声なき声を聞いて【7】
「どうぞ」
梛がカフェオレのカップを差し出すと、香江は「ありがとう」と苦笑して受け取った。病院内のカフェである。梛はミルクティーを片手に香江の向かい側に座った。
「お見舞い、来てくれたんだ」
「ええ……梛ちゃんから連絡が来て、いてもたってもいられなくて」
香江はそう言ってカフェオレを一口飲む。梛は香江の言葉を待った。
「でも、迷惑だったみたい。振られちゃったわ」
苦笑いを浮かべて発したその言葉は、見舞いに来なくていいという意味か、それとも、好きだと言って振られたという意味か。さすがの梛にも測りかねた。
「香江さんは、まだ兄さんのことが好きなんだよね」
これが大前提だ。二人が別れたのは、水無瀬家の四年半前の事件があってからだ。透一郎が右腕と左目を失ったあと。当時の梛はまだ中学生で、今ほど余裕はなかったからよく覚えてはいないが、十八年近く透一郎の妹をやってきた。彼が考えそうなことはわかる。家族を奪われたことへの復讐をするため、香江を巻き込まないようにあえて切り捨てた。また、自分が隻腕隻眼になってしまい、香江にふさわしくないと思ったのもあるかもしれない。
ともあれ、別れは透一郎から切り出され、香江は必ずしも納得したわけではないということだ。そのあとすぐに彼女は留学に出てしまったから、自然消滅のような形になっているはずだ。どう見ても双方未練があるが。
直截的な梛の問いに、香江は目を細めた。
「ええ……そうね。私は、彼が彼であればかまわないのに」
「……」
梛はミルクティーをすすった。透一郎の方には、祐真と晴季をつけてある。端末も祐真に預けてあった。同性同士で、ということで、こんな割り振りになった。
「私は、香江さんには兄さんの側にいてほしいよ」
「え?」
香江が見たのは、目を伏せた梛の顔だ。目を細めた真顔は、彼女の愛した男とよく似ているはずだ。
「たまに、思う。兄さんは、復讐が成功した後、どうするんだろうって」
燃え尽き症候群になるのではないだろうか。晴季が成人するまでは、と思っている節はあるだろう。それでも、生きる気力がなくなるのではないだろうかと思うと、怖い。
「私は兄さんの復讐を止めなかった。だから、私にはどうしようもないんだ」
梛は透一郎の共犯者だ。彼女の思惑は兄とは違ったが、兄が自分に仇を打たせようとしていることをわかって、それを飲んで指導を受けている。だから、梛には何も言う資格はないのだ。
「香江さんに引き留めてほしいと思うよ」
「梛ちゃん……」
香江なら、ただ透一郎を愛している香江なら、どこかへ行ってしまいそうな透一郎を引き留めてくれる。そういう未練は、生きるのに大事だと思う。
「兄さんを支配しているのは怒りなんだ。兄さんは家族を守れなかった自分に怒っている。家族を奪ったやつらを心から憎んでいる。だから」
透一郎の心は、そこで完結している。このあたりに、梛と透一郎の違いがあるのだと思う。
「梛ちゃんは、憎んでいないの?」
「憎い。憎いよ。お前は私から家族を奪ったんだと喚き散らして、切り捨ててやりたい」
カフェでするにはなかなかに物騒な会話である。
「けど、それ以上に私を支配しているのは悔しさなんだ。何もできなかった。守られるしかなかった自分が悔しい」
「だから、透一郎の訓練を受けたの? そんな、性格が変わるほどなのに? 今のあなたは、透一郎を見ているようだわ」
「当然だよ。兄さんの性格をトレースしているのだから」
しれっと言ってのける梛に、香江は顔をゆがめた。梛は笑う。
「冷静たれと言われた。私が知っている中で、一番冷静なのは兄さんだったから」
「怒りに支配されていると、あなたは言ったわ。そんなに力が欲しいの?」
うん、と梛はうなずく。
「もう絶対に、後悔はしたくない。この先、同じことがあっても守れる力が欲しかった。これが私。けれど、兄さんは違うんだ。すでに起こってしまったことに対して、怒り、憎んでる。私の思いには先があるけど、兄さんにはないんだよ」
「……なんとなく、わかるわ」
梛は未来を見ているが、透一郎は過去を見ているのだ。戦う力を失った彼だから、仕方がないのかもしれないけど。
「香江さんは兄さんを愛していると言ったし、私も、香江さんには兄さんの側にいてほしいって、言ったね」
「言ったわね……」
「自分で願っておいてなんだけど、香江さんは覚えておかなければならないと思う」
梛の言いたいことがわからないのか、香江が首を傾げた。
「というと?」
「兄さんが、復讐を成功させた場合のこと」
「……」
正直、水無瀬家を襲った犯人を切るのは、梛よりも透一郎の方が確立が高い。その場合、香江は、復讐を遂げた……もっと言ってしまえば、人を殺した男の側にいて、そして、愛し続けることができるのだろうか?
カフェオレを飲み終えた香江は、このまま帰る、と言ったので、梛は一人で病室に戻った。
「兄さん、反省した?」
「何を? 香江は?」
「もう帰るってさ」
けろっとしている透一郎に、メンタルが強いし食えないし腹黒いな、と梛は思う。自分の兄に対して散々であるが、おおむね間違ってはいないと思う。香江に関しても「そうか」と返しただけだった。正直、兄との心理戦の方が神経を削る気がする。
「あ、腕、付けたんだ」
存在している右腕に、梛はそう言った。彼女が香江と話している間に、祐真が装着したらしい。ちゃんと医者の許可は得ているそうだ。そもそも、この義手は丈夫だがさほど重くない。
「あるのに慣れていると、なかったら不便だね……それほど細かい作業はできないけど」
「すまない……」
しょぼんとした祐真に、梛は椅子に座らせられる。透一郎も「ごめん、責めてるわけではないよ」と苦笑する。
「祐真には感謝しているよ。私の腕のことも、梛たちのことも」
「俺が好きでやっているんだ。気にしないでくれ」
梛の肩に手を置いたまま、祐真が言った。なんだろう。兄に殴りかかるとでも思われているのだろうか。話について行けない晴季が梛をかまってほしそうに見上げているので、頭を撫でた。
「それより、生活の方は本当に大丈夫? いや、生活自体はできると思うけど」
透一郎は心配そうだ。『陽炎』の任務は免除されているので、普通の生活は遅れているが、家に大人がいるかどうかの違いは大きい。透一郎は兄で、晴季にとっては父親代わりでもあって、食えないところがあっても頼りになる大人だった。
それに、梛へのストーカーらしき被害の問題もある。家は特定されているし、晴季のことも心配だ。本音を言えば、大丈夫ではないのだと思う。
「……さすがに言ってくれないと、私にもわからないよ。その表情はどういう表情なの?」
兄をまねるあまりポーカーフェイスまで習得してしまった梛の感情は、さすがの透一郎にも読めなかったらしい。その勢いで梛は平然と言った。
「いや……気がかりな部分はあるけど、日常生活を送る分には問題ないのだと思う」
「言い方が信用できない……」
「失礼な」
背後から祐真の突っ込みが飛んできて思わず言い返した。おっとりしている彼から突っ込まれるのは珍しい。
「大丈夫だ。俺が様子を見ておく」
「うん。ありがとう。それもそれで不安だけどね」
と、透一郎は自分が決めた妹の婚約者にも容赦がなかった。置いてけぼりの晴季が参戦する。
「大丈夫だよ! 姉さんは僕が守るからね!」
不覚にもほっこりした三人である。梛は軽く笑った。
「あはは。十年後にお願いするよ」
結果的に生活は大丈夫ではなかったので、この時の梛は、透一郎が目覚めたといううれしさでちょっとぼけていたのだと思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
このあたりが梛と透一郎の違い。できるだけ反対になるように書きたいのですが(笑)




