Log_33
『もしも』
if。例えば、そんな、可能性があったらの話。
そんな言葉を連想して、過去の炎を浴びていた。
人は過去の栄光を掴もうとして、存在しない物に手を伸ばす。
彼だって例外ではない。何度も考えた、想像した。
幸せな未来を。誰も苦しまなくて済んだ、最初から幸福なその瞬間を。
もしもあの時。
家なんて燃えてなんて、なければ。
俺がこんなクソみたいな『才能』を持たずに、『普通』として生きていれば。
撃たれなければ。
逃げた先にあったあの鉄の塊が、彼女の心臓を貫かなければ。
姉がまだ、生きていれば。
それだけでも、良かったのに。
一つの確率に揺れる視界_│
『ピンポーン』
「?」
「なんだこんな早朝に」
朝食を摂り終わったすぐ後の事。各々行動し始めようとしたその動き出しを、一つの音が止める。
「工事のお知らせじゃない?」
「ついに我らお尋ね者に?」
「本部からなら郵便かな?でもポストあるし……」
口ではそんな事を言っておきながら、誰も動こうとしない。星煌はソシャゲのデイリーををこなし、心と諒は訓練の準備を行い、照井は淹れたてのコーヒーを一口飲んだ。
『ピン『ピンポ』『ピンポン』『ピンポーン』』
だが無情にも居留守は許されない。チャイムがなんとも鳴り響き、早く人を出すよう促した。
「うるっさ!!先生さっさと出てください」
諒は照井の肩をバシバシと叩き自身の不満を行動で示した。
「えー?しょうがないなぁ」
その言葉を受けた照井は渋々とカップを置きながらも一直線で玄関に足を進める。
「インターホンすら覗かない……」
「星煌、ここの拠点にドアホンは付属してない」
「えぇ防犯意識どうなってんの」
数十年前の建物にそんな物は存在しない。こんな山奥にあるボロい建物なら尚更だ。
「はーいなんでしょう……」
照井が気怠げそうな声でドアを開き、陽の当たる眩しい外を見た。
その太陽光のせいで彼は一瞬目が眩み、目の前の人物が誰か分からなかった。
「おい」
下から声が聞こえる。分からなかったのは光のせいなんかではなく、ただそこに人が居なかっただけだ。
彼が目線をやったその先には、照井の事を睨み付けながら不満気な顔をするT√が居た。
「あら?ルートちゃんだ」
照井はまさかの訪問者に驚き、本当かどうかを確かめるために彼女の顔をまじまじと見つめる。
「ルート!?わー久しぶりー!」
彼女だと判明した途端に心は嬉しそうにルートへと抱きつく。
「そうだな。私も嬉しいから手をどかせ」
だがそのルートは塩対応でぬるりと腕から脱出し、空中に留まったままの腕を一つずつ下ろした。
「何もせず来るわけないよな。何の用だ?」
「そうだそうだ何しに来たんだ」
諒は至って普通に聞いたが、その後ろに居る星煌は虎の威を借りながら右手を上げ威嚇する。
「遊びにじゃない!?」
「だとしたらお菓子くらい持ってきて欲しい」
他人の家へ上がる際の最低限の常識だ。だが今回はそんな無駄な時間を過ごしに来た訳ではない。
「はぁ……お前たちのお花畑具合には賞賛したい所だが、今日は真面目な事を話に来たんだ」
T√は無許可でズカズカと家へ上がり、ダイニングテーブルの椅子へと座った。前回と同じ位置だった。
「お前、なんか『書き換えた』ろ」
「?あーチャームの話ね。……直近でか、なんかあったっけ」
照井はカップのある元の席へと座り、T√と向かい合う。
嘘を本当にする照井のチャーム。世界の理を書き換え、都合の良い『もしも』へと連れていく。そんな才能。
「とぼけなくて良い。この前金を引き落としに行ったら、見覚えのない入金があったんだよ。しかも宛先は"本部"からだ」
彼女も人間だ。金に困れば銀行に行き、帰りに買い物をして帰るような、普通の。
「へー。なんかの報酬とかじゃなくて?」
「はぐらかさなくて良い。どうせ監視してたんだから」
「え、監視って「『岸星煌は時空間調査委員会の所属であることは、周知の事実である』」……あぁー」
「そういえばそんな事しましたね」
「ね!」
星煌が金に困っていた際にやった事後報告であり、結果的には良い方向で終わった事。
「これのせいで、私が時空間調査委員会に所属してることになってるんだよ」
判明した、どうしようもない事実。覆すことも、取り消す事も不可能な。
「ほんと?ウケるね」
「事の重大さを理解して無いようだな」
T√はこれでも怒っているつもりだが、相手は知らぬ顔でにぱにぱと笑っていた。
「え!?じゃあ私のお金そっちに入ってるってこと!?」
こんな時だけ頭の回転が早くなる。星煌は真っ先に食い付き、そこはかとないデジャヴを感じつつ立ち上がった。
「あぁ。ほらくれてやる」
T√は札束の入った茶封筒を取り出し、犬の相手をするようにそれを投げた。
「現ナマ来たー!!!!」
星煌は貰ったその場で一回転をし、茶封筒を大事そうに開ける。中に入っている万札を満面の笑みで数え始めた。
「上は既に、"岸 星煌は時空間調査委員会に所属している"って認識のはずだ。人事管理連盟のリストにも載ってると思う」
腕を組んで政府の犬を思い浮かべる。彼女自身は関わった事は無いが、身内がそこにズブズブであった。
「あ、それは知ってる」
「は?」
「会議があったから。その時もなんも言われなかったよ」
照井は思い出す。失敗した嘘だと思われていたが、結果的には良い方向に転がった事を。むしろこれがあったからこそ、彼女達は矛盾に気付く事が出来なかった。
「あ?あぁ、そうか。確かにそうだな」
T√は記憶の不都合を修正する。彼女もなんの違和感もなく観ていた為、照井の偽造に掛かっていたのだろう。
「つまりルートも、この委員会の一員ってこと!?」
心は嬉々としてルートへと問い掛ける。朝食を食べたばかりなのにグミを二粒食べ、口をもごもごとさせながら言った。
「は?どうしてそうなる。お前らの仲間とは一言も言っていない」
対してT√は冷たい眼差しで心へ言った。星煌と違い彼女は好感度が上がったとて冷静なままだ。
「うわー愛嬌ないね。もっとにこにこしようよ」
スマイルウーマンはそう言ってT√の頬をこね始める。
「そうだね。こっちの星煌ちゃんはニコニコだよ?」
照井は対抗して星煌の頬っぺたを引っ張り始めた。
「えそんなことないでしょうに……」
どちらかと言うとニコニコしているのは照井の方である。いつどんな時でも彼は大抵笑っている。
「お前会議行った時の愛想笑いやばかったぞ」
「社会人かと思った」
「どっにしろニコニコではないじゃん」
諒と心は会議へ向かう際の星煌の顔を思い浮かべたが、それはただの愛想笑いである。人を笑顔にするタイプではなく、ただその場を乗り切るために使うものだ。
「委員会の一員ではないが……この前久しぶりに街に行ったら、急に話しかけられたんだ。『もうカーチェイスはするなよ』ってな」
樺澤へと用事があった時に街を通った時の事である。知らない公安連盟の奴に話し掛けられたかと思ったら、笑って肩を叩かれたのである。
「はは〜!ウケる!」
照井はより一層笑みを浮かべて笑い出す。その自然さがツボなのだろう。
「さっきからウケてばっかりだなこの大人は」
この中の精神年齢を比べるなら照井が一番低くてもおかしくはないだろう。……他の奴らが大人びてるだけかもしれないが。
「ん?つまり、時空間調査委員会には星煌が二人居ると認識されているのか?」
双子か姉妹かなにかは知らないが、この世には岸 星煌が二人居ると思われているのか。諒はそう考えた。
「あー……いや、それは違う」
「この世界に岸 星煌が二人いるのは、今のところ本部には知られていない」
それどころか、岸星煌の『存在』すら知られていなかったのだが……その話は置いておこう。
「あいつらが遭遇してるのは基本的に片方どちらかだからな。『二人揃っている所』を見られたら流石にバレる」
銀行口座も、会議に出席したのもカーチェイスをしたのもその場にいたのは片方だけだ。見た目がほぼ完全一致なため、パッと見だけでは絶対に気付かれないシステムになっている。
「奇跡的に全てが噛み合っているだけだ。何か一つでも矛盾すれば、直ぐに調査対象だな」
例えば、星煌の髪が長髪になれば直ぐにバレる。そんな短期間で髪が伸びるはずないからだ。
「そうか。じゃあルートは外に出ないでくれ」
「え可哀想だよそれは」
諒はなんの情もない答えを告げる。その冷ややかな感情に情がある心はその答えを心配した。
「いや、単純だがとても合理的だ。それならまずバレることは無いな」
だがT√はそれに同意を示した。一人がずっと外に出なければ良い話である。
「いいの!?日光浴びれないよ!?」
「別に構わない。それに、何かあったら『校正』に頼めば良い話だ」
心は心配したが、T√には宛先がある。彼女はそう言って帰る準備をし始めた。
「……度々話に出てくる『校正』って誰?」
星煌は気になって質問をする。頬ずえを付きながら、興味は無いがあくまでも社交辞令として。
『校正』星煌達は名前だけ知ってはいるが、それが誰なのかは知らないままでいた。
「誰も何も、そのままの意味だ。私が『編集者』でアイツが『校正』」
「だからその『アイツ』について聞いてるんだけど」
「そう言われてもな……」
そう易々と他人の個人情報を明かす訳にはいかない。T√は悩んで口に手を当てた。
「僕も気になる。男?女?」
「男だ……照井穹なら知ってるんじゃないか?」
「え僕が知ってる?」
照井は飲みかけていたコーヒーを吹き出すのを抑え口にした。
「あぁ。あいつはどっかのお偉いさんの孫だからな。どこかですれ違っていてもおかしくない」
どうやら、その校正という男はお金持ちらしい。そんな奴と一体どういう関係なのか。心は勝手に想像し始めた。
「へー」
「つまりルートはヒモってことか?」
「そうだな」
「そうなのかよ」
星煌達の校正へのイメージが一気にか弱い小動物へと変化する。想像する光景はさながらキツイドラマの一部始終だ。
「校正さん可哀想。こんなカスに金抜き取られて」
星煌は呆れて普段は言わない暴言を口にする。
だが、その瞬間背後に見慣れない人影が現れた。
「うんうん、そう思うのも無理はないね。俺は頼られて嬉しいけど」
「……」
「誰!?!?!?」「誰ですか」「誰この人」
各々が驚きの言葉を口にする。ジャンプスケアが苦手な照井は笑顔のまま固まっていた。
「えー、俺の話してたからお呼びかなって」
その人物は照井とはまた違った笑顔で口にした。T√を覗き込むと同時に被っていた帽子を外した。
「確かに話題にはなったが、呼んではないな。帰れ『校正』」
T√はその顔を押しのけ、一瞥もくれずに冷たい口調でそう言った。
「え、この人が噂の校正さん?」
照井は気になって校正の周りをジロジロと観察し始める。芸術家なので仕方がない事だ。
「なんでそんな……書生みたいな服着てんすか」
「うーん。役作り、又は趣味だね!」
和を身に付ける男は言った。常に目を細め、どこか妖美な笑みを浮かべていた。
「校正=書生のイメージが無いんですけど」
「和洋折衷って感じでいいじゃん!」
残念だが洋の要素はどこにも無い。強いてあげるのならばカチューシャ風に掛かった頭のリボンだけだ。
「ハイカラだね」
「こんな事言う奴らだぞ。早く帰れ」
星煌達は讃賞とも貶しとも取れない意見を口にする。初対面だと言うのに実に自由だ。
「えぇ〜来たばっかなんだからもうちょっと居させてよ」
校正は駄々を捏ねて勝手にT√の隣に座る。彼女は一生懸命追い出しているが、残念だが彼女の握力じゃどうにもならない。
「あー待ってください!それ、本当のお名前なんですか?」
相手が相手なら地雷な発言だ。心は聞にくいことでもズカズカと相手の領域に入って口にした。
「うん。星煌の名前が『T√』なように、俺の名前が『校正』であるだけだよ」
「なるほど確かに!」
校正は一言で相手を納得させる発言をした。この日記の中では星煌はT√であり、██は校正である。
「星、うおっほん。君がお喋りしてるんなら、俺もお喋りしなきゃね。そうでしょ?」
「私は帰れと言ったんだが」
校正の問い掛けにT√は若干苛ついた様子で口にする。未だにその身体を押し退けていた。
「はいはい帰る時は君と一緒に帰るよ〜」
T√が愛想が無いと言われた理由が少し分かる。隣の彼はずっと笑っているが、この会話で彼女が笑顔を見せることは一度もなかった。
「はいはい!!イケメンですね!(某メッセージアプリ)やってます!?」
心が真っ先に立ち上がり口にした。流石陽の者である。
「おー。一応やってるよ、交換しようか」
「やった!!!」
校正は相手の期待に答えるようにスマホを取りだした。手際よく交換を済ませ、心はその場で二回転を繰り出した。
「面食いだねぇ心ちゃんは」
「そこら辺の一般人よりかは良く見えるでしょう?」
「いや大分整って見えますけどね」
所謂、『アイドル顔』というやつだ。彼がユニットを組んだらセンターは確実に取れるだろう。それほど顔が整っていた。
「?……いや全然わかんない。男の顔なんて全部同じに見える」
星煌は初対面の相手に向かって堂々と口にした。相手がT√の身内なので当たりが強いのだろう。相手の顔をよく見ようと目を細めた。
「お前超失礼だぞ」
「おじいちゃんがアイドルに向けて言うセリフすぎない?」
最早視力の問題では無い。というか星煌の視力はごくごく普通の平均である。
世の男に興味が無さすぎてフィルターが掛かっているのか。隣に諒と照井を並べても誰が一位かは決めらないだろう。
「えーだって顔なんてどうでも良いし……それよりも頭についてるリボンの方が気になるし」
星煌は自身の頭をちょんちょんと指差し掛かっている黄色いリボンを凝視した。
「……」
その反応に校正は怒るかと、諒は恐る恐る表情を目にしたが。
「やっばり、私は私なんだな」
「?」
「見てみろ、こいつの顔」
T√が校正を指差し、顔面を見る様に促した。
「せいか、好き……♡」
「は?」
目にハートマークを浮かべ、ふにゃけた表情で星煌を見つめ返した。
「すぅーーーーーーはぁーーーーーーーー」
一瞬でメスの顔になったかと思えば、瞬時に星煌の背後に移動する。その勢いのまま星煌の後頭部を思いっきり嗅いだ。
「???」
「はーもうほんと好き!どの世界の星煌も同じ事を言う!『イケメン』の言葉はこの為に存在してるんだ!」
かと思えば次は星煌の髪を櫛で揃え、自身の呼吸で乱れた黒髪を整える。
「あぁ……やっぱり星煌の比率はこうあるべきだよね。この匂いにフォルム、髪の触り心地とほっぺたのもちもちさ!首周りの肌触りが最高なんだよね!」
先程までの細めはどこへ行ったのやら。目は大きく開かれガンギマリ、どこか怪しい呼吸をしながら完璧に短い髪を結った。
「へ、変態だ…………」
諒は拳銃を構え、静かに校正の後頭部へ向ける。
「三秒以内にそこどかなきゃ殺すよ」
心はナイフを取りだし首に当てる。その目はギラギラと輝いていた。
「おもしろー」
照井はその光景を写真に収め、次回やる現像の楽しみを増やした。
「お前を本気で軽蔑している」
相手が自分とはいえ初対面でそれを行う校正を冷たい眼差しで見つめた。これは通算何百回目の出来事である。
「私は別に良いけどな」
頭を撫でられるのは嫌いではない。なんかついでに髪も整えてくれたので星煌はご満悦だ。
「ごめんごめん。いやーたまには違う星煌も堪能しないとなって。あ、もちろん君が一番だよ!」
何処からかバラの花を取り出しT√へと差し出した。無駄なウィンク付きだ。
「黙れ浮気性。さっさと帰るぞ」
T√は脛を蹴って玄関へさっさと足を進めた。
「はーい。……やっぱもう少しだけ良い?」「ダメだ」
どれだけ顔がイケメンだとしても行動が-百億点である。彼女は校正の発言を即座に却下した。
「んなに好きならメッセ交換します?」
「する!!!!!!!!」
星煌がスマホを取りだしたのに反応し、校正は興奮気味でそのQRコードを読み取った。
「なんか!食い付き!違くない!?」
心は勝負をしていないのに負けた気分になる。圧倒的な敗北感を味わっていた。
「変態に好かれてない方が良いだろ」
「たしかに!」
心はすぐに笑顔になった。毎日後頭部を嗅がれたいかと聞かれてYESと答える人間は極々少数だ。
「はぁ。私がこの委員会に加入するなんて『もしも』があるとは思わなかったよ」
T√は頭を掻きながら小さく愚痴を漏らす。彼女が飛んできた様々な世界線の中でも、特に珍しい事態となっていた。
「『もしも』って。未来は分からないんだから、不測の事態が起こるのは当然じゃないか?」
諒は腕を組み、
「そんな古い常識は捨てるんだな、篠原。現にお前の隣には未来が詠める奴がいるだろ?」
「あ私じゃん確かにいぇーい」
不意にも自分の才能を思い出した星煌はピースをして気分が高揚している事を示した。
「……じゃあ、その『もしも』を全て詠むには?」
全ての未来が判るのなら、対策だってできるはずだ。最悪の事態を防ぎ、より良い未来を構成することだって。
「さぁ?『もしも』を現実にしたいのなら、自分でその選択を掴み取ることだな」
後ろ向きでドアノブを捻る。T√はにやりと笑って、篠原諒へと煽るような口調で未来を唆した。
「もっとも、人生として辿る道は『一つ』しか無いのだから、真剣に考えろよ」
そう言って彼女はドアを開け、暗闇に広がる穴へと身を投げ出した。
結局未来の詠み方は一つも教えずに、彼女達は去っていった。残ったのは、諒の心にある
記録:記入 星煌




