84.「新風は商人と共に」
ガルーラを抜けた平野から旅立って2日。
左辺に見えるギャロップ山を横目に平野を進むと平野を覆っていた雑草の一部が薄れて、いつしか踏み築かれた轍が現れる。人の往来。人の営みの気配を感じ取った頃になると道の先から四足獣クザを連れた中年の男が一人現れた。
「こんにちは」
この世界に来てから一月ほどの月日を経て、若槻鱗は二人目の人間と出会った。
彼は旅すがら商いを営む行商人で、神域からギャロップ山のある山脈を迂回してアスカテーラに向かう道中であったという。
「いつもは山脈にある洞窟を通って行くんですが落石の影響で通れなくなってしまいましてなぁ」
「私たちも同じなんです。ネルバ大森林の方から神域へ赴こうと。ですからガルーラの方面から来まして…」
「‥お互い大変でしたな。ですが、これも地の大神様の思し召しでしょう。私たちが通る最中に落ちないよう予め落としてくださったのかもしれません。もしくは楽に甘えず周りを見ろ…なんて暗示やもしれませんな」
ガルーラの名を出しても彼は僅かに首を傾げるだけだった。
この世界には大きな都や町があり、生まれたばかりの村もある。「ガルーラ」も聞き馴染のない村の一つだと思われたのだろう。
「モフモフかわいいねえ~!おかおをみせて」
行商人と話していると少女アキがクザの方へ歩み寄って顔を撫でる。
全身に毛を纏った水牛のようなクザ。その体は家畜として飼われるにはかなり屈強であり、機嫌を損ねたら軽くアキを吹き飛ばせてしまいそうだった。
「あっ!お嬢ちゃん!」
アキがクザに触れようとした途端、血相を変えて行商人はアキを止めに入る。ところが体を揺さぶりながらアキに擦り寄るクザを見ると呆気に取られた様子で目の前の光景を眺めていた。
「すみません!大事なクザに触ってしまって…」
「ああ、いえ…こいつは私以外に顔を触られるのが嫌なのです。それも機嫌が良い時しか触れなくて…私も苦労していたのですが…こんなこと初めてですなぁ」
初めて見た相棒の姿に驚きを隠せない行商人。
‥思い返せばネルバ大森林で出会った野生の黒鳥ミュートもアキに懐いていた。初めは純粋無垢なアキの気心によるものだと思われたが、あれはアキが地の大神に連なる存在であったためだろう。龍種を除けば、この世界の動物や植物は地の大神が生み出したもの。もしかすれば言葉とは違う形で互いに意思疎通ができるのかもしれない。
「あははは!くすぐったいよぉ!」「おお…これがモフモフ…」
アキがクザに舐められている隙にイブキもクザの体に触れる。
おっかなびっくりな様子でクザに触れるイブキ。それが初めて動物に触れた子どもみたいで鱗は自然と頬を釣り上げていた。
「…ところで。もしや貴方様はアダルティー様ではありませんか?」
「ええ、そうだけど。あなた…もしかして神域出身かしら?」
「いえ。私はガルドーという村の出身で神域は父母の故郷なのです」
聞けば彼はガルドーと神域を行き来する行商人だという。
ガルドーといえば騎士家系ガルディアン家が治める町、我が師であるベルマーの故郷だ。
「…神域で何か変わったことはないかしら?」
「いえ。御柱は煌々と輝き、湖は変わらず天の御顔を映しております。エルフ様方も楽しく過ごされております。それから今ですとアフロ小麦の収穫時期に入っておりますから子どもたちが元気に駆けまわっておりますよ。…あっ!」
思い出したように「そういえばっ!」と自らの額を叩いて天を仰ぐ行商人。その大げさな反応にアダルティーが驚いている間に荷物から手のひらほどの土器を取り出してアダルティーに差し出す。
「こちらはクザの乳酪でございます。お代は結構。代わりと言っては何ですが、ぜひ私「オマル」の名を覚えていただければ!」
「え、…ええ。有難く頂戴します。商人オマル。貴方の道に災難がないことを…」
「ありがとうございます!それでは皆様もお気をつけて!」
深く感謝を述べるとオマルはクザを連れて、その場を去っていく。「ではでは!」と去り際にも陽気に挨拶をし、その背中が小さくなった辺りで本当に忘れていたことを思い出したのか。その場で勢いよく振り返ると大声でアダルティーに伝言を残す。
「神域長様に宜しくお伝えください!!アダルティー様のことを心配されておりましたので!!」
アダルティーが返事代わりに手を上げると、オマルは満足そうに笑って今度こそ去っていった。
「———変わった人でしたね」
「昔から商人っていうのはああなのよ。名前を覚えたって別に何も変わらないのに。私たちを幸福の象徴とでも思っているのかしら。〝エルフへの恩はイゾルテで測れず〟…なんて言葉もあるくらいだし」
「崇められる、っていうのも大変ですね。ところで…何を貰ったんですか?」
オマルが渡した蓋つきの土器を指差すと「ああ、これはね…」とアダルティーが慎重に封を解いて土器の蓋を空ける。
土器の中には水。そして開いた蓋の裏にはカップの形状をした容器…そこには白く照り輝く何かが敷き詰められていた。
「バター…」
「ばたぁ?…オマルは乳酪って言っていたけれど、これはクザの乳を加工したものね。クザの乳を継ぎ足しては汁を分けて、固めて…これを作るのは大変だったと思うわ。クザの乳って体格の割に量が少ないから」
「こうやって保存するんですねぇ」
これはベル型の容器というべきか。ベルの部分に乳酪を敷き詰めて逆さのまま水の入った土器に入れる。水と油は混ざらない。土器に張られた水は空気との接触を防ぐためのものだろうか。…旅先で持ち歩くには少し不便そうな気もするが。
「焼きたてのアフロ麦パンに塗ると美味しいのよ。さっき小麦の収穫期って言っていたし…神域に着いたら使ってみましょう♪」
「アフロ麦って、たしか収穫時期が年齢の節目になる…」
この世界に西暦〇〇年といった暦の概念はない。誕生日などは食べ物の収穫時期で覚えられる事が多く、その中でもアフロ麦の収穫期が中心となることが多い。
『 先生って、何歳ですか? 』『 えっと、次の麦刈りで21になるかな。ワカツキは? 』
「先生と同い年か…」
あの大変素晴らしい人間性を持った青年騎士と自分が同年齢なことに改めて衝撃を受けていると、何かを察したアダルティーが補足する。
「一応言っておくけれどパンに使うアフロ麦は小麦よ。人間たちが齢で数えるのは大麦の方…だから収穫期はもっと先よ」
「そう…ですか」助勢の言葉は追い打ちとなって若槻鱗(21歳)の胸に深々と突き刺さる…。




