声なき声を聞いて【9】
夏休みが近づき、学校は短縮授業に入っていた。と言っても、受験生である三年生は、そう言ったものはあまり関係ないが。午後からも受験対策授業を受け、梛が帰路についたのはいつもと変わらぬ時間だ。夕方くらいの時間だが、夏である今は帰路も明るい。
今朝も、不愉快な封書は届いていた。いや、郵便ではなく、確実にストーカー(おそらく)が自分で郵便受けに入れているのだろうと思う。不快で気持ち悪いのもあるが、その姿が梛に全く感知できないことが恐ろしい。どうなっているのだろう。
隠し撮りされた写真と、手紙のようなものがいつも通り入っていた。被害を自覚するようになってから、SNSにはすべてロックをかけ、携帯端末も登録しているもの以外は着信不可にした。それくらいの自衛はしているが、家はどうしようもない。防犯はしっかりしているが、登下校などで家を出ることは必ずある。晴季にも、家についたら連絡をするように、と言ってある。『着いたよ!』という連絡は入っていたし、そもそも今日は佐崎さんがいるので、帰宅していなかったら気づく。
家路を半分ほど来たところだろうか。信号待ちをしていると、唐突に耳元に声がかかった。
「ねえ。あの男、誰?」
ぞわっとした。若い男の声だった。梛は信号が切り替わる前に、別の方向に走り出した。大丈夫。相手がわかっていなくても、本気で逃げる梛に追いつける人間はそうそういない。だんだん家から離れていっているのはわかっているが、今の梛は逃げるほうを優先した。
区画を一つ越えたあたりで、さすがに苦しくなって歩くことにした。息が整ってきたころに声をかけられる。
「梛か?」
聞き覚えのある低めの女性の声に、はっと振り返る。その正統派美人顔は。
「依織ちゃん……」
「ゑっ。な、梛、どうした?」
知っている顔に遭遇し、ボロボロと泣き出した梛に、依織は困惑したように肩に手を置いた。
「大丈夫か? 何かあったのか……?」
慣れないなりに尋ねてくれるが、依織は致命的に事情聴取が下手だった。困り果てた挙句に、近くまで来ていたので、部屋にあげてくれた。依織はアパートで独り暮らしなのだ。
「すまん。甘いものの方がいい気がするが」
そう言いながら、依織はミルクを混ぜたコーヒーを出してくれた。そのまま電話を掛けにキッチンの方に戻って行った。一人暮らし用にしては広めの十畳のリビングで、梛は出してもらったコーヒーを飲む。ほんのりと甘かった。
「今、弘暉と瀬名さんが来る。何があったか話せるか?」
ああ、祐真に知られてしまう、と思ったが、さすがに一人で抱え続けるのは不可能だ。依織は話を聞くために梛を落ち着かせようと背中をさすってくれるが、何度も言うが、依織は致命的に事情聴取が下手である。質問されたことには的確に返せるが、自分から質問するのは苦手というか。興味のないことは切り捨てたような人なのである。さすがにかわいがっている梛のことなので比較的頑張っていたが、弘暉が合鍵で遠慮なく入ってくるまでに聞き出せたことは少ない。
「おい。大丈夫か」
「梛」
声をかけただけの弘暉に対し、祐真はまっすぐに梛を抱きしめた。もう枯れはてたと思ったのに、祐真に抱きしめられるとまた涙があふれた。祐真の肩にかじりついてしゃくりあげていると、優しく頭を撫でられた。
「何があったか聞き出せたか?」
「とりあえず、ストーカーにあったというところまではわかった」
「ほとんど何も聞き出せてねぇじゃねぇか……」
あきれた弘暉の声が聞こえる。梛も、動転して筋道立てて説明できなかったので、依織ばかりが悪いわけではないのだが。
梛より年上の三人は、梛が落ち着くまで待ってくれた。年上に囲まれていると、自分は子供だな、と思う。今は取り繕うこともできないけど。
依織が差し出したティッシュで涙をぬぐい、鼻をかんだ。いろいろ女子高生として間違っている気がしたが、『陽炎』で上から五番目に強い、とか言われている時点で間違っている気がするのであきらめた。
「落ち着いたか? ティラミス買ってきたけど、食べるか? コンビニのだけど」
「食べる」
どうやら、弘暉と祐真がここに来る前に買ってきてくれたらしい。梛がうなずいたのを見て、弘暉は笑って「落ち着いたな」と言った。コーヒーを淹れなおしている依織のいるキッチンに向かう。
「ごめん。服濡らした……」
「お前がこれで落ち着くのなら、大したことじゃない」
祐真が目を細めて梛の頬をぬぐった。さんざん泣いたので涙の痕がついていた。羞恥でほのかに赤くなった梛だが、泣いた反動で目元はもともと赤かった。
「そこ、あんまりいちゃつくなよ。人んちだぞ」
家主の恋人からツッコミが飛んだ。祐真は首をかしげたが、梛は思わず頬をぬぐう。
「いや、私はかまわない。私はいつでも梛の幸せを願っているからな」
と、家主の方はあまり気にしていないようだった。おぼんにティラミスやらプリンやらを乗せた弘暉が少しあきれる。
「お前、本当に梛が好きだな」
「私を助けてくれたからな」
もう三年も前の話で、梛も今より擦れていたと思うのだが、そう言ってくれる依織が梛も好きだった。そして、落ち着いてティラミスを食べ始めたところで気が付いた。
「あっ。晴季!」
梛が依織に保護された時点で、すでに夕方だった。小学校の授業などとうに終わっており、晴季は帰宅している。そして、佐崎が帰る頃合いだ。晴季が一人になってしまう。
「透一郎さんが、佐崎さんにしばらく残ってくれるように連絡していた」
「……」
祐真にそう言われ、梛はほっとして座りなおした。結局、梛は透一郎の妹なのだなぁとしみじみ思う。
「まあ、いつまでもここにいるわけにはいかねぇからな。梛、話せるか」
「う、うん」
このメンバーだと、どうしても弘暉が仕切ることになるらしい。
「まず、いつからストーカーに気づいてた?」
「気づいたのは兄さんが入院したころだから数日前。でも、思い返せば、ほら、武宮家に遊びに行ったことがあったでしょう。あの頃から、付けられているような、気はした」
「って、一週間は前じゃねぇか」
弘暉がツッコミを入れつつ、依織もおそらく祐真もできない事情聴取を行っていく。
最近、物が増えたり減ったりしていた。勘違いだと思っていた。自意識過剰だと。しかし、四日前の金曜日、消印のない封筒がポストに入っていてぞっとした。
「それ、今持ってるか」
「持ってる」
家において見つけられるのも嫌だったので、学生カバンに入れっぱなしだった。金、土、月、と三通届いている。中の写真を見て、「完全に隠し撮りだな」とは依織の言だ。
「手紙も気色悪いな」
弘暉もそう言うが、無言で写真と手紙を見ている祐真が恐ろしい。静かに怒っている気がする。
「で、今日、信号待ちしてたら、『あの男は誰』って」
思い返しただけでぞっとした。思わず二の腕をさすると、祐真が安心させるように肩に手を置いた。
「あの男って、祐真のことか」
「……たぶん、俺だな」
今日入っていた封筒の中の写真には、梛と祐真を隠し撮ったものが入っていたし、祐真には自分が土日の間、水無瀬家に出入りした自覚もある。
「じゃあ、祐真がおとりになるか? 俺達には服務規定がないからな。うまくやれば傷害罪で捕まえられるんじゃねえ?」
「方法としてはなくはないな。梛と二人で出かければ釣れる気はするが……母にも聞いておこう」
祐真の母都は弁護士だ。ストーカーは扱っていなかった気もするが。助言くらいはくれるだろう。
「警察には届け出ないのか? 上條さんに言えば何とかしてくれる気がするが」
依織の意見に、確かに、とほかの三人も思った。怪奇対応機密局と警察の調整役の友哉は、訴えれば警察に働きかけてくれるだろう。しかし、これには梛が首を左右に振った。
「通常、ストーカーくらいで警察は動いてくれない……特別扱いはされたくない。それより、目先の問題として家に帰るのが怖い」
ストーカーを何とかするよりも前に、まず家に帰るのが怖かった。透一郎がいるならともかく、晴季と二人になる。晴季のことも守らねばならないと思うと、胃がキリキリした。
「……やはり、泊ろうか? 本当は引っ越すのがいいんだろうが」
余計にストーカーを刺激しそうだ。かといって、祐真が泊まり込むのもやっぱり風紀的に問題がある気がする。弘暉が時計を確認する。
「ひとまず、面会時間が終わる前に透一郎さんのところに行かねぇ? 梛のこと、めちゃくちゃ心配してるぞ」
「あ、うん……」
兄に話すのかと思うと、ちょっと気が重かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そのうち、梛と依織の話も書きたいところ。




