78.「神様のいない土地」
「それじゃあウロコ。明日の朝にまた会いましょう。何度も言うようだけどガルーラを抜けるまで魔術は極力使わないように…良いわね?」
「分かりました。アダルティーさんも気をつけて。アサミちゃん…どうか幸せにね」
ローヒ家に向かうアダルティーに一時の別れを告げ、背中に負ぶわれたアサミに言葉をかける。「がんばれ」と言うのも違う気がして「幸せ」などと曖昧な言葉でしか彼女を送り出すことは出来なかった。
「はい…ありがとうございます。ワカツキ様も道中お気をつけてください」
「げんきでね!アサミちゃん!!」
「アキちゃんも元気でね!」
鱗に抱かれた幼女アキと背負われたアサミが笑顔で別れの挨拶を交わす中、鱗の背後でモジモジと浮かぶ気配が一つ。
「イブキ…何か言ってあげたら?」
「か、考えていたことをマスターに言われてしまったので…」
「同じでもいいんだよ…」
アワアワとする長身の白麗美人の背を押すと、イブキは小さく呼吸をしてアサミの下へとフワリと浮かび飛んでいく。
「終焉を生き抜いたアナタに天の母の御加護があらんことを…」
…その情景に神話の一部分を切りぬいたような神々しさを感じたのは鱗だけだったのだろうか。
ひらりと揺れる白の流線は煌びやかに。陽は彼女の纏う純白のドレスに透明感を宿らせ、慎ましくも衣の内に隠された白肌を透過させる。そして、その慈愛ある表情たるや。緑光のエルフが抱く親心とは一線を画す風雲の如き爽快さと柔らかさを抱いた笑み。世界を流れる風——天の大神より吹かれた「風」だからこそ浮かべられる天上の微笑みに若槻鱗は胸を貫かれた。
「ハ‥‥はいぃ」
その神々しきを真正面に受けた少女アサミはまともな言葉も出せないまま顔を赤らめてアダルティーの背中に顔を埋めてしまう。さもありなん‥と鱗はアサミの反応に共感しつつ、それを受けた美女の反応を見ると…酷く落ち込んだものであった。
「マスター…私は…何を間違えたのでしょう…」
背後霊の如く鱗の背中に返ってくると、イブキは鱗の肩に手を置いてアサミと同じく背に顔を埋めてしまった。
「何も間違えてはないから…だいじょうぶ、大丈夫…」
片手でアキを抱えながら、空いた手で背に引っ込んだイブキの腰辺りを擦る。
…イブキは天の吐息から生まれた「風」で鱗は器を与えただけ。だから鱗の火から生まれたアキのように本当の娘とは呼べないのかもしれない。鱗を「マスター」と慕ってくれるイブキ自身もソレは自覚していることだろう。ただ、この一時だけは二児の母になったような気分だった。
「それでは。いずれかの大地、どこかの空の下で再びお会いしましょう。皆様に大神様の御加護がありますように」
少女は大人びた口調で別れを告げ、約束のエルフに背負われながら終焉の地を、故郷ガルーラを後にする。少女を背負った麗人の銀髪が揺れ、時おり陽を反射しては白銀の光を散らして走り去って行く。少女の向かう先に、彼らの贖罪の果てに、輝かしい未来があることを祈る。そして、あわよくば…あの後悔に苛まれた騎士が報われることも願う。
「私たちも行こう。」
疾風の如く走り去ったアダルティーを見送ってから鱗たちも出発する。
事前にアダルティーによって打ち上げられたイブキからの観測によれば、ここからガルーラを抜けるまで半日以上。しばらくは水の補充はできないため早急に行動しなくてはならない。
「お世話になりました」最後に主のいなくなったソジェール家とアサミの祖母の墓標に一礼する。人気が無くなったソジェール家からは温もりが消え、建物全体が一気に老いたように感じられた…。
「——マスター。結局、マユーについては何も分かりませんでしたね」
それから暫く歩いて、もう振り返ってもソジェール家が見えなくなった頃。小雨が落ちたようにイブキが話し出す。
「そう、だね。むしろ…さらに謎が深まった感じだね」
本来の目的であったマユーの誕生の経緯は謎のまま。第三者の関与はなく、晩年の長が独自の研究によって魔法の域へ到達し、禁断の果実であるマユーは生み出された。マユーの虜となったガルーラの民は母たるエルフの忠告を聞かずマユーを育成。これによって怒りを露わにした地の大神はガルーラの地を何も育たない不毛の大地へと変えた。
「不毛の大地なんて言われてたけど土の中には、この木の根があったんだよね…」
調査のためにアサミに折り分けて貰った木の根の断片を見つめる。
ガルーラの者にしか調理できない木の根。
エルフ族であるアダルティーは体質的に木の根が食べられず、魔術による調理も出来なかった。
一方、鱗・アキ・イブキは木の根が食べられたが魔術による調理は相性的に不可。そのため今後の旅路で出会った人に協力をお願いするつもりだ。
「面白い食感の食べ物でしたね」
木の根の他にも鱗のリュックにはガルーラの土を入れた小瓶が一つ。
水魔術を弾くガルーラの土。これも木の根と同じく今後の旅路で調査を進めていくつもりだ。
「ガルーラの人にとっては、この木の根も土も普通のモノ…なんだよね」
かつてガルーラを治めていたローヒ家はガルーラの性質を、どう受け止めていたのだろう。
不毛の大地、水を弾く土、ガルーラの者しか調理して食べられない木の根、地の大神が見捨てた地…。
「ここには本当に地の大神はいないのかな」
「天の魔術しか使えない、とアダルティーも言っていましたけれど…どうしてですか」
「いや…「見捨てた」土地なのに木の根なんて埋めるのかな…って」
ここは本当に地の大神が見捨てた土地なのか。その答えは魔術が示してくれている。
このガルーラでは地の大神からマナを借り受けて魔術を行使することはできない。火の化身であるアキも地の大神からマナを補給することはできない。だから事前にマナを補給してガルーラに入った。それは地の大神がいないからであって…。
「ねえ、アキ—――ここに地の大神はいる?」
この世界の木を燃やして生まれたアキは地の大神に近しい存在。地の大神に関する事ならばアキの方が感じ取れると以前イブキが言っていたのではなかったか。…淡い何かを抱いて尋ねるとアキは震えた声でこう答えた。
「わかんない。でも…ずっと…こわいのしか…いないよ」
初めて湯船に入るのを怖がる赤子のように身を捩りながらアキは鱗の襟を掴む。
「こわいの…って?」
地の大神はいない。けれどアキが感じ取れる何かがいる。
アキの言葉をそう受け取った鱗は「こわい」ものの正体を尋ねると、アキは怯えたように首を振って鱗の胸元に顔を沈める。小さな体から伝わる震え。これほどまでにアキが「こわい」と感じたものは何だったか。アキと一緒にいて二人が一番怖いと思った瞬間。師であるベルマーが倒れ、鱗とアキが各々に対峙した「こわい」もの…それは。
「地底湖の…かいぶつ?」
高いところから落ちる夢でも見たようにワッ‥と身体を広げて驚くアキ。一時だけ目が合っても言葉はなく、そのままアキは身を丸めて再び鱗の胸に顔を沈める。けれど、その反応が全ての答えを教えてくれた。
「血の化身…」
その名を口にした途端、恐ろしい怪物の口の上に立ったような恐怖に戦慄した鱗は片足を上げる。そして、その姿勢から鱗はガルーラにおけるアキの水たまりを避けるような歩き方を思い出して震えるアキをキュッと抱きしめていた。
「マ、マスター?」
イブキは気づいていない。アダルティーよりも深い魔力感知によって大地から感じる血の大神の気配を異物感程度に感じ取れるイブキでさえもガルーラの深淵を覗くことは叶わなかった。
「ごめんね…アキ」
この地に潜むものの正体を一番に感じ取ったのはアキだった。
この地に足を踏み入れてから「こわい」と言ったアキの言葉を真剣に聞いてあげるべきだったのだ。
「…血の大神だったんだ」
かつて龍の祖先が犯した大罪によって、天の大神から龍族に課せられた「タメシ」の儀。
これに敗れた龍は天に翼を、地に体と誇りを奪われ、地に隷属する地龍へと堕ちる。地の大神に取り込まれた龍の体。その身に宿る神々への怨念は積み重なったのち仮初の神として地の神を喰らう存在へ—――血の大神と成る。
『 カ ミ オ ユ ル サ ナ イ 』
鱗たちが地底湖で出会った怪物。血の大神の意志の表れとして血の化身と呼ばれた悪魔は神々への恨みを口にした。
天地両大神への恨みを持つ血の大神。彼の神ならば「マユー」を生み出す理由はある…。
「イブキ。アキ。急いでガルーラを抜けよう」
…だが、まだ推測の域を出ない。
数ある欠片を適当に繋げたこじつけ。真相はアダルティーと答え合わせをするまで分からないだろう。
ただ此処から逃げ出したいがために鱗は急ぎ足で終焉の地を駆けていく。
恐怖で描いた怪物の口が本当に開かれないことを願いながら…。




