに代々受け継がれてきた刀盗んで消えたアホンダラを俺が匿ってるって言いてえのか?」
「この野郎、こっちが下手に出てればぴーちくぱーちくぴよぴよと」
グンゾウの父に伸び掛けた鎌切の手を、セキソウが遮った。
「では行方を知っていそうな方の心当たりはありますか?」
「あ? ジャリどもとよく北の岩場で屯してた。多分、そいつらなら知ってるかもな。まだ村にいるかどうか知らねえけどな」
最後のほうは少しだけ呂律が怪しかった。これ以上は問い詰めても意味がないだろう。
アヅキたちはグンゾウの父に言われた通りの場所に行き、釣り糸を垂らしている二人の青年に声を掛けた。
「ガキども、ちょっと顔貸せ」
鎌切の低い声に振り向いた二人は、訝しそうにアヅキたちを順繰りに見つめ、最後に二人で顔を見合わせた。
「人攫いに貸す顔はねえよ」
「女の子攫った次は俺らってか? やれるもんならやってみろ」
えっとアヅキが思っているのも束の間、セキソウたちの目が一斉にアヅキに向き、見下ろされた。ようやく何と勘違いされているか思い至ったアヅキは顔を真っ赤にする。
「私は大人です!」
「あれ?」
青年たちが首をかしげているのをよそに、鎌切が盛大に大笑いする。つられるようにセキソウも顔を背けて密かに笑い、ノブミだけが我関せずと波濤にうっとりしていた。
「え? ならお前たち誰?」
鎌切とセキソウは笑っていて話にならない。アヅキは内心で怒りながらも青年たちに事情を話した。
「カシワ・ヨシナオさまの命でグンゾウのことを聞きに来ました。グンゾウと仲良くしていたのはあなたたちだけですか?」
「もうちょっといたけど今は俺たちだけだ。なにせ俺たちもう十七になるからな。この年で遊んでたらアホだぜ」
「つまり俺たち筋金入りの」
「アホでーす」
二人は肩を組んで人懐っこい笑みを浮かべる。二人とも気安い性格で話はとんとん拍子に進み、あっさり本題に入れた。
「駆け落ちだと俺たちは睨んでる」
「グンゾウには多分両思いだった同い年の子がいたんだよ。ただその子は西の山を越えた先にある町に十三才で嫁いでいってさ。あいつが荒れたのもその時からだな」
睨んでいる、という言葉にセキソウが首をひねった。
「グンゾウが行方不明になって一年近く経ちます。確認はしていないのですか?」
「してない。というか駆け落ちが成功したとは思ってない」
「噂を聞く限り向こうはそのまま町で暮らしてるっぽいんだよな、これが。だから駆け落ちしようとしたけど失恋して、あいつはどっかに行ったと思ってる」
「絶対成功すると思ってたんだろうな。やたら浮ついたし」
「帰ってきたけどすぐに村を離れるって言ってたしな。いやでも遊びに誘っても全然付き合ってくれなかったし浮ついてたか?」
「そうだっけ? なんかあいつの浮ついたとこにイラっとした記憶があるんだけど。でも一年前だし俺もあんまり覚えてねえな」
全ては一年前のこと、誰しも記憶は薄れて曖昧なことばかりになり確かなことは一つない。鎌切は腕を組んでセキソウに目をくれた。
「成功報酬は後払い、ってところか? 怪しまれるから大人しくしろとでも言われたか」
「まだ想像に過ぎませんよ。次はその思い人のいる町に行ってみましょう」
三、四刻も進めば着くというが、それでは夜の山中を進むことになってしまう。アヅキたちは村に泊まり、朝早くになって出発した。
獣道よりはマシ程度の細道を進んでいく。
普段から往来はほとんどないようでノブミが先頭になって枝払いをし、セキソウを挟むようにアヅキが続き、これまでずっと最後方にいた鎌切は変わらずの位置から目を光らせていた。
「クジラ漁ってどうするか知ってるか?」
ふと、鎌切がそんな話を切り出した。
「こう、たくさんの船で追いかけながら縄付きの銛をどんどん突き刺していって弱らせてな、ある程度動かなくなると羽差っていうまあ親分だな、そいつがクジラに飛び乗って潮を吹くところの鼻みたいな部分があるんだが、そこの障子を抉って穴を開け、そこに綱を通して船に固定するわけだ。
で、それからクジラの下に潜り込んで心臓を一突きする。最初っから最後まで危険だが、特に羽差の最後の役目が一番危険だ。弱ってるっていってもクジラの巨体で暴れられたら人間なんか即お陀仏よ。認められた一部の漁師にしか務まらねえ」
益荒男というのはまさにこのことをいうのだろうとアヅキはぼんやり思った。セキソウは当然として、相応しい体格を持つノブミでも誰かを率いる姿が想像できずにぴんとこない。強いて言えば鎌切が近いが、まさかそれに話を繋げて自慢するつもりだろうか。
「でな、元服したその日に羽差を任され、見事にクジラを捕まえて見せたのがグンゾウだ」
会話をしていたわけでもないのに、アヅキは言葉に詰まったような感覚を覚えた。直視しているわけでもないのに思わず目を逸らしてしまう。
「で、その噂もあってグンゾウはシゲタネさまの下男として拾われるわけだ。前にも言ったように遠縁ではあるがカシワ家と同族だからな、結構あっさり雇われたそうだぜ」
「お友達と同い年なら十七ですか」
セキソウは振り返らずに言った。
「十五でクジラをとって下男になったのが十六ですから、調査と交渉をする時間は十分にあったというわけですね」
「そういうこと。度胸のある悪ガキほど都合のいい駒はいねえからな。シゲタネさまの懐に巡り込ませるには丁度いい人間だ」
あまり聞きたい話題ではなかった。
力を持った人間にいいように使われる庶民の末路は悲惨なものだ。セキソウも鎌切もあえて口にしていないのか、アヅキの脳裏には顔も知らぬグンゾウが野垂れ死んでいる姿がよぎってしまった。
鬱蒼とした森も同情して涙を流したようにきらきらと輝いている。夜の間に雨でも降って朝露が光っているのだろう。アヅキは感傷に浸るようにそう思い、しかし足元から伝わってくる地面のしっかりとした感触に違和感を覚えた。
ここ数日雨は降っていない。斜面を下った先、下草の奥から確かにきらきらとした輝きが漏れている。
「身中石花です」
言ってアヅキが足を止めると、三人もほとんど同時に立ち止まった。
「身中石花というと、スギナに似たあの?」
間髪を入れずにそれが出てくるセキソウの博識さには感心してしまう。
「そうです。ただ似ているのは見た目だけで別物ですし、ツクシもできません。その代わりに先端にちょっと白みがかった透明の石が形成され、あんな風に日に当たると綺麗に光るんです」
アヅキが指差した先を三人が見やった。
「そして身中石花は冬虫夏草の仲間ともいわれ、決まって大型動物の死体から生えてくるんです」
そこまで言うと鎌切の反応は早かった。ノブミに声を掛けて斜面を下っていき、すぐに大声を上げる。
「当たりだ!」
鎌切とノブミが無理やり通って切り開いた道をアヅキとセキソウは進んでいき、身中石花の大元を視界に納めた。
とうの昔に白骨化した頭蓋骨だ。
周りを見渡せばほかの骨も下草や落ち葉に隠れるように散乱し、木の根元にはボロボロになった小袖が半ば地面に埋もれていた。
「一人分の骨でしょうね。見たところ動物のせいであちこちに骨が散らばったのでしょう。斜面を転がり落ちて木に当たって止まり、いえ、この感じだとそれは亡くなった後ですかね」
セキソウは言いながら大腿骨らしき骨を触り、自分の手と比べて長さや太さを測る。
「まず間違いなく成人男性の骨ですね。骨盤が見つかれば断言できるのですが」
セキソウと一緒になってアヅキも骨盤を探してみるが、道からも外れた鬱蒼とした森ではそう簡単に見つからない。
「それにしてもアヅキさん、よく身中石花などという珍しい植物を知っていましたね?」
「それはこっちが言いたいですよ。私が知っているのはこの先端にできる石が実は截石ではないかという説があるからなんです。ただ、同じぐらいの小さな截石は効果が弱く、神術の行使を阻む力がありません。だから説の立証が出来ていないんです」
「そのような仮説に過ぎないものをどこで知ったのですか?」
「前に截石の効果が従来認識されているものと違うという説を話したと思いますけど、説の提唱者がそれと同じ人なんです」
「なるほど。その人そのものが支持されているということですか。いつかお会いしてみたいですねえ」
その時、いつまにかさらに斜面を下りていた鎌切が戻ってくるのが見えた。
「下で刀を見つけた」
鎌切は汚れた刀を力任せに抜き、所々に錆が浮いた刀身を露わにする。そこには刀に疎いアヅキにも分かる見事な俱利伽羅龍が彫られていた。
「多分、グンゾウが盗んだっていう刀だろうな」
つまりこの白骨死体は、予想通りグンゾウということか。
「物取りの犯行ではありませんね」
セキソウが言うと、鎌切は頷いて刀身を鞘に納めた。
「報酬を受け取る代わりに殺されたってところだろうな。だが、口封じにしちゃ痕跡が残りすぎて杜撰ではある」
「確かに。ですが証言以上に重要な証拠はありませんからね。事実私たちが辿る道はここで途切れました。彼らにとってはそれで充分なのでしょう」
グンゾウはやはり、いいように使われて死んでしまった。網元の息子として村に残って慎ましく法を守って暮らしていれば、こんなことにはならなかっただろう。
それでも一人の楽師でしかないアヅキにできることは何もない。用も済んで帰ろうとする鎌切の後を追う。
そこで、セキソウが両手を合わせてグンゾウに祈っている姿が見えた。アヅキもそれに倣って黙祷する。
「私は幸せだったと思いますよ」
戻り際にセキソウが漏らした言葉は、アヅキにはぴんとこなかった。
それから漁村に帰ったアヅキたちは、グンゾウが手にしていた刀を網元に渡した。果たしてそれはグンゾウが盗んでいった刀であり、白骨死体があった場所を伝えると、網元はややあってそうかとだけ答えた。
ヨシナオの食客が接触してきたのは、そのすぐ後のことだった。
「五年病の製造場、その移転先が見つかりました」
「やはりマキムラ殿の領地にありましたね?」
セキソウの問いを食客は肯定し、手書きの地図を指差した。そこは鬼伏山の北にあり、そこに至る道には丁度夜盗に襲われた村がある。
場所を確認すると、セキソウは食客に折り畳んだ紙を渡す。
「これはオカ殿に渡してください」
言い終わるや否や、鎌切がその紙を奪い取って中身を見た。
「代わりにお願いします?」
あからさまに訝しむその視線を、セキソウは涼しげに受け流す。
「はい、まだしばらく帰れそうにないので隘国への報告を代わりにしてもらおうかと思いまして。それがどうしたのですか?」
「……いや。俺のことはおっきな猫ちゃんとでも思ってくれ。つい悪戯したくなるんだよ」
鎌切はそう言って食客に紙を返した。
「ではいくつか魚を貰っていきましょうか」
「俺は通だからな、マグロにしてくれ、好きなんだよ」
「サンマで我慢してください」
朗らかに話しているが、今の鎌切の行動はヨシナオの猜疑心が理由だろう。広津の町ではアヅキたちの弱みを握るショウベイが野放しになり、ヨシナオやマキムラもいる。
想像すると不安から居ても立っても居られなくなるが、セキソウは心配するなといった。それならアヅキにできることは、セキソウを信じる以外にない。




