不穏な影
木々が風で揺れ、かすかな音を鳴らしている。
高台にある神社はまるで下の街で何も起きてないかのように静寂に包まれていた。
境内にある見晴らし台から下を見下ろすと、低い位置に街が見えた。ビルに半分隠れ全体は見渡せないが、明かりは一軒もついてないようだった。全体的に真っ暗だ。しかし、月明かりに照らされ、かすかにビルや住宅の輪郭だけが見えていた。その光景が何も起こってないかのようで、でも何か得体のしれない異様さを漂わせ、心をざわつかせた。
リ……ン
かすかに鈴のような音がした。
ふいの音に僕は振り返った。目の前には神社の拝殿がある。しかし音を鳴らした物は特に何もない。
リ……ン
再び音が聞こえた。音は拝殿内部から聞こえるようだ。
僕は音の正体を確かめるため拝殿に向かった。敷き詰められた砂利に足音を立てながら境内を横切る。拝殿に近づき中を覗き込んだ。
ーー本来は閉まってるはずであろう本殿へ続く奥の扉が開いている
急いで逃げ出し、閉じる暇がなかったのだろうか? 半開きの扉の陰に、本殿内部が見えていた。僕は息を潜め中を窺うと、本殿に足を踏み入れた。
リ……ン
再び音が鳴った。今度はすぐ近くだった。慌てて周囲を見渡す。すると、すぐに音を鳴らしていた物が見つかった。
ーー軒先に風鈴が1つ吊り下がっている
何だ、風鈴か……
本殿の軒先に金魚の絵柄のどこにでもある風鈴が吊り下がっていた。どうやら窓が開きっぱなしになっていたため、風で勝手に鳴っていたようだ。
しかし今の季節は春。この時期、風鈴が吊り下がってるのは少し奇妙に思えた。
片付けるのを忘れていたのだろうか? それとも……。真実は分からないが、1人置き去りにされてる風鈴がなんだかさみしそうだった。
てっきり誰かいるのかと思ったけど、違ったか……
そうだよな。あんなに人を探しても誰もいなかったんだ。そんな簡単に人が見つかる訳がない。
小さくため息をつき床に座り込む。
その時、ふと目の前の神棚に視線がいった。神棚の前に桐の箱が1つポツンと置かれている。細長い桐の箱だ。どこかへ持ち出そうとしていたのだろうか? 横には箱を包んでいたらしき風呂敷が広げたままになっていた。
僕は自然とその箱を手元に引き寄せ眺めていた。桐の箱は丁寧に紐が結ばれ、箱の上面にここの神社の神紋が焼印されている。なにか貴重な物なもののように思えた。
そっと紐をほどき蓋を開けてみる。
黒い鞘が見えた。
ーー刀だ。
箱の中には一振りの太刀が収められていた。ここの神社の宝刀なのだろうか? 鞘にも神紋が彫られている。
僕は慎重に鞘から刀を抜いた。すると、暗闇の中で刀の刃が怪しく銀色に光り輝いた。
……魅了される。
刀の持つ怪しい輝きに、僕は畏怖と同時に美しさを感じていた。しばらく刀を目の前でかざしてみて眺める。だがやがて静かに鞘へと戻した。これは僕には不要な物。本来、持つべき物ではない。再び箱に戻そうとする。だがそこで手を止めた。
街の惨状からして、何か異常事態が起きたことは明白だ。不測の事態に備え、念のため持ち歩いておいてもいいのではないだろうか?
もし警察に出会えれば事情を話し刀を返せばいいし。
(……警察に出会えれば、であるけど)
刀を手に取り、再び立ち上がる。
それから僕は刀と共に、本殿や社務所の中を一つ一つ覗いていった。本殿も社務所も、急いで人が出ていったのか、扉や窓が開きっぱなしになっていた。しかしどこを探しても人はいなかった。
しばらくして再び外に出た。賽銭箱脇の石段を見つけて、そこに腰を下ろす。ずっと歩き回っていたためさすがに疲れていた。ひと休みすることにする。
神社の中で休憩する気にはなれなかった。神聖な場所だからというのもあるが、室内に満ちた静けさが孤独な今の状況を否が応でも思い出させるからでもあった。
前方に狐の守り神が2体立っていた。彼らは僕の前を陣取り、まるで僕を守ってくれてるように見える。
このまま僕を守り続けてくれよ……
心の中でつぶやき瞼を閉じる。僕は刀を抱えたまま、いつしか深い眠りについていた。
ーー夢を見ていた。霧の中、僕は立ち尽くしている。足元では人々が倒れ、あたりは血の海になっていた。僕は自分の両手を眺めた。その両手が、真っ赤に血塗られている
ハッ
僕は勢いよく身を起こした。
いつの間に眠ってしまっていたのだろうか。賽銭箱にもたれたまま眠り込んでしまったらしく、体を起こすと肩に少し痛みが走る。
とっさに僕は自分の両手を見た。しかし血はついてない。僕は胸をなで下ろした。
嫌な夢をみたな……こんな状況だから、あんな夢を見てしまったんだろうか。
空はすっかり明るくなり、鳥のさえずりが聞こえている。どうやら昨日はあのまま朝までぐっすり寝てしまっていたらしい。木々の間から差し込む朝日が眩しい。
僕はゆっくり立ち上がり、見晴らし台に向かった。そこから朝の街の景色を眺める。
目の前には、昨日と変わらず崩壊した街の光景が広がっている。
残念ながら昨日のことは夢だった、という都合のよい展開は起きなかったらしい。
遠目に駅が見えた。昨日僕がいた駅だ。電車は扉を開けたままホームに停まってるが、動いてる気配はなかった。
ふと駅の線路に目を向けた。線路は遠く、はるか先まで続いていた。
今日はあの駅の線路を辿って隣町まで歩いて行こうか。他の街に行けば、もしかしたら誰かいるかもしれないし。
ーーいや、いてほしい
ぐぅぅぅぅ
その時、盛大に腹が鳴った。
こんな非常事態でも、腹は減るらしい。我ながら少し可笑しくなる。しかし昨日は何も食べないで寝てしまっていたのだ。空腹が絶頂を迎えていた。
僕は背負っていたリュックを降ろし、急いで中から携帯食を取り出した。がっつくように食べ始める。
食べながらふと思う。
ーーなぜ僕はこんな非常食をリュックに入れてたんだろうか? そういえばリュックの中には懐中電灯まであった。
……僕はこの事態を前もって知っていたのではないか?
相変わらず記憶は戻ってなかった。何か思い出そうとすると、まるで思い出させないかのように、霞がかるのだ。 頭を振る。
でも今はこのことは深く考えないでおこう。まずは何が起きたか、この事態を把握しないといけない。それには誰かに出会わないと。
ズボンにこぼれ落ちた携帯食の粉を払い、立ち上がる。社務所に向かって歩き出す。勝手に室内に入り、勝手に洗面所を借りる。勝手に棚から食料や水を取り、リュックに詰め込んだ。
すみません。拝借します。
心の中で神社の関係者に謝った。いつかここの神社の神主さんに出会えたら返すつもりだった。
でも果たしてその神主さんに会える日は来るだろうか?
慌てて負の思考をかき消す。
再び表に出た。誰もいない神社を振り返ると、静かに一礼した。そうして神社を後にする。
階段を下り、昨日通ってきた鳥居まで戻ってきた。
目の前には昨日と同じ事故を起こした車や半壊した建物の光景が見えていた。
……静かだ。
目を伏せる。その時、ふと目の前の光景に違和感を感じた。何かがおかしい。
足元を見ると、一組の足跡あった。黒い、男性の靴の裏らしき足跡だ。こんなところに足跡? そう思い、地面をよく見た瞬間、僕は思わず後ろに飛び退いた。
ーーたくさんの、おびただしい数の人々の足跡が残されている
数十人に及ぶだろうか。足跡はすべて手前にあり、僕がいた神社の中にはない。まるで大勢の人間が鳥居の前まで来ては、先に進むことを躊躇し引き返してたかのようだった。
な、何だ……この足跡……?! 昨日もこんなのあったか?!
慌てて周辺を見渡した。しかしどこにも人の姿はなかった。
「あの……誰かいるんですか?! 誰かいるなら出てきて下さい!」
声を張り上げた。だが返ってくるのはむなしく轟く自分の声だけだった。
何なんだ?! 昨日は暗かったから気づかなかったけなのか? でもこんなにたくさんあって……、見落とすもんだろうか?
しばらく混乱しながら、辺りをうろつく。だが、誰かが現れることもなく、足跡の正体も分かることもなく、やがてあきらめた。
やっぱり単に暗かったから足跡に気づいてなかっただけなのかもしれないな。
しかしなんだか釈然としない思いだった。
だがやがて僕は駅に向けて歩き出した。このままここにいても仕方がない。この状況を打破するためにも、進むしかないだろう。
僕は駅へ、次の街へと向かうことにした。
ーーどこかに誰かがいることを願って。
前に足を踏み出す。




