その男、聞き取りをする1
広津の町に帰ってくると、アヅキたち三人はヨシナオと一旦別れ、準備が整ったという報告を受けてからヨシナオの屋敷に赴いた。
「集めたのは三人。兄上の側近であり同盟派の中核にいた男たちだ」
ヨシナオがそう話を切り出すと、セキソウが「いいですか」と手を肩の高さまで上げた。
「家人も容疑者に含まれるはずですが」
「兄上が亡くなった時、当然毒殺の線は疑われた。家人は例外なく徹底的な調査を受けて、それで何も出なかったんだ。一応人をやって追加調査はしてるが、まず間違いなく無関係だろうよ」
それで当時の調査では不足があると判断したのがその三人というわけか。
「その三人と家人以外は絶対に容疑者たりえないのですか?」
「ねえな、断言する。兄上は毒見役が口にしたもの以外手を付けなかった。今あげた連中が勧めたのならともかく、それ以外が触れたものを飲み食いすることはねえ」
将来を有望視された国主の嫡男だ。それぐらいの用心はしてもおかしくない。
「服薬、という言葉が正しければ、五年病の毒は薬のように、例えば水に溶かして飲まされたということになります。その点はどうですか」
「五年病で死んだのは兄上だけだ。屋敷内の井戸が汚染されてたって線もねえ。毒が入れられたのは井戸から汲み上げた後だな。食い物なら三人が持ち込んだ何かってことになる」
「問題はそれが誰で、いつ行われたかということですね」
一番疑わしいのは、当然ウワサワ・ナガモリだ。それでも決定的な証拠がない以上、先入観を持たずに聞き取りをしなくてはならない。
「飲み物にしろ食い物にしろ機会は限られる。立場上二人きりになる機会なんて早々ねえし、それ以外の場所なら複数人の目がある。絞ること自体は難しくねえはずだ」
「棹銅の件は伏せておくということでよろしいですね?」
「ひとまずはな。まだうちのものと確定したわけでもねえ」
この辺りはただの確認だ。聞き取りはセキソウとヨシナオがそれぞれ行い、あとで証言の齟齬を探す。それから当時の参加者に話を聞いて裏を取る。そういう手筈になっていた。
「三人とも兄上が亡くなって中枢から消えた人間だ。時間はいくらでもある。何日掛けようと俺の屋敷から出さねえ。お前たちもそのつもりでいろ」
そこでヨシナオの目付きが鋭くなったのはどういう理由か。アヅキが思わず身震いするのと同時に、ヨシナオは何事もなかったように身を翻して部屋を出ていった。
アヅキたちが最初に聞き取りするのは、ヤハギ・ナガヨシという武士だ。
ヤハギ家はカシワ家の庶流であり、ナガヨシはヤハギ家当主の年の離れた弟だという。シゲタネが幼少の頃より仕え、文武に通じていたこともあってシゲタネの元服後にはほとんど家宰のように重用されていた俊英だった。
ところがアヅキたちを待っていたのは、浮浪者か牢人のように髭や髪を野放図に伸ばした男だった。油のせいか妙な艶も出ている。
ヤハギの実年齢は三十を超えた頃だと聞くが、二回りは年上に見えるその男は、アヅキたちに寝ぼけているような半開きの目を向けて軽く会釈すると、そのまま目を瞑って動かなくなってしまった。
「お待たせして申し訳ありません、ヤハギ殿」
セキソウがそう言ってようやく、アヅキは目の前の男がヤハギ・ナガヨシなのだという当たり前の事実を受け入れられた。
ヤハギはシゲタネの死後、本家に呼び戻されて事実上の蟄居を命じられていたという。それは勢いを増す併呑派への配慮からくる失脚でもあるのだろうが、ヤハギ自身、魂が抜けたように気力を失って俗世との関わりを絶っていたとか。
しかしその期間は一年と少しだ。その短期間で将来を嘱望されていた男がここまで変わるのかと思うと、アヅキは真正面からヤハギを見ることができず、用意されていた筆を手に取って請け負った記録係の任へと意識を逸らした。
「事情はすでにヨシナオさまからお聞きでしょうからすぐに本題に入りましょう。去年の相撲大会でヤハギ殿が何をされていたのかお聞かせください」
ヤハギは目を開けず、微動だにしなかった。そうしていると本当に老いさらばえたように見え、ややあって開かれた瞳もどこか澱んでいた。
「……一年以上前のことを語って、いったい何になるというのでしょう」
「ヨシナオさまの屋敷に招かれておいて、いまさらその不満を口にしてどうするというのですか?」
「無意味な押し問答するつもりがなかっただけです。当時の調書はまだ残っているはずです。一年以上前の曖昧な記憶を頼りにするより、そちらを頼ったほうが確実でしょう」
ヤハギの意見は正論ではあった。
当時と違う視座があるとはいえ、一年前の夏の出来事を振り返ったところで重要な情報が出てくるかは怪しいところだ。それでもこの聞き取りが無意味かと言われれば、それはまた別の問題だろう。
「それに若君の死は病死だと既に結論付けられています。今になって蒸し返すのは墓を暴くようなものではありませんか」
今度はセキソウのほうが少しだけ押し黙った。
「ヤハギ殿は、私たちの目的に気付いておられますね? それでしたらなおさら私に協力するべきではありませんか?」
「……まあ、いいでしょう。今の私に急ぐ用があるわけでもありません」
そうして語られた相撲大会におけるヤハギの行動は長いものではなかった。
相撲大会を実際に差配していたのはヤハギであり、シゲタネの最側近ではあるものの日中傍にいる時間はほとんどなかったという。シゲタネと同じ屋根の下に住んでいるから夜間は別かと思いきや、それも相撲大会の見事な差配に感激した筆頭家老のマキムラに呼び出されたことで離れ離れになり、そのままマキムラの屋敷で夜を明かして相撲大会の二日目が始まった。
そこで、セキソウが疑問を覚えたように声を漏らした。
「マキムラ殿は、当時でも併呑派の中核的存在ではありませんか?」
「セキソウ殿は何か勘違いされているようですが、同盟派や併呑派などというのは所詮外交政策の違いに過ぎず、礁国を思う気持ちは皆同じです。決して互いを憎み争っているわけではありません。筆頭家老であるマキムラ殿のお誘いをどうして断ることがありましょうか」
「確かにそうですね。口を挟んで申し訳ありません」
話が再開する。二日目もまた差配に時間を取られてシゲタネと接することなく相撲大会は終わり、さらには後始末にも忙殺され、やっと腰を落ち着けることができたのは翌日の夜だった。
筆を置いたアヅキは自分の字を見ながら思考を働かせるが、何度考えてもヤハギがシゲタネに五年病を引き起こす毒を摂取させる余裕があったとは思えなかった。裏が取れるかは微妙なところだが、現状ヤハギは無実だと考えるのが無難だろう。
「分かりました。ヨシナオさまがおいでになるまでしばしお待ちください」
そう言ってセキソウは立ち上がり、アヅキや控えていたノブミも中座しようとする。
「……ヤハギ殿は、シゲタネさまの遺志を継いで同盟派を再び盛り立てようとは思われないのですか?」
不意に切り込まれたセキソウのその言葉は、アヅキも抱えていた素朴な疑問だった。
老衰したようなヤハギの姿は、シゲタネに向けられた思いの強さの裏返しだろう。単身では難しくとも、同盟派を率いるべく立ち上がったヨシナオに非協力的なのは不可思議だ。
「……若君が殉死をお嫌いになっていなければ、とうに私は追い腹を切っていました。死にぞこないに何ができるというのですか」
「何もしなければ、それこそ殉死したのと変わりないではありませんか」
「たった一年だぞ!」
突然、ヤハギが声を荒げた。
「隘国の人間にとっては長い一年でも、私たちにとってこの一年は、若君が亡くなられてからの一年は、それまでを思えば一瞬のことでしかなかったのだ!」
ヤハギの息が荒い。澱んだ瞳は暗い光を放ち、口角に泡が浮いていた。
「若君は亡くなられた。それが全てだ!」
セキソウは何も答えず、アヅキたちもそれに続いて無言でヤハギの前から立ち去った。
次の取り調べはカシワ家の菩提寺の住持職を務めるカイショウという僧だ。
十代後半から三十年以上各地を遊行していたが、シゲタネの祖父の時代に起こったカシワ家の家督争いの時期に住持職となる。
しばらくは一介の僧に過ぎなかったものの、遊行していた頃に培った幅広い人脈に目を付けたシゲタネにより、シゲタネの名代としてカシワ家の外交の多くを任せるようになったそうだ。
御年八十を超えるカイショウは、年齢通りの古木のような僧だった。つるりとした頭と顔に深く刻まれる皺は朽ちた木を思わせ、ふさふさとして白い眉毛はそこに苔が生えているようだ。瞑っているように細い目は生来のもののようで、瞼の隙間からほんのり見える瞳はそのままに目尻の皺を深くした。
「拙僧はカイショウと申します。以後、よしなに」
挨拶もそこそこに軽い前置きから事情聴取を始めようとすると、ふと、カイショウが疑問を覚えたように小さな唸り声を漏らした。
「ヨシナオさまも相撲大会を開くおつもりですか?」
そんなわけがないだろう。思わず、アヅキは筆を落としそうになった。セキソウも驚いたように言葉を詰まらせる。
「すみません。おっしゃっている意味がよく。ヨシナオさまから事情をお聞きになっているはずですが?」
「はい、ですから去年の相撲大会のことを調べて次に生かそうとしているのかと思いまして。違うようならそれはそれで構いません」
とぼけているわけではなく、本当に事情を知らないだけなのか。
カイショウはシゲタネの死後、外交から一切の手を引いて住持職に専念していた。立場上、今でもヨシナオの動向は耳に入ってもよさそうだが、年齢もあって俗世とは距離を置いているのかもしれない。
「それで去年の相撲大会のことでしたな。とくに一日目は暑かった」
そうして語られた記憶はとにかく話が逸れ、中々終わりが見えなかった。しかしカイショウの行動は単純明快だった。
二日に渡った相撲大会において、カイショウは常にシゲタネの傍で相撲を観覧していた。離れた時とはいえば用を足すときとシゲタネ自身が相撲を取ったときぐらいのもので、それ以外は子供を見守る母親のようにべったりとしていたという。
それから話は口にしたマクワウリが甘くて美味しかったと逸れていき、感傷に浸るようにカイショウが口をつぐむとセキソウが質問した。
「シゲタネさまの毒見役はどなたが務められていたのですか?」
「小姓の中から選ばれていますが、はて、当時はどの子が務めていたか。ただまあ、それは朝食などの決まった時間の食事のことですな。間食、それこそマクワウリは拙僧が毒見役を務めておりました」
「水を飲むときは?」
「勿論、拙僧が。なに、若い者が死ぬよりかは拙僧のようなジジイが死んだほうがマシというものですから」
毒見というのは当然、人に見られながら行うものだ。カイショウが五年病を引き起こす毒をその際に混入させるのは現実的ではない。そして未だカイショウが壮健な以上、それらに毒が入っていた可能性もない。
そのまま相撲大会の一日目がつつがなく終わると、カイショウはマキムラに呼ばれてその屋敷を訪れたという。
「……マキムラ殿、ですか」
「元々、拙僧が若い時分に見聞きしたことをご家中の方々に話し聞かせていたのです。マキムラ殿のお屋敷に呼ばれたのが決まったのは、さていつだったか」
マキムラの関与はヤハギに続いて二度目だ。カシワ家の筆頭家老という立場上おかしくはないが、果たしてただの偶然なのだろうか。アヅキはその違和感を紙の隅に小さく書き留めた。
「初めてですか?」
「いえ、一年か二年ぶりだったとは思いますが、今までにも何度かお邪魔しておりました」
それが終わるとマキムラの屋敷と菩提寺が近いこともあって、カイショウは菩提寺に戻って翌朝、相撲大会が行われる城内に向かったという。そうして二日目も一日目と同じ工程を辿り、相撲大会はお開きになった。
ヤハギに比べると随分長くなった紙を見ながらアヅキは筆を置いた。
改めて供述を振り返っても、カイショウが犯人だと考えるのは無理筋だろう。ヤハギよりは可能性はあるかもしれないが、言い換えればその程度でしかない。
「最後にこちらから一つ、よろしいですかな?」
セキソウが了承すると、カイショウは長々と喋ったとは思えないほどよく通る声で続ける。
「ヨシナオさまは政務に復帰されたのですか?」
「そうだと言えば、カイショウ殿も復帰されますか?」
微笑み、カイショウはおもむろに首を振る。
「いえいえ、幼い頃から知っている方の動向が気になっただけです。シゲタネさまがお亡くなりになった時、拙僧の最後の奉公も終わりました。後は静かに朽ちていくのみです」
形は違えども、ヤハギとカイショウの人生はシゲタネの死で大きく変わってしまったのだろう。残る一人、もっとも疑わしいウワサワ・ナガモリはどうなのだろうか。




