70.「約束」
ガルーラに入って5日目の夜。
アサミの案内の元、鱗たちは無事ソジェール家に到着した。やや小高い岩を支えに何とか建っているようなボロボロの家。老人——ガルーラを治めていた騎士の住む家と建築様式は異なり、薄板を継ぎ合わせて作った壁に屋根代わりの布を被せただけで「家」と呼べるかも怪しいものだった。
「ばあば!」「あ、あさみ…」
家に辿り着くとアサミは大声を上げて、扉のない出入口をくぐって家の中に消える。明かりがないため内部の様子を窺うことはできないが弱々しい声が薄っすらと聞こえた気がした。
「ウロコたちは外で待ってて。この人数だと少し狭いから…」
先にアダルティーが家の中に入り、鱗たちは出入り口から中の様子を窺う。ようやく暗闇に目が慣れ始めると…鱗にも中の様子をみることができるようになった。
「アダル、ティー…様…」
垢が溜まり、くすんだ顔。閉じかけた目蓋。何かの拍子で切れてしまいそうな細い白髪。今にも崩れそうな枯れ葉色の声でアサミの祖母と思しき人物は確かにアダルティーの名を呼んだ。
「知り合い…なのですか?」「いえ。本当に初対面よ」
尋ねるとアダルティーも少し驚いた様子で否定する。アサミの祖母に事情を聞きたいところだが、ひとまず汚れた身体を清潔にすることにした。家の外でアダルティーの水魔術で汚れを洗い流し、イブキが身体を拭く。その間、身体が冷えないようアキには火を出し続けてもらい、鱗はアサミと共に家の片づけを済ませる。
飢餓状態で出歩き、魔力感知で身体を酷使し続けたアサミよりアサミの祖母の容体は安定しているが、アダルティーの顔を見てから彼女は終始落ち着かない様子であった。
「いえ…私は水だけで‥‥」
「駄目よ。聞きたいことが山ほどあるのだから…食べなさい」
食事を拒むアサミの祖母にアダルティーが干したダンゴロ芋を一枚手渡すと、祖母は渋々それを口に含む。萎み固まった表情が絵の具を溶かしたみたいにほころんで、それから「なつかしい…」と自分ごとではないような口振りで感想を漏らすと、細い涙を一筋流す。
「・・・・ウロコ。今日はもう遅いから話は明日聞きましょうか」「あ、はい」
そんな祖母の様子をジッと見つめていたアダルティーが視線を向けることなく提案するものだから鱗は一歩遅れた返事をする。
「いえ—――エルフ、アダルティー様。どうか私に話をさせて下さい。ようやく、ようやく約束の日が、我々の罪が裁かれる刻が来たのです。この日を、どれだけ…どれだけどれだけどれだけ待っていたか、」
祖母が焦るように口を開くと駆け出す勢いで想いを吐き出す。
想いの強さに思わず前のめりに転んでしまいそうな、想いを連ねた言葉すら鬱陶しく思うほどに、いっそ感情を直に伝えられたら良いのに…とままならぬ願いまで感じ取れるほどに。
「わかりました。ただし私が無理だと判断したら身体を休めると…誓えますか」
優しい口調から一転。少女アサミを一時見つめたかと思えば、次いで諫めるような視線でアサミの祖母を見つめるアダルティー。その意図を察してかアサミの祖母は平静を取り戻すと「我が孫に誓って…」と確かな意志を示す。
「…心だけで良かったのに…」
そんな祖母の様子を見たアダルティーは聞こえないほど小さな声で、そう呟いた。
「…私はウロコ。ワカツキウロコです。故あって、こちらのアダルティーさんと共に旅をしている者です。旅の道中、偶然ガルーラを治めていた騎士家系の御方と出会いまして—――」
ここまで経緯を語りながらガルーラに来る発端となった老人の話を出すと、アサミの祖母は「そうですか。彼は生きていて…」と涙を流して喜んでいた。地の大神に見捨てられたガルーラを救おうとした騎士家系——「ローヒ家」には多大な恩があると彼女は話していたが、どうも老人との話に差異が感じられる。…恩義を感じていたというのに、なぜ彼らはローヒ家の手を取らなかったのだろうか。
「どうしてガルーラの人たちは彼らに救われなかったのですか?ローヒ家の人たちは貴方たちを救おうと尽力されたのに…」
「私たちに、その価値がないからです。ワカツキさま」
それ以上の言葉はない、と断ずるように祖母は重く閉じた目蓋の裏から鱗を見つめる。
「ローヒ家が最初に我々と接触した際に何度も申しました。「私たちは救いを求めない」と。
それでも当時のローヒ家当主様は「昔ガルーラには食わせてもらった恩があるから」と我々に御恵みを与えて下さりました。
我々が罪を犯す前に作り続けた作物が知らないうちに彼らを救っていたのだと…こんなに嬉しいことはありません。我々は世界の腹を満たすために食に生涯を捧げた者ですから」
「世界の腹を満たす…ガルーラの創始者の御言葉でしたか」
ローヒ家に託されたガルーラの過去を記した日記に書かれていた言葉。その壮大な夢から始まった未墾の地ガルーラに食への探求に懸けた者たちが集い、世界に『食といえばガルーラ』という名誉ある異名を轟かせた。
「ああ、彼の日記を見たのですね。…そうですか。もう捨ててしまったとばかりに思っていたのですが。騎士様を縛ってしまったのかもしれませんね」
遠い目をして荒野を見つめる祖母。その顔を見て、ふとローヒ家の彼も同じようにガルーラを見つめていたのではないかと鱗は妄想する。
…ガルーラの民を見捨ててしまい、その後悔を抱えたまま年を重ねたローヒ家の騎士。少し歩けばガルーラの荒野に戻れる場所にガルーラの建築様式を模した家を建て、妻子と暮らしていた。「妻子を亡くした」と彼は話していたが、もしも子どもが育って騎士として働けるようになったら彼は再びガルーラを救おうとしていたのかもしれない。…全ては妄想にすぎないけれども。
『 私たちは真なる裁きを求めて 』
あの日記の断片に残されていた言葉。年月を経てもなお色褪せずに刻まれた「裁き」という文字。
真なる裁きを求めたからこそ彼らは救いを求めず、赦しは求めない。
望むのは「赦し」ではなく「裁き」…だけど、それは誰に?
そもそも、なぜ彼らはガルーラに留まり続けてきたのか。別の土地で暮らすという選択肢もあったはずなのに。
『 ようやく、ようやく約束の日が、我々の罪が裁かれる刻が来たのです。この日を、どれだけ…どれだけどれだけどれだけ待っていたか 』
約束。アサミの祖母が発した言葉を鱗は別の人物から確かに聞いた。
地の怒りを受けたのちガルーラの民が結んだ約束——永遠を生き、永遠に忘れない者たちとの約束を。
『 地の母様を怒らせた罰としてエルフ族はガルーラの民に約束を結ばせた。・・・それで、話はおしまいよ 』
「・・・アダルティーさん。罪を犯したガルーラの民とエルフ族が結んだ約束って…一体なんだったのですか?」
あの時には聞けなかった問い。ガルーラのことを何も知らず、その話題を嫌がった彼女のことを慮って聞けなかった言葉を、時間を取り戻すように鱗は唱える。聞いたところで結局なにも変わらない。ダンゴロ芋を口にした祖母を見つめるアダルティーの真意さえも若槻鱗は分かってはいなかったのだから…。
「私たちは、私は—――当時の彼らに伝えたの。【この罪を、ゆめゆめ忘れぬように】——と」
「ええ!ええ!そうです。エルフ族第二世代—―始祖様の第一子アダルティー様!|我々は…ずっと忘れなかったのです。あの罪を!母たるエルフ様に背いた大罪を!大地たる母に怒りを与えてしまった不拭の大罪を!我々ガルーラの民は現代まで継いできたのです!遠き約束の果てに我々を断じて下さるであろう真なる裁きを!この身が朽ちるまで…!」
歓喜と狂気が入り混じりながらも声高々とアダルティーに訴えるアサミの祖母。
興奮のあまり重く閉ざした目蓋が開かれると、アサミと同じく赤黒い眼が露わとなる。暗闇に現れた両目、年を重ねて濁りが増した其の眼は血のように見えた。




