69.「置き去りの少女」
「ゆっくり…そう。誰も奪ったりはしないから…ゆっくり飲みなさい」
少女を介抱すること半日。ほとんど何も食べていなかったため体力の消耗が著しく、夢にうなされながらも少女は水を飲んでは眠り、飲んでは眠り…と寝たきりの状態が続く。熱中症になりかけていたのか。水以外は何も口にできなかったため乾いた薬花とイゾルテを少し削り入れた白湯を飲ませると徐々に血色を取り戻していった。
「助かって良かった…」
自分は助からなかったから…心からそう思う。
あの頭から溶けてしまいそうな気持ち悪さと酩酊する感覚。自分の体なのに何もできなくて、自分の命が減っていくのを実感するだけの地獄の時間。そこに飢餓まで加わったとなれば少女は鱗より更に苦しい状況だったと見える。
「そんな状態で…どうして魔力感知なんか…」
「ここを出ようとしたのか。あるいは—――ともかく、この子が話せるようになるまで待つしかないわね」
そこで陽が完全に縮み、夜風の冷たさが身を震わせる。ガルーラに入って4日目の夜。今晩の食事を除いて残りの食糧は3日分…少女の意識が回復次第、明日以降の行動が大きく変わることになる。
「現在位置って、どのあたりなのでしょう?」
「そうね…かなり大回りして来ているから。今から正規の道に戻っても2日はかかるわね」
「となると、この子が来た道次第では…」
「それなりに日数はかかる、けど‥それは彼女が目覚めてからの話。とにかく今は早く寝ましょう」
少女の様子を見守りながら鱗たちが夕食を済ませる中、アダルティーは夕食に一切手を付けなかった。
エルフにとって食事は必須ではないとはいえ、冷静に現実を見据える彼女に申し訳なくなって鱗も少し食べる量を控えることにした。
翌朝。眠る少女を背負ったアダルティーが先導して少女が歩いてきた痕跡を辿る。「小さい子の足だから分かりづらいわね」とアダルティーは笑いながら言っていたが鱗には全く判別できない。ベルマーと一緒に行ったガラティア洞窟での探索——冒険者「彼」の痕跡を辿る際には鱗にも分かる痕跡が数か所あったが、ベルマーも彼女と同じように少女の痕跡を辿れたのだろうか。
「不自然を探す、っていう感じかしら。地面の微妙な起伏とか…まあ経験からの勘よね。こういったのは多分、狩り—―食糧集めとかで身に着くものだから…」
「—―――にいちゃん!!」
細口から吹き出したような大声を上げて少女はアダルティーの背中で目を覚ます。寝ている間も頻りに家族の名を呼び、うなされていた少女。夢の反動から目覚めた少女は動揺と恥ずかしさに困惑していると、目の前で揺れる銀髪とピンッと張った長耳に目を止めた。
「こんにちは、お嬢ちゃん。私はエルフ、アダルティー。倒れていた貴方を見つけて、今は貴方たちの家に向かっているわ」
「そう…なのですね。ようやく‥‥わたしたちに…けほっこほっ!」
寝起きで喉が渇いていたのか言葉の途中で咳き込む少女。エルフ族が相手ということもあり丁寧な言葉遣いをする少女であったが、その様子に鱗は奇妙な違和感を覚えた。
「そこの岩陰で落ち着きましょう。話も聞きたいですし…」
近場の小さな岩陰を指すと、アダルティーは小さく頷いて背負った少女の背を優しく擦る。
「おはよう!」
抱いていたアキと背負われた少女の視線が合うと、アキの方から元気な声で挨拶する。少女は少し戸惑った様子であったが恥ずかしそうに「お、おはよう」と挨拶を交わす。
「…イブキはしないの?」
気配を感じて背中越しに小声で尋ねると「怖がらせてしまうので…」と大きな身体を縮めながらイブキは鱗の背に隠れてしまう。対人経験の差というべきか。長身のイブキが人見知りの子どもみたいに背に隠れてる姿に鱗は思わず笑みを浮かべた…。
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「———危ないところを助けていただき有難うございます。私はアサミ。アサミ=ソジェールと申します」
アサミと名乗る少女は齢10にしては大人のような口ぶりで自己紹介を終えると正座しながら一礼。そして顔を上げると頭まで被っていた外套がずれ落ちて顔が露わになる。線の細い黒髪に日焼けした肌…そして赤黒い眼。岩陰にいるせいか一層瞳の赤が際立って見えた。
「こんにちは。私はウロコ。若槻鱗」「アキだよぉ」「…イブキ、です」
鱗、アキ、イブキの順で軽い自己紹介を終えると僅かな沈黙。何から話すべきか…鱗とアダルティーが思案していた合間にアキが最初の質問を投げかける。
「どうして アサミちゃんはヒトリでいたの?」
「私、わたしは…ばあばとにいちゃと暮らしてたの。お父さんとお母さんは私が生まれて、すぐに死んじゃったから…わたしの家族は二人だけ。にいちゃも…家を出ていっちゃって…もう・・・ばあばしか—―――そうだ!ばあばを!ばあばを、たすけ、げふっ…たずけてくだざい…ごほっ、げほっ!」
「落ち着いて。貴方も未だ万全ではないのだから無理をしては駄目よ」
「申しわけ、ありません…エルフ様」
「ごめんね。アサミちゃん」
「ううん。だい、じょうぶだよ。アキちゃん」
アダルティーが水と僅かばかりの食事を与えると、アサミは不思議そうな目で干したダンゴロ芋を手に取って一口。その瞬間、少女は身を強張らせると細い涙を流しながら一言「味がある」と感想を述べた。
「美味しい」ではなく「味がある」…いったい彼女たちは普段どのような食生活をしていたというのか。
「アサミちゃん。普段は…何を食べているの?」
「はい。根っこです。地面を掘ると時々根っこの塊があって…それを湯掻いて食べます」
「根っこ…」
食べれる根、というと牛蒡のようなものか。不毛の大地と聞いていたから植物は何も生えていないと思い込んでいたが、土中の植物があるとは全くの盲点だった。
「お恵みを、ありがとうございます」
しばらくして食事を終えたアサミが畏まった礼を述べると「ごめんなさいね」とアダルティーが一言謝って彼女を抱き上げる。
「アサミちゃん…いきさつは道中で聞いても良いかしら。ついでに道案内をしてもらえると助かるのだけど…」
「わかりました、エルフ様」
アサミの案内の元、アダルティーが先行して再び荒野を進む。
最初に尋ねるべきは、少女が何日かけて此処まで辿り着いたのか。子どもの足とはいえ3日4日かけて…となれば食糧が足りなくなる。そうなれば一度ガルーラを出るというのも選択肢に含まれるが…。
「祖母が倒れて…私一人では食べ物も集められなくなってしまって…「誰かに助けを求めよう」って・・・そうしたらエルフ様が視えたんです。あれは夢だったのかもしれませんが…それでも信じることしかできなくて…祖母を一人置いて家を出たんです。それが2日前のことで」
「ということは、アサミちゃんは1日で‥‥」「急げば何とかなるかもしれないわね」
アサミの言葉を受けて同時に頷く鱗とアダルティー。
子どもの足で1日ならば、大人の足なら半日もかからない。今から急げば夕方ごろにはアサミの家に着くだろう。
「それにしても—――突然、魔力感知ができるようになるなんて在り得るのかな」
この世界の人と自分では魔術との距離感が違う。生まれた時から魔術に触れていた子どもが偶然魔力感知の素養があっただけ。それならば何の不自然もないと…そう若槻鱗は勝手に納得してしまった。




