昨日の自分にさよならを【1】
その目撃証言が上がるようになったのは、文化祭が終わり、だいぶ過ごしやすい気候になってきたころだった。最初に遭遇したのは『朧』の女性陰陽師だった。ちなみに、依織ではない。
「私だったら、相打ち覚悟で攻撃している」
「なんでお前はたまに好戦的なんだよ」
というのが依織と弘暉の会話であるが、今は特に関係ない。というか、羅列された事例を見るに、優秀な陰陽師たる依織でも、おそらく反撃不可能なのではないだろうか。
「通り魔みたいな犯行だね。もしくは当て逃げ」
「犯行っていうか、悪魔だろ」
梛の言葉にそう訂正を入れたのは弘暉だった。報告を持ってきた依織が「うん」とうなずく。
「これまでおそらく、十二人の関係者が接触している。無傷だったものはいない。消えたのは三人、重傷者が七人。残り二人の軽症者に話を聞いて、過去視と接触感応能力者に現場を調べてもらった結果がそれだ」
梛は手元の端末に送られてきたデータを見る。怪奇対応機密局の関係者にはそれぞれ注意喚起されていることだが、梛と弘暉は依織の研究室で報告を受けていた。
「一人、反撃した魔術師がいるが、攻撃はすり抜けたそうだ。ほかは攻撃どころか逃げることもできなかったのだろうな。一部を吸収されたと考えるのが自然だ」
「じゃあ、悪魔はエネルギー不足で人を襲ってるってことか」
「おそらく」
依織が神妙にうなずいた。抜けているところはあるが、依織は基本的にまじめで優秀な陰陽師兼調査員である。ただし、戦える調査員である。
「たぶん、お前たちレベルじゃないと倒せないんじゃないかと私は思う」
梛は弘暉と顔を見合わせた。それってどんな化け物? だが事実、重傷者の中には上から数えた方が早いであろう魔術師が名を連ねていて、しかも片腕を失っている。
「うん?」
梛はもう一人、悪魔に斬られて片腕を失った人間を知っていた。
「依織ちゃん。それって、武器はわかってる?」
「悪魔に武器とかあるのか?」
「正確には、腕を切ったもの、だね」
梛が言いなおすと、依織は資料をあさって答えた。
「鋭い鞭のようなものに見えた、という証言がある。少なくとも、刀などではないな」
「なるほど」
うなずいた梛に、弘暉が「つまり?」と先を促す。
「つまり、私の兄の腕を斬った悪魔と同一である可能性がある、と言うことだね。たぶん、兄さんも気づいてる。祐真さんも知っているだろうけど、私には言ってないんだろうね」
「……それって勝てるのか?」
依織が不審げに言った。彼女は透一郎の全盛期を知らないはずだが、いろいろ話には聞いているのだろう。弘暉は「やってみなきゃわかんねぇだろ」と血気盛んである。
「なんで弘暉さんってたまに脳筋になるの?」
「うるせぇよ」
基本的に常識的な兄貴肌の人間なのだが。梛は当時のことを思い出す。あの時、透一郎は梛と晴季をかばい、腕を奪われた。つまり、かばうものがいなければ、あの場で透一郎はあの悪魔を斬っていた可能性がある。……いや。
「当時は実体がなかったのか……」
「なら、誰かに憑依していたのか」
「……」
「だんまりかよ」
弘暉に突っ込まれたが、ここで答えてしまえばだれに憑いていたのか言わなければならない。梛も確証があるわけではない。今まで気にしてこなかったが、当時の記憶があいまいなのだ。彼女を見た医師はショックによるものだろうと言っていたが、どうだろう。
「梛のご家族が亡くなってから五年くらいか……? なら、年数的にも合うな。おそらく、当時悪魔を使役していた人間が、悪魔を賄いきれなくなったんだ。そうでなくても使役と言うのは魔力霊力を喰うからな。ある程度力をつけた悪魔が実体化して、足りない分の魔力を補おうと人を襲っているんだ」
依織が冷静に言った。梛と弘暉も、そうなのだろうな、と思う。彼女の言うことがたぶん、事実に近いだろう。
「お前、兄貴を追わないのか?」
「兄としては、追ってほしくないんじゃないの」
「まあ、そうだよな。たぶん、透一郎さんもそう思ってる。祐真もな」
梛に、追ってくれるなと。仇を討てと、妹を鍛えておきながら。にこにことポーカーフェイスの多い梛のしかめっ面を見て、弘暉が笑んで無造作に頭を撫でた。
「複雑だよな。お前も、透一郎さんも」
「さすがにまだ居所を見つけたわけじゃないだろ。お前に情報を開示していないだけで。見つけたら無断で助けに行けばいい」
「依織、そそのかすようなことを言うな」
だが、梛もそうしようと思っていた。おそらく、武器の携帯許可が下りる。刀があれば、梛も戦える。
「しかし、久々に梛が年下の女の子なのだなと思った。可愛いな」
真顔でそんなことを言う依織。弘暉が梛の頭をぐりぐりと撫でまわす。
「痛いよ、弘暉さん」
「お前、一人で突っ走るなよ」
「それは兄さんに言ってくれ」
正確には祐真が一緒だけど。
悪魔による通り魔事件は、その後もたびたび被害者を出した。傾向として、魔力がほどほどに高い相手が狙われている。魔力の高い人間は強い。反撃があるかもしれない。だから、悪魔は本能的に避けているのだろう。実際、梛や祐真、弘暉や依織の前に現れたことがない。武器の携帯許可も下りているので、梛はやる気満々だったりするのだが。
「あれ、佐崎さんだけ? 兄さんは?」
道場で鍛錬をしていた梛は、リビングを覗き込んで言った。書斎にもいなかったので、てっきりこちらかと思ったのだ。リビングで掃除をしていた家政婦の佐崎は梛を認めて微笑んだ。
「あら、梛お嬢さん。透一郎さんなら晴季坊ちゃんを迎えに行きましたよ」
「ハル? 友達と遊びに行ってるんじゃなかった?」
梛は腕を組み、リビングの入り口のあたりに寄りかかる。佐崎は笑った。
「ええ。近くの公園に。最近は物騒だからって」
「……まあ、物騒だね」
悪魔が通り魔をしているくらいだから、物騒ではある。治安と言う意味なら、警察が出動するほどのことにはなっていない。出動しても無駄だともいう。
「梛お嬢さん、お茶でも出しましょうか?」
「いや……」
梛は姿勢を正した。鍛錬をしていた梛は袴姿だった。なんとなく、和装の方が気が引き締まるのである。
胸騒ぎがする。
今まで、梛の目が届く範囲で被害は出ていない。だからこそ、気にかかる。
「佐崎さん、私も出てくるから家を頼んでいい?」
「え? ええ……かまいませんが」
「では、私が兄から連絡があるまで家を出ないでくれ」
「何故です?」
「勘」
水無瀬家の人間は、この勘が馬鹿にならない。それを佐崎も知っているので、不思議そうにしながらもうなずいた。
「では、ちょっと行ってくる」
刀を持ち、浅葱色の羽織を羽織った。佐崎が驚きの表情を浮かべる。
「え、その格好でですか!」
「時間がない。急がないと……」
間に合わない。何に? 梛は自分の口をついた言葉に目を見開き、それから身をひるがえした。袴姿だがスニーカーを履き、家から駆け出る。一番近い公園は。
気を付けてみれば、視える。その方向に走りながら、梛は刀を腰帯にはさんだ。夕日がアスファルトを照らしている。逢魔が時だ。誰そ彼時。
公園を出て、少し歩いた道の上。見慣れた姿が見えた。
「兄さん! 晴季!」
「梛!」
闇に溶け込みそうな人の形をしたものに、術を放とうとしていた透一郎が梛を見て叫んだ。来るな、と言われた気がしたが、むしろ彼女は大きく踏み込んだ。そいつを切りつけ、透一郎たちとの間に入る。
「梛」
「姉さん……」
透一郎が晴季をかばうように抱きしめていた。梛はそれに向き合う。
影のような姿。これが悪魔でなければなんだと言うのか。左足を引き、正眼に刀を構える。
ダメだ。気圧されるな。
大丈夫。今の梛なら。
斬れる!
白刃が翻った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前半戦クライマックスです。




