明日の約束・7月【1】
この章はお兄ちゃん(透一郎)視点です。
「結婚式? 友達の?」
「うん。大学時代のね。言ってなかったっけ?」
夕食の時、透一郎が明後日、友人の結婚式に行くと言うと、妹の梛は「聞いたような気もする」と首を傾げた。
「あれだよね。結婚式のお知らせって結構早くに来るよね」
「準備期間がいるからね。仕方ないよ」
その友人の結婚式の招待状が届いたのは、年明けのころだったと思う。確かに、梛の言う通り結構早くに来る。
「とりあえず、明日の夕飯は兄さんはいらないってことね。了解」
サクッと了承した梛に、透一郎は「よろしくね」と答えたが、本当はありがとう、と言いたいところだ。家事はほとんど妹に丸投げ状態であるから。
「兄さん、明日いないの?」
「だって。どこかに食べに行こうか」
「食べに行ってもいいけど、祐真か誰かを連れて行くんだよ」
単純に年若い娘と小学生の弟妹を心配したのだが、梛からは不評だった。
「ええ……だって小学生になった名探偵と女子高生だって二人で食べに行ってるよ」
「何の話かな」
言いたいことはわかるが、心配するこちらの気持ちも察してほしい。特に梛は、晴季を護るためなら本気で命を投げ出しかねない。これは極端な例であるが。
「ま、わかったよ。兄さんも気を付けてね」
「大丈夫だよ。香江と圭も一緒だからね」
楢崎圭は、透一郎の幼馴染だ。『陽炎』に所属しており、おそらく、現段階では梛よりも実力のある剣士だろう。大学時代、透一郎とは学部が違ったが、サークルは同じだった。
「楢崎さんが一緒なら大丈夫かな」
「おや、香江だけじゃダメ?」
「兄さんが転んだとき、香江さんだと押しつぶされちゃうでしょ」
「……そうだね」
梛はさほど気にしていないように言うが、確かにそれはある。透一郎と香江ではかなり体格差があるため、彼女では透一郎を支えられない。梛も一回りは透一郎より小柄だが、彼女は優れたバランス感覚がある。
もし、梛が出て行くことになったらどうなるのだろう、と思うことはある。この家は、梛と透一郎の二人がいることで回ってきた。晴季がもう少し大きくなればまた変わってくるかもしれないとも思うが。
梛が出て行くかもしれない、というのはずっと先の未来ではない。この夏、梛は十九歳になるし、祐真ともうまくいっている。このまま結婚となっても不思議ではないと透一郎も思っている。
「梛」
「うん?」
「ありがとう」
「ん?」
梛の目が透一郎を見た。強力な千里眼を有する梛の瞳は水面のように揺らめいて見える。その目が細められる。
「突然どうしたの?」
「いや、お前に助けられてるなって」
「当たり前でしょ。兄妹なんだから」
お茶飲む? と聞かれて透一郎は飲む、と答えた。ジュースがいいと言う晴季にも容赦なくお茶を出した。
「ジュースは明日の朝ね」
ぶー、と唇を尖らせながらも晴季はおとなしく梛の言うことを聞いている。透一郎が相手だったら文句を言われていた気がする。
「反抗期かな……」
「兄さん、それ、前にも聞いた」
苦笑しながら梛がツッコんだ。
翌日、昼過ぎから透一郎は梛の手を借りて着替えていた。どうしてもネクタイが結べなかったのである。
「私も向かい合ってできないんだけど」
高校の制服がネクタイだったので、梛も自分のネクタイを結ぶことができるが、対面で結ぶことができなかった。まあ、透一郎もできないので文句を言う気はない。やってもらうのだし。
「あれにしようよ、ほら、元から形になってるやつ」
結局透一郎をしゃがませ、後ろから手をまわしてネクタイを結びながら梛が言った。職場に行くときはそれを使ったりしているが、式典でそれはどうなのだろう。
「冠婚葬祭だからね。さすがにそれは」
「今度から香江さん呼んでやってもらいなよ。ほら、終わり」
左肩の後ろあたりを叩き、梛が透一郎を椅子から立たせた。どこかさばけた言動をする梛が正面から透一郎を見上げて言った。
「やっぱり兄さんは背が高いし、盛装が様になるよね」
「ありがとう」
「香江さんのご両親に会うときも、見た目通りの猫かぶっていきなよ」
「他人事みたいに言うけど、梛も行くんだからね。お前こそ猫かぶっておとなしくしてなよ。初恋キラーなんでしょ」
「それ誰から聞いたの? 弘暉さん?」
顔をしかめる梛の頭を左手で強めに撫でた。その時、チャイムが鳴った。
「お迎えかな」
梛がパタパタと廊下を走っていく。透一郎は手すりをつかんでゆっくりと歩く。
「兄さーん。香江さん来たよー」
玄関から梛の声が響いた。透一郎はゆっくりした足取りで玄関に出た。
「やあ、香江。その格好、似あってる。可愛いね」
香江は落ち着いた藍色のドレスを着ていた。華奢なハイヒールを履いていて、普段と違う様子が可愛らしい。直球に褒められて、香江が頬に手を当てた。
「あ、あんまり褒めないで。恥ずかしいわ」
照れる香江もかわいらしいが、妹の視線が痛いのでこれ以上はやめておく。
「い、行きましょう。余裕を持って行った方がいいわ」
「香江さん、兄さんをよろしくね。無理に支えなくていいから。適当に転ばしといていいからね」
「梛、言い方」
実際その通りなのだが、言い方が気になる透一郎だった。香江も笑って「透一郎と梛ちゃん、そっくりねぇ」と笑った。二人はそろって肩をすくめ、靴を履いた透一郎に梛が杖を渡した。
「じゃ、気を付けて楽しんできてね。あ、待って。写真撮る」
梛の声に透一郎と香江は同時に振り替える。パシャっと音がした。携帯端末で写真を撮ったのだ。
「……梛」
「別にどこかにさらしたりしないよ。後で写真送っておくから」
「……」
一応、梛の気づかいらしいので肩をすくめるにとどめた。
「あ、私は欲しいわ」
香江が気を取り直して言った。梛が「うん」とうなずく。行ってらっしゃい、と梛と晴季に見送られて外に出る。杖をついて歩く透一郎に合わせて歩きながら、香江は言った。
「できた妹さんよね、梛ちゃん」
「おせっかいな気もするけどね。まあ、気立てのいい自慢の妹だよ」
「そうね。気立てのいいって最近聞かないわよね」
くすくすと笑って香江が言った。それもそうかもしれない。透一郎も目を細めて微笑んだ。
足の不自由な透一郎が一緒だと、どうしても移動方法が制限される。この日はタクシーで移動した。梛が一緒なら公共交通機関だった可能性があるが、今日の同行者は香江だ。できるだけ香江に負担にならないように移動したいところである。
結婚式場は最近はやりのそれほど大きくない式場だった。今回の新郎新婦は大学の同級生同士だ。新郎の方が透一郎や圭と、新婦の方が香江の友人である。
「お、来た来た。透一郎、副島」
「あ、楢崎君」
式場の入り口で圭が手を振っていた。どうやら待っていてくれたようだ。
「お前が結婚式に来るのとか、実は初めてじゃね?」
「ああ、そうかも。そこまで余裕がなかったからね」
主に心の余裕が。おそらくみんなは、透一郎が大けがをした後遺症で来られないと思っていただろうが。
「結婚式がどういうものか見ておくのも悪くないと思って」
「お前……そう言うところあるよな……」
圭が呆れて言った。香江も苦笑を浮かべている。まあ、今日は友人のめでたい日だ。素直に祝うほかないだろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
梛が言っているのは、『名探偵〇ナン』のコ〇ン君とら〇ちゃんのことですね。




