80.「落差が酷くないですか?」
「自業自得」と茹だった頭の中で自嘲の言葉がこだまする。
「その通り」と口を動かしそうになりながらも感情の一切を塞き止めて愚か者は熱された荒野を突き進む。
一歩踏みしめる度に自分は無謀なことをしていると自覚する。
今の自分が最も欲する「安全」な歩み方を知っているはずなのに急ぎ足になるのは何故か。
こじつけだらけの推測に答えを得るためか。それとも腕に抱いた火の少女の恐怖を少しでも早く晴らすためか。
【違うだろ】と乾いた声が頭の中で囁く。
お前はいつから聖人君子になったのだと【若槻鱗】が棘を刺す。
「こわいんだ」
口に出していないことを願いながら真実の言葉で自身を納得させる。
わかってる、わかってる…と灼熱に酩酊する身体に言い聞かせて、自分を取り囲む偽りの壁が見えないように努める。
だから俯瞰する。この熱帯と化した荒野には三人…もう一人/独りではない。
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「おはよう。ウロコ」
目覚めると銀髪の麗人が鱗を見下ろしていた。朝日を浴びた銀髪は陽光の金色を反す銀鏡となって寝起きの鱗に眩き朝の到来を告げる。
「おはようございます。アダルティーさん。こほっ…おかえりなさい」
寝起きの乾いた喉。低くかすれた声に咳き込んで鱗は無意識に皮水筒を手に取る。
「母様、力を貸して」
水音の跳ねない空の水筒を見て、一部を悟ったアダルティーは水魔術で小さな水球を作り出してくれた。
「ありがとうございます」
水球がアダルティーの手を離れる前に鱗は何も考えず水球に顔を近づけて水をすする。
飲んでも飲んでも絶えない水。満たしたくとも満たされなかったモノが反動となって…もう十分に喉の渇きを癒したというのに口が水を吸うのを止めてくれない。
「ごめんなさい。私がもっと早くに着けてたら…」
「私がっ、考え無しに進んだだけですから」
手元から聞こえた申し訳なさそうな声。そこで我に返った鱗は水球から口を放し、袖口で口を拭う。
・・・ガルーラを抜ける直前、アダルティーから貰った水が尽きた。
アダルティーと別れた朝方から出発し、陽が縮み始めた頃に鱗たちはガルーラを抜けた。一刻も早くガルーラを抜けるため急ぎ足で真昼時の熱帯と化したガルーラを駆けた鱗たち。アダルティーと一緒にいた時は岩陰で休憩を挟みながら進んだ道を鱗は休まず歩き続けた。渇きを訴える身体を限られた水で誤魔化して…歩き続けてしまった。
「アダルティーさん。私—―—」顔を上げられない。アダルティーと目が合わせられない。
前世の死因が起因して無我夢中で水をすすっていた自分。自身の想定以上にあの「死」を恐れていた事実を若槻鱗はガルーラの荒野で初めて理解した。空の水筒。渇きを叫ぶ身体。荒野の上、自分を囲う物は何もないはずなのに一畳と四方天井を囲う不可視の空間が匂いや音といった再現味を帯びていって‥‥もしも水が尽きたときに、この細やかな草原が目に入らなければ鱗は彼女たちに醜態を晒していただろう…。
「ねえ、ウロコ。ひとまず休息を取りましょう。ゆっくり湯に浸かって、それから食事ね。流石に私も疲れたからぁ…」
気の抜けた声と共にアダルティーは地面に座り込む。
足を伸ばして、大きく息を吹きながら天を仰いで、そのまま頭の重さに引かれて仰向けになる。
地が見捨て、天が避けた愛が遠き地ガルーラ。火の化身アキや風の化身イブキの各々が影響を受けたように天地の御子である彼女にも負荷のかかる場所だったのだろう。そのうえでガルーラでの約束やアサミの送迎‥と心身共に彼女には負担をかけてしまった。
「アダルティーさん。本当にありがとうございます」
「…別に良いのよ。お互い様だもの」
今までも、これからも…何度も伝えることになる御礼の言葉を告げると、アダルティーは親し気な笑みで「お互い様」と答える。これまで互いに距離があったわけではないけれど、ガルーラでの旅を通してアダルティーとの仲が深まったことが純粋に嬉しく思えた。
「マスター…おはようございます」「おはよ‥マ~ちゃん。アダるん~おかぇり~」
イブキ、アキの順で二人も目を覚まして大きく伸びをする。それでもガルーラでの疲労が溜まっていたのか。アキは再び地面に頬をつけて寝息を立て、イブキはゆらゆらと揺れながら空へと飛んでいくと浮遊したまま眠ってしまう。
「二人とも天地のマナを補給してるみたいだし…私たちも入浴を済ませちゃいましょう」
よいしょ、と小さく掛け声を上げるとアダルティーは適当な地面を土魔術で圧し固め、水魔術で湯を張る。あっという間にできた露天風呂。…ただ一人用にしてはあまりにも広い。これは明らかに二人で入るためのものだ。
「一緒に入りましょうか。ウロコ」
返答を聞くまでもなく麗人はマナで編んだ衣服を解いて浴場へと向かう。
その動作、その歩みに恥じらいはない。それは自身の肉体への絶対的な自信によるものなく、ただ自然に戻っただけ。防寒・防熱等を除けばエルフが衣服を纏うのは人間と関わるため。衣服に無関心なエルフであれば普段は外套を纏うだけの者もいるのだという。
「え…あ、…はい」
‥これまでの旅においてアダルティーと入浴を共にしたことはない。
鱗たちと出会う前に「氷」の魔法を扱うブリズィア家の長女の純潔を奪ったという彼女。ガラティア洞窟で出会った当初から彼女は魅惑的に鱗との距離を詰めてくることがあった。それらを嫌だと感じることは一度もなかったけれど…多少なりとも警戒はする。
「失礼します」
装備を解き、衣服を脱いで時間稼ぎに丁寧に折り畳んで、念入りに頭髪と身体を湯で流してから静かに足先を湯の中へ滑り込ませる。
「はぁ~…」
湯に浸かった一言目に大きな溜め息を出すようになったのは何歳からだったか。湯に流される心身の疲労。アダルティーへの警戒も気の緩みと共に一気に薄れていく。二人用にしても余りある露天風呂。たとえ我が儘に手足を伸ばしても誰にも文句は言われない…なんと素晴らしいことか。
「アサミちゃんね。…最後にお礼を言ってたわ。」
湿り気を帯びたアダルティーの声が緩み切った鱗の身に喝を入れる。湯気に溶けた気を少しだけ集めるよう軽く息を吸って、アダルティーの方に視線を移す。けれど、その淡い声色とは裏腹に彼女は楽に姿勢を伸ばしながら薄ぼんやりと見えるガルーラの荒野を見据える。
「御三方によろしく…ですって」
「最後まで丁寧に‥アサミちゃんらしいですね。…ローヒ家の方はなんて…?」
「彼もまた自分の過去と向き合うそうよ。たとえ剣は振るえずとも剣を携え続ける「騎士」になりたい、ってぇ…そう願って彼は再び剣を手にした。だから、アサミちゃんはもう大丈夫よぉ…」
相当に疲れが溜まっていたのか。アサミの顛末を語るアダルティーの呂律が徐々に怪しくなり始め、再び彼女を見つめると眠たげに身体を揺らし始めていた。
「ア、アダルティーさん!お風呂で眠ったらマズいですよ!」
「だいじょうぶ…ぶくぶくぶく…」
鱗の言葉もむなしくアダルティーは湯に顔から突っ込むと、そのままブグブグ…と泡を吹いてしまう。
「アダルティーさん!しっかりしてください!」
バシャバシャと湯を荒立てながら急いでアダルティーの元へと駆け寄り、湯の中に右手を伸ばす。彼女の鎖骨辺りに手を添えて、左手で背筋を支えながら傾いた上体を起こそうとすると…なぜか右手が彼女の胸部に滑り込まれていた。
「…ア」
手から余るほどの片房の膨らみと右手首を掴まれた感覚が均衡して思考が止まる。その大きな隙を見逃すことなく今度は背を支えていた左手が引かれて、鱗の脇下から背にかけて滑らかな肌質の左腕が密着する。
「つっかまえた♪」鬼遊びでもする子どもみたいに無邪気な声。
湯けむりに濡れた銀麗の彼女は容易く鱗の警戒を紐解いて自らの領域へと引き込んでいく。
「放して、くださいっ」
密着する肌。どんな生地よりも滑らかな柔肌の感触は触れているだけで理性を甘やかしてくる。
「どうしようかしらぁ」
演技ではない眠たげな声。酔っぱらうのに近い感覚かもしれないが、もしかしたら彼女は眠いと増す傾向なのか。…おかしな緊張の最中、しょうもない推測を鱗が組み立てていると唐突にアダルティーが奇妙なことを口にする。
「・・そういえば前にいってたわよねぇ。ウロコ」
「な、なにをですか?」
「私の「剣」がドコにあるのか…って話。」
エルフが持つ「剣」——〈万象を等しく断ち、万象と等しく繋がる〉とされる”真なる剣” 。
この世界の鍛冶師が打つ剣は、この真なる剣が起源とされており、いずれも同じ長さであることから長さの単位「ロット」の基準となっている…。
「…なんで今そんな話を?」この状況とエルフの持つ真なる剣が一体どう絡むというのか。彼女の思考が全く読み切れないまま尋ねると眼前の彼女は意地悪な笑みを浮かべる。
「問題♪ 「エルフ」という名の意味はなんでしょ」
突然の問いかけが酔っぱらった某特有のモノと類似しており、鱗は生真面目に問いかけに答えていた。
「たしか…天地の神々を繋いだ逸話から…”繋ぐ者”…?」
「よくできました♪」
お褒めの言葉と同時に下腹部の密着が強まると奇妙な感覚があった。肌の感触とは違う見えない何か…。
反射と呼ぶにはあまりにも御粗末でありながら見えないものを視る魔力感知を行うと、そこには虹色のマナを放つ突起があった。いや映えていたという方が正しいのか。
「ふっ——」
あまりにも怪しい位置から輝く七色のマナの塊。おそらくは未だ一部しか出現させていない真なる剣の一端(触れた箇所が切れてないならばコレは柄の部分…)だろうが、そのあまりの衝撃に若槻鱗は久しく言葉を荒げた。
「ふざけてやがる…!!」




