EP 2
「そのウサギ耳の村長、口は悪いがタダで命を救ってくれる」
静かな森の土の匂い。かすかに意識が戻りかけた俺の鼓膜を、
『ザッ、ザッ、ザッ!』
特注の安全靴が地面を蹴り砕く凄まじい足音と、ヤンキーめいたウサギ耳の美女の舌打ちが突き破った。
「チッ、こんな国境の森で寝てたら死ぬわよ余所者! なに、帝国のスパイ? それとも魔皇国の使いッ?」
胸ぐらを乱暴に掴み上げられ、俺は無理やり上体を起こされた。
霞む視界に映ったのは、頭にピンと立った白いウサギ耳と、動きやすい現代風のラフな服装に身を包んだ、目つきの鋭い美女だった。
「ごほっ……いや、俺は……ただの、コンビニ店員……」
「はあ? コンビニ? 何寝言言ってんのよ!」
彼女は警戒心も露わに俺を睨みつけていたが——次の瞬間、その視線が俺の左腕でピタリと止まった。
最初……いや、先ほどのネクロマンティスとの死闘で負った、深くえぐれた裂傷。ボタボタと流れ落ちた血が、周囲の土を黒黒と濡らしている。
「この傷……ッ! あんた、死蟲機の残党と鉢合わせたっていうの!?」
先ほどまでの威圧的な態度は一瞬で消し飛んでいた。
彼女の目が、本音を暴く。警戒や打算など微塵もない、純粋な焦燥。
「おい、しっかりしなさい! 目を閉じちゃダメ!」
彼女は懐から青々とした薬草——『陽薬草』を取り出すと、それを両手で包み込むように握りしめた。
そして、目をギュッと閉じ、自身の内側から何かを絞り出すように歯を食いしばる。
『……ッ、ふぅぅ……!!』
彼女の手の中で、薬草が淡い銀色の光——月の光のような輝きを放ち始めた。
だが、それはただの魔法ではない。
俺は見た。彼女の顔から急速に血の気が引き、青白くなっていくのを。
そして、彼女の端正な唇の端から、ツゥーッと赤い血が流れ落ちたのだ。
「おい……あんた、血が……」
「喋るなッ!!」
己の生命力そのものを薬草に注ぎ込み、強制的に万能薬『月光薬』へと変成させる月兎族の秘術。
見ず知らずの、怪しい余所者である俺を助けるために、彼女は自分の命(HP)を削っている。
彼女は光り輝く月光薬を、ためらいなく俺の左腕の傷口に押し当てた。
ジュワッという音と共に、激痛が嘘のように引き、えぐれた肉が瞬く間に再生していく。
数秒後には、傷跡一つ残らない綺麗な肌に戻っていた。体力までもが、底の底から湧き上がってくる。
「……治った。すげぇ……」
俺が呆然と呟くと、彼女は大きく肩で息をしながら、よろけるようにその場にへたり込んだ。
懐から人参の刺繍が入った可愛らしいハンカチを取り出し、口元の血を乱暴に拭い去る。
「あんた……なんで、俺なんかのために、自分が血を吐くような真似を……」
「……」
「あ、ありがとう。マジで、助かった」
俺が頭を下げると、彼女はウサギ耳をピクッと震わせ、バッと顔を背けた。
「う、うるさいわね! 勘違いしないでよね!」
「え?」
「私の村の敷地内で死体になられたら、後処理が面倒なだけよ! 衛生上も最悪だし、書類仕事も増えるし……とにかく、ほっとけなかっただけだから!」
照れ隠し全開の捨て台詞を吐きながら、彼女は俺から視線を逸らして立ち上がる。
だが、その足元はまだ少しフラついていた。
口は悪いが、行動はどこまでも本物だ。こんなにも痛みを伴う『優しい嘘』を、俺は他に知らない。
「私はキャルル。キャルル・ムーンハート。この先にある『ポポロ村』の村長よ」
「俺は秋月陸人。……えっと、フリーターだ」
「ふん、まあいいわ。とりあえず歩けるならついてきなさい。村で休ませてあげる」
特注の安全靴を鳴らしながら歩き出す彼女の背中を、俺は慌てて追いかけた。
すっかり元通りになった左腕をさすりながら、俺はこの異世界で初めて、確かな『安心』を感じていた。
案内された村の入り口。そこで俺を待っていたのは、
「ギャァァアアアア!!」と叫びながら二本足で爆走する大根と、
「村長のヤツ、昨日も人参抱き枕で寝てたらしいぜゲヘヘ」と三面記事を喋るキャベツだった。
……なんだこの、完全に狂った生態系は。
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