静寂の前に【4】
振り上げられた竹刀が梛を襲う。梛がひょい、と受け流すと、間髪入れずに次の攻撃が来た。なるほど、筋がいいのは確かだ。梛は自分が人を指南できるほどの技量があると思っていないが、いささか目がいい。その目で見た限り、いい動きをする。
しかし、普段から祐真や弘暉の動きを見慣れている身としては、動きが雑で大振りだ。隙が多い。
一応一瞬で決着をつけるのもどうかとしばらく打ち合っていると、不意に低い穏やかな声が耳を打った。
「梛」
ぞわっとした。穏やかな声なのに、威圧されているような。視線をやると、透一郎が追い付いてきたらしく、いつの間にか観戦していた。
「よそ見するな!」
居合切りの要領で利彦が竹刀を振るう。さすがに打ち込まれる、と思った梛はその竹刀を絡めて受け流し、斬り上げる要領で竹刀を振るった。
「梛!」
再び名を呼ばれる。今度は二人分。おそらく、祐真と弘暉だ。咎めるような声に、梛はとっさに竹刀の軌道を変えて反撃しようとしていた利彦の竹刀をからめとった。竹刀が音を立てて利彦の手から零れ落ちる。
「しょ、勝者、水無瀬!」
審判役の生徒が声を上げた。違う意味で辛勝だった……。
「梛、ごらぁ! 手前ぇ、何考えてんだ!」
怒鳴っているのは弘暉だ。気が進まないが振り返る。あまり人相のよろしくない弘暉が怒っているので、周囲が引いていた。一方、利彦の肩にぽん、と手が置かれる。
「いいか、利彦。お前は確かに強い。けどな、世の中、上には上がいるんだよ。この女はちょっと規格外だが、手加減されてるのが分かったろ。高等部にもこういうバケモンがいるんだから、あんまり調子に乗りすぎるな」
涼介が言い聞かせていた。いろいろ突っ込みたいが、梛に突き刺さる視線が痛い。
「……女なんだ」
利彦はその点に驚いたらしく、まじまじと梛の姿を見た。いや、今は本気で男装しているから、わからないと思うよ、と言いたい。
梛は兄の前に正座した。しかし、叱っているのは弘暉だった。
「この阿呆! ただの竹刀とはいえ、お前が本気で斬ったら真っ二つだぞ! 自覚あんのか!」
「すみません……」
叱り方がまるっきり兄が妹を叱る口調である。透一郎にもこんなに叱られたことはない。しかし、梛の能力が竹刀で人体を真っ二つにできる類のものであるのは間違いないので、梛は悄然とうなだれるしかなかった。
透一郎に声をかけられて動揺したのだ……と言うのは言い訳にしかならない。精神修業が足りなかった。兄のことは大好きだが、怖いものは怖い。特に、師範としての透一郎は本当に怖い。
「梛」
「はい……」
低い落ち着いた声に呼びかけられ、梛は悄然としたまま返事をした。
「一緒に滝行に行こうか」
「はい……」
こうして、梛の滝行が決定した。
武道場で竹刀で戦い、兄の前で土下座する執事と言う妙なものを見せてしまったが、梛がさわやかイケメン風なのは変わらない。しかも強い。
「動きはよかったと思う。あの子の力も引き出せていたと思うし、梛は指導役も向いていそうだな」
そう言って何とか梛をフォローしたのは、ここまで存在感があまりなかった祐真だった。もともとおっとりしたところのある男なので、口をはさめなかったのかもしれない。
「ありがと、祐真さん……祐真さんのそういうところ好きだよ」
「そうか」
「うん」
「そこの二人。悪いが、梛の格好のせいで男同士に見えるぞ優男ども」
弘暉のツッコミに、梛はなるほど、と思ったが、祐真は違ったようだ。
「梛は男じゃないぞ」
「そうじゃない!」
「そうじゃねえ!」
梛と弘暉からツッコミが入った。いや、確かに梛は優男ではないけれども、ただの揶揄でそう言うことじゃない。透一郎も肩を震わせてうつむいているから、たぶん笑っていると思う。晴季は明日香と遊んでいた。
「兄さん、笑いすぎだけど大丈夫?」
ただ笑っているだけとはいえ、透一郎は内臓を痛めている。やっと顔を上げた兄は梛の肩を叩いた。
「うん、大丈夫だよ。ほら、いつまでもいたら邪魔だから出ようか」
透一郎が梛の足を杖でつつく。梛はよくやられるが、他にはやっているところを見たことがないので、たぶん梛にしかしていないのだと思う。
周囲に見られている自覚はあったので、透一郎が言う通り武道場を出た。背後から「水無瀬、ありがとうな!」と里見の声が聞こえたので一度手を振った。
「つーか、普通についてきてっけど、お前ら、文化祭の方はいいのか?」
急に弘暉がそんなことを聞いてきて、梛は、え、と思った。そういえば、弘暉と依織は梛や律子が店番をしているときに訪れたのだったか。
「ちょうど店番が終わったところだったんです」
律子がにこにこと答えた。梛が武道場へ連れていかれたとき、明日香がついてきたが、明日香が律子に連絡を取って、彼女が透一郎たちを連れてきたらしい。ついでに兄の弘暉にも連絡を取り、あの場に勢ぞろいなわけだ。
「律子ちゃん、機転が利くね……」
「おかげで梛は滝行だけどね」
「え!? ご、ごめんなさい……」
梛と明日香と律子の会話である。梛の滝行は何があっても行われるので、律子のせいではない。透一郎が微笑んで「仲良しだね」とつぶやいた。というか、どこからどう見てもメイド二人を連れている優男であるのが、兄透一郎には気になったようだ。
「なんだろう。顔が似てるのはわかってたんだけど、複雑な気持ちだよね……いや、梛は女の子なんだけどね」
「それ、たまに言われるんだけど、私はわからないんだよね」
梛が半笑いで言う。ベストを手にかけ、シャツ姿だから余計にそう見えるのかもしれない。たぶん、顔立ちだけなら透一郎の方がきれいな顔立ちをしていると思う。大人びているとはいえ、まだ少女の域を出ない梛と似ているというのはそう言うことだ。
要するに透一郎は第三者目線で自分を見ているような気分になる、と言うことを言いたいのだろう。梛は透一郎(小)と言ったところだろうか。
「梛が楽しそうでよかったよ」
「急に、何?」
苦笑して梛は背後の透一郎を振り返る。なんとなく、みんなかたずをのんで見守っている気がした。
「妹には笑顔でいてほしいってこと」
わかる、とばかりにうなずいたのは弘暉だ。何が面白かったのか、依織が笑っていた。梛は少し戻って兄の腕を支えながら言った。
「私は兄さんにも笑っていてほしいよ」
「かっこいい……」
つぶやいたのは律子である。弘暉が「お前、むやみに妹の心を射止めるな」と顔をゆがめる。
「と言うことで、ちょっと図書室に行かない?」
香江の元へ。二人がそろって笑ってくれるとよりいいと思う。透一郎は杖で梛の足を叩く。
「お前はそう言うところがあるよね」
「喧嘩は駄目!」
止めに入ったのは明日香と手をつないでいる晴季だ。彼は透一郎と梛が言い争い(と言うほどでもない)をしていると止めに入ってくる。たった三人の家族だ。仲良くしてほしいのだろう。
この時、みんなが笑っていた。けれど、後から考えれば、この時すでに透一郎の中では覚悟を決めていたのだろう。
すべてが終わってから、そう思う。
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