その男、聞き取りをする2
「ヨシナオさまから大体のことは聞きました」
開口一番放たれたその声は、熊の唸り声のように低く威圧感に満ちていた。
体毛もまた濃く、鼻から下はほとんど毛に覆われ、至る所に刻まれた刀傷は厳しい環境で生き抜いてきた証だ。齢五十を超えながら生気に満ち溢れ、ただでさえ分厚い躰をさらに一回り大きく見せていた。
「なぜ今になって相撲大会を調べているのか正直にお聞かせ願いたい」
座る前からいきなり突き付けられた言葉に、セキソウは見せつけるような、それでいて小さく吐息を漏らしてウワサワの前に腰を下ろした。
「私はあくまでもヨシナオさまに協力しているだけに過ぎません。ご質問があればヨシナオさまに直接お聞きください」
「配下の者ならともかく、隘国の人間が何も知らずに協力するなどあるわけがないだろう」
「隠居された方がお知りになってどうするというのですか?」
ウワサワ・ナガモリはシゲタネの死後、三十手前の嫡男に家督を譲って隠居している。
元々は先代国主の家督争いで頭角を現した武辺者で、カシワ家でも一二を争う武功の持ち主だ。シゲタネとの関係は当初こそ重臣と国主の嫡男という関係でしかなかったが、一目見た瞬間に惚れ込んでシゲタネを幼少期から支えてきたという。
「……いいだろう。同じことを話せばいいのだな?」
ウワサワもまた、カイショウと同じようにシゲタネに侍って相撲大会を観覧していた。違うのはウワサワも参加者の一人であり、シゲタネと戦って倒したのもこの男だということだ。
「あの日は特に暑い日だったが、その中でもあの取組が一番熱かった。その後に浴びた水もこれまた気持ち良くてな」
ここまでは問題なかった。多少の差異はあっても毒を摂取させられる状況にないのはほかの二人と同じだ。
しかし一日目の工程が終わると、ウワサワは待ってましたとばかりにシゲタネを茶会に誘ったという。
「以前からシゲタネさまが欲していた茶器が偶然手に入ってな。ほかにも少しお伝えしたいことがあったのだ」
「……二人きりですか?」
「茶室だぞ、当たり前だ」
臆面もなくそう言った内面には何を抱えているのか。アヅキは筆が震えないように気を付けながら二人の顔を盗み見る。
「そのお伝えしたいことというのは?」
ウワサワの表情は、顔の下半分が髭に覆われているのもあって初対面のアヅキには変化が分からなかった。
「なに、結局は誤報だ。俺の妻はオオミ家の人間でな。オオミ家は知っているか?」
「積極的に婚姻外交をしていることで有名なお家ですね。確か今のご当主には十人以上の姉妹がいると聞きましたが」
「その姉妹の一人、つまり俺の義妹が野国の重臣に嫁いでいるのだが、その重臣が死んで婚姻関係が崩れたかもしれないという情報が入った。今まで中立を保っていたオオミ家を我が国に引き込める好機かと思ったわけだ。結局今でもぴんぴんしているそうだがな」
黒々とした髭の隙間に歯が見えた。目も少し細めたから苦笑したのだろう。
「シゲタネさまは茶器がお好きだったのですね」
「かなりな。手遊び程度だがいくつか自分でも作ったことがあるほどだ。それなのに俺が差し上げようとしても断固として受け取ってくださらないのだから苦労した」
ウワサワは今度こそ声をあげて笑ったが、セキソウはともかくアヅキは愛想笑いもできなかった。
これは演技なのか。それとも腹の底から真実を話しているのか。
「ヨシナオさまは何を調べている?」
不意に、ウワサワの目付きが鋭くなった。セキソウはいなすように微笑みを返す。
「ヨシナオさまを支援されない方にお話しすることはありません」
「話せよ」
「ご自分の目で確かめればよろしいのではありませんか? 隠居されたとはいえまだまだ影響力はお持ちでしょう。その力を使って衰退した同盟派を再び盛り立てようとは思わないのですか?」
「器の問題だ」
そう言った途端、ウワサワの目付きが平静に戻った。
「確かにヨシナオさまの能力はシゲタネさまに勝るとも劣らない。向き不向きは違うが傑物といっていいだろう。だが、器が違う。圧倒的に仁徳が足りない」
「仁徳、ですか」
「シゲタネさまに比べれば、ヨシナオさまは猿山の大将だ。初めて会ったのがヨシナオさまであれば俺も尻尾を振って喜んで仕えただろう。だが、シゲタネさまの後ではな」
アヅキは、以前から心のどこかで抱えていた疑問が氷解するのを感じた。
いくら同盟派の中核だったシゲタネが死んだとはいえ、それだけで同盟派が瓦解するのは不自然だった。しかし三者三様でありながらそれぞれがシゲタネに抱えていた思いを知れば、ほかの同盟派の面々の内情も窺い知れるというものだ。
良くも悪くも同盟派は、シゲタネ個人によって成り立っていた。同盟派の理屈や正当性をかき消すほどの強烈な光を抱えていたシゲタネは、死と共にそれらを巻き添えにして逝ってしまった。
そして、後には何も残らなかった。
「武士たる者二君に仕える気はない」
セキソウは「そのままお待ちください」と言い残し、アヅキたちを連れて退室した。
元の部屋に戻ってしばし待っていると、床を踏みしめるような慎重とも重苦しいとも取れる歩調でヨシナオが現れる。
「証言を照らし合わせるのは後だ」
言って、ヨシナオはセキソウの正面にあぐらをかいた。
「……ウワサワだろ、どう考えても」
表には出さなかったがアヅキも同意見だった。
まず、相撲大会中全くと言っていいほどシゲタネと接点のなかったヤハギが毒を摂取させるのは不可能だろう。それに比べればカイショウはあり得るが、常にシゲタネの傍にいた以上、毒を摂取させていればほぼ確実に目撃されてしまう。あり得なくはないが、その程度の可能性でしかない。
ウワサワしかいないのだ。
二人きりで茶会を行い、本来であれば入手が難しい棹銅も、領地に銅山を持つウワサワなら入手する手段はあるだろう。
ウワサワ・ナガモリが茶会でシゲタネに毒を摂取させた。そう考えるよりほかはない。
「いえ、ウワサワ殿は嵌められたのですよ」
セキソウがそうきっぱり否定するのは、アヅキもなんとはなしに予想していた。ヨシナオもまた溜息ともつかない息を吐き、それから舌打ちした。
「出来過ぎてるって言いてえんだろ? だがそれを言い出したら鬼伏山の麓で見つかったあの日誌だって本当だとは限らねえだろうが」
「あれは真実ですよ。なぜなら別口から偽造されたものだと判明した時、ウワサワ殿に罪を擦り付けられなくなりますから」
「そりゃ罠だったらの話だろうが」
ヨシナオの言う通りだとアヅキは心の中で頷いた。慎重なセキソウが罠だと疑うのは理解できるが、真実から目を背けているとしか思えない。
「ではお聞きします。あの日誌から明らかになった情報で、具体的に野国は何が困るのでしょうか。五年病という毒の作り方という、重要な部分は何一つ明らかになっていませんよ」
はっとした。
結局分かったのは、五年病の摂取から死亡までの期間が短くなったこと、服薬や銅という字が書いてあり、現場に錆びた棹銅があったこと。その程度だ。
製造方法は元より、野国と結びつく情報も何一つ見つかっていない。
「なら日誌は真実だとしよう。だがな、策士策に溺れてねえか。兄上は当初病死と判断された。つまり普通なら毒殺だと分かるわけがねえ。そもそもここに辿り着きようがねえんだ。なのに露見した時に備えて策を打っていた? 逆だろ。露見しようがねえなら誤魔化す意味もねえ。状況証拠通りウワサワが直接手を下した。そう考えるべきだ」
「それなら相撲大会でそれをする理由は?」
ヨシナオが口をつぐんだ。
そう言われると、アヅキもセキソウの考えが理解できた。側近である三人ならわざわざ相撲大会を選ぶ必要はない。どこかでこっそり摂取させればそれで済む話だ。
「策というのは全てが成功するわけではありません。毒殺が露見しないのが最上ではありますが、露見した時に備えて次善策を用意するのは普通のことです。それに考えてもみてください。毒殺が成功した時、次に厄介な存在は誰ですか?
礁国では貴重な銅山の管理を任され、戦功も抜群なウワサワ殿ではないですか。真犯人に罪が及ばないようにするためにも、ウワサワ殿に罪を擦り付けるのは理に適っています」
「……ウワサワは隠居、いや、それは結果論か」
「野国からすれば嬉しい誤算だったでしょう」
野国にとって、同盟派が瞬く間に瓦解するのは予想外だったということか。アヅキはセキソウの思考に納得しつつ、しかし非現実的な飛躍も感じていた。
静かに聞いていたヨシナオが、膝を打って音を鳴らした。
「なら聞こう、セキソウ。お前は誰が黒幕だと考えてる?」
「マキムラ殿です」
マキムラ・ツネトモ。カシワ家の筆頭家老であり、併呑派の中心的人物。確かに相撲大会でも偶然かもしれないが怪しい動きを見せていた。
「マキムラが兄上に何かを差し入れた、なんて記録はねえぞ」
「勿論、実行犯は別です。ですが筆頭家老であれば、流通していない棹銅を手に入れるのも不可能ではないでしょう。それに聞くところによると、マキムラ殿の出身は野国だそうですね?」
アヅキは目を見開いた。
礁国は交易国家らしく外国人が多く、外国の出身でありながら勘定方のオカのように出仕している者もいる。だが、筆頭家老にいる者ですら外国人とは予想だにしていなかった。
「出身はな」
ヨシナオは語る。
「あいつがこの国に来たのは二十五年ほど前、つまり家督争いの真っ最中だった。嫡男とはいえ劣勢だった祖父は出自を問わず有能な人材を求めていた。マキムラは新参ながらその知略と弁舌を以って祖父を助け、以降も精力的に働いて今の筆頭家老という地位についた。胸中はともかく、カシワ家であいつ以上の忠臣はいねえ」
「それだけ有能な方が、なぜ祖国を捨てたのですか?」
あくまで噂だが、とヨシナオは前置いた。
「元々野国の官吏をしていたそうだが、当時の上役に酷い仕打ちを受けたらしい。右腕が動かないのはその時の後遺症だそうだ。野国に対する恨みつらみは家中でも随一で、実際野国に最も強い敵意を向けて小国の併呑に動いているのはあいつだ」
「苦肉計でしょう」
最初から計算のうち、マキムラの自作自演ということか。セキソウに全幅の信頼を置いているアヅキは確かにあり得るかもと思い直したが、ヨシナオは鼻で笑った。
「都合のいい解釈だな」
「はい、私もウワサワ殿が犯人だというのは否定しませんよ。これはあくまで次善策ですから。ウワサワ殿が犯人であればそれで何よりです」
そう言って、セキソウはにこりと笑った。それから間を開けて話を続ける。
「少し整理しましょうか。ウワサワ殿に疑いが向いているということは即ち、五年病の存在が明らかになったということです。通常であれば尻尾を掴まれるというのは犯人にとって不都合な状況のはずです。しかしどうですか。先ほども説明した通り野国は、さらに言えばマキムラ殿も何一つ損をしていません。おかしいとは思いませんか?」
偶然ではなく、予期していた。それならあの日誌も棹銅も、截石の採掘跡も全て意図的に残されたというのか。
「そして実際に損をしたのはただ一人、併呑派と対抗する同盟派の重鎮であったウワサワ殿だけです。誰かにとって都合がいいことが起こっているというのであれば、野国も疑うべきではないのですか?」
アヅキは虚を突かれた思いだった。
状況証拠が揃っているという理由でウワサワを疑うのなら、野国にとって都合のいい状況ができているという理由で野国の罠を疑うべき、というセキソウの意見は至極もっともだ。
ヨシナオもしばらく言葉を紡げず、ようやく動いたかと思えば腕を組んで俯いてしまった。
「……なら毒は? 実行犯は誰だ?」
「方法まではまだ分かりません。実行犯はマキムラ殿の意を受けた、シゲタネさまに仕える誰かではないかと考えています。改めて確認したいのですが本当に怪しい方はいなかったのですか? もしくは口封じをされたように亡くなった方はいませんでしたか?」
腕を組んだまま、ヨシナオは人差し指で二の腕を叩く。
「この聞き取りにあたって当時の関係者を探させたところ、一人連絡が取れねえ奴がいる。ただそいつは当時の事情聴取で白と判断されたし、実際奉公を始めたばかりとあって参加者を相手にするだけで兄上には近づける立場じゃなかった」
「具体的には何を?」
「進行の手伝いだ。言われた通りに参加者を誘導するだけで大したことはしてねえ」
「それはどうでしょう」
言って、セキソウは立ち上がった。
「私たちはこれからその方について調べてきます」
「駄目だ」
セキソウに続こうとしていたアヅキは、ヨシナオの唐突なその言葉で動きを止めた。
「なぜですか?」
アヅキと同じ疑問をぶつけたセキソウの問いに、ヨシナオは答えなかった。セキソウもそれ以上問わず、二人が見つめ合ったまま時が流れていく。
ショウベイか。
ヨシナオは可能な限り、自分の目が届かないところでセキソウに動かれたくないのだ。鬼伏山に付いてきたのと同じ理由だ。
「何か不都合でもあるのですか、ヨシナオさま」
「なに、安全上の問題だ。毒の存在が明らかになった今、野国が何をしてくるか読めねえ。お前たちにはこのまま屋敷に留まり、聞き取りの協力をしてもらう」
ヨシナオは強力な味方ではある。
だが、完全な味方ではない。むしろ潜在的な危険性で言えば、直接襲い掛かってくる分、野国より遥かに恐ろしい存在だ。
「ご安心を。私にはアヅキさんとノブミさんがいますから大抵のことには対処できますよ」
「隘国の賓客に何かあってはカシワの名に泥を塗ってしまう。不自由させるのは申し訳ねえが従ってもらうぞ」
正しい理屈を言われてしまうと逆らうこともできない。これでは事実上の軟禁だ。さしものセキソウでも後手に回るしかなくなり、いつかはオコマ殺害が公になってしまう。
どうすればいい。
アヅキは必死に思考を巡らせ、何か使えないかと部屋中に視線を彷徨わせる。しかし、まさかヨシナオを殴って飛び出すわけにもいかない。想像以上に悪い事態だという認識だけが、どんどん深まり視界から色が消えていく。
野太い男の声が響いたのはその時だった。
ウワサワの怒声だ。少し遅れて足音が猛然とした勢いで近づいてくる。
「大変です!」
部屋に食客が飛び込んできた。
「ウワサワがカイショウに、お前がシゲタネさまを殺したのかと詰め寄ってます! 俺たちでは止められません!」
ヨシナオは毒づいて立ち上がった。
「七面倒なことを」
食客に連れられて部屋を出ていこうとするその背中に、セキソウがさっと声を掛ける。
「証言の裏取りをするにも時間が掛かるでしょう。私たちはその時間を有効活用させていただきます。よろしいですね?」
「……好きにしろ!」
多分、ウワサワに入れ知恵したのはセキソウだろう。部屋に手紙でも残していたのか誰かに言伝を頼んだのか。根拠はないが、アヅキはそう確信した。
「さて、行きましょうか」
セキソウはそう言って、穏やかに微笑んだ。




