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昨日の自分にさよならを【4】

まだ透一郎視点です。















 ふと、直哉から情報提供を受けたときのことを思い出す。結局、養いきれなくなった悪魔は独自で人を襲い始めた。しかし、『千里眼・水鏡』を奪う、という宿主の意思は忘れていないようで、襲われる相手は、少しずつ梛に近づいていた。彼女は気づいていなかったようだが。

 だが、悪魔は実際に梛が目の前に現れたとき、逃げるそぶりを見せた。梛から目を奪えない、と悟ったのだ。少なくとも、無傷では無理だ。背後に透一郎と晴季をかばっていたとはいえ、梛には神職の家の出だった母親から受け継いだ破魔の力がある。梛の「概念上成立していれば大概のものは斬れる」という不思議な能力は、この破魔の力が変質したものだ。

 悪魔は、一目で梛と自分の相性が悪いことに気づいただろう。だから、逃げを打った。しかし、今回、透一郎が梛を置いて悪魔と友哉を追ってきたのは、それだけが理由ではない。


「透一郎さん。どうした」


 工場区の廃棄された区域。ここに、友哉と悪魔が魔法工房を構えている。直哉からそう情報を得ていた。あの病室での邂逅以降も、彼は弟の動向を調査していたのだ。

 情けない兄だ、とは思わない。彼は、自分の限界を知っていて、その中でできることを最大限している。弟を止める力は、確かに彼にはないだろう。なら、できる人間に頼めばいい。例えば、透一郎とか。唯一の同行者の祐真とか。

「……いや、結局、祐真を巻き込んでしまったね」

 透一郎が苦笑を浮かべると、祐真は生真面目に答えた。

「俺が望んだことだ。梛と婚約する代わりに、彰次の仇を討ちたいと」

「私だけではできないからね……」

 腕を失う前の透一郎ならできたかもしれないが、今は無理だ。必ず助けが必要だった。その相棒として梛を鍛えながら、透一郎は祐真にも同行の条件を飲んでいた。

 祐真は透一郎が魔法で無理やり動かしている足をちらりと見る。それからもう一つ尋ねた。


「梛は、本当に連れてこなくてよかったのか」


 梛は悪魔を斬ることができる。無条件に。祐真と透一郎でも斬れなくはないが、梛のようにあっさりとはいかないだろう。そういう意味では、梛を連れてくるべきだった。

「思ったんだ。五年前、晴季を抱えて私の背中を見ていたあの子は、こんな気持ちだったんだろうかって」

 五年前、晴季をかばって戦いを見ているのは梛の方だった。手を出したいけど、自分が手を出せば足を引っ張ることになる。それがわかるから、手を出せない。梛が悪魔と戦う様子を見ていた透一郎はそうだったし、あの頃の梛もそうだったのだと思う。


 大切な人を助けたい。助けたいのに、力がない。もどかしい。あの後、梛が力を求めたのはそのためだと、今ならわかる。


「あの子に力を与えたのは私だ。戦えるように。でも、駄目だね。ためらってしまった。あの子を危険な目に合わせたくない」

 『陽炎』として戦っている時点で、危険な目に合わないのは不可能であるが、透一郎はそう思ってしまった。梛を連れてこなかったのは透一郎のわがままだ。

「兄としての透一郎さんと言うことだな。正直に言うと、俺も、梛には来てほしくなかった」

 妹が「おっとりしている」と評するのんびりとした口調で祐真もそう言った。だが、と彼は言葉を続ける。

「梛なら、怒って追いかけてくる気がする」

「そうかもね」

 年齢の割に落ち着いた振る舞いを見せる梛だが、まだ十八の少女で、本質は破天荒だった彰次に近いのだ、と思い出した。


 さすがに何の障害もなく友哉にはたどり着けない。人間の黒い影のような魔法を切り捨てながら、透一郎と祐真は先に進む。透一郎は、自分が祐真の足を引っ張っている自覚があった。彼一人なら、もう友哉のもとに到達していたかもしれない。

 黒い影は斬ってもまたつながって復活してくる。たぶん、梛ならば斬れるだろう。彼女の能力は本当に悪魔と相性が良いのだ。

 ガタン、と頭上で音がした。上を見ると、鉄骨が落ちてくる。ちょうど透一郎の真上だ。祐真が「透一郎さん!」と声を上げる。避けるのは難しいな、と冷静に判断した透一郎はいっそのこと、と思って鉄骨を切り捨てた。鉄骨には当たらなかったが、黒い影の攻撃を受けかけた。


 目の前で、その影が上下に二分されて、上の部分が滑るように地面に落ちた。体の形が崩れる。影の向こうから、納刀する梛が姿を現した。


「……梛」


 透一郎と晴季を助けに入ったときは袴姿だったが、さすがに今はスラックスにジャケット姿だ。彼女は長い裾をひらめかせている印象が強いので、ジャケットは珍しい。本部から慌てて出てきたのだろう。梛は透一郎に近寄ると、問答無用で兄を殴った。グーだった。


「な、梛」


 ちょっと引いたような声を上げたのは祐真だった。ちなみに、倒れかけた透一郎を支えてくれたのも彼である。梛は自分の兄の胸倉をつかみ上げた。透一郎の方が上背があるので、にらみ上げている。


「何も言わずにおいて行けば、追ってこないと思ったのか!? そんなわけないだろ!」


 梛が透一郎に対してここまで感情的になったことはない。いや、過去を思い出せば、彼女はどちらかと言うと感情豊かな子だった。それをここまで押し込めてしまったのは、透一郎だ。


「あの時、兄さんを置いて行ってしまって、後悔した。だから戦える力をつけたのに、結局置いて行った! 私を鍛えたのは兄さんだろう!」


 梛を鍛えたことは後悔していない。だが。


「お前を巻き込んだことは、後悔している」


 透一郎が始めた復讐劇だ。彼だけで終わらせればよかったのに、祐真も、守りたいと願った妹も巻き込んでいる。


「そんなことは納得ずくだ、馬鹿!」


 言葉短く罵られ、梛は透一郎の肩に額を押し付けた。


「だから、置いて行かないでよ……見えないところで、大切な人が傷つくのはもういやだ」


 そうか、と透一郎は不意に納得した。透一郎が十三歳の梛はこんな気持ちだったのだろうか、と察したように、梛も当時の透一郎の気持ちを察したのだろう。察したからこそ、透一郎が梛を置いていくとわかったし、追いかけてきた。あの時、手出しできなかったことを悔いて力をつけたのだ。今こそそれを発揮するべきだろう。


「そうか。そうだな」


 透一郎は左手で梛を抱きしめると、こつん、と頭を触れ合わせた。あの頃に比べて、背も伸びた。今の梛は五年前の透一郎で、透一郎は五年前の梛だ。なら、二人が目指すところは、結局同じになるのかもしれない。


 力があったのに、守れなかったことを悔やんだ。奪った敵を憎んだ。


 自分の力のなさを思い知った。力をつけ、今度こそ助けになりたいと願った。


 憎しみにかられた透一郎とは違い、己を責めた梛だが、結局彼女も、突然親兄弟を奪われたことを恨んでいないわけではないのだ。

「それでも私は、お前には来てほしくなかった」

 透一郎がそう言うと、梛は彼から離れて笑った。

「おあいにく様。行動力はある方だからね。それに、今は兄さんより強いから、お構いなく」

「それもそうか」

 兄妹の話し合い(物理)が片付いたところで、祐真が声をかけた。

「さっきから攻撃が来ない。梛が来たのを察して、逃げたんじゃないか」

 祐真や透一郎とは違い、梛は本当に『斬れる』。彼女に切り裂かれた分身は復活できない。逃げたということはないだろう。梛は彼らの天敵だが、欲している千里眼の持ち主でもあるのだ。力を一か所に集めた、と言うのが一番近かろう。

「向こうさんは待ち構えているわけか。逃げるのを追うのは大変だからね」

 都合がいい、と梛。彼女は透一郎に比べて行動力があるし、やや好戦的だった。いくら性格を似せても、そう言う根本的な性質の違いは現れるものだ。

「正直、俺と透一郎さんでは斬れないと思う。梛が来てくれて助かった」

「そうか、なるほど。でも祐真さん、あなたと兄さんの間にある取り決めはなんとなくわかってるけど、私を置いて出て行ったことは許してない」

「……」

 祐真が『ええ~』と言わんばかりの表情になった。この二人は両片思いだと透一郎は踏んでいるが、現状、梛にとって祐真は透一郎側になるらしい。早く素直になれ、と思わないでもないが、自分にも跳ね返ってくるので懸命にも沈黙を守った。


 そして、この状況で微笑むことができる自分に驚いていた。














ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


兄をぶん殴る妹を書きたかった。水無瀬兄妹は基本的に妹の方が男前。


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