アンラッキーな男・6月【1】
学部は違えど、一年生のころはなんとなく教養科目が被ることが多い。梛と律子は同じ理学部なので一緒にいることが多いが、今日は教育学部に進学した明日香も一緒だった。昼前の講義が同じだったので、一緒に昼食をとることにしたのだ。
「あれ、梛、お弁当?」
「なんだか久しぶりですね」
食堂で弁当を開き始めた梛を見て、明日香と律子が言った。そういえば、高校生の頃はよく作っていたが、大学に進学してからはあまり作らなくなった。
「まあ荷物になるしね……。今日は晴季が遠足で、弁当が必要だったからついでに」
さらについでに、兄の分の弁当も置いてきた。今ごろ透一郎は苦笑しているだろう。
「梛もマメだねぇ」
明日香がうどんをすすりながら言った。彼女は正真正銘のお嬢様のはずだが、食べるものが庶民的だ。定食を食べていた律子が箸をおいて梛に真剣な目を向けた。
「梛ちゃん。お願いがあります」
「お願い?」
律子が珍しいな、と思って問い返すと、彼女は深刻そうな表情で言った。
「お料理、教えてもらえませんか」
そのお願いは、さすがに予想の斜め上だった。
次の休日、水無瀬家に明日香と律子が訪ねてきた。律子は本当に料理を習いに来たのだが、明日香は完全に冷やかしだ。
「いらっしゃい」
出迎えた梛に、「家の人は?」と明日香が尋ねる。今は午前中で、ひとまずお昼を作ってみるつもりなのだ。
「はるは友達と遊びに行った。昼には帰ってくると思うけど。兄さんはいるよ」
もっとも、仕事中だが。副業の社長の方である。会長だったかな。それに加えて、怪奇対応機密局の方にも籍をおいている。十三歳で両親を亡くした梛だが、思えば金銭的に困ったことがない。両親がそれなりの金額を残してくれたこともあるが、透一郎がしっかりしていたというのもあるだろう。
改めて振り返れば、事件直後は荒れていたものの、最低限の保護はしてくれていたのだな、と思う。
「実際のところ、律子ちゃんってどれくらい料理はできるの? 中学生の時とか、家庭科の実習でやらなかった?」
一応エプロンをつける。明日香もやる気はあるようでエプロンのひもを結んでいる。
「やりました……でも、あれってグループじゃないですか。できる人がほぼやってくれますし……」
それもそうか。明日香も律子と同じタイプだったように思う。
「とりあえず、混ぜることはできます」
「……うん。そうだね」
梛は苦笑してうなずいた。梛は冷蔵庫から食材をだしながら言う。
「お弁当にいれるようなものがいいんだっけ。柊君に作るの?」
何気なく尋ねると、ぴゃっと律子の肩が跳ねた。明日香が「おお!」と両手を合わせる。
「手作り弁当! 恋人っぽい!」
「恋人でしょ」
何となれば、律子と翔は高校卒業を機に交際を始めたのだ。とても初々しいカップルである。うう、と律子がうなってしゃがみ込む。
「梛ちゃんは、瀬名さんにお料理作ってあげたこと、ありますか……?」
「あるよ。弁当はないけどね。年が違うし」
梛と祐真は五歳差だ。小学校でもなければ学校が被ることはない。今、大学生の梛たちと、大学院生の弘暉は被っているが。
「梛ちゃん、お料理できますもんね……」
「私も両親が死ぬまではそんなにしたことがなかったんだ。大丈夫大丈夫」
梛も、母が生きているころは手伝いくらいしかしたことがなかった。料理は、どうしてもできなかったので、覚えるしかなかったともいう。
「急に重い話ぶっこんで来るの、やめてよねぇ」
明日香が梛に指示されてブロッコリーを切り分けながら言う。しかし、その手元が。
「もう五年も前の話だね。というが明日香、指切らないでね」
「むう」
律子は問題なくレンコンとニンジンを切っている。これは明日香が料理を習った方がいいのでは、と思うが、基本的にお嬢様な彼女が料理をする必要はないのかな、とも思う。
弁当のおかずになるようなものを作りつつ、そのまま昼食にするつもりなので、結構いろいろ作った。ブロッコリーの胡麻和えやレンコンのきんぴら、卵焼きも挑戦したが、形が崩れた。これはちょっとコツがいる。
「ご飯も、炊き込みご飯とかにすればいいかもね。三色ご飯とかもいいかな」
「うう……待ってください」
律子が必死でメモを取っている。ところで、律子は義母に料理を教わるのが恥ずかしくて梛のところに来たのだろうが、武宮家の台所で弁当を作っていれば、その動機がばれるのではないだろうか。そう思ったが、黙っておくことにした。
「梛、いる? って、びっくりした」
まったくびっくりしていないような口調で、透一郎が台所に顔を出した。明日香が「お邪魔してます!」と元気に言う。律子も何とか挨拶をした。
「そういえば来るって言ってたね。いらっしゃい。……ところで律子ちゃんはどうしたの?」
いつも以上に挙動不審な律子に、透一郎は尋ねた。律子は「お気になさらず……」と小さな声で答えた。気にはなっただろうが、透一郎もそれ以上深くは突っ込まなかった。
「兄さん、どうしたの?」
「水を飲みに来たんだけど」
「ああ、はいはい」
梛は適当に答えると、お茶を淹れ始めた。料理も大体できたので、休憩である。昼前なのでお茶菓子はなしで、お茶だけだ。妹の友人たちの中に普通に入れる透一郎はすごいと思う。
「お弁当のおかずみたいだね」
「実際、お弁当のおかずだからね」
梛は透一郎にお弁当を作ったことはほとんどないが、彼女は高校生の間、自分でお弁当を作っていた。そのおかずが夕食にそのまま出ることはままあったので、内容を覚えているだろう。
「なるほど。青春だね」
透一郎は何事かを察したらしく、そう言った。そういえば、透一郎は香江の手料理を食べたことがあるのだろうか。あるのだろうな。学生の頃は、普通にお付き合いをしていたわけだし。
がら、と玄関の引き戸が開く音がした。晴季が帰ってきたようだ。玄関から「姉さぁん」と梛を呼ぶ声が聞こえる。
「お帰りー。どうしたの……」
さしもの梛も、玄関で晴季を出迎えて目を見開いた。晴季は血まみれだった。
「うわぁ! どうしたの!?」
「ジャングルジムから落ちた……」
どうやら子供らしい遊びをしていて足を滑らせたらしい。ジャングルジムと言えば結構な高さだ。
「は? 頭打ってない?」
「受け身取ったから大丈夫」
膝も肘も擦りむいてかなり血が出ているが、それはジャングルジムから落ちた後に転んだらしい。梛が悲鳴を上げたので、透一郎もやってきた。
「うわ! どうしたの、はる」
兄まで姉と同じ反応をするので、晴季は面白かったようだ。ちょっと笑った。
ざっと傷口を洗って消毒をして、治癒術は律子がかけた。梛は治癒術が使えないし、透一郎もそれほど得意ではない。傷口くらいなら、と律子が請け負ってくれたのだ。
「二人とも、自分が高層ビルから落ちても動揺一つしないくせに」
明日香のからかい半分のツッコミは尤もだ。梛も透一郎も、自分がたとえ高層ビルから落ちたとしても動揺しないだろう。お互いが落ちたとしても、まあ大丈夫だろう、となる。
「梛ちゃんと透一郎さんのウィークポイントですね。はい、もういいですよ」
律子が笑って晴季を立たせた。晴季が笑顔で「ありがとう!」と言う。律子も笑ったまま「はい」とうなずいた。
「いや……本当にありがとう、律子ちゃん」
「どういたしまして。言葉だけ聞いてると、本当にどっちかわからないですね……」
今の声の低さは男のものなので透一郎だ。梛は立ち上がった晴季の頭を撫でた。
「着替えておいで。ご飯にしよう」
「うん」
くるりと晴季が身をひるがえす。透一郎も書斎の片づけに向かい、梛は明日香と律子と昼食の準備をした。と言っても、出すだけだが。
「あたし、透一郎さんがあんなに動揺するの、初めて見たかも」
「別に兄さんも冷血漢ではないからねぇ」
明日香の言葉に、梛は笑った。どちらかというと、臆病な人だと思う。
「家族が傷つくのが嫌なんだよ。私もそうだけどね」
それだけの経験をしたのだ。梛も、透一郎も。
「じゃあ梛もあんまり無茶しないように気をつけなよ」
「ははっ。善処しよう」
明日香は、家族の中に梛も含まれていることをちゃんとわかっている。律子は「信用できないやつですね」と笑った。
さて。お弁当のおかず(試作品)の品評会である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
妹の友達の中に入れる透一郎、強い。




