あなたを愛している・4月【10】
今回は香江の視点。
舞台の下から梛の神楽舞を見ていた香江は、ふと、岩禰比古が梛をにらみつけていることに気が付いた。結界の外側にいる。それ以上は近づいてこられないらしい。香江が感じ取れるほど、梛の浄化能力は強力なのだ。
先ほどまで祝詞をあげていた透一郎は梛の刀を持って岩禰比古を見ている。あちらは透一郎を一瞥もしないけど。
香江にはよくわからないが、梛の刀は透一郎が持つには本来少し短いそうだ。確かに、梛と透一郎では顔一つ分近い身長差があるのだから、腕の長さが違う。納得できる話だ。
梛も、その婚約者の祐真も、実用性重視の装飾の少ない刀を持っている。なので梛の刀を透一郎が持っていてもさほど違和感はないのだが、よく見ると鞘や鍔に細かい装飾があって、やはり女の子が持つものなのだな、と武器に対して思う。
それより、岩禰比古である。埴輪が結界に突撃して消滅していく。このまま岩禰比古も結界にあたって消滅するのだろうか。
『お願い。あの人を止めて。あの人を失いたくないの』
夢の中の、おそらく岩禰比古の妻の声。透一郎が問い合わせた結果、棺の中身からも女性の方が身分が低かったのだろうと言うことが察せられた。さらに、女性の骨には刃物でできた傷があって、誰かが背後から斬ったのだろうと言うこともわかった。梛が聞いてきた彩桜塚古墳と神社の謂れには、ちゃんと由来があったのだ。
香江はぱっと駆け出した。「香江!」と背後から透一郎が呼びかけるが、立ち止まらない。しかし、さすがに梛の結界を越えられずにその手前で立ち止る。透一郎は駆け寄ってこず、元の場所で構えているようだった。梛に舞い続けるように叫んでいるのが聞こえる。
「もういいの! 彼女はそんなことを望んでいないわ!」
岩禰比古は妻を殺された怒りで、民を皆殺しにせんとした。そして、それがまだ続いている。生前に行えなかったことをなそうとしている。生きている人間が違っても、岩禰比古の中ではまだ続いていることなのだ。もしかしたら、彼の妻の遺体を古墳から運び出したことも原因なのかもしれない。ちなみに、ご遺体が納められている研究所は別であるらしい。
香江の叫びが聞こえたのか、岩禰比古は香江の方へ顔を向けた。ここぞとばかりに香江は叫ぶ。
「彼女はあなたが一緒にいてくれるだけでよかったの! あなたを置いて、先に逝ってしまったことを後悔しているけれど、幸せだったわ!」
岩禰比古の唇が動いた。えん。そう呼んだように思えた。えんが、彼の妻の呼び名か。
「えんさんは、あなたにも幸せに終わってほしいの! 自分のことを忘れてほしくないの! 幸せだった記憶を思い出してほしいのよ……!」
えんは、願わくば自分と一緒に黄泉路を下ってほしいと思っている。こんなことをしてほしくないと思っている。自分のために、人を傷つけてほしくないのだ。
「何もなくていい。復讐なんてしなくていい。ただ一緒にいてほしいだけなのよ……」
祐真が、香江とえんはたどった道が似ているのではないか、と言った。そうかもしれない、と香江も思う。香江もえんも、ただ彼にそばにいてほしかった。彼の側にいたかった。
すっと体を何かが通りに抜けたような気がした。夢の中で見慣れた古代装束の女性が結界を通り抜け、岩禰比古の方へ向かう。彼女はやはり、彼の妻であったえんなのだ。
振り返った彼女は、香江よりも年下に見えた。むしろ、梛に近い年ごろだろう。古代の人間だと考えれば不自然ではない。えんは香江に向かって微笑むと手を振った。
香江の叫びが届いたのか、動きを止めていた岩禰比古をえんは包み込むように抱きしめた。同じ霊体でも、力が違うのだろう。えんは岩禰比古に触れることができないようだった。
えん、と岩禰比古の口が動いたような気がした。二人の姿が溶けていくように見えた。消えるのだろうか。梛の神楽はまだ続いている。
「香江!」
はっと目を開けると、似たような顔が二つ覗き込んでいた。香江を抱えているのは透一郎らしい。
「大丈夫。私の見える範囲では異常はない」
少し上に見える梛がそう判じ、透一郎はほっとした表情をした。
「私、どうなったの?」
身を起こしながら尋ねると、「急に倒れたんだよ」と透一郎が言った。見渡せば少し離れたところで祐真が晴季を背負っていた。さすがに、抱きかかえるのが難しいくらいには晴季も大きくなっている。
「いやあ、さすがにびっくりしたよ。香江さんのおかげで岩禰比古は消えたけどね」
「消えた?」
「まあ、わかりやすく言えば成仏したんだね」
梛の目で見たのなら確かなのだろう。彼女の手を借りて立ち上がりながら、「そう」とうなずいた。
「岩禰比古は香江の言葉に反応していた。君がえんさんの言葉を岩禰比古に伝えてくれたから、彼は彼女と行くことを選んだのだと思う。ありがとう。君のおかげだ」
透一郎も梛に支えられて立ち上がった。透一郎はそのまま梛の肩を借りている。香江が倒れたのを見て無茶をしたと思われた。
「えんさんは、岩禰比古と一緒にいたかっただけなのよ。岩禰比古が人を傷つけることなんて望んでなかった。だから」
それを訴えかけた。封じようとしていた、梛や透一郎にはできないことだ。
えんの気持ちは、香江にも理解できるものだった。ただ、側にいてくれるだけでいいのに。香江には透一郎を止めることはできなかったけど、そばにはいたい。透一郎は自分の体が不自由であることを気にしているけど、そんなこと、どうでもいいのに。
「透一郎」
梛に支えられたまま透一郎は香江の方へ顔を向けた。香江は透一郎の義手の右腕をつかんだ。固い、金属の感触。単に左腕は梛が支えていたので、右腕を取ったのだが。
「透一郎。私のことが嫌いでなければ、結婚しましょう」
「……香江?」
透一郎が驚いたようにわずかに目を見開いた。逆に兄を支えていた梛は目を細め、そろりとその場を離れようとする。支えを失いそうになった透一郎が妹の肩をつかんだので、あえなく脱出には失敗した。
「私もあなたの側にいたいの。上條さんの事件の時、あなたは私を巻き込みたくないと言って遠ざけたけれど、私は一緒にいたかったわ。家族なら、そう簡単に遠ざけられないでしょ。梛ちゃんがそうだったものね」
梛が透一郎の隣でぶんぶん首を左右に振っている。顔が青ざめていてちょっとかわいそうな気がしたが、もうしばらく付き合ってほしい。透一郎の杖はどこに行ったのだろう。
「まあ、夫婦は兄妹とは違うけれど、一度結婚すれば、危険から遠ざけるために離婚だなんて、そんな不義理なこと、あなたはしないでしょう?」
じっと香江は透一郎を見上げる。もはや彼も無表情で、物理的に逃れられない梛はその表情におびえているが、ここでひるんでは押し負ける。
「香江。私は」
「もし断られたら、あなたを思って過ごした八年間が無駄になってしまうわ」
留学したって忘れられなかったのだ。そう簡単にあきらめきれないと自分でもわかっている。うなずいてくれるまであきらめない所存だ。それくらいの気持ちで行こうと、えんを見て決めた。死後も夫を見守っていた彼女に比べれば、大した労力ではない。
ぼんやりと朝日が差し始めた。巻き込まれないように距離を取っていた祐真が「夜明けだ」とつぶやくのが聞こえた。それに反応するように、透一郎ではなく、梛が口を開いた。
「兄さん……肩、痛い……」
損傷のない左手で力いっぱいつかまれていたらしい。梛が音を上げたことで、この微妙な空気はいったん解散となった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この時代の結婚観ってどうなってたんだろう…。考古学は基礎しかしなかった…。いや、民俗学か?




