EP 5
「100円の画鋲と油が、異世界の戦術を狂わせる」
ポポロ村の長閑な昼下がり、心地よい風が吹き抜ける。
『ドゴォォォンッ!!』
轟音と共に、俺の体は宙を舞い、泥水溜まりに顔面から突っ込んでいた。
「はい、お前今ので三回死んだぞ。バイトリーダー」
「ゲホッ、ゴホッ……! っの野郎、足元からいきなり木の根を生やすなよ!」
泥を吐き出しながら抗議する俺を見下ろし、アラトは冷たく鼻で笑った。
彼の弓術はただ矢を射るだけではない。持ち前の『自然魔法』を使い、敵の足元に草花や木の根を這わせて拘束・転倒させるという、ひたすらにいやらしい戦い方をするのだ。
「最前線で敵が『正面から正々堂々行きます』って言ってくれるとでも思ってんのか? いいか、お前は腕力もない、魔力もない、おまけにスキルを使えば体力が削られるモヤシだ。真正面からやり合おうとする時点で計算が狂ってんだよ」
「じゃあ、どうしろってんだ……!」
「考えろ。お前のその『棚』を使って、敵の計算を狂わせろ」
アラトの厳しい言葉に、俺は荒い息を吐きながら頭をフル回転させる。
俺の武器は【コンビニショップ】。出せるのは日用品だけ。
だが、ここは地球の常識が通用しない異世界。剣と魔法、そして闘気でゴリ押しするのが当たり前の世界だ。
「……敵の足回りを、狂わせる」
俺はスキルの発動を念じた。
腹の底からカロリーが奪われる疲労感に耐えながら、両手に二つのアイテムを出現させる。
一つは、厨房で使い慣れた大容量の『100円サラダ油』。
もう一つは、文房具コーナーにある『100円の画鋲セット(大入り)』だ。
「おいおい、なんだそのゴミは? 今日の晩飯は天ぷらか?」
「天ぷらにはしねぇよ。……ちょっと、手伝ってくれ」
俺がアラトに作戦を説明し終えた直後だった。
『ブルルルルルッ!!』
村の防壁の外縁、森の入り口付近から重低音の鼻息が聞こえた。
見れば、角が岩でできている牛型の魔獣『ロックバイソン』の野生個体が、村の畑から漂うハニーかぼちゃの甘い香りに誘われて迷い込んできたところだった。
「チッ、野生のバイソンか。どうする? 俺が処理してもいいが」
「いや、いいテスト客だ。俺の『接客』を試す」
俺はアラトを制し、急いでバイソンと畑の間にあるなだらかな石畳の傾斜へ走った。
バイソンがこちらに気づき、前足を掻いて突撃の構えを見せる。
俺はサラダ油の封を切り、傾斜の石畳に思い切りぶち撒けた。
さらにその奥、油のゾーンが終わる土の地面に、画鋲セットを箱ごとひっくり返してばら撒き、落ち葉でサッと隠す。
「よし、アラト! 準備完了だ!」
「……お前、マジで頭のネジ飛んでんな。死んでも知らねぇぞ」
ロックバイソンが、地鳴りを上げて突進してきた。
体重は軽く1トンを超えているだろう。まともに轢かれればミンチだ。
足が震える。本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らす。
だが、俺は逃げない。油のトラップの直線上、画鋲の奥で、両手を広げて立ち塞がった。
「いらっしゃいませ。ポポロ村へようこそッ!」
俺を標的に定めたバイソンが、最高速で石畳に踏み込んだ。
——その瞬間。
『モギュォォオオ!?』
闘気を纏った強靭な踏み込みは、石畳に撒かれた大量の『サラダ油』によって摩擦係数をゼロにされた。
四つ足が完全にコントロールを失い、バイソンはすさまじい勢いでもがきながら、ツルツルと傾斜を滑り落ちてくる。
そして、その勢いのまま、落ち葉で偽装した『画鋲ゾーン』へと突っ込んだ。
『ブモォォォォォオオオオオッ!!』
凄まじい悲鳴が響き渡った。
人間の靴底ならいざ知らず、野生の魔獣は裸足だ。巨体の自重と突進の勢いがそのまま乗り、無数の画鋲が柔らかい足裏の肉に深く突き刺さる。
激痛に暴れたバイソンは完全にバランスを崩し、その場にズデーンと無様に転倒した。
「今だ、アラト!」
「……チッ。指示すんな」
アラトが弓を引き絞る。
放たれた矢は、転倒して完全に無防備になったバイソンの眉間へ、吸い込まれるように突き刺さった。
ビクンと一度大きく跳ねた後、バイソンは完全に沈黙した。
「……え、嘘。マジで決まったのか?」
自分で仕掛けておいて、俺は呆然と尻餅をついた。
たかが油と画鋲だ。それが、異世界の強固な魔獣を一方的に無力化した。
「……ハッ。狂ってやがる」
アラトが歩み寄り、仕留めたバイソンと、画鋲の刺さった地面を交互に見て嗤った。
「まさか、たかが脂と鉄のピンで魔獣の突進を殺すとはな。お前、本当にただの店員か?」
「だから言ったろ。俺はシフトを組むのが得意なんだよ」
「悪くねぇ。これなら、数の不利も地形とトラップでひっくり返せる。……お前の算段、少しは見どころがあるじゃねえか」
アラトの目が、初めて俺を『ただのバカ』ではなく、『戦術の要』として評価したのを感じた。
「ちょっと! あんたたち、村の入り口で何やってるのよ!」
怒声と共に、村長のキャルルが走ってきた。
倒れたバイソンと、油まみれの石畳を見てウサギ耳を逆立てている。
「石畳が油でベトベトじゃない! 掃除大変なんだからね!」
「わ、悪かった。後でちゃんと拭いておくから」
俺が苦笑いして立ち上がろうとすると、ガクッと膝から崩れ落ちた。
トラップを仕掛けるために駆け回ったのと、魔獣の突進を正面から受け止める恐怖で、足に力が入らない。膝も擦りむいて血が滲んでいた。
「……もう。本当にバカなんだから」
キャルルは大きなため息をつくと、俺の前にしゃがみ込み、懐から『陽薬草』を取り出した。
そして、今度は血を吐くような無理な魔力行使はせず、純粋な治癒魔法で俺の膝の擦り傷を優しく塞いでくれた。
「ほら、立てるでしょ。油の掃除、絶対にやりなさいよ」
「あぁ、サンキュー」
キャルルの照れ隠しの小言に笑い合いながら、俺たちの訓練は確かな手応えを感じていた。
——だが、その平和な日常は、唐突に終わりを告げる。
日が暮れかけた頃。
村の入り口の防壁に、血だらけのボロ布を纏った『誰か』が、ふらふらと倒れ込んできたのだ。




