第三十五話 商人の勘
モルガンにたっぷり二日間しごかれた私達は、一生懸命な新人という新たな仮面を得た。新人だからこそ完璧にこなす必要はなく、ひたすら頑張ってます感を出すのがコツだ。良い抜けてる感と褒められて微妙な気分になったが、今回はそれこそが正しい。
後はもうホープ子爵家へ乗り込むだけだ。
その日の朝、私は柄にもなく緊張を感じていた。もしここで失敗し、ホープ子爵家との関係を拗らせてしまったら、一体どうなってしまうのか。
会うだけでも難しいのに、さらにそこから交渉しなければならない。難関に次ぐ難関だ。
ホープ子爵のオルフに対する危機感は私達と一緒だろう。いや、私たち以上かもしれない。だからこそ後は私達が彼の目に叶う事が出来るのか。そこにかかっている。
「やるだけやりました。後はなるようになれですよ」
ソフィアはいつものように私の頭を抱えながら言った。慣れとは恐ろしいもので、今の私はもう羞恥心を感じない。ただこの心地良さに身を委ねるだけだ。
今日もソフィアは生きている。それだけで私は元気が出るのだ。
「よし、行くわよソラナ」
「はい、行きましょうナンシー」
私達は新人の仮面をかぶると馬車へと乗り込む。しかしながら今回の私達はあくまでナンシーとソラナである。新人商人が貴族の馬車から降りてきたらおかしいわけで、身バレを防ぐためにも途中から徒歩だ。
人目につかない場所に馬車を停止させた後、私達は細心の注意を払って馬車から降りる。
「よし、誰も見ていないわね」
「いつもの事ながらこの瞬間は緊張しますね」
御者を信用しているとはいえ、隔離された空間から出る瞬間は独特な空気がある。特に見られてはいけないという制約は人をどこか臆病にさせる。ソフィアの緊張も頷けた。
「それでは朗報期待してます」
去り際にそう言葉を残し、エルを乗せた馬車は去って行った。新人商人に護衛は変なので、エルには離れてもらうしかない。しかし空を見上げると一羽のカラスが私達の周囲を飛んでいる。エルの伝書ガラスのコニーだ。
もしも私達に何かしらの危機が訪れればこのコニーが、別の場所で待機しているエルに知らせてくれる。小さいながらも頼もしい見張りだ。
早速私達はサンタナ商会を目指す。するとちょうど目の前をアルベルトが歩いていた。今日は彼の御者も降りる場所をこの近辺にしたらしい。私達は早足で追いつくと声をかける。もちろん呼ぶ名は偽名の方だ。
「おはようアベル、どうしたの難しい顔して」
「おはようナンシー。ソラナも。何、ただの筋肉痛だよ。体それなりに鍛えていたはずなんだけどな」
アルベルトはそう言って肩を回す。
「きっと鍛錬とは違う筋肉使ってるのでしょうね」
とはソフィアの弁。なお黙ってこそいるが、私も少なからず筋肉痛を感じている。肉体労働とはなかなかに大変なものなのだ。
「皆揃ったね。さあ、行こうか!」
サンタナ商会のモルガンは今日も元気一杯であった。今日という日でも自然体なのは慣れなのか。商人の胆力とはなかなかに侮れない。
私達は商品と共に馬車に乗り込み、ホープ子爵家に到着するまで待機する。貴族の馬車とは違ったごちゃまぜ感は何か新鮮であった。座席はなく床に直接座るため、おしりが痛くなったが、それもまた初めての経験で悪くなかった。
そうして屋敷の門に到着したわけだが、いよいよかと私達の間で緊張が走る。だが私達が何かをするわけでもなく、あっさり通ってしまって拍子抜けだった。
これもサンタナ商会に対する信用があるからなのだろう。にも関わらずモルガンに裏切るような真似をさせて心苦しくなる。失敗なんて出来る訳がなかった。結果を残して見せる、そう心に決める。
搬入場所まで辿り着くと、早速検品のために荷下ろしが始まった。他の皆が慌ただしく動き始める中、私達も気合を入れる。交渉よりもまずは仕事だ。
「よし、私達もやるわよ!」
「ああ!」
「はい!」
私達は一度オルフもホープ子爵の事も忘れ、目の前の事に集中するのであった。それこそが上手く演じる秘訣なのだから。
結果として、私達は一切怪しまれる事はなかった。新人という演技がうまく行ったのは確かだろうが、そもそもこんな取引の場所に王子とその婚約者が来るわけないという、先入観もあったように思う。ソフィアの商人成りすまし作戦は完全にハマっていた。
ホープ子爵が現れたのは、すべての商品を出し終え、検品が終わろうかというタイミングであった。このまま会えないかとヒヤヒヤしたが、ぎりぎり繋がったらしい。
後はここからどうするかであったが、私達の顔を見た子爵が目を見開いたのを見て、私達は正体がバレたのを悟った。変装していてもすぐに私達だと見破るなんて、やはり相当な情報通のようであった。
私達はホープ子爵からどんな言葉が来るか身構えたが、彼が標的にしたのは私達ではなく、モルガンであった。
「モルガン嬢、これはどういう事ですかな? 商人が信用を裏切っていいとお思いで?」
ホープ子爵の鋭い視線がモルガンに突き刺さる。しかしモルガンは飄々としていた。きっとこの場面は彼女にとって織り込み済みなのだろう。しかし一商人と貴族では流石に分が悪い。だから私達も加勢しようとしたが、モルガンはそれを制した。ここは私の戦いだと言わんばかりに。
その間ガントはなんだなんだとざわつく他の商人達を先導し、この場から離れて行った。それは子爵家の使用人達も同様で、そそくさと離れていく。
結果としてこの場に残されたのは、私達と子爵、そしてモルガンだけとなった。私達は固唾を飲んで、二人の動向を見守った。
「分かってるよ。これが裏切りになる事は」
ホープ子爵に対してモルガンは敬語を使わなかった。それ程までに信頼関係を気づいていたのだろう。
「ではどうして?」
「ま、一言で言えば勘って奴だね」
「そんな不確かなもので決められたら堪りませんね」
ホープ子爵は苛立ちを隠しきれない様子で責め立てる。
「勘をバカにしちゃ行けないよ。物事には流れってのがあるからね。私は子爵様が何を抱えているかは知らないし、知りたいとも思わない。でもいい加減、限界に近かったんじゃない?」
だが私達の心配なぞ杞憂と言わんばかりに、モルガンは子爵の圧にも負けなかった。むしろモルガンの方から揺さぶりをかける程だ。はたして限界とは一体何を指しているのだろうか。
「限界とは物騒ですね。そこまで弱みをさらけ出した記憶はありませんが。それもまた勘ですか?」
「フローレル男爵」
それまで不動であったホープ子爵の眉が動いた。流れが変わった瞬間であった。
「ほら、当たった。私の勘もなかなかだろう?」
子爵だけでなく、私達も驚きを隠せなかった。言葉を返せないのは図星であるという事。致命的な失態を犯してしまったのを自覚した子爵はその顔を歪める。
「動きだけで色々分かるものはあるんだよね。男爵の死後、目立った行動をしていたのはアルベルト様達と、子爵様だった。だからなんとなく、ね」
モルガンはフローレル男爵の死の真相ではなく、死んだ事で誰が動くかに注目していたのだ。すぐに思い至ったのはソフィアが貴族との取引について質問した事だが、本当にそれだけだろうか? 他にも何かあるのではないか?
「元から何かあるとは思っていたんだ。お貴族様がわざわざ庶民向けのサンタナ商会を使うなんておかしいって。学校でもどういう訳か、長女のアーニャ様は目立たないようにしているように見えた。普段あれだけ聡明であるのに」
しかもしっかりと長女の件まで調べ上げている。学校以外で会う機会がない私達では知りようがなかった事だ。長女のアーニャ嬢はここから学校へ通っているだろう事から、モルガンは納品の際に何度か彼女に会ったのだろう。
外ならともかく、安全である家の中だったら少なからず素が出る。モルガンはその時のアーニャ嬢を忘れずに覚えていたに違いない。モルガンは勘と言うが、その勘は自分が得た情報を精査し、次の流れを予想して答えを導き出して生まれたものだ。
それを支えるのは情報に貪欲である事と、覚えた事を忘れない記憶力。
ふと思い出したのはソフィアが連れ去られた時の事だ。あの時モルガンはソフィアを連れ去った人物達を、アンダーソン男爵家とロッシュ男爵家と正確に言い当てていた。
当時は流してしまっていたが、事前に知っていなければそんな芸当は出来ない。商人の目は侮れないと思い知らされた瞬間だった。
「でも裏があるとは言え、ホープ子爵家は私達と真摯に向き合ってくれた。だからこれは恩返しだね」
「恩返し? これが?」
子爵の問いにモルガンは頷いた。そこに嘘は感じられない。
「今回の件、話に出したくない程嫌だったけど、いずれどこかのタイミングで話さなければならなかった。違うかい?」
「………」
ホープ子爵の答えはなかったが、それでも構わないとモルガンは話を続けた。
「でも確証がなかったんだろうね。アルベルト様達が信用出来るのか。調査するにも限度がある。文字の報告書だけじゃ雰囲気までは伝わらない。本人の言葉をそのまま書き写しても、声のトーンや表情がないとその真意は分からない」
モルガンの言う事に私は納得せざるを得なかった。人は何だかんだで会った時の心証が一番なのだ。
「結局はさ? 対話が一番人となりが分かるんだ。だから私が教えてあげる。私は運良く三人とお近づきになれたからね」
モルガンは一度私達へ向き直ると、ニンマリと笑う。そしてホープ子爵に断言して見せた。
「この三人は信用して良いよ。私との商談も対等だったし、こうして直接子爵家にやってくるくらいに誠実なんだ。子爵様も薄々分かってるんだろう?」
何て殺し文句なんだろう。
モルガンはこの場にいる全員を立てて見せ、ある種の調和を生み出す。口が上手いとはこう言う事か。そしてダメ押しの一手だ。
「私が信じているは証拠にならない?」
何とズルい問いかけか。ここまで言われては、流石のホープ子爵も根負けせざるを得なかったのだろう。
「はあ、これだから商人って奴らは……」
ホープ子爵は呆れたと言わんばかりに頭を抱えた。もしも私が子爵だったら同じ事をしたかもしれない。それくらいモルガンの手腕は鮮やかだった。
「いいでしょう。アルベルト様、私が知っている事をお話します」
「いや、私はアルベルトではないぞ。アベルだ」
「ああ、そうでしたな。ではアベル殿こちらへ」
ホープ子爵はすぐに対応を切り替えてみせる。上々の結果にモルガンは満足そうに微笑んだ。
「ではではごゆっくり。ただの商人の私は退散するとするよ」
「モルガン嬢、これで我が一族が断絶となったら恨みますからね」
「その心配は必要ないさ。私の勘を信じな」
モルガンはホープ子爵の最後の抵抗まで、軽く受け流すのであった。
コニーはいろいろと便利。
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