66.「いつか わらえますか?」
「ゆっくり…おやすみなさい」
倒れた老人をベッドに寝かせるとアダルティーは最期の見送りのような寂しげな眼差しで老人の頭を撫でる。想いの果て。生涯抱え続けた[「後悔」を彼女に託し、命尽き果てるように老人が倒れたため初めは驚いたがアダルティー曰く「緊張が解けただけ」とのことだ。
「おじいさ‥‥この人は、このまま寝かせておいて大丈夫なのでしょうか」
「そうね…食糧は置いておくけれど…生きる意志は彼にしか持てないものから…」
灰色の瞳。あまりにも生気の無い顔をしていたので気づかなかったが彼は老人と呼ぶには少しだけ若い年齢だという。
長年の心労が祟ったせいか。心の衰えが身体にまで現れて随分と弱っていたようだ。介抱する際に少しだけ彼の家を物色すると、彼の家には食糧が殆どなく、残された食べ物は調理場の鍋に入ったスープだけ。…まるで己の死期を悟ったような動きと思われた。
「彼より高齢の白銀や…あとは大都の棺屋も確か生きていたわね。老いて死ぬには、まだ若すぎるわ」
「だから頑張りなさい」と眠る男の手を握ってアダルティーは祈祷する。
生きる意志は本人にしか持てない。…そう言いながら誰より生きることを望んでいるのは長命のエルフだ。
「アダルティーさんって—――人が大好きなんですね」
思えば彼女は初めから鱗たちの事を気にかけてくれた。
母たる両大神に嫌悪される鱗たちを彼女は見捨てることなく、何の見返りもないのに力を貸してくれている。
‥これはアキから聞いた話だがイブキとの戦いでもアダルティーは相当「がんばっていた」と聞いた。なぜ彼女が見ず知らずの鱗たちのために働いてくれるのか。エルフ族の好奇心もあるかもしれないが、それだけで命を懸けてくれる理由を彼女に見出せずにいた。
「違うわよ、ウロコ。私はね…頑張っている人が好きなのよ。永遠の時を持たない貴方たちが、限られた中で必死に頑張る姿を見ていると私は堪らなく愛おしくて、見ていたくなる。時の流れの中で人は消えてしまうけれど私が見ていれば「あの人」たちは私と共に生き続けてくれるから—――いいえ。これは違うわね。きっと私は頑張った彼らの生き証人になりたいのよ。
「あの子たちは、こんなに頑張ったのよ」…って言えるように、思えるように。永遠に堕落しないためにも私は貴方たちを記憶して、励みにして、いつだって頑張れるようになりたいのよ」
眩しい言葉に頬が熱くなって思わず鼻を両手で覆う。
彼女の美貌に時々ハッとさせられることがあったが、心の美しさに惹かれたのは初めての経験であった。
「あら?もしかして惚れちゃった?」
しまった、と思ったときには距離を詰められて両腰に手を回されていた。両手は未だ鼻の上…これでは逃げることもままならない。
薫る色香。見上げれば絶世の美女。弾んだ銀髪が柔らかに頬を愛撫して緑光の瞳が包み込むように鱗を見つめる。
「ざ、残念でしたね。その程度で気を許すほど私の純潔は安くはありませんよ」
苦し紛れの返答。自らの処女力を棚に上げたとて今回は逆効果でしかない。…だって高級品だもの。
「そ…そうよね。なんたって…一生を超えたものだし…」
腰に回した両手がぎごちなく離れ、至極可哀そうなものを見るような眼差しを送るアダルティー。
乙女の窮地を脱した安堵よりも同情された悔しさに鱗は小さな胸を痛めた。
・
「おかえり~!!」「おかえりなさいませ、マスター」
拠点に戻ると、お肉の燻製を見守っていたアキとイブキが鱗たちを出迎える。
「きいてよ!マ~ちゃぁん!イブキがつまみぐい ばっかりするんだよぉ」
「な…貴方だって食べていたではありませんか!」
「ちいちゃいの1コだけだもん!イブキはたべすぎなんだよぉ」
「まぁまぁ…まだ沢山作らないといけないから…ちょっとだけ、ならね」
二人をなだめ、アダルティーと共にガルーラへの準備を進めながら鱗は男の家で起きた出来事を二人に伝えた。
ガルーラの民が生み出した「マユー」によって地の大神の怒りを受けた終焉の地ガルーラ。
ガルーラの村長が死の間際に残したとされるマユーはホシナガレグサ——パルファス草に魔法をかけた事で生まれたものだという。しかし、死の淵に立った人間が突然魔法の領域に踏み込んだことや紙片に書かれていた当時のガルーラの民の様子など…ガルーラの一件には不可解な点が多いことが判明した。
そのガルーラ崩壊後、残った民たちを救おうとした騎士家系もいたが彼らは救いを求めず、復興を断念した騎士の末裔はガルーラを離れたが彼らを救えなかったことへの「後悔」に暮れる日々を送っていた。
そんな彼の「後悔」をアダルティーが継いだことで男は罪から解放され、今なお小屋で眠りに続けている。
「——そういえばアダルティーさんがやっていた儀式って、なんなのですか?」
彼が意識を失う前にアダルティーが儀式用の剣を創造して行った儀式。彼が何の疑問も持たずに行ったため「騎士」に由来する儀式と思われたが、あれが何を意味する儀式なのか分からずにいた。
「あれは…騎士が「騎士」の位を返す時に行う儀式ね。肩に置かれた剣を撫でるのは生涯を共にした「剣」への返礼であり、自らの首を利き手の手刀で落とすのは「騎士」という己を殺す行為にあたるわ。…まあ、本当は「騎士」の位を与えた家系の者が剣を握るのだけどね」
「じゃあ…騎士としての彼は…あそこで?」
「ええ」具体的な言葉を避けてアダルティーは頷くのみ。
「騎士」という位にあったからこそ生まれた「後悔」。ガルーラの民が救いを求めなかったとはいえ、自身が治めるべき町を見捨てた彼が抱え続けた「後悔」は如何ほどのものだったのか…。
同じ「騎士」であるベルマーの姿を思い浮かべる。故郷ガルドーを治めるガルディアン家の嫡子たる彼は自らの足で各地の知識や技術を吸収し、村の者たちのために日々邁進している。アフロ麦が実る季節は村の者総出で麦刈りを行い、村にいる間は子どもたちと泥だらけになりながら農業に勤しんだり…と故郷の様子を語るベルマーは本当に眩しくて、話を聞くたびに彼の治めるガルドーを訪れたいと思えた…。
「ウロコ。他と比べては駄目よ。ガルーラが特殊だっただけなのだから…」
顔に出ていたのか。鱗の考えを読んだアダルティーに注意されてしまう。「生きる意志は彼にしか持てない」とアダルティーも言っていた。鱗が考えたところで、重ねたところで…答えは見えない。
「ねえ…マ~ちゃん?」そこで話を聞いていたアキが妙なことを尋ねてきた。
「そのヒトはさ…わらえるのかな?」
「これから」のことなのか。「できる」ことなのか。
どちらとも取れる聞き方に少し迷って‥ただ思った言葉をポツポツと鱗は答えていく。
「話を聞いただけだから、あの人がどれだけ苦しい気持ちでいたのかは私にも分からない。
だから「私だったら…」って答えると・・・私は笑えないと思う。アダルティーさんに託したとしても、やっぱり…その「後悔」は私だけのものだから。「後悔」に生きたのなら最期まで持ち続けるべきだと思う。「後悔」を、自分の罪を忘れるなんて…きっと私は私を許せなくなるだろうから。だから【若槻鱗】は—―――――っ」
肩に置かれた手が鱗の言葉を止める。吐き出した言葉が頭の内で繰り返され、真実を滑らせた舌を強く噛む。それから鱗はニコリと笑って「だから…すぐには難しいかもしれないけれど、きっといつかは笑えると思うよ」と「これから」を見据えた答えを返した。
「私も笑えると思うわよ、アキちゃん」鱗の肩から手を放しながらアダルティーも笑って、そう答える。
「そうだと…いいなぁ」とアキは渋みのある笑みを浮かべ、それらの様子をイブキは静かに傍観する。
アダルティーの勘違いのおかげで、その場は何とか収まった。思わず出た「罪」という言葉のせいだろうか。
準備の合間、アキに濁りを残してしまったことを反省しながらも鱗は心の底から…真実の神を憎んだ。




