声なき声を聞いて【8】
もともと梛にはあまり『陽炎』の任務は入っていなかった。彼女がまだ学生であるからだ。しかし、彼女の実力は『陽炎』の中でも五指には入る。それが拘束にも入らずシフトから完全に抜けるとなると、それなりに痛手だった。
「よお、祐真。お前も当番か」
声をかけた来たのは弘暉だった。祐真は数拍置いてからゆっくりと首を左右に振る。
「いや。俺は拘束だ。お前は当番なんだな」
「そ。まあ、俺とお前が同時に当番にあたることはめったにないわな」
本部で遭遇した弘暉にそう言って苦笑され、祐真はいつも通りに「そうだな」とおっとりつぶやいた。弘暉と祐真の力は拮抗している。戦えばおそらく、やや弘暉に軍配が上がるだろうが、戦闘能力としては上から数えた方が早い二人だ。ともに任務に行くことなどめったにない。戦力過剰である。
とはいえ、こちらも実力者である梛が抜けた穴を埋めるため、祐真や弘暉への出動命令が多いのは事実だ。梛も気づいているだろうが、気にしすぎないといいけど。
「透一郎さん、目ぇ覚ましたんだって?」
「ああ……見た目は元気そうだ」
多少無理をしているのは、祐真にはわかっていた。医学はかじっているだけなので、何も言わないようにしていたが、透一郎が弟妹達を不安にさせないようにふるまっているのは見て取れた。
「まあ、あの人なら殺しても死なねぇだろ。それより、梛は大丈夫か?」
たまに、弘暉は水無瀬の兄妹をなんだと思っているのだろうと思う。確かに、透一郎も梛も殺しても死ななさそうだけど。殺されても、目的を達成するまでは這いずってでも生きるタイプだ。
「透一郎さんが目を覚ましたからな。お前が会ったときよりは落ち着いている」
「ならいいけど。あいつ、めちゃくちゃ精神力あるけど、透一郎さんは地雷だよなぁ」
あの兄妹はお互いが弱点なのである。うん、と祐真もうなずいた。
「一安心ではあるんだが、梛がまだ嫁に来ないのかと思うと残念に思う自分に腹が立って仕方がない……」
それは遠回しに透一郎の死を意味するからだ。しかも、そんな状況で一緒になっても、梛は祐真に心を開いてはくれまい。
「お前、思ったよりも梛のこと好きだな」
「やっぱりそうなんだろうか」
他人事のように言う祐真に、「どう見てもそうだろ!」と弘暉は突っ込む。
「好きでもなけりゃ、あんなにかいがいしくできねぇだろ!」
「弘暉だって面倒見がいい。それに、梛もお前になついている……」
座り込んで膝を抱えた祐真の上から弘暉は怒涛のツッコミである。
「馬鹿か! あれは妹が兄になついてるようなもんだろ! 透一郎さんに甘えられない分が俺に向いてるだけだ! 俺にとってもあいつは妹みたいなもんだっつーの! というか、お前もしょげるくらいならあいつに告白くらいして来いよ!」
ごもっともである。だが、祐真と梛も、透一郎と香江の場合と同じだった。今好きだと言っても、梛はきっとうなずかない。脈はあると思うのだが。
「……考えておく。梛が卒業したくらいに……」
「お、おお……思ったよりすぐだな」
今七月なので、あと八か月ほどか。もうすぐ彼女の誕生日でもある。
「でも、もうすぐ梛、誕生日じゃねぇの。十八になれば成人だ」
そこでもいいんじゃないのか、と弘暉は言う。だが。
「女子高生に言い寄る二十二歳男性はありだと思うか……?」
「……言葉で聞くと、思ったより犯罪臭いな」
普段は梛が大人びているので気にならないが、やはり改めて考えると気になってしまう祐真だった。
透一郎が目覚めた次の日は月曜日で、兄が目覚めたことに安心した梛と晴季は、元気に登校していった。生活の方は何とかなっているらしく、たまに香江や祐真の母が様子を見に行くことで落ち着いた。
その一方で、祐真は弘暉とともに透一郎の見舞いに来ていた。今、弘暉が自分で持ってきた見舞いの桃を剥いている。昨日、梛が皿やコップなど、あらかたそろえていったので大体のものはある。
「フォークがないから爪楊枝でいいか?」
「皿はあるのに何でフォークはねえの」
「梛に聞いてくれ」
棚から皿を出した祐真は、フォークが見当たらなくて首を傾げた。彼に聞かれてもない理由はわからない。
「単純に持ってくるのを忘れたんだよ。箸はあるんだけどね」
透一郎が苦笑しながら言った。祐真もあんなに動揺した梛は久々に見たので、理解できないではなかった。
「昔はちょっと間の抜けた可愛い子だったんだけど。しっかり者になってしまったね」
「もともと、しっかり者の気質はあったんだろ。年の離れた兄貴たちに可愛がられて表面に出てなかっただけで」
弘暉が爪楊枝を刺した桃を差し出す。柔らかな桃は爪楊枝で持ち上げにくかったので、結局箸を出した。
「ところでその梛なんだけど」
透一郎が桃を食べ終えた皿をどけながら話を振る。
「様子がおかしくなかった?」
「あの娘がおかしいのは今に始まったことじゃねぇだろ」
弘暉のツッコミに、実の兄たる透一郎も否定できなかったようで、「そうなんだけど」と困った表情になる。
「こう……言いたいけど言えない、みたいな雰囲気がね。いや、私たちの間に隠し事は多いけど」
梛と透一郎がお互いに言えないことは、きっと多いだろう。祐真はそう思うと少し悲しくなったが、それは二人の問題なので横に置いておき、口を開いた。
「普段と違う、という意味なら俺も思っていた。昨日、家まで迎えに行ったとき、周囲を気にするそぶりがあったんだが、何でもないと言われた」
『陽炎』がかかわるようなことなら、梛は祐真に言っただろう。それくらいの信頼は勝ち得ていると思う。それでも言わなかったということは、祐真に知られたくないこと、ひいては兄の透一郎に知られたくないことなのだ。祐真に話せば、透一郎に知られる可能性が高いと、梛はわかっている。心情的には梛寄りの彼だが、透一郎と思惑が一致している彼だった。
「たぶんそれだね……うちの周りって、何かあった?」
「……と、思って俺も気にしてみたが、わからなかった。尤も、俺より梛の方が感知能力が高いからな。俺が気づかなかっただけの可能性もあるが」
おそらく千里眼・水鏡の影響だと思うのだが、梛は感知能力が高い。しかし、それに使われるべき才能もすべて剣術の方に振り切っているので、精度としては第六感が優れている、というレベルだった。
「祐真や私に知られたくないということは、心当たりはあるんだろうね。祐真、聞き出せるかな」
「たぶん、無理だ」
兄が死んでしまうかもしれない、と祐真の前で泣いた彼女だが、あれとはまた状況が違うのだ。祐真が引き出すことはできないだろう。
「……東海林あたりが聞き出せる気がするが……」
と、祐真は弘暉を見る。ああ、と彼も恋人の顔を思い浮かべたようだ。
「あいつは全力で梛の味方だからな……梛は、誰が自分の要望に応えてくれるのかわかってる」
「うん。さすが私の妹」
「透一郎さん、シスコンもたいがいにしろよ」
「弘暉に言われたくはないね」
祐真から見れば、どっちもどっちだ。弘暉は単純に怖い兄だが、透一郎は精神的にきりきりくるタイプの怖い兄である。
梛に本気で好きだと言った場合には、透一郎がラスボスのなるのだろうかと思うと勝てる気がしない祐真である。
「家の周りが怪しいなら、私が戻るまで居を移してほしいんだけどな……」
「説得するの、難しくねぇか。今でも生活できてんだし」
「というか、俺は一度断られているんだが……」
いっそ、瀬名家に来ないかと誘ったのだが、断られている。祐真が一人泊まり込むのはなしだが、梛と晴季が母と弟もいる瀬名家に来るのはぎりぎりありだと思ったのだ。
弘暉の携帯端末が鳴り、一度席を外した。透一郎は祐真を見て頭を下げた。
「祐真。妹たちのこと、本当にありがとう。助かる」
「いや、結局何もできていない……」
と、祐真が肩を落とす。もう少し頼ってくれてもいいのにな、と思う。
「とりあえず、透一郎さんは絶対に元気になってくれ」
めったなことでは泣かない梛が、あんなに泣いていた。透一郎がいなくなってしまったら、彼女は、彼女たちは、どんなに悲しむだろう。
「あの子たちを置いてまだくたばるつもりはないよ」
「……そうか」
そううなずいたが、祐真にも透一郎が長くは生きられないだろうということはわかっていた。それほどに、体が傷ついている。
すぱん、と病室のドアが開いて、戻ってきたのは弘暉だった。間髪入れずに透一郎が「弘暉、静かに」とツッコミを入れるが、やや焦った表情の弘暉は言う。
「依織からだったんだが、あいつ、梛を保護してる」
「は?」
透一郎と祐真が異口同音に音を発した。弘暉も事情がよくわかっていないようだ。
「あいつのアパートの近くで見つけたんだと。声を掛けたら泣かれたから、そのまま家にあげたらしい」
おろおろとどうしよう、と困った声を上げる依織が目に浮かぶ……ではなく。
「ちょ、どういう……!」
珍しく狼狽した透一郎が身を乗り出してベッドから落ちそうになる。祐真が慌てて体を支えた。
「透一郎さん、落ち着け……!」
点滴が倒れているので、ナースコールを押す。透一郎が礼を言って自立を保つのを見て、弘暉が言う。
「電話じゃわけがわからんから、俺は依織のところに行くが、祐真も来るか?」
「行く」
「私のことは気にしないで。梛を頼む……。ついでに後で教えてほしい」
透一郎が心配だったが、先に言われてしまったのでうなずく。弘暉も「おう」と応じる。
「妹って、大事なことは言わないんだよな……」
「ほんとに、それ」
何やら弘暉と透一郎が意気投合しているが、弟しかいない祐真にはわからない感覚だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
祐真視点でした。




