79.「何が為に剣をとる」
陽が縮み、熱が冷め始めた荒野を駆けていく。
もう二度と足を踏み入れたくなかった因縁の地。初めて母が人間に怒りを抱き、見捨ててしまった土地を私は希望を抱いて駆け抜けていく。
「あと少し…」
ウロコ達と徒歩で五日以上歩いた距離を僅か半日で遡る。エルフの肉体性能があってこそ為せる業。魔術を使えば更に加速できるが、今それをやるとアサミに負担が掛かってしまう…。
「…こんなに早く来れたのに…」
疾風の速さで駆ける身体がありながら自らの弱さゆえに其れを為さなかった愚か者。それが私だ。
羽毛のように軽い少女を抱きながら唇をキツく噛み締め、疲れて眠る少女に視線を落として歯を緩める。
悔やむのはいつでもできること。ただ罪から解き放たれた希望を目の前にすることではない。
今はただ亡きシロミの遺志と少女アサミの願いを叶えるために終焉の地をひた走るのみ。
「くっしゅん…。もう、ここに来ることはないのかしら」
否応にも鼻を通るガルーラの匂い。沢山の生き物をかき混ぜて煮詰めたような匂いは最後まで慣れなかった。
『私は…なんだか懐かしい匂いがしますけどね』
…ウロコは割とすぐにガルーラの匂いに慣れていた。懐かしい、とさえも口にしていたか。思い返せば、ガルーラにいる間の彼女は過去を見るような目をすることが普段よりも多かったようにもみえる。
「臭い、なんて‥悪いこと言っちゃったかしら」
この地の匂いが彼女に故郷を思わせるものならば、この不毛の地にも意味はあったのだろう。
世界を跨いで来た彼女にとって「故郷」とは本当に遠いものになってしまったのだから。
「・・・前世の彼女って、何をしていたのかしらね…」
本人がいない、この場だからこそ言えた独り言。永くを生きたエルフの戯言。
もし彼女の前で同じことを口走ったのならば私は自らの唇を切り落とすだろう。
・・・ワカツキウロコの前世について尋ねるのは禁忌だ。もちろん直接言われたわけではない。ただあの焚き火を囲った晩、自らの経緯を語るワカツキウロコという人物に見透かせぬ拒絶の壁を感じたときから私の胸には禁忌の釘が打たれた。…ベルマーも同じだったのだろう。
「…きっとアキちゃんですら知らないのでしょうね」
ずっとしまい込むのも彼女の自由だ。
けれど、もしもこの旅の中で彼女の口から【前世の彼女】について聞く機会があれば、その時は可能な限り耳を傾けようと願う。
『 誰だって間違えるんです。だって生きてるんですから 』
彼女のおかげで私は自らの弱さを知った。彼女と出会わなければ私は延々と間違い続けて罪を拭う事さえもしなかっただろう。
「ウロコ。あなたとの約束は必ず果たすわ。私の全霊を以てしても…」
まもなく荒野を抜ける。
一粒の種から生まれたガルーラの罪。母の怒りに震えた弱さから始まったガルーラの罪の継承。
長き時を経たのち老婆の死を以て彼らの罪の継承は同じく過ちを犯したエルフに拭われた。
ガルーラ最後の希望はエルフと共に其の地を飛び出し、残る終焉の地には眠る者のみ。
・
エルフ様と出会ってから6日ほど経った頃。
陽が縮み、夕食の支度をしようとしていた時に戸を叩く小さな音が聞こえた。また野生のミュートだろうと支度を進めていると再び戸を叩く音が聞こえる。やはり小さな音。弱々しいというよりも緊張が滲んだような音だ。
「はい?…どちら様で…」
戸を開くと、そこには継ぎ接ぎの外套を纏った少女がいた。
「こ、こんにちは。は、初めまして。わ、わたしはアサミと言います」
焼けた肌に細い手足。そして赤みを帯びた黒い眼——ガルーラの子どもだと一目で分かると腰が抜けて尻もちをついてしまう。
「危ないわよ。おじいさん」
倒れた私に差し伸べられた手。少女のものではない。強くしなやかな御手に視線をなぞると、あのエルフ様の姿があった。
「エ、エルフ様。どうして…それにガルーラの子どもまで…」
「そうね。まず何から語るべきかしら」
エルフ様の手を取って立ち上がる。その際、視線を交わすとエルフ様の眼が変わったように思われた。鮮彩輝々と眩く緑光に依然変わりはない。ただ深みが増したというべきか。嵐を超えた木々が見せる傷だらけの強さに似たものが感じ取られた。
「まず貴方たちローヒ家に謝らないといけないわね。私と過去のガルーラの民との約束によって貴方たちには迷惑をかけてしまったから—――」
それからエルフ様から語られたのはガルーラが歩んできた苦難の路であった。
古に結んだエルフ様との約束を果たすべくガルーラの民が行った罪の継承。その儀式に「ガルーラの荒野」が必要だと分かったとき私は、私と父は大きな間違いを犯したのだと気づく。私の父は彼らガルーラの民を別の土地に移すことに画策し、過労が祟って早くに亡くなった。あくせくと民に尽くす父の傍らで協力に応じない彼らを見た私は彼らを「無気力だ」と決めつけ、騎士の責務から逃れた。
…私は父の死に納得がいかなかったのだと思う。父一人が頑張っているのに何一つ協力せず荒野を見つめる彼らを私は許せなかったのだ。彼らのことを何一つ知ろうともしなかった自分を棚に上げて、私は勝手に彼らに期待して失望して投げ出したのだ。
「恩を返すだけで良かったのに…どうして救ってやろうなどと粋がったのか…」
幼い頃、父に尋ねたことがある。
なぜ私たちはガルーラの騎士となったのか‥その答えとして父は「祖父がガルーラの民に恩を返すためだ」と答えた。
かつての祖父は困窮の際にガルーラの民に無償で食べ物を分けて貰ったのだとか。私に祖父との記憶はない。だけどエルフ様の話を聞いた今ならば祖父の気持ちは分かる。祖父は、ただ単に恩を返すためにガルーラの民に手を差し伸べただけだった。救う救われるの話ではなく、ただ恩を返すためだけに騎士として働き続けた。
「あなた…まだ後悔はある?」「ありますとも。」
「それなら良かったわ」今の話を聞けば尚のこと。思考の余地もなく即答すると、エルフ様は枯れ葉色の笑みを浮かべた。
「私から頼める立場ではないかもしれないけれど…あなたに一つお願いがあるの」
「アダルティー様。ここからわたしに言わせて頂けませんか」
エルフ様が姿勢を下げかけると傍に控えていた少女が私の正面に現れて両膝をつく。
「ローヒ家の騎士様。私たちは自らの罪を繋ぐことに没頭し、差し伸べられた数々の救いの手を払う無礼を働きました。私たちは母に逆らい、地の母に怒りを抱かせた咎人。ゆえに騎士様に救われる価値など無いと…そう考え、今日まで生き延びてまいりました。」
少女の口調が大人びたものへと変わる。大都の子どもと違い、ガルーラの子どもには子どもらしさが感じられない違和感が多々あったが、あれらは彼らの行ってきた罪の継承によるものだったのだ。
「ガルーラの罪は我々だけのもの。言い訳でしかありませんが私たちは関係のない騎士様を巻き込みたくはなかった。…それでもローヒ家の方々は私たちに食べ物を分けて下さりました。かつて世界の腹を満たそうとした我々にとって食への感謝とは果てなく尊きもの。貴方方への恩義は罪の記憶と共に末代まで繋がれております。」
「末代?じゃあ君は最後の…」
「はい…きのう祖母が亡くなって…わたしがガルーラの最後の生き残りとなります」
言葉を尽くしながら一心に私を見つめる少女アサミ。その瞳が祖母の死を語った直後に震えたのを見て、私は心底自分を呪った。
「ガルーラ最後の罪として、私は貴方様に恩をお返ししたい。これまで救いの手を振り払ってきた私たちです。分不相応なことは承知の上ですが、それでも貴方様にお願いしたい。どうか私に恩返しをさせて頂けませんか。」
ガルーラの民としての責を背負うには、あまりにも幼すぎる少女。
私が見捨てた後も、あの過酷な土地で生き続けたガルーラの者の願い。それが私への恩返しとは…私は彼女に一体何を返してあげられるのだろうか。自分の家族さえも幸せにできなかった私に…。
「私は…君たちを見捨てたことを後悔し続けてきた。そして私の至らなさが君たちに不幸を招いたのも事実だ。だから君の恩義に値するのか…私は自分を量りかねている。私は、自分が信じられないんだよ。情けないことにね」
私は、守るべき民を、家族を、幸せにできなかった。
当然だ。自分を幸せにできない者が誰かを幸せにする事などできないのだから。
「ですから。どうかエルフ様。私に再び任じては下さりませんか。一度は貴方様に拭われた私の後悔…いえ私の罪。それを私に返していただきたい。一度は焦がれた騎士の道ですが私はその器に足りえなかった。それでも私は…この子だけの「騎士」でありたい。位も強さもない偽物でいい。この子を守れる存在に私は心だけでも成りたい。どうか私に覚悟を抱かせてください。」
「…分かりました。ちょっと、お邪魔するわね」
断りを入れて私の家の奥へと向かうとエルフ様は壁にかけていた剣を手に私の前に立つ。
「汝、何が為に剣をとる?」
刃の部分をつまみ、持ち手の柄の部分を私の肩に傾ける。
以前の退剣の儀とは逆の儀式。騎士となる儀の問いかけの一文が私の覚悟を問う。
「我、恩義を守るために剣を携えん」
もはや剣を振るうほどの力は私にはない。あの剣を壁に掛けたのは戒めのため。自らの後悔を忘れぬために捨てなかったものだ。
「私が「騎士」であるために後生私は剣を携え続けましょう。私の後悔は私だけのもの。私の願いも私だけのもの。貴方様に預けた私の罪…この戒めの剣を以て今度こそ私はガルーラの騎士となりましょう。」
肩に置かれた剣を取り、細くなった腰に革帯を巻いて剣を携える。重い。これは肉体の衰えではなく、私は本当の意味で剣の重さを知ったのだ…。
「——それじゃあ私はウロコたちを追いかけるわ。アサミちゃん…元気でね」
「はい。アダルティー様もお気をつけて…御三方にも「よろしく」とお伝えください。」
別れの言葉の後で数拍の静寂。それから塞き止めていたものが崩れるようにエルフ様が少女に覆い被さると互いの肩で両者は静かに涙を流した。
「ローヒ家の騎士。あなたの名前を教えて頂戴」
「私はパズル=ローヒと申します。アダルティー様」
「覚えたわ。どうかアサミちゃんと…幸せに。沢山食べて長生きしてね」
涙を拭って本当の別れを告げるとアダルティー様は疾風のように走り去った。
エルフ様は記憶を失わないと聞いたことがある。今回の一件で心を患われないことを願いながら私は傍らの少女に片膝をついて向かい合う。
「改めて、私はパズル=ローヒだ。見ての通り老いてしまった仮初の騎士だけれど、それでもどうか君を守らせてほしい。君の名前をもう一度聞かせてくれないかい」
「わたしはアサミ=ソジェールです。パズル様。小さなこの身で出来ることは限られていますが精一杯恩返しをさせていただきます」
「ソジェール…?じゃあ君はカニエ君の…?」
「にいちゃん!‥‥を知っているのですか?」
「ああ。随分と前になるけれどボロボロになって私の家に—――」
そこで大きな腹の音が鳴って、互いにお腹を見下ろし、それから見つめあって静かに笑いあう。
「お腹が空いたね。スープでも飲むかい?」
「はい!いただきます!」
ニコリと笑った少女の顔に兄の面影が微かに重なる。あの青年は今どうしているのか。次に大都へ足を運ぶ機会があれば冒険者集会所を訪ねても良いかもしれない。そのときは彼女も連れて…互いの再会を喜び合う兄妹の姿を思い描きながら…私は守るべき少女を我が家へと向かい入れた。




