87.「エルフの名付け親は誰ですか?」
倒れたタイツを抱き上げたアダルティーと共に鱗たちはエルフ族が住む「始まりの森」へと足を踏み入れる。
つい数分前に出会ったタイツ…もといエルフの始祖についてアダルティーと話をしたかったが、予想以上にタイツの負荷が大きかったらしくアダルティーの家へと急ぐことになった。
「ミュートの卵を子どもの手の上で割ったようなものなのよ。」
鱗たちが何とか追いつける速さで駆けながらアダルティーは悲痛な声を上げる。
「ミュートの卵?」黒鳥ミュートの碧の大卵を想像し、卵液でベチョベチョになったアキの手を想像する。
「【過ぎたる愛は身を滅ぼすもの】…強大すぎる母様のマナを受けたせいでタイツの身体は壊れてしまったの。」
「じゃあ、さっきのは本物の…?」
「ええ。氷の柱にいる母様は第三世代以降のエルフ族であれば身体を借りて顕現することができるの。」
「第三世代…?」
「エルフ族の世代は天地の御子であるエルフの始祖が第一世代。次の私が第二世代。そして第三世代は始祖が自ら孕…生んだエルフの子よ。」
「始祖が自ら…?」
そんな自家受粉的な事が‥と奇抜な発想が脳内をめぐる中、最愛の眼差しで鱗を見つめる碧玉の眼が蘇る。
純真な輝きを持ちながら大地より重く、大空よりも自由で、そして際限のない愛の籠った瞳…。
「‥‥以前、とある人の話をしたわね。」
「たしか龍族と地の大神の戦争を終わらせたかもしれない、っていう…」
以前ガラティア洞窟からの帰り道で聞いた龍と地の大神との戦い。
当時、始祖の胎内にいたアダルティーの記憶と希望的観測によれば、その大戦を止めたのは「とある人」だと彼女は信じている。
『 人間を送ったことは? 』
『 一人だけ、送ったことがある。無事に天寿を全うしたぞ。 』
かつて真実の神が話していた若槻鱗よりも前に「二」の世界へ送られた人間。
アダルティーの最初の記憶に刻まれた立ち去る〝誰か〟と、その背に手を伸ばして嘆き悲しむエルフの始祖。
これまで両者が同一人物だという確証は持てなかった訳だが、あのタイツの身体を借りて現れた始祖が若槻鱗に向けた感情の在り様は曖昧な空想に一本の芯を添えることとなる。
「たぶん私と‥‥第二世代は、ママと…その人との子どもなのだと思う。そう…なのだわ。ふふ…何だか曖昧な言い方になってしまったけれど」
自分の希望的観測が当たったことを喜びながらも本当に合っているのかを未だ信じきれない顔。努めて臨んだ最初の受験に合格した少年少女を思わせる彼女の顔に鱗は安堵と同時に奇妙な違和感を抱く。
言葉にできない不和。彼女と旅をしたからこそ生まれたであろう靄に鱗は頭を振るい、心の淵にしまっておくことにした。
・
「ここがアダルティーさんの家…?」
やがて森を進むと開けた場所に大きなネルバ木が見えた。ネルバ大森林にあったものよりは小さいが30ロット(=3クロット)は優にあるネルバ木。その白い太幹の周りに小さな足場が間隔を空けて掛けられており、足場の奥に扉や穴といった出入口がいくつも見えた。
「一度タイツを運ぶからウロコは少し待っていて」
タイツを抱えたままアダルティーが跳躍すると彼女の家と思しき足場に着地し、扉の奥へと消える。
待っている間、改めてアダルティーの家…もといエルフ族の家を観察する。
巨大なネルバ木をそのまま利用したエルフの家。その幹に掛けられた足場は玄関であり、地上から足場へと通ずる階段はない。エルフ族の持つ身体能力を以てすれば地上から跳躍するだけで一気に自分の家へと辿り着いてしまうからだ。
「一本のネルバ木に皆で住んでるって…前に先生から似たような話を聞いた気がする。」
「ベルちゃんが?」
「うん。大きな町とか都では大きなネルバ木を買って、そこに皆で住んでるんだって…」
以前ベルマーから聞いたネルバ木を使った長屋のお話。
住民たちが貨幣を出し合って大工職人に作ってもらうもので、アスカテーラでは戸建て式が流行り始めているのだとベルマーが話していた。
「———そうだねぇ。元々、人間の家作りはエルフ族の家が基本になってるからねぇ」
ぬるりと入り込んだのは聞き馴染みのない柔らかな声。
声の一音と共に鱗の背にいたイブキが前へと飛び出して臨戦態勢に入り、傍にいた少女アキは一歩遅れて両手をギュッと握ったまま一応の臨戦態勢へと入ると「こんにちは!」と大きな声を上げる。…道中で出会った商人オマルとの出会いを思い出したのか。初めて出会った者にも挨拶をする…とっても良い子に育ってしまった。
「はあい。こんにちは。君たちはアダルティーの連れかなぁ」
「はい、そうです。私はワカツキウロコ。こっちはアキで、こちらはイブキといいます。今アダルティーさんはタイツという方を介抱して下さっていて———」
森の入り口で起きた出来事を話しながら鱗は突然現れたエルフの女性を観察する。くせ毛のある銀髪と少し緩んだ長耳。眼鏡の裏に隠れた力みのない素直な薄緑の眼。背はアダルティーと同じくらいだが足が長いためか背が高く見える。
そしてアダルティーと同じくマナで編まれたであろう衣服は、上からマリン帽、外套、短パン、皮靴…と比較的危うい格好をしている。
外套といっても大きめの長袖服を背から羽織り、垂れた両腕部分を胸の辺りで交差させて留めただけで下には何も身に着けていない。やや色抜けた灰色の短パンは腰からお腹周りまで覆うものだが、太ももの付け根から足元まで丸出しである。
「ふぅ~ん。御母様がねぇ…御柱に行っても全く出てこないのに…やっぱり波動の影響なのかなぁ」
「波動?」鱗の話を聞き終えると、エルフの女性は聞き慣れない言葉を口にする。
「そうそぉ、今から陽を遡ること34回…この世界を揺るがすほどの強大なマナが来たんだよねぇ」
「強大なマナ…それを貴方は「波動」と。すみません、お名前を教えてもらえませんか」
波動——アダルティーも感じた「世界の異変」であり、若槻鱗の来訪を意味する巨大なマナの波紋。
この神域にいるエルフ族にとっても相当な異常事態であったとみえる。
「あぁ‥ごめんよ。ぼくの名前はねぇ。」「——…アーミー!!」
彼女が名乗ろうとしたところで家から飛び降りてきたアダルティーが大声を上げて鱗と彼女の間に割って入る。
「やあ、アダルティー。本当に久しぶりだぁ。君が人を連れてるなんて珍しいねぇ。…人間でない者もいるけれど…。」
アーミーと呼ばれた彼女はアダルティーに動じることなく呑気な様子で再会の挨拶を交わしながらも、チラリと輝く薄緑の瞳でアキとイブキをなぞり、それから若槻鱗に注目する。
「話はワカツキちゃんから聞いたよぉ。我らが御母様が神域長様においたした、ってねぇ」
アダルティーの家にいるタイツを視上げ、「こわいこわい…」と他人事のように自身の両腕を擦るアーミー。
…どうにも掴みどころがないエルフというか。掴もうとする方が逆に空を掴んで転んでしまいそうなほど軽い。
「貴方も相変わらずね。‥今は誰が神域にいるの?」
「そうだねぇ。ぼくと神域長様と…あとはコースレットとドロワーズかな。ドロワーズは「コネットの様子を見てくる」って湖の方に向かったよ。コースレットは…ああ、今は小麦の収穫を手伝ってるのかもね」
「…ナナシは?」
「彼女ならアスカテーラじゃないかな。愛しの白銀君に会いに行ったんじゃない?」
「そう…じゃあ、やっぱり…」
コースレット、ドロワーズ、コネット、ナナシ…様々な名前が出てくる中、鱗は目下の問題であるタイツの容体について尋ねる。
「アダルティーさん。タイツさんの具合はどうですか?」
「数日は動けそうにないわね。母様が入っていた時間…というよりも顕現した時の母様のマナが多すぎたせいで身体に相当の負荷が掛かってる。」
「我らが御母様が愛娘を傷めてまで顕現するとはぁ…君たちは一体何者なんだろうねぇ?」
単なる好奇心と分かりながらもアーミーの掴みどころのない話し口調とジト目な眼差しも相まって、妙な緊張が奔る。
「詮索は後にして。彼女たち神域に来たばかりだし、まだ案内も途中なのよ」
「仕方がないなぁ。じゃあ、ぼくが神域長様を看てるから代わりにアダルティーは新麦のパンを沢山買ってきておくれぇ」
「分かったわよ。私も食べたいし…あぁ、もしタイツが目覚めたら今日は魔術を使わないように釘を刺しておいて頂戴」
「りょうか~い。イブキさぁん、楽しんで来てねぇ」
「‥‥ええ。」タイツの看護を任せ、その場を去ろうとするとアーミーは不意を突くようにイブキに別れの挨拶を送る。僅かに身体を強張らせながら返事をするイブキを見て、アーミーは楽しそうに手を振る。そして音もなく跳躍すると吸い込まれたようにアダルティーの家へと滑り込んでいった。




